三十七の科目
イントロ
三十七の道が 遥かに続く
心を磨き 光を掴むため
身も心も静かに 見つめる瞳
時の流れに 消えぬ真実
サビ
瞑想の風に 心解き放ち
実践の炎で 己を鍛える
超えるべき壁は 目の前にあっても
真理の光が 導くその先へ
三十七の科目が、古の道に従う修行者の前に静かに並んでいた。それは心を清め、真理へ至るための道標であり、一歩一歩を進むことで、彼らは己の魂の深淵へと近づいていく。
「四念処法」、これはまず最初の一歩だ。身、受、心、そして法に対する観察。彼らは己の肉体を見つめ、痛みや快楽を超え、心の動きを静かに観察する。全ては移ろい、変化していく。何も永遠ではない。ここでの訓練は、己の心の動きを捕らえ、真の姿を見つめることである。
次に「四正断法」。断絶と修行がここに含まれている。過ちを断ち、善行を育てるために心を律し、邪念や執着を振り払うための試練だ。断ち切ること、守ること、修めること、全てがここでの修行の基礎となる。
「四神足法」は特異な修行法だった。これは神通力、すなわち超自然の力を得るためのもので、望む力、勤める力、心の集中力、そして観察力の四つの柱から成り立っていた。これは彼らにとって、未知の力を探求する冒険であり、危険を伴う領域への旅だった。
「五根法」と「五力法」は、信じること、精進すること、集中すること、そして智慧を磨くことに焦点を当てた修行である。彼らは己の信念を根底から強固にし、その信念を行動に変え、力として身につけていく。まるで大樹が根を張り、枝葉を広げるかのように。
七つの「覚支法」、それは真理への目覚めを導くものである。彼らは法を選び、喜びを感じ、安らぎを求め、執着を手放し、心を定め、そして最終的には完全なる覚醒を目指す。これは悟りの境地へ至るためのステップであり、何も捨てることなく、全てを受け入れる修行だ。
そして最後に「八正道法」。正しい見方、思考、言葉、行い、生活、努力、念、そして定。これは彼らの人生の指針であり、彼らが生きるための道しるべであった。この道を歩むことこそが、彼らが目指す究極の真理への道である。
これら全てが、瞑想、実践、そして特殊な修行に分類される。それぞれが異なる目的を持ちつつも、全ては一つの真理へと収束していく。修行者たちは、この七科目を自らの糧とし、聖師の導きのもと、自らの魂を鍛え続ける。
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