空海は、いちばん最初、木の山奥で出合うた。こちらもひとり、向うもひとりであっ た。たがいにちらりと顔を見合わせたまますれちがった程度の出合いであったが、一目見て心に 好きついた。どちらも荒行の山歩きの最中で、ともまぎらう相だったが、世の つねの人ではないことが一目でわかった。あとで知己になってのはなしでは、かのお人も、その ときのおれが印象に残ったといってくれたよ。 二度目は、律師のもとで出合うた。百年の知己に 再会した思いで話しかけると、向うも喜んでくれて、その日一日かたり合うた。話し合ってみる
と、律師から求聞持法を伝授されて修行中とのことだ。おれも、律師から求聞持法を受法してい る。 いうならば、求聞持法では兄弟弟子なんだ。おれのほうが年長だが、求聞持法はかれのほう が一年はやく受けていた。三度失敗して、これから四度目の行に入るのだといっていた。おれは いっぺんでかれに魅せられてしまった。 それは、おれだけじゃない。それまでに、おれには、 木、吉野、比蘇山寺と、心のおもむくまま、行場を移して修行する仲間が十数人いた。みな、す ぐれた個性を持った、えりぬきの秀才たちであった。いままでの仏法を学び尽くし、それにあき たらず、あたらしいものを求めて林に散り、深山に籠って、血の出るような苦行をつづけて いる真の求道者ばかりであった。もしもかれらが名利を求めて世に出たなら、すぐにでも一山の 持となるべき器量才識をそなえた者たちばかりであった。それだけにことごとく わ れのみがわれを知ると、容易に人に屈せず、人に譲らず、傲然と胸を張る者のみであった。し かし、ひとたびかれに接するや、暗黙のうちにみな頭を垂れた。 おのずから兄事するようになっ た。かれの赴くところ、かれの行なうところにしたがい、かれはおれたちの中心になった。かれ は、大学で群を抜いた秀才であったが、世の虚なるを感じ、道心を発してついに名利の念を断 ち、林に籠るにいたっただけに、われわれのように仏陀の教説一途ではなく、ひろく儒教そ の他の漢籍にも造詣が深く、その上に、なんともいわれぬ人間味があった。おれたちの仲間は、 心からかれに心服した。かれは、またたくうちに、唯識、三論、華厳、天台、御舎、成実の諸経 論にしてしまった。 一を聞いて十をさとるというのがかれのだった。なにを聞いても、
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