覚支・狩覚支・定覚支・捨覚支の七つの修行法をお説きになった。
そしてでこの七覚支を修行すれば、阿羅漢果、阿那含果、斯陀含果、須陀百果が得られると解
説された王で、阿那含果にも五種の涅槃の得かたがあるとくわしくお教えになられたのであった。
釈尊の成仏法は、前にのべましたように、七科三十七道品といって、〜七科目、三十七種類のカ
リキュラムから成り立っています。すなわち、四念処法、四正勤法、。四神足法、五根法、五力
法、七覚文法、八正道です○
うこのうちの七覚支法について、解説されたものです。
成仏法について質問した外道の出家に、釈尊がなぜ、七科目の中の一つである七覚支について
解説したのかと申しますと、これはわたくしの体験からの推測ですが、この異比丘がもし釈尊の
お弟子となっ▽て成仏法を修行するとしたら、j七覚支の修行が二番よいどお考えになったからだと
思い支す。…
というのは、ヽ釈尊の成仏法は、七科目三ナ七種の修行包全部やらなければならないどいyな01
ではないのです。七科目の中の、二科目位をやればいいわけです。というのは、七科目の修行法
の中にはクおなじような修行法が、ダブつて入っております。それで、釈尊は、’お弟子の因縁を
みてい七科目の中から、yおまえはこの修行をせよ、おまえはこれとこれの修行法がよい、という
ように選別されてあたえたのであろうと思われます。。時には、科目にに恥まわず、一三十七種の修行
法の中から自由にいくつかえらび出して、修行者に課したものと思われます。 一
そこで、この七覚支の修行法というのが、どんなものであるか、おはなしいたしまじきつ。
念力をつよくしてバランスをたもつト知的にも非常に高度で、情結面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術
面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無味乾燥にな’りやす
いわけです。’芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シ
ャレをいったって、ニコリともしない。今日きいたシ″レを、三日ぐらいたっ七急に笑。い出七
て、「ああ、そうだうたのか」なんて(笑)、それじゃあおはなしにならんでしょダ。。
意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。
だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、八かめるという訓練をする。そしてそのい
ずれに右かたよらないということ。これがまず第一です。
しかし、それだけじゃない。
念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出
す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリニー・ヽヨトガの修行が入るわけですQ
つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。
この空観の体得により、諸法の実相がわかるようになけます。つまり、「縁起の法」を如実に‘さ
とることになるわけです。 」 “
この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といってよいでしょう。いや、三十七道品の中でも、代
表的な修行法です。
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