2019年03月12日
またまた隣国に思う。。。私の妄言
隣国を見ながらふと思ったこと
隣国は北を見ながら、その先の中国を見ている
長い物に巻かれるならアメリカでは無く中国の方が良い
現政権の主導者はそう見ているのでは?
と、どうしても感じてしまう私です
そして、国として生き残る為には北と一緒になることによって核を手に入れる
その核が中国と対等に近い立場で対話できる武器になる
そう考えている気がしてしまう
過去の決め事を反故にする国柄よりも恐いのは
共産・社会主義を目指すことでは?
資本主義が完璧では無いですが、私の知る限り共産・社会主義で長生きした国は無い
独裁国家になってしまい、当初の理想から外れた国になってしまっている
そう感じもするからです
最終的に指導者が軍を掌握してしまえば。。。
ここからは私の妄言になりますので勘弁してください
リベラル派と言う言葉があります
私の中のイメージですが、リベラル派は偏った思想を持ちやすい
そんなイメージがあります
誰しもが思い描く理想を掲げ、そこを目指そうとする
そこを目指すのは悪いことでは無いのですが
実際に出来ないことを並べ、国民感情を煽る
そして、自分たちは「正義」だと叫ぶ場合が多い
その正義から外れたことは全て悪と語ってしまう
その傾向に走る危険性がはらんでいる
私は社会主義でも無い、資本主義でもない
「しかし、その両方の良いとこ取りした考えなんです」
そう表面で言ってはいても、実際には社会主義に近い考えでは?とも
その様な方々が一度権力を握る
国として民主主義が成熟された国であるならば問題では無いのですが
成熟されていない国ならば、間違った方向へ進む危険性が大きい
力を使った権力行使に出てしまう
日本の場合はリベラル派の中でも一部を除いては保守系が多い
なのでさほど気にならないところではあります
ただ一部に関してはそうでは無い
私自身が腑に落ちないところ
憲法9条にしてもそうですし
もう一つ、労組にしてもそう
憲法9条に関しては、改憲には賛成の私です
理由は簡単な事で、憲法と自衛隊の存在が矛盾しているからです
「専守防衛」を謳った平和憲法にすれば良いだけ
9条があるから日本は平和な国では無いのですからね
後ろにアメリカが居る、そして国際情勢が戦争を避けるから平和があるだけ
労組には否定はしませんが、今の労組のあり方が気になる
会社から労働者の立場を守るためのものが本来の姿
私はそう理解しています
ですが、今の労組はどうなんでしょう?
保護された立場を利用して、本筋からずれているのでは?
労組内の権力も見え隠れすること自体がおかしいと思う
この二つに共通することは、現状に甘えが生まれると言うことです
慣れてしまうことの怖さです
現状が良いと思ったら、その環境を変える怖さが生まれます
怖さよりも、快適な物だったら別な話
平気で要求はする
そこに自分の責任は存在しないからです
憲法の問題は自衛隊の存在の意義と国防に関すること
しかし、一般の国民には絵空事です
平和な今がありますし、事が起きても自分が矢面に立つ訳では無い
攻めた相手を恨み、守れなかったら自衛隊を、時の政府を叩けばいいんです
労組にしてもそう
賃金や待遇は会社との労力の契約なんです
働いたら働いた分の価値が賃金によって還ってくる
そこに不満があるならば、条件の良いところへ移るのが本来であるはず
しかし、会社の内部状況にもよる
未来永劫に会社を存続させなきゃいけない
そこのバランスの問題も生まれます
そこを考えずに行動する社員なら問題外ですし、そこを許す労組だったら問題外
話しはそれましたが
リベラルの怖さは、そこに生まれる国民感情を利用すること
そして「正義」だと叫び誇張する
絵に描いた餅を見せる
トップに立ったら、現実を実感してしまう
それでも、理想へ向けて闇雲に走りだしたら独裁的に力で封じ込める
自分をよく見せようとするあまりに。。。
今の隣国は独裁とは言いませんが、いずれはそこを目指している
昔で言う王権国家のようなもの
そこへ突き進んでいる気もする
階級制度があった時代が懐かしいのかなとも思います
懐かしいと言うより理想なのかなと
民族統一と言うよりそっち方のような気もしてしまう
「思想家」
一国の大統領と言うより「思想家」として朝鮮半島を統一したい
その思いの方が強いのかなとも感じますしね
最初の書いた
隣国は北を見ながら、その先の中国を見ている
長い物に巻かれるならアメリカでは無く中国の方が良い
現政権の主導者はそう見ているのでは?
と、どうしても感じてしまう私です
そして、国として生き残る為には北と一緒になることによって核を手に入れる
その核が中国と対等に近い立場で対話できる武器になりますし
他国に対しても強い武器になる
「思想家」としての思いがそこにあるのではと
だったら恐いことです
おすすめ。。。
2019年03月06日
またまた隣国に思う
ネット記事をみると
米朝会談の事から派生した話題が多いですね
どんな事が書かれているのか興味があるので目を通す私なのですが
その度に思うのは、隣国のマスコミの記事の内容です
世論や政府を怖がらずに本音を書いたら?と思います
日本のマスコミは政府を怖がらずに「切り抜き部分」を書いてますし
それを元に「世論を扇ぐ」傾向が強い(笑)
米朝会議の結果は、現韓国政府は予想出来なかったかもしれません
ですが、マスコミ側は予想出来ていたのでは?
私的にはそう感じる記事内容かなと思います
楽観してたのは隣国の政治家だけでは?
アメリカは以前から「寧辺以外にも核施設がある」旨を言ってました
隣国もそれは知っていたにも関わらず、隣国は北朝鮮側と話しをしていた
にも関わらず、北朝鮮側は寧辺の核施設廃棄を条件に規制解除を求めた
それでアメリカがOKを出すと思っていたのでしょうか?
国際世論を見れば、そこでOKを出してしまってはアメリカのメンツは無くなります
自国第1主義をトランプ政権は叫んでますが、それは世界No1で有り続ける為
世界No1だと言う思いがあるからこそ、世界で自国第1主義を叫び
自国有利な展開に持ち込める算段だと私は思っています
そのアメリカが北朝鮮の要求を丸呑みするはずがありません
この間も書きましたが
マスコミを利用して、北朝鮮の出方を伺っただけ
そこにまんまと填った、北朝鮮と隣国ではと思います
3.1節の大統領の演説
日本で言う「アカ」という言葉を何度も使った
私からすれば、それだけ北朝鮮に近い考えの方なのだと感じます
それと同時に資本主義では無く、共産主義・社会主義を目指している方なのだとも
その目は、アメリカでは無く中国を見ているともとれるでしょう
中国のようになりたいと思っているかもしれません
朝貢国家だった時代が懐かしく思える方々なのかもと
しかし、中国は隣国にはそれほど目を向けていないでしょう
仲間として受け入れはするが、言い方は悪いが駒としか見ない
隣国の方は怒るでしょうが、隣国の政治を見れば対等に話しは出来ない
それは国民の方々も理解しているのでは?と。。。
今まで、対等に話しが出来た・・・いや下に見ていた日本の対応が変わってあたふた
同じような中国と日本の関係は裏と表の話しで理解している部分がある
その政治力の差です
隣国が日本に対して行っている言動は、北朝鮮が国際社会にアピールする言動と同じ
強く見せる手段しか選ばない
そして、振り上げた手を下ろす方法を知らない(中国はそれを知っている)
そんな同じような考えを持った政治家が互いに話しをし
米朝の会談の成果を期待しても無理かと
それだけ世界の実際の実情を理解していない
世界情勢を見極め、他国の性質をしっかり理解してるかどうか?
そこが肝心であって、そこを理解していれば国同士の交渉も出来る
隣国もアメリカを理解していれば、北朝鮮に対して「全ての核廃棄」と言えたでしょう
逆に言えば
どっちに近い大統領かの違いが生んだ事とも言えるかなと思います
資本主義なのか?共産・社会主義なのか?
そこには
今の隣国以前の国が歩んだ道が見えてくる気がします
朝貢国家っであった事、日本の統治を受けた理由も見えてくるかなとも
記事を読む度に、色々と考えてしまいますm(_ _)m
おすすめ。。。
2019年03月01日
米朝の結果は予測できたこと
まずはアメリカと北朝鮮のトップ会談から
予想通りの展開と見てよいのでしょう
合意するとは思えなかった
事前の報道などでは合意の話しも出てましたが
それはアメリカにすれば揺さぶりだったと
野球でたとえるなら
守備側につく北朝鮮、攻撃側のアメリカ
ノーアウトランナー1塁
アメリカは珍しく送りバントを試みる
北朝鮮はバントだと信じ込んで投げたボールをホームランにされた
大きなツーランを打たれた2回の裏って感じでしょうか?
事前に韓国からの情報もあったでしょう
韓国の言葉を半分信じて、今回の会談で合意する用意もあったかと思います
なので、事前に一応揺さぶりをかけておいた
会談で北朝鮮がどんなボールを投げてくるかを見極めたかった
本音を判断したかったのではと思います
ここからは憶測
そこは、もしかしたら日本側の要望があったからかもと思ってしまう
なぜか?
小泉元首相が北朝鮮から拉致被害者を日本に連れてきたとき
事前の約束を反故にし、被害者を帰さなかった
その事を提案したのが今の安倍首相
トランプ大統領に拉致被害者の話をお願いすると同時に、北朝鮮との当時の裏話をはしていたかもしれない
なんて繋げて見ました
話しを戻して
その揺さぶりに乗っかった北朝鮮は安易にボールを投げてしまった
そして、見事にホームランを打たれてしまった
北朝鮮側がトランプ側は功を急いでいると判断したのでしょう
NATO離脱とか騒いでいるトランプを見れば、世界の警察のような事はしない
もう、そんな時代じゃない
そう考えれば、アジアの問題は小さい話しともとれます
しかし、核を全面放棄しない限り同じ事は続く
決めたことを反故にし、同じ問題を繰り返す過去の実績
そして、隣国の韓国も同じ事をしている
朝鮮半島の二国は同じ民族で、そこは強固に行かないと変わらない
そんな思いもあるのではとも感じます
しっかり根っこを根絶しないと意味がない
そう、思っているのではないでしょうか?
今回の会談の決裂は、そう考えれば予測出来たこと
そして、この結果は北朝鮮へはもちろんですが
韓国の今の政権へのメッセージともとれるのでは?
北との橋渡し役を担った韓国の大統領
南北が一つになると言う理想には反対しません
しかし、思想が違う中での国同士の交渉は簡単では無い
急いで結果が出ることなら、今まで時間はかからなかったでしょう
目論見が外れ落胆しているかと思いますが、それ以上に立場が危うくなったかなとも
北朝鮮側の信用、アメリカ側の信用も失ってしまった
もしかしたら、中国側の信用も。。。
「あなたの言った事を信用したのに・・・これですか」
と。。。
2度目の会談を終え、いつ3度目があるかはわかりません
言っている実務者協議を行うとは思います
過去のようには行かない
そう考えないと
それ相応の覚悟を持たないと経済制裁解除には至らないと思います
そしてある記事を見て
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190227-00000038-sasahi-sci&p=1
この方の言っていることは理解します
ですが、今の日本のメディアには無理だと思います
都合の良い部分だけを切り取る傾向が強いメディア
そして、正義感たっぷりに視聴者にアピールするだけ
そこに権力者と対立する力も知識も無い
いや、力はあるけどと言った方が正しいかもしれません
本当の真実を追究しようとするメディアがどれだけあるか
おもしろおかしく偽善者ぶる
フィリピンで行われている事が許すべきでは無いの間違いないでしょう
撲滅するための手法が行き過ぎている
しかし、ここまでしないと撲滅が出来ないほどだったとも言えます
日本だったら起きないことですね
私もそうですが平和ぼけしている日本にとっては対岸の火事
それはメディアも同じでしょう
何もかもが、「のど元過ぎれば・・・」で終わってしまう現状です
おすすめ。。。
2019年02月28日
隣国に思う・・・極端すぎませんか?
なぜこうも隣国は極端な行動を起こすのでしょう?
反日を叫ぶの仕方ないとは思います
ですが、国内で親日を排除しようとすることが理解出来ない
隣国は、向で言う「日本の植民地」だった以前に戻りたいのか?
とも思えてしまう
当時の清国の属国だった時代が良かったのか?
立派な独立した国としてどうなのか?
今の隣国の一部の方々の行っていることは民主主義とは言えない
共産国が叫んでいるのと同じではと思っています
または、日本が統治していた時代に行っていたかも知れないこと
ヒトラーが行っていたユダヤ人の迫害
それらと同じ事をしている
私にはそう思えてならない
叫ぶ人は、それが正義だと信じている
しかし、それが本当に正義なのかと疑問に思う
日本にはたくさんの在日の方々がいる
日本人の一部の人の中には嫌悪感を抱く人もいるのは確かです
ですが、大半の日本人はそんな思いはない
ただ、隣国が反日を叫ぶから嫌気がさしている
嫌悪感が無い人も、嫌悪感を抱くようになる
隣国の全国教職員労働組合が親日派が作った校歌を変えろと叫んでいる
そんな記事を見て
どこの教職員組合は同じ穴の狢なんだなと
日本は国歌斉唱に反対してますし、隣国は校歌を変えろと叫ぶ
子供を教える立場でいながら自分たちの考えを押し通そうとする
民主主義を、自由をはき違えている
こんな教師に子供が学んでいると考えると悲しい気持ちなってしまう
義務教育の場に教師個人の思想が必要なのでしょうか?
また、教師と言う立場であるなら
人を差別するような発言をして良いのでしょうか?
どこの国ににも、その国の置かれた状況での歴史が存在します
その状況から、なぜそのような国になったのかを教える立場のはず
そこに正しいこともあれば間違いもある
日本は日本と呼ばれる前の時代からの歴史も含めて今の日本があります
隣国は植民地時代以前の歴史も隣国の歴史のはず
そこから今の大韓民国があるのです
なぜ全否定をする方々がいるのか?
日本が統治する以前の国がどうだったのか?
日本が統治して良くなった部分、悪くなった部分があるでしょうが
今の隣国は全てが悪いと否定している
親日排除が良い例
過去は歴史です
歴史から学び、現在を未来を造り上げていく
100年の歴史ではなく、それ以前の歴史からも学んで欲しい
独立運動をされた方々は、今のような国の姿を造りたかったのでしょうか?
国民もそうですが、政治を司る方々も同じです
国のために考えて行う政治は、国民のためになる
今も考えながら、将来も考えて行くのが政治家
歴史に名前を残そうと考える政治家よりも
地道に取り組んだ結果、名前を残した政治家の方が立派です
中々日本にもいませんけどね(笑)
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2019年02月25日
比較しましょう・・・某記事から思うこと
さて
なぜこうも偏った見方をするのでしょうか?
ある芸人のSNS上での発信、報道機関による発信
話題になりそうな部分だけを切り取っての報道には問題があるのでは?
一方を見て片方を見ない
そこに疑問を感じます
世の中、右だ左だ中道だと言われることも多い
右も左も真ん中も関係なく
粗を探すのではなく、自分の信じる道の反対の意見もしっかり聞くべき
そして、その意見をみんなの前に出して、片方の意見を言う
それでいいじゃないですか
今回の沖縄での基地問題の住民投票の結果
投票者数の7割が基地建設に反対と騒いでいます
私が沖縄県民で、沖縄の事しか考えなかったら基地建設に反対票を入れたと思います
育った環境がそうさせると思うからです
逆に、北海道に住んでる私から見えれば沖縄の方々には申し訳ないとは思います
ですが、今の世界情勢を見ると沖縄に基地は必要だと思います
以前に理由は書いてますので、ここでは省きます
ただ、7割と騒いでも投票率を考えてみると大きな声で言うことでは無い
逆に、反対やどちでもないに投票したした方々の意見
そちらを聞きたいと思った私です
このような投票の時に、コメンテーターなどは標の少ない方の意見も大切になんて言います
ですが、このような投票の時には言わないですよね
そこも矛盾していると思う私
政治の世界で都合の悪いことはと良く叩くのですが
マスコミなどの報道機関もそれと同じ事をしていると思いませんか?
世論がと叫ぶのいいですが、世論こそ恐い物がない
世論が独裁を生む原因にもなってしまう
それを片方が善、片方が悪のような形で報道するのはいかがなものでしょう?
決めつけるのは良くないのではと感じています
まるで、隣国のようではないですか?
世論を扇ぎ、味方に付け政権をいとも簡単にひっくり返す
世論の声も大切ですが、それを丸呑みするのはと思います
何事もバランスを持たないとならないのでは?
正義だと信じて正しいと思うことに突き進む
それが悪いことでは無いですが、一歩間違えると正義が正義でない方法をとってしまう
それが民衆の暴動化に繋がってもしまう
学生運動も昔にありましたね
正義が間違った行動へ突き進むこともある
それを助長するような報道はどうなんでしょうか?
某芸人の行動は批判はしませんが、表現力には問題有りかなと
ネタとしての行動なら慎むべき
そうじゃないなら、自分の思ったことを一度表に出す前に自分の中で考えて見ることでは?
目立つ方の意見に乗っかってる発言に見えてしまう
なぜに、そう思うのか?
それを、きちんと発信して欲しいかなと
両方の意見、考え方を踏まえての発言や報道であって欲しい
私も浅はかなりにも、比較して書いているつもりです
私も含めて「平和ぼけ」の日本なんだなと感じてしまいます
世界では戦争も紛争も起きている
これが現実ですし、いつ日本も巻き込まれるかもわからない
平和にこした事は無いのですが、平和に過ごせているのは何故か?
そこを少しでも考えることは出来るはずです
本当に平和だと思うなら、自衛隊も警察もいならないのですが。。。
本当は土日の函館のパチンコ実戦報告を書こうと思ったのですが
某芸人と某院長の記事から、そして沖縄の県民投票の記事
そこから、思ったことを書かせて貰いましたm(_ _)m
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2019年02月22日
忘れかけた頃の余震
忘れかけた頃にやってきますね
昨夜の地震
スマホに飛び込んで来たニュース
そして、TVでのニュース
私の住んでる所からは離れているので揺れも感じませんでした
地震の規模を見たら余震なの?
と思うくらいの大きかった
幸い大きな被害も無かったようです
ただ、公共の交通機関がストップしたのでその影響を受けた方々が多かった
また列車内やエレベータ内に閉じこめられた方もいたようです
昨年9月の胆振東部地震で被害にあった方々の気持ちはどうなんでしょう
復興へ向けて前に進んでいる時に、大きな余震となりました
不安が大きくなっていると思います
大きな災害などが無いようですので、それは救いだったかなと思います
私の住んでるとところも北海道南西沖地震の被災地
私自身は地震が起きた時は本州にいました
その後、戻って来てから一度ですが避難所へ非難したこともあります
少しばかりですが気持ちは察します
いつ何が起きるか解らない
何が起きても受け入れる
気持ちだけは準備しておかないといけませんね
冷静でいられないと対処出来ませんもんね
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2019年02月20日
時代だねと言いたくないこと・・・馬鹿すぎる投稿
お馬鹿さん
馬鹿な投稿して、店側が謝罪する
一部では損害賠償もと。。。
同じ馬鹿でも許されることと、許されないことがあります
個人の責任で、個人の馬鹿ならわかりますが
他に迷惑をかける馬鹿は許されない
今回のくら寿しやコンビニなどでバイトが投稿した映像
投稿以前の問題ですよね
なぜ?こんな人がバイトしてるの?って思ってしまう
きちんとした人も同じように見られてしまう
は〜。。。
私のような古い考えの持ち主からすれば親の問題と考えてしまう
子供を何不自由なく育てた家庭環境から生まれたものかなと
みんながとは言いません
一部だと思ってはいます
食べることに不自由しない・お金に困らない家庭に育ったのは間違いないでしょう
貧乏で育ったら食べ物は大切しますし、必死になって働くでしょう
また、事の善し悪しを教えなかったのかなとも
自由をはき違えて子供を育てたと思えてしまう
私は独身で子供はいませんから、そんな奴が何言っていると言われるでしょう
そんな私は、やってはいけないことを教えられ
それをしたら思いっきり叱られましたし、私の度が過ぎたら叩かれもした
身内だけではなく、近所の方からも叱られたり
また、欲しい物があってねだっても買って貰える訳でもなく
社会に出て、自分で働いて初めて欲しい物を買う
そんな子供時代
貧しい訳では無いが、裕福でも無い
そんな家庭でしたので
今の子供はどうなのかな?
欲しい物はほぼ買って貰える時代なのかなと
「学校でみんな持っている」と言えば買って貰える
お小遣いが足りないと言えば、「何に使うの?」と小言を言われても貰える
学校などで叱られたり、何かトラブルになって親が呼ばれても「自分の子にかぎって」と言う
子供をかばうのは親なのでわからなくも無いですが
冷静に内容を把握して、相手の非も、子供の非も認めるとこは認める
それを、子供に解らせることも必要かなと
かわいがるのは当然ですが、かわいいからこそ常識を教えることも必要
自由は不自由があってこそのもです
そこには節度が存在する
実際に今回の事は直接にお客さんへ結びつくこと
映像を投稿したバイトも、自分が客として行ったところで同じ事をされていたら?
自分が嫌なことは、相手も嫌だと最低限は考えて欲しい
たった一つの何気ないこと
これが自分の首を絞めます
それだけじゃなく、バイト先にも
そして、バイトをしている人にも迷惑がかる
自分の節度のない自由が、周りに迷惑をかけることになる
子供の将来を考えたとき
あえて不自由さを教えるのも親でしょう
実際にそんな中で生きていくのが人生です、それが社会の現実です
現実を一番知っている親が、そんな社会に出て行く子供に教えないと
社会に出て困るのは、かわいい自分の子供なんです
苦労させるのも子供のためだと思うのですが
馬鹿な投稿を見るたびにそう感じます
おすすめ。。。
2019年02月19日
隣国に思うこと
さて隣国と日本の問題
なぜそこまでになる?
いつもそう思いますね
私は日本人ですので、その目で隣国を見ます
隣国も自分たちの目で日本を見るでしょう
それは当然ですが
疑問が生じる部分がどうしてもある
日本は島国です
その中で今の日本になる前は、戦国時代もあり国内戦争での陣取り合戦でした
その歴史を繰り返し徳川家康が統一を果たして一つの国にした
そして、もっと良い体制でと言うことで倒幕が起き明治政府が誕生
外国との戦争もおき、日本が植民地化した歴史もある
第二次世界大戦で負けた日本はアメリカの管理下に置かれもしました
そして、今の日本がある
負けから学ぶ事は大きい
隣国は、日本の植民地化から脱して独立をした
しかし、隣国は何を学んだのか?
そこが疑問に残ります
今の前の大韓帝国、その前の李氏朝鮮、高麗など
その時代の国内の歴史をどこまで大切にしているのか
その時代の生活がどうだったか?
日本が統治した時代背景は?
統治時代は親中、親露、親日と様々な立場の人もいたでしょう
統治以前は、言い方は悪いですが風見鶏の国だった
しかし、それは国を守ると言う意味では仕方ない部分
だから、その時に国を治めた人は日本になびいて日本の統治が始まった
それを善しとしない人は独立運動へ走った
大雑把ではありますが、そう理解しています
過去の歴史をある程度見たらですが
なぜ今の国があるのかが見えるのでは?
そして、なぜ南と北に分断されたのか?
日本が統治した以前の歴史にも起因がある
日本の統治以前は風見鶏だったと書きました
言い方は悪いですが
植民地ではないですが、属国としての立場だった
これはイメージですが
国を守るのか?自分の立場を守るのか?国民を守るのか?
そこのどれに当時の一番上の方々が何を守ろうとしたか?
その人に遣える方々の特権もある
それら全てが日本の統治時代に消えてしまった
階級と言うものが無くなり、一番下の階級でも上に行けるようになった
階級で守られた人たちにすれば面白くないない
才があろうと無かろうと立場が保障さていたに、それが無くなる訳ですから
立場を考えず自国の民族の独立を考えた方々がどれだけいたのか?
そこがどうしても疑問符となります
事実、思想が違い南と北にわかれ、北は独裁国家となった
日本が統治時代のことを反省したからこそ、時の政府と日韓基本条約を結んだ
慰安婦も徴用工の事も、その時点で補償金を支払っています
その補償金を対象者に支払ったのかは当時の政府の問題
政権が変わるたびに、国同士の約束事を反故にする
私が思うのは隣国には骨格無いのではと言うこと
日本が統治した以前の国となんら変わりはないのでは?
風見鶏のように、時の政権によってあっちへこっちへとクルクル変わる
国の名前は変わらないが、時の政権で別の国の様相になる
国のためなのか?自分の立場のためなのか?
今の国になるまでの歴史を見ていないのではと思うのです
過去の生い立ちがあるからこそ、そこから学ぶべきことがある
同じ過ちは繰り返さない思いがあればと思う
日本は戦争での反省もあり、専守防衛の立場をとっていますし
出しゃばらないのも過去があるからです
また、過去の歴史を大切にし
その文化も大切しています
善きものを残しているからこそ日本があるんだと私は思っています
自分の国の歴史と言う土台の上に立ってこそだと
隣国も過去の今のある国だけでなく、それ以前の歴史も含めた土台の上に立って
これからを見て欲しいと思う私です
人様のせいににしてばかりでは明日は無くなる
夢ばかり見ては、現実へ戻れなくなる
立派な国になっているはずなのにと思うのですが
おすすめ。。。
2019年02月13日
昔を振り返り
50歳になった私です
高校を卒業して社会人なってからの私を振り返ってみたいと思います
地元の高校を卒業後
隣町にある本店の本屋へ就職した私(本社は札幌)
その本屋の岩見沢店が私の配属先でした
店舗は今は無きダイエーの岩見沢店のテナントとして店はありました
そこでの社員は店長と私の二人
後はバイトの人たち
ダイエーの開店時間の10時〜19時まで勤務していたはず
9時出勤でダイエーの授業員通用口で警備員のチェックを受けて店内に
店内に入ったら、毎日届けられる本を店まで運び
商品のチェックをして商品棚に並べることからスタート
雑誌などは新刊が入荷と同時に返品
荷物が多い時は開店時間に間に合わない時も。。。
仕事が馴れた頃に店長は転勤
その変わり、本部の部長が店長の変わりに店に
仕事も大分覚えた頃に部長は毎日くることもなくなり、大半は私がやることになった
当時は今と違い、レジも手打ちでした
売り上げ内容を把握するのに、雑誌・一般書・文庫・コミック・実用書・参考書といた区分もあり
それも馴れるのに最初は苦労しましたね
当時の会社のグループ店の中で、本の売り上げはNo1の店でしたので
忙しい時は本当に忙しかった
そんな時は、昼食時や休憩は先に取らせ私は最後
年末年始と入学シーズンは特に忙しかったのを覚えています
また、本の仕入を任されるようになった時に覚えたこと
大手の本屋との仕入の違いです
ベストセラーとなった本を注文する時の本の数量
20冊欲しくて注文しても入荷は5冊あれば良い方です
大手にはほぼ注文通りの本が入りますが、中堅以下の本屋には希望数は回ってこない
なので、欲しい数量を20冊なら40冊と数を増やして注文すること
それでも希望に届かない時もある
または新刊を注文するときも同じ
売れっ子の本は同じように注文しないと入荷しない
逆に、売れるだろうと思って注文した本が希望通りの入荷となった時
予想に反して売れないと言うことにもなります
ただ返品も出来るので店的には損はしないのですが
返品が多いと、次回の注文に響くことにはなります
その当時、辛かったことは
基本立ち仕事なので、それに慣れることくらいかな
辛いと思ったことは無かった
人間関係においてもそうでしたね
バイトや他のテナントの方々と仲良く出来たので楽しい日々ではありました
一緒に遊んだり、飲み会もしてましたし
サッカーチームを作ることになり、私も参加してましたしね
年齢が近い人が多かったのも助かったのかもしれません
ですが。。。
ちょうど冬の時期に、私がおたふくにかかり入院した時に急展開
退院してすぐ、入院しなければ私が本州の店に転勤予定だったようで
そのせいで苫小牧店の同期が本州へ転勤になってしまい
その変わりに、苫小牧へ出向となった私
出向が転勤になり引っ越ししたら・・・1ヶ月後に岩見沢に戻るという慌ただしさ
しばらく移動は無いと言われた矢先に
北見店へ転勤の辞令
バイトやテナントの仲の良い方々に送別会もして貰いました
で、北見へ転勤へなった私
ただ北見店は忙しさも無く、バイトともなじめない(バイトは年上)
転勤する時に道東へ住んでた人から
「日高山脈を越えると人が違うよ」
そう言われていたのを実感
店長は中標津店と掛け持ちで、北見には滅多にこない
そこで自分の弱い部分が出て会社を辞めました
まだ若かったです
その後、一度実家へ戻り
本州の茨城県つくばが本社の会社へ就職
中途採用の北海道のメンバー数名と本社へ
そこで、他の地域の採用者と筑波山で社員研修
まあ、当時流行った地獄の訓練みたいなもの
その研修に耐えられず逃げ出した人もいたそうです
私たちの時は逃げ出した人はいませんでした
その会社はの仕事は訪問販売でした
教育機器とそれを使った電話での通信塾にたいなもの
年に数回は生徒がみんな集まって勉強もしてた
私は教育の方では無く
NTTの代理店としての電話機販売の営業
ダイヤル式の黒電話から、プッシュボタンの電話器を勧める方です
嫌がれる仕事です(笑)
地図片手に、アポイントを取った家庭と、飛び込み営業で受け持ち地区を回る
それの繰り返しでしたね
嫌な顔もされますし、相手されないことも多い
ですが、話しを聞いてくれる人もいますし
購入してくれる家もある
一度、昼間に話しをした家で、主人が帰ってくる夜にもう一度来てと言われ
その時間に訪問したところ
ご飯食べて行けと・・・
そのご家族と一緒にご飯を食べながら話しをしていたら
その主人は日立に勤務している方だとわかり
これは買って貰えないと諦めていたら、買ってくれたことがありました
なんだか私を気に入ってくれたみたいで。。。
その電話と言っても、ホームテレホンと言う会社で使う電話の家庭版
電話機2台で工事を含めて10万以上ですよ
それを買ってくれたんですから。。。
また、違う家庭では家を建てかえるからその時に頼むと言われ
1年後だったかな私が他の営業所へ転勤になった時に、その支店から電話があって
「〇〇町の〇〇さんて知ってるか?」
おまえ宛に電話があり、電話機の購入設置を頼まれたと
正直、名前は忘れてました
ですが、話しの内容からあの人だと言うことだけは思いだし
その事が嬉しかったのを覚えています
その後は、教育機器事業へ配属になりましたし
最後はレストラン事業部へ移動
訪問販売は人から嫌がれる仕事でしたので、精神的にはキツイ事の方が多かった
売れない営業マンでしたが、不思議なことにみんなは田舎町の方が成績は良いのですが
私の場合は、都市部なのどの住宅街の方が成績がよかった
住宅街の方が相手にされないことが多いのですが
それが何故だったのかなと今でも思います
その会社の最初の勤務先は栃木県宇都宮市そして小山市
福島県郡山市から本社−函館−札幌−本社
と渡り歩きました
僅か数年の間です
札幌から本社へ行った時は訪問販売ではなく
NTTの下請けの仕事です
家の中の部品を新しいタイプへ無料交換する仕事です
リストを渡され1軒1軒説明して部品を交換
その時に、様々な家庭環境を見てきた私
今ではゴミ屋敷とかTVでやってますが、それに近い家にも出くわしました
家に入ったとたんに、目の前には衣類で埋め尽くされた居間もありましたし
足跡が残る埃の居間もありました
私では無いですが、同僚は若い女性の住まいで部品交換するのにベットをずらしたら
大人の・・・が出てきて困ったこともあったそう
今回はレストラン時代は省きます
以前にも書いてますし、自分の記憶の中にまだしっかり残っていますし
今の私があるのも、当時の経験があるからです
仕事は辛いことがあって当たり前
嫌なことも自分を変えるきっかけにもなる
自分を成長させてくれることになります
そして
色々な人との出会いこそ大切なんだなと
そこから学ぶこともたくさんあります
田舎にずっといたらどうだったのかな?
簡単に「辛い」という
簡単に「辞めたい」という
文句も多いのが田舎でもあります
私も広い世間を知らずに簡単に言っていたかもしれない
田舎を出て、社会に出たときにどうか?
狭い中で、物事を見てしまうと。。。
今の私も田舎暮らしが長くなってしまいました
その色に染まっています
ですが、一度田舎を出て世間を少しでも見てきた
「辛いから」「面倒だから」と言う人のかわりに
「じゃあ自分がやらなきゃ」と思って頑張った過去
だから今の私がありますし、会社を辞めても拾ってくれる会社がある
手前味噌になりますが、そのおかげで何かあれば私に聞いてくる取引先の方々がいる
50歳になって改めて
一度田舎を飛び出し、少しの間でも世間を見て、仕事の厳しさ、人との出会いの楽しさ
その経験してきて良かったと思っています
最後に、死ぬ前にもう一度
私が住んだ町を訪れたいですね
営業で色々な場所を巡りましたが、仕事だったのでおぼろげな部分が多い
今、訪れたら風景も変わっているでしょうね
住んだ町、仕事で回った町
もう一度、足を運んで見たいですね
おすすめ。。。
高校を卒業して社会人なってからの私を振り返ってみたいと思います
地元の高校を卒業後
隣町にある本店の本屋へ就職した私(本社は札幌)
その本屋の岩見沢店が私の配属先でした
店舗は今は無きダイエーの岩見沢店のテナントとして店はありました
そこでの社員は店長と私の二人
後はバイトの人たち
ダイエーの開店時間の10時〜19時まで勤務していたはず
9時出勤でダイエーの授業員通用口で警備員のチェックを受けて店内に
店内に入ったら、毎日届けられる本を店まで運び
商品のチェックをして商品棚に並べることからスタート
雑誌などは新刊が入荷と同時に返品
荷物が多い時は開店時間に間に合わない時も。。。
仕事が馴れた頃に店長は転勤
その変わり、本部の部長が店長の変わりに店に
仕事も大分覚えた頃に部長は毎日くることもなくなり、大半は私がやることになった
当時は今と違い、レジも手打ちでした
売り上げ内容を把握するのに、雑誌・一般書・文庫・コミック・実用書・参考書といた区分もあり
それも馴れるのに最初は苦労しましたね
当時の会社のグループ店の中で、本の売り上げはNo1の店でしたので
忙しい時は本当に忙しかった
そんな時は、昼食時や休憩は先に取らせ私は最後
年末年始と入学シーズンは特に忙しかったのを覚えています
また、本の仕入を任されるようになった時に覚えたこと
大手の本屋との仕入の違いです
ベストセラーとなった本を注文する時の本の数量
20冊欲しくて注文しても入荷は5冊あれば良い方です
大手にはほぼ注文通りの本が入りますが、中堅以下の本屋には希望数は回ってこない
なので、欲しい数量を20冊なら40冊と数を増やして注文すること
それでも希望に届かない時もある
または新刊を注文するときも同じ
売れっ子の本は同じように注文しないと入荷しない
逆に、売れるだろうと思って注文した本が希望通りの入荷となった時
予想に反して売れないと言うことにもなります
ただ返品も出来るので店的には損はしないのですが
返品が多いと、次回の注文に響くことにはなります
その当時、辛かったことは
基本立ち仕事なので、それに慣れることくらいかな
辛いと思ったことは無かった
人間関係においてもそうでしたね
バイトや他のテナントの方々と仲良く出来たので楽しい日々ではありました
一緒に遊んだり、飲み会もしてましたし
サッカーチームを作ることになり、私も参加してましたしね
年齢が近い人が多かったのも助かったのかもしれません
ですが。。。
ちょうど冬の時期に、私がおたふくにかかり入院した時に急展開
退院してすぐ、入院しなければ私が本州の店に転勤予定だったようで
そのせいで苫小牧店の同期が本州へ転勤になってしまい
その変わりに、苫小牧へ出向となった私
出向が転勤になり引っ越ししたら・・・1ヶ月後に岩見沢に戻るという慌ただしさ
しばらく移動は無いと言われた矢先に
北見店へ転勤の辞令
バイトやテナントの仲の良い方々に送別会もして貰いました
で、北見へ転勤へなった私
ただ北見店は忙しさも無く、バイトともなじめない(バイトは年上)
転勤する時に道東へ住んでた人から
「日高山脈を越えると人が違うよ」
そう言われていたのを実感
店長は中標津店と掛け持ちで、北見には滅多にこない
そこで自分の弱い部分が出て会社を辞めました
まだ若かったです
その後、一度実家へ戻り
本州の茨城県つくばが本社の会社へ就職
中途採用の北海道のメンバー数名と本社へ
そこで、他の地域の採用者と筑波山で社員研修
まあ、当時流行った地獄の訓練みたいなもの
その研修に耐えられず逃げ出した人もいたそうです
私たちの時は逃げ出した人はいませんでした
その会社はの仕事は訪問販売でした
教育機器とそれを使った電話での通信塾にたいなもの
年に数回は生徒がみんな集まって勉強もしてた
私は教育の方では無く
NTTの代理店としての電話機販売の営業
ダイヤル式の黒電話から、プッシュボタンの電話器を勧める方です
嫌がれる仕事です(笑)
地図片手に、アポイントを取った家庭と、飛び込み営業で受け持ち地区を回る
それの繰り返しでしたね
嫌な顔もされますし、相手されないことも多い
ですが、話しを聞いてくれる人もいますし
購入してくれる家もある
一度、昼間に話しをした家で、主人が帰ってくる夜にもう一度来てと言われ
その時間に訪問したところ
ご飯食べて行けと・・・
そのご家族と一緒にご飯を食べながら話しをしていたら
その主人は日立に勤務している方だとわかり
これは買って貰えないと諦めていたら、買ってくれたことがありました
なんだか私を気に入ってくれたみたいで。。。
その電話と言っても、ホームテレホンと言う会社で使う電話の家庭版
電話機2台で工事を含めて10万以上ですよ
それを買ってくれたんですから。。。
また、違う家庭では家を建てかえるからその時に頼むと言われ
1年後だったかな私が他の営業所へ転勤になった時に、その支店から電話があって
「〇〇町の〇〇さんて知ってるか?」
おまえ宛に電話があり、電話機の購入設置を頼まれたと
正直、名前は忘れてました
ですが、話しの内容からあの人だと言うことだけは思いだし
その事が嬉しかったのを覚えています
その後は、教育機器事業へ配属になりましたし
最後はレストラン事業部へ移動
訪問販売は人から嫌がれる仕事でしたので、精神的にはキツイ事の方が多かった
売れない営業マンでしたが、不思議なことにみんなは田舎町の方が成績は良いのですが
私の場合は、都市部なのどの住宅街の方が成績がよかった
住宅街の方が相手にされないことが多いのですが
それが何故だったのかなと今でも思います
その会社の最初の勤務先は栃木県宇都宮市そして小山市
福島県郡山市から本社−函館−札幌−本社
と渡り歩きました
僅か数年の間です
札幌から本社へ行った時は訪問販売ではなく
NTTの下請けの仕事です
家の中の部品を新しいタイプへ無料交換する仕事です
リストを渡され1軒1軒説明して部品を交換
その時に、様々な家庭環境を見てきた私
今ではゴミ屋敷とかTVでやってますが、それに近い家にも出くわしました
家に入ったとたんに、目の前には衣類で埋め尽くされた居間もありましたし
足跡が残る埃の居間もありました
私では無いですが、同僚は若い女性の住まいで部品交換するのにベットをずらしたら
大人の・・・が出てきて困ったこともあったそう
今回はレストラン時代は省きます
以前にも書いてますし、自分の記憶の中にまだしっかり残っていますし
今の私があるのも、当時の経験があるからです
仕事は辛いことがあって当たり前
嫌なことも自分を変えるきっかけにもなる
自分を成長させてくれることになります
そして
色々な人との出会いこそ大切なんだなと
そこから学ぶこともたくさんあります
田舎にずっといたらどうだったのかな?
簡単に「辛い」という
簡単に「辞めたい」という
文句も多いのが田舎でもあります
私も広い世間を知らずに簡単に言っていたかもしれない
田舎を出て、社会に出たときにどうか?
狭い中で、物事を見てしまうと。。。
今の私も田舎暮らしが長くなってしまいました
その色に染まっています
ですが、一度田舎を出て世間を少しでも見てきた
「辛いから」「面倒だから」と言う人のかわりに
「じゃあ自分がやらなきゃ」と思って頑張った過去
だから今の私がありますし、会社を辞めても拾ってくれる会社がある
手前味噌になりますが、そのおかげで何かあれば私に聞いてくる取引先の方々がいる
50歳になって改めて
一度田舎を飛び出し、少しの間でも世間を見て、仕事の厳しさ、人との出会いの楽しさ
その経験してきて良かったと思っています
最後に、死ぬ前にもう一度
私が住んだ町を訪れたいですね
営業で色々な場所を巡りましたが、仕事だったのでおぼろげな部分が多い
今、訪れたら風景も変わっているでしょうね
住んだ町、仕事で回った町
もう一度、足を運んで見たいですね
おすすめ。。。
2019年02月11日
沖縄の問題に思うこと
春が近付いて居るとは言え、まだまだ冬の北海道
そんな私は沖縄へ行ってみた
まだ一度も行った事が無い私です
海外へは一度行った事がありますが、国内は修学旅行で行った京都が最南端
そこから先はまだ未経験です
特に行きたいのは今の時期です
それはファイターズのキャンプが行われているから
生でキャンプを見たいのが私の気持ち
さて沖縄の問題の事を書かせて貰います
先に言わせて貰うのは
沖縄に米軍基地は必要だと言う私の意見です
その理由は中国との関係があるから
宗教問題だったり、思想問題だったり、民族間の問題だったり、経済や領土の摩擦だったり
そこから話し合いで解決出来ないから戦争が起きる
朝鮮戦争だって民族間の思想だったと
中国は思想、経済、領土と色々入り組んだ問題があります
そこが解決しない限り仲良くは簡単にできない
まして、共産主義は一歩間違えれば独裁者の思想で簡単に戦争へ踏み込む可能性も高い
今の中国は海洋権争いを繰り広げてもいる
海洋における領土を広げようとしています
一歩間違えば東アジア諸国と戦争になってもおかしくないところまで来ている
今の政権は戦争へ踏み込むとは思えないですが、目測を誤ると可能性だってありますし
政権が変わったらどうなるかもわからない
当然、日本も海洋権争いに巻き込まれているのも実際の所です
北朝鮮以上に恐い存在なのは間違いない
その恐怖が一つ
もう一つは
自衛隊の存在です
みなさんは平和を叫び、憲法9条を守れと言う
ですが、自衛隊を解体しろとは叫ばない
そこは矛盾じゃないでしょうか?
9条を守れと言うなら、自衛隊は違憲でしょう
本当に平和を守り、憲法9条を守れと言うなら自衛隊は存在出来ないのに
心のどこかに不安があるから自衛隊を認めているのかなと思います
米軍を沖縄から撤退を叫ぶなら、自衛隊を軍隊として認めないと話しにならない
私はそう思います
有事の際に、軍備こそ整っている自衛隊ですが実働力はどうか?
人を目の前に銃を撃てるのか?
ミサイルの発射ボタンを押せるのか?
その撃つ判断は?
専守防衛は特に後手が命取りになる
そんな中で、日本の防衛の盾になっている米軍
大きな軍隊の力のある国が駐留しているからこその抑止力
アメリカの存在があるから平和でのほほんとしていられると思っています
おかしくないですか?
片方で平和を叫び、片方で米軍基地を反対する
沖縄じゃなくていいだろうと言いたい気持ちもわかりますが
中国を見たときに沖縄が一番の場所
この間も書きましたが、ロシアが恐い存在になれば
北海道に米軍基地だってあり得る訳です
戦争は反対ですし、本当の平和は各国軍隊を持たなくてもいい世界になること
理想はそうです
日本だけが理想国家になっても、世界が平和にならなければ日本は無くなる
不思議な物で、日本国内で戦争を繰り返した
平和な安泰な国を目指して。。。
武力で国内の平和を勝ち取った歴史があります
これは過去の歴史が物語ってます
戦争を美化する気はありませんし
戦争なんてあって欲しくない
ですが
日本国内だけでは無く、世界の実情を見て欲しい
日本が戦争で負けて何を学んだのでしょう?
戦争の悲惨さを学び、戦争の無い世界を目指すこと
そして、平和の尊さ
そこだけで終われば良かったのかな
私も含めて
「平和ぼけ」まで学んでしまった気がします
「なぜ平和でいられるか」
を忘れてしまっているかな。。。
この間
一方を見て、片方を見ない
そう書きました
都合の良い方だけを見て、都合の悪い方を見ない
それでは問題は解決しない
沖縄の問題もそれと同じように思っています
「どうして沖縄だけ」
「どうして沖縄なのか」
「だけ」と思うか
「なのか」と思うか
そこをもう一度、外から見た方がと思う私です
最後に
沖縄の政治家に思うこと
反対するだけなら政治家とは言えないのでは?
それはパフォーマンスにしか見えない
一つの問題を苦労してまとめることが政治家にとって必要なのでは?
ある意味、隣国の日本叩きと同じように見える私です
おすすめ。。。