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2017年05月19日

今年一番ブレイクした芸人!サンシャイン池崎の実家が変わり果てた姿に、、【芸能人の貧乏エピソード特集】






お笑いタレントのサンシャイン池崎(35)が18日放送の「櫻井・有吉THE夜会」(TBS)で、約15年ぶりに鹿児島の実家に帰る。池崎の実家を公開するのは今回が初めて。

番組では、サンシャイン池崎の地元・鹿児島での営業に密着。その中で、池崎がある事情から15年もの間、一度も帰っていない実家を訪れて両親に再会する現場を紹介した。

今回実家に帰るきっかけになったのは、池崎の兄から送られてきた現在の実家の写真だった。「本当に両親はこんな場所に住んでいるのか」と、実際の様子を確かめるための訪問となったが、そこには風呂はなく、トイレも故障中という、以前自分が住んでいた実家とは変わり果てた姿の建物があった。それでも両親は思いのほか明るく暮らしていた。


父親が経営する会社がタバコの不始末で2度火事になり全焼してしまったそうで、貧乏な生活を余儀なくされたサンシャン池崎だが、芸能人には実家がとてつもない貧乏だったという方がたくさんいます。

貧乏エピソードをまとめてみました。


≪芸能人の貧乏エピソード≫


【風間トオル】

貧乏になってしまった始まりは彼が5歳の時。母が外に男を作って出奔し、ほどなく父も行方をくらませてしまったのだという。やむなく祖父母に引き取られた風間は、それからバイトを始める高1までの間、祖父母の年金だけが頼りだった。

幼いころに両親が離婚。祖父母に引き取られた風間だったが祖父母の家は食べ物も十分に与えられないほど貧しく道端の雑草や川の水を飲んだり食べたりし飢えを凌いでいたのだそうだ。

一家が住んだのは、川崎市内のアパート。しかし、〈浴室はなく、洗濯機をお風呂がわりにしていたのです〉
服を着たまま洗濯槽に入りスイッチを押す。すると、〈服や洗濯物と一緒に体も洗えるので一石二鳥〉

風間は1962年生まれだから、これ、高度経済成長期の日本の話である。
切り傷はツバで治し、虫歯はペンチで抜く。

夕食が出ない日も多かったため、育ちざかりの彼は、空腹に耐えきれない。そんな時は、公園の花や雑草を食べて飢えを凌ぐようになりました。舌が痺れる草や、苦くて無理な草もありましたが、朝露に濡れた紫のアサガオは、ほんのりと甘いのです。

カマキリの足を、腹部の柔らかい部分は口にせず、固い脚の部分から、トゲトゲに十分な注意を払いながらかじってみました。とても堅くて苦いです。とバランスよく動物性たんぱく質を摂取する“工夫”も見せていたというのだ。

小学六年生の夏休み、毎日食べられるものはないか?と多摩川沿いの草花や生き物をくまなく調べていたら、川崎市から表彰を受けました!!

また、小学生の頃、体操服も買えなかったため、学年によってTシャツの襟が緑や青とか変わっていくため白いTシャツを裏返して襟部分にカラーマジックで塗って体育の授業に参加。さんまが、ばれるだろ?塗ったってわかるだろ?というと、動いてるからばれませんよ!と。ばれるってと言ってさんま大爆笑。ばれませんって!!と風間トオル


【黒田 メッセンジャー】

関西では息を吹き返しつつある彼ですが、とにかく貧乏で、家によくネズミが出てきたそうです。
赤ちゃんの頃、ミルクを飲んでいて、ミルクの一部が耳にこぼれた時に、ネズミが耳にこぼれたミルクをなめようとして、メッセンジャー黒田さんの耳をかじったそうです。


【中村昌也】

幼少時、極貧で、一度、うな丼食べたいと両親に言うと父が買えるか!と一喝。母親が仕方なく代用で、ちくわを縦半分に切って、白い内側のほうに切れ目を細かく入れて内側からフライパンで平たくやいて、ひっくり返して箸で抑えて焼いて、かば焼きのタレを入れて両面からませて、ご飯の上に天かすをのせてから、かば焼きのタレで炒めたちくわをのせ、うな丼もどきで土用の丑の日に食べさせていたという。
ちなみに 天かすを盛るのは、うなぎの脂身の代わりなんだそうです。


【田村裕 麒麟】

母親が癌で亡くなり父親が大手製薬会社の管理職をリストラされるなど不幸が続いた田村一家。やがて父親の「解散!」の一言で家族はバラバラに。こうして中学生にしてホームレスとなった田村は、公園で寝泊りし、雑草やダンボールを食べていたという。

この、あまりにも波乱万丈な田村のエピソードに目をつけたのが出版社。07年に『ホームレス中学生』(ワニブックス)と題した自叙伝を出版すると、たちまち200万部を超すベストセラーとなる。

一躍、時の人となった田村の印税は2億円といわれ、ホームレスだった少年時代から華麗な転身を果たしたかにみえたが......。1月に放送された『メッセンジャー&なるみの大阪ワイドショー』(MBS系)で、貯金を全て使い果たし、財布には6円しか入っていないことを語っているのだ。

再び転落してしまった理由としては、税金の仕組みを理解していなかったことと、浪費したことが原因だという。今では「計画性の大切さを学んだ」と語る田村だが、2億円の授業料はあまりにも高すぎたといえよう。


【アンミカ】

パリコレモデルとして活躍し、今ではタレント業や化粧品プロデュースなど多岐にわたって活躍しているアンミカも幼少時代は極貧生活を経験していたという。両親と兄弟合わせて7人の家族は、韓国・済州島から大阪へ移住すると、知人宅の(2F)4畳一間の部屋を間借りして生活することを余儀なくされる。

両親が片言の日本語で日本語を上手にしゃべる事も出来ず韓国人ということから中々就職でも厳しい状態が続いた。家族は貧しい暮らしの中、母親が朝の3時に子供たちを連れていく所があった。市場のゴミ箱である。

廃棄されてあるキャベツ、白菜、半分くさったリンゴなど黒いゴミ袋に入れて持ち帰っていた。市場の人も初めは困り顔で呆れていたが、アンミカの母親がとても嬉しそうで子供達も楽しそうだったので、見過ごしてあげていたという。これが母親から教わったもったいない精神である。
青果市場へ行き、市場の人々が恵んでくれた残り物や傷んで売れなくなったフルーツを、おやつとして食べていたとのこと。

やがて、ラーメン屋をオープンするまでに生活が安定するものの、ある日、お店に火災が起きてしまう。
アンミカは、学校の先生から職員室に呼ばれ、自宅が火事だよと知らされる。自宅に慌てていくときょうだい達に会い、お父ちゃん?お母ちゃんは?というと、その日、ちょうど両親は結婚式に出ていて留守。丁度、両親が結婚式から帰ってきた時に両親も火事を見て呆然。
父親が、引き出物をみせ、もうこれしか無くなったな・・・
アンミカの父は、結婚式の時に頂いた引き出物の一部の紅白饅頭の蓋をあけ紅白饅頭だ!
これで一から出直そう。今日は、0からの出発だ。出発祝いだと子供たちを笑わせた。

さすがに、これではあまりに不憫だと思った親戚がアンミカら兄弟5人を自宅に迎え入れることとなった。初日にはハンバーグが食卓に並んだものの、極貧生活から普段は口にすることのないミンチ肉に胃が拒絶反応。兄弟揃って吐いてしまったという。


【満島ひかり】

彼女は4人兄弟の長女として、沖縄県で幼少時代を過ごしました。アイドルとして1997年にデビューし、シングルが順調に売れると思われたが、グループ活動がうまくいかずに解散してしまいます。
その後徐々に女優として成長をしていましたが、そんな最中、彼女の父が事業に失敗してしまいます。

苦しい家計から、税金を滞納してしまい、沖縄の実家を差し押さえられたという過去も。結局、家は手放さざるを得なくなったそうです。

その後、運の悪いことにお父さんが飲酒運転で事故を起こし、彼女も長い下積み時代から必死で家計を助けていたようです。


【石橋貴明 とんねるず】

小学一年生のころに父親が経営していた会社が倒産し、そこから夜逃げ生活を強いられたのは有名です。白黒テレビでお風呂無しのアパートに住み込み、とにかく貧乏だったそうです。

父親が貧乏で人生崖っぷちであっても、決して人生を諦めずに前を見続けた姿勢を、今でも尊敬していると答えています。


【浜田雅功 ダウンタウン】

大阪市北区生まれのダウンタウンの浜田さん。
今ではお笑い界の超のつく大物で、幼少期がかなり貧乏だったとはあまり想像できませんよね。浜田さんの父親は大阪万博のソ連館のペンキを請け負うペンキ屋勤めていたそうです。

なんと自宅に毎日借金取がきていたというものもあるから驚き。

浜田さんの家の上の階の床が抜け、上から韓国人の中年夫婦が落ちてきて、幼い浜田さんを抱く母親の方をかすめたというエピソードもあるんだそうです。


【松本人志 ダウンタウン】

天才と称されることも多く、映画監督としても有名になったこの方も大物として芸能界からも世間からも一目置かれる存在です。出身は大阪の尼崎。父親が室内装飾や舞台装飾の仕事をされていたそうですが、その家は抜けた床の修理もままならないほどだったそうです。

ウィンナーを焼いたものを焼肉と呼んでいたり、自転車を買ってもらえなかったため友達の家まで自転車に乗る真似をして行ったりなどの貧乏エピソードがありますが、今の彼のセンスに通づるものはそういったところにあるのかもしれませんね。


【広瀬すず】

広瀬の実家は静岡県で看板屋を経営していたが、12歳の時、父親が脳卒中で倒れ工場が閉鎖。借金をして生活するほどの経済的困窮に陥り、一家は祖父から引き継いだ家や土地も手放したという。


【マギー】

大人気のモデル・タレントのマギーも幼少期は貧乏でした。
父親がスコットランド出身のカナダ人で母親が日本人というハーフですが、2歳のときに両親が離婚。生後間もない弟とともに、父親に引き取られました。

父親はナレーター、声優、俳優などの仕事をしていましたが、売れっ子ではなかったため仕事が少なく収入も不安定でした。マギーは、「収入があるときとないときの差が激しかった」とも語っています。

幼少期は、食事は激安食材のもやしがメイン、冬も夏もエアコンやストーブは使用しない、たまの贅沢はすき焼きだが、お肉は牛ではなく豚やベーコンだったそう。また母親がいなかったため、マギーが弟の母親代わりとして育ててきたのだとか。

家は築70年以上の木造でお世辞にも良い家とはいえず、かなり薄い土壁で冬になると隙間風に震えながら過ごしていたとおっしゃっています。食費を抑えるためにおかずはもやしを醤油でいためただけということも多かったようです。

でも、誕生日やクリスマスの時など、特別な時に作ってくれる、お父さんの作るパンプキンスープが美味しかったと言ってましたね。


【麻生久美子】

千葉県山武郡という田舎で生まれ育った麻生。父親はとにかく金遣いが荒く、麻雀で一晩20万円使うこともあったそうだ。「父親が遊ぶ金は、生活費や貯蓄から出て行くので、生活は困窮していました。

母親は、父親が作った借金を必死で働いて完済したうえで離婚したのです。

離婚後、某ファストフード店で働きながら、母親は麻生と弟の2人を養っていたが、ザリガニや木の実、雑草を食べて生活していたというのだ。

友達とザリガニ釣りに行くことが楽しみで、友達は釣ったザリガニを水槽で飼ていたけど、麻生さんはお鍋に入れて食べたとのこと。「意外にもおいしいんです、ごちそうでした!」とインタビューで熱弁していました。

「貧乏ゆえに、幼いころはかなり過酷なイジメにあいましたが、芸能人になるという夢を持ち続けて成功しました。'07年ブルーリボン賞を受賞した際、壇上に母親が呼ばれて感涙。そこで親子のサクセスストーリーが完結したわけです。


【菅野美穂】

あの半沢直樹の主役を務めた堺雅人さんのお嫁さんでもある、女優の菅野美穂さんも、幼少期貧乏だったことで知られています。

貧乏ゆえの質素な食事で、ビタミン不足から口の端をよく切らしていたようです。イメージの為それほど衝撃発言はしていませんが、質素な食事をしていたのは有名な話です。


【小西真奈美】

幼少期に両親が離婚した結果、貧乏生活に陥ったようです。
ハンドクリームを見ると、今でも当時を想い出して感傷的になるとのこと。

というのも彼女が幼かった頃、冬場の水での洗い物が原因で手が荒れていたため、手のひび割れ防止策として、ハンドクリームが欠かせなかったのです。それが今では、当時の辛い状況を想い出すアイテムとなっているのですね。


【木下隆行 TKO】

TKOの木下隆行は、実家が貧乏だった。木下の父は、知り合いの保証人になったことで数億もの借金を背負っていたという。しかし、木下少年は家がそんな状態になっているなんてことは知らず……。

「借金取りから逃げるために引っ越したのが11回。オヤジの友達の家とかですけど、広島まで夜逃げしてヘルスセンターに泊まってた時期もあった。子供の僕は旅行だと思ってた(笑い)

オヤジに「僕、学校行かないでエエの?」とは聞きましたけど。あとで知ったら、一泊一泊が、お金ギリギリの生活やったんです」

そして、困窮生活の果てに、ついにはこんな状況に陥った。

「すごかったのは僕が中学の時。ある日、家に知らんオッサンがいきなり入って玄関にガソリンまいたんですわ。「殺すぞー!」と叫んで。

僕は訳がわからず「おかあちゃーん、知らないオジさんが水まいてるでぇ」とノンキに言った。(母が)着替えてる最中でブラジャーと下着とガードル姿のオカンが「ナニしとんじゃー!」とオッサンに飛び蹴り食らわして、倒れたオッサンの上にマウントになってボコボコにしながら「タカ坊! 警察呼べ!」と。

僕が電話した時、ブラジャーとガードルのオバチャンが男に馬乗りになってるんですよ。で、オカンが警察に取り押さえられてた(笑い)」


【戸田れい】

最初は母の仕事場から近い渋谷区に住んでいたんですが、都心は家賃が高いから払えなくなって、最終的に落ち着いたのは日野市のボロボロなアパートでした。小学校だけで5回も引っ越して、そのたびに転校。だから子供の頃からの友人がほとんどいないんです。

学校で飼っていたウサギのエサのキャベツや、用水路にあるタニシの卵を食べていたんです。姉から『食べられるよ』と言われて本気で信じちゃって。

母は保険外交員をしていたんですが、契約が全然取れない苦しい時期に『私が死んだら保険でお金がもらえるから』って言われたんです。だから私、毎晩不安だったんですよ。『お母さん、ちゃんと家に帰ってくるかな?』って。


【滝口ひかり】

アイドルグループ『drop』のメンバーであり、2000年に一人の逸材と評判の超美形アイドル。

リビングと言われる部屋には、妹の2人が寝る二段ベッドが置いてあり、食事時にはテーブルを移動し食卓を囲みます。穴の開いたふすまには、昔ながらの使い終わったカレンダーで穴に蓋がされ、使いすぎてヒビが入ってしまった冷蔵庫にはガムテープで補強。

滝口ひかりが中学時代に「何故私には部屋が無いのか」と聞くと、母親は「ごめんね、ひかり。ウチにはお金がないの」と答えた。


【緑川静香】

アービングに所属するモデル・女優。2011年に日テレジェニックに選ばれている。
彼女は高校時代まで知人の物置に住んでいた。

お風呂は1ヶ月に1回だけ。毎日の食事も満足にできず、スーパーの試食や公園に生えている雑草を口にする日々が続いた。空腹に耐えかねて一度だけコオロギを食べたこともある。

25歳まで肉をたべたことがなかった。「肉は食べられなかったんで...お母さんに肉はゴムの味がするから食べるもんじゃないって」
「カツカレー食べるの初めてなんです。ホントに。トンカツ自体、今日初めてなんです。もっとシナシナしているものだと思ってた」

テレビといえば当然、うちにはなかったので、壁越しに聞こえてくる大家さん宅のテレビの音に耳を澄まして聞いていました。「月9」とかハマってたなあ。




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