高校を卒業して社会人なってからの私を振り返ってみたいと思います
地元の高校を卒業後
隣町にある本店の本屋へ就職した私(本社は札幌)
その本屋の岩見沢店が私の配属先でした
店舗は今は無きダイエーの岩見沢店のテナントとして店はありました
そこでの社員は店長と私の二人
後はバイトの人たち
ダイエーの開店時間の10時〜19時まで勤務していたはず
9時出勤でダイエーの授業員通用口で警備員のチェックを受けて店内に
店内に入ったら、毎日届けられる本を店まで運び
商品のチェックをして商品棚に並べることからスタート
雑誌などは新刊が入荷と同時に返品
荷物が多い時は開店時間に間に合わない時も。。。
仕事が馴れた頃に店長は転勤
その変わり、本部の部長が店長の変わりに店に
仕事も大分覚えた頃に部長は毎日くることもなくなり、大半は私がやることになった
当時は今と違い、レジも手打ちでした
売り上げ内容を把握するのに、雑誌・一般書・文庫・コミック・実用書・参考書といた区分もあり
それも馴れるのに最初は苦労しましたね
当時の会社のグループ店の中で、本の売り上げはNo1の店でしたので
忙しい時は本当に忙しかった
そんな時は、昼食時や休憩は先に取らせ私は最後
年末年始と入学シーズンは特に忙しかったのを覚えています
また、本の仕入を任されるようになった時に覚えたこと
大手の本屋との仕入の違いです
ベストセラーとなった本を注文する時の本の数量
20冊欲しくて注文しても入荷は5冊あれば良い方です
大手にはほぼ注文通りの本が入りますが、中堅以下の本屋には希望数は回ってこない
なので、欲しい数量を20冊なら40冊と数を増やして注文すること
それでも希望に届かない時もある
または新刊を注文するときも同じ
売れっ子の本は同じように注文しないと入荷しない
逆に、売れるだろうと思って注文した本が希望通りの入荷となった時
予想に反して売れないと言うことにもなります
ただ返品も出来るので店的には損はしないのですが
返品が多いと、次回の注文に響くことにはなります
その当時、辛かったことは
基本立ち仕事なので、それに慣れることくらいかな
辛いと思ったことは無かった
人間関係においてもそうでしたね
バイトや他のテナントの方々と仲良く出来たので楽しい日々ではありました
一緒に遊んだり、飲み会もしてましたし
サッカーチームを作ることになり、私も参加してましたしね
年齢が近い人が多かったのも助かったのかもしれません
ですが。。。
ちょうど冬の時期に、私がおたふくにかかり入院した時に急展開
退院してすぐ、入院しなければ私が本州の店に転勤予定だったようで
そのせいで苫小牧店の同期が本州へ転勤になってしまい
その変わりに、苫小牧へ出向となった私
出向が転勤になり引っ越ししたら・・・1ヶ月後に岩見沢に戻るという慌ただしさ
しばらく移動は無いと言われた矢先に
北見店へ転勤の辞令
バイトやテナントの仲の良い方々に送別会もして貰いました
で、北見へ転勤へなった私
ただ北見店は忙しさも無く、バイトともなじめない(バイトは年上)
転勤する時に道東へ住んでた人から
「日高山脈を越えると人が違うよ」
そう言われていたのを実感
店長は中標津店と掛け持ちで、北見には滅多にこない
そこで自分の弱い部分が出て会社を辞めました
まだ若かったです
その後、一度実家へ戻り
本州の茨城県つくばが本社の会社へ就職
中途採用の北海道のメンバー数名と本社へ
そこで、他の地域の採用者と筑波山で社員研修
まあ、当時流行った地獄の訓練みたいなもの
その研修に耐えられず逃げ出した人もいたそうです
私たちの時は逃げ出した人はいませんでした
その会社はの仕事は訪問販売でした
教育機器とそれを使った電話での通信塾にたいなもの
年に数回は生徒がみんな集まって勉強もしてた
私は教育の方では無く
NTTの代理店としての電話機販売の営業
ダイヤル式の黒電話から、プッシュボタンの電話器を勧める方です
嫌がれる仕事です(笑)
地図片手に、アポイントを取った家庭と、飛び込み営業で受け持ち地区を回る
それの繰り返しでしたね
嫌な顔もされますし、相手されないことも多い
ですが、話しを聞いてくれる人もいますし
購入してくれる家もある
一度、昼間に話しをした家で、主人が帰ってくる夜にもう一度来てと言われ
その時間に訪問したところ
ご飯食べて行けと・・・
そのご家族と一緒にご飯を食べながら話しをしていたら
その主人は日立に勤務している方だとわかり
これは買って貰えないと諦めていたら、買ってくれたことがありました
なんだか私を気に入ってくれたみたいで。。。
その電話と言っても、ホームテレホンと言う会社で使う電話の家庭版
電話機2台で工事を含めて10万以上ですよ
それを買ってくれたんですから。。。
また、違う家庭では家を建てかえるからその時に頼むと言われ
1年後だったかな私が他の営業所へ転勤になった時に、その支店から電話があって
「〇〇町の〇〇さんて知ってるか?」
おまえ宛に電話があり、電話機の購入設置を頼まれたと
正直、名前は忘れてました
ですが、話しの内容からあの人だと言うことだけは思いだし
その事が嬉しかったのを覚えています
その後は、教育機器事業へ配属になりましたし
最後はレストラン事業部へ移動
訪問販売は人から嫌がれる仕事でしたので、精神的にはキツイ事の方が多かった
売れない営業マンでしたが、不思議なことにみんなは田舎町の方が成績は良いのですが
私の場合は、都市部なのどの住宅街の方が成績がよかった
住宅街の方が相手にされないことが多いのですが
それが何故だったのかなと今でも思います
その会社の最初の勤務先は栃木県宇都宮市そして小山市
福島県郡山市から本社−函館−札幌−本社
と渡り歩きました
僅か数年の間です
札幌から本社へ行った時は訪問販売ではなく
NTTの下請けの仕事です
家の中の部品を新しいタイプへ無料交換する仕事です
リストを渡され1軒1軒説明して部品を交換
その時に、様々な家庭環境を見てきた私
今ではゴミ屋敷とかTVでやってますが、それに近い家にも出くわしました
家に入ったとたんに、目の前には衣類で埋め尽くされた居間もありましたし
足跡が残る埃の居間もありました
私では無いですが、同僚は若い女性の住まいで部品交換するのにベットをずらしたら
大人の・・・が出てきて困ったこともあったそう
今回はレストラン時代は省きます
以前にも書いてますし、自分の記憶の中にまだしっかり残っていますし
今の私があるのも、当時の経験があるからです
仕事は辛いことがあって当たり前
嫌なことも自分を変えるきっかけにもなる
自分を成長させてくれることになります
そして
色々な人との出会いこそ大切なんだなと
そこから学ぶこともたくさんあります
田舎にずっといたらどうだったのかな?
簡単に「辛い」という
簡単に「辞めたい」という
文句も多いのが田舎でもあります
私も広い世間を知らずに簡単に言っていたかもしれない
田舎を出て、社会に出たときにどうか?
狭い中で、物事を見てしまうと。。。
今の私も田舎暮らしが長くなってしまいました
その色に染まっています
ですが、一度田舎を出て世間を少しでも見てきた
「辛いから」「面倒だから」と言う人のかわりに
「じゃあ自分がやらなきゃ」と思って頑張った過去
だから今の私がありますし、会社を辞めても拾ってくれる会社がある
手前味噌になりますが、そのおかげで何かあれば私に聞いてくる取引先の方々がいる
50歳になって改めて
一度田舎を飛び出し、少しの間でも世間を見て、仕事の厳しさ、人との出会いの楽しさ
その経験してきて良かったと思っています
最後に、死ぬ前にもう一度
私が住んだ町を訪れたいですね
営業で色々な場所を巡りましたが、仕事だったのでおぼろげな部分が多い
今、訪れたら風景も変わっているでしょうね
住んだ町、仕事で回った町
もう一度、足を運んで見たいですね
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