その夜、山中の小さな寺院に、ひとりの修行僧が灯火の前で書物をめくっていた。彼の名は空覚(くうがく)。仏道の真理を求め、数々の経典を学び続ける彼であったが、その中でも、ある一つの経典が彼の心を捉えて離さなかった。それは、末世成仏の教えが説かれたものであった。
「なぜ、この経が末世成仏のお経とされるのか…」
空覚は経文に書かれた言葉を読み返しながら、静かに思索を巡らせる。現代は末法の時代、物質的な豊かさは溢れているが、精神や霊的な部分では堕落の一途を辿っている。世の中の多くの人々は、釈尊が示した成仏の道を歩むには、あまりに遠いところにいる。特に、道品法の修行の第一段階である「須陀オン)」は、聖者の領域に踏み込む初めの一歩であり、凡夫が成すには何よりも困難なものであシユダヲンるとされていた。
「凡夫から聖者へ…」
空覚は深く息を吸い込んだ。自らの修行を振り返り、彼はこの第一段階こそが最大の試練であることを実感していた。聖者への道は連続したものではなく、そこには大きな断層があり、その断層を越えることが求められている。凡夫である自分が、その断層を飛び越え、聖者へと至ることがどれほど難しいか、痛感せざるを得なかった。
しかし、この経典では、如来への功徳の行を積むことで、阿那含(あなごん)にまで至ることができると説かれていた。その道を進む者は、正法経に説かれた成仏法に従い、さらに阿羅漢への道を進むことができるのである。これは、末法の時代に生きる衆生にとって、まさに福音であると空覚は感じた。
「この時代、これほどの救いの道があろうとは…」
空覚の胸に、熱いものが込み上げてきた。彼は、世のすべての人々を須陀厄へと導きたいという願いを、心の奥底で強く抱いていた。それは彼自身の誓いであり、同時に釈尊の願いでもあったのだろうと、彼は思った。
「釈尊の心は、末法の時代に如来となって現れ、成仏の法を説いてくださった…」
その言葉が頭を過ぎると、空覚は思わず手を合わせ、深い祈りを捧げた。この経典の本旨は、如来の警告と福音であり、それが彼の心を貫いていた。
「末法の世に、この教えを広めなければ…」
空覚の瞳には、決意の光が宿った。彼は、この教えを携え、広く人々に伝え、そして彼らを導くことを己の使命と感じた。やがて、空が白み始め、山中の寺院には静かな朝が訪れたが、空覚の心には新たな決意と希望が溢れていた。
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