2019年01月17日
森鴎外の「佐橋甚五郎」の相関関係について9
3.3 賭けをする
澄み切った月が、暗く濁った燭の火に打ち勝って、座敷は一面に青みがかった光りを浴びている。A1B2
どこか近くで鳴く蟋蟀(こうろぎ)の声が、笛の音にまじって聞こえる。甘利は瞼が重くなった。たちまち笛の音がとぎれた。A2B2
「申し。お寒うはござりませぬか」笛を置いた若衆の左の手が、仰向けになっている甘利の左の胸を軽く押えた。A1B2
ちょうど浅葱色の袷(あわせ)に紋の染め抜いてある辺である。A1B2
甘利は夢現(ゆめうつつ)の境に、くつろいだ襟を直してくれるのだなと思った。A1B2
それと同時に氷のように冷たい物が、たった今平手がさわったと思うところから、胸の底深く染み込んだ。A1B2
何とも知れぬ温い物が逆に胸から咽へのぼった。甘利は気が遠くなった。A1B1
三河勢の手に余った甘利をたやすく討ち果たして、髻(もとどり)をしるしに切り取った甚五郎は、鼯鼠(むささび)のように身軽に、小山城を脱けて出て、従兄源太夫が浜松の邸に帰った。A2B1
家康は約束どおり甚五郎を召し出したが、目見えの時一言も甘利の事を言わなんだ。A2B1
蜂谷の一族は甚五郎の帰参を快くは思わぬが、大殿の思召(おぼしめ)しをかれこれ言うことはできなかった。A1B1
花村嘉英(2018)「森鴎外の『佐橋甚五郎』の相関関係について」より
澄み切った月が、暗く濁った燭の火に打ち勝って、座敷は一面に青みがかった光りを浴びている。A1B2
どこか近くで鳴く蟋蟀(こうろぎ)の声が、笛の音にまじって聞こえる。甘利は瞼が重くなった。たちまち笛の音がとぎれた。A2B2
「申し。お寒うはござりませぬか」笛を置いた若衆の左の手が、仰向けになっている甘利の左の胸を軽く押えた。A1B2
ちょうど浅葱色の袷(あわせ)に紋の染め抜いてある辺である。A1B2
甘利は夢現(ゆめうつつ)の境に、くつろいだ襟を直してくれるのだなと思った。A1B2
それと同時に氷のように冷たい物が、たった今平手がさわったと思うところから、胸の底深く染み込んだ。A1B2
何とも知れぬ温い物が逆に胸から咽へのぼった。甘利は気が遠くなった。A1B1
三河勢の手に余った甘利をたやすく討ち果たして、髻(もとどり)をしるしに切り取った甚五郎は、鼯鼠(むささび)のように身軽に、小山城を脱けて出て、従兄源太夫が浜松の邸に帰った。A2B1
家康は約束どおり甚五郎を召し出したが、目見えの時一言も甘利の事を言わなんだ。A2B1
蜂谷の一族は甚五郎の帰参を快くは思わぬが、大殿の思召(おぼしめ)しをかれこれ言うことはできなかった。A1B1
花村嘉英(2018)「森鴎外の『佐橋甚五郎』の相関関係について」より
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