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2017年04月23日

有名人の自殺とその原因C1988年〜1969年【俳優、女優、歌手、アイドル、アナウンサー、芸人、スポーツ選手、政治家、声優、グラビア、AVなどなど





芸能界という場所は一般人には想像のつかない闇があります。
その闇から抜け出せずに、命を絶った方々をご紹介します。みなさんはご存じでしょうか。

有名人の自殺とその原因C1988年〜1969年

【田宮虎彦】
昭和期の小説家。1947年に『世界文化』に発表した「霧の中」で注目され、小説家生活に入る。精力的に作品を発表し、1951年『絵本』で毎日出版文化賞を受ける。

1988年マンション11階ベランダから投身自殺する。脳梗塞が再発し手がしびれて思い通りに執筆できなくなったため命を絶つとの遺書が残されていた。76歳没。

【宮城宗典】
ヒルビリー・バップスのボーカル。ドラマ『ヒルビリー・ザ・キッド』に主演し、映画出演もする。

1988年3月、デビュー2年目の全国ツアー初日を終えた翌日、突然ビルの12階から飛び降り自殺を図った。23歳没。
バンドとして本当にやりたい音楽から離れていってしまっているジレンマから鬱の症状があったと言われている。しかし、遺書も遺言も残されておらず、突発的な衝動による事故とも言われているが、真相は謎に包まれたままである。

【日高富明】
フォークグループガロの元メンバー。「学生街の喫茶店」が北海道の有線放送から火がついて全国的にブレークし、紅白歌合戦にまで出演した歌謡界のホープとなった。

積極的に音楽活動を続けている中、1986年に茅場町のマンションから転落死。36歳没。
当時は、体調不良を悲観しての自殺と報道されたが、動機など不明な点も多く、その後は事故死との見方もあり、現在も詳細は不明。

【岡田有希子】
アイドル歌手、女優。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、ポスト松田聖子として期待された。

1986年アイドルとしての人気絶頂期に事務所屋上から投身。大きく報じられ、ウェルテル効果が発生したとされる。18歳没。真相は明らかになっていない。

【遠藤康子】
モデル、アイドルタレント。テレビドラマ『スケバン刑事』の海槌亜悠巳役で注目を集める。

1986年3月、東京都台東区のビルの7階屋上から飛び降り自殺。17歳没。
レコードデビュー直前、交友関係の清算を(特に恋人と別れるように)指示され悩んでいたとされる。

【鈴木いづみ】
作家、女優。17歳のとき書いた小説が『小説現代』新人賞の次点に入選したのを機に上京。ホステスやヌードモデル、ピンク女優を経る。

1986年、自宅で首吊り自殺する。36歳没。健康を損ねて生活保護を受けていた。

【大友柳太朗】
俳優。戦後の東映時代劇映画で数多く主演を務めた剣豪スター。

1985年、東京都港区の自宅マンション屋上から飛び降り自殺。73歳没。
台詞覚えが悪くなったことから老人性痴呆症(現在の老人性認知症)にかかったと悲観しはじめ、不眠症にも悩まされていた。

【鴨居玲】
洋画家。社会や人間の闇を描いた画家であった。

神戸市の自宅で排ガスにより自殺。心臓の病気と、創作に行き詰まり(この時期は自画像をひたすら描いている)、たびたび自殺未遂を繰り返した末の死であった。57歳没。

【磯部三枝子】
漫画家。代表作は「おでこちゃん」。

1985年6月、山形・酒田市の海岸で入水自殺。31歳没。

【若山セツ子】
女優。『青い山脈』で丸メガネの女学生・和子を演じて人気を博す。戦後第一期の東宝を代表する清純派スターであった。

共に暮らしていた母(それ以前に姉も失っていた)を亡くしてから精神状態が悪化、強制入院させられてから1ヶ月後の1985年5月、東京・調布市の病院で首吊り自殺する。55歳没。

【金鶴泳】
作家。「冬の光」「鑿」「夏の亀裂」「石の道」の四作が芥川賞候補作となる。吃音者・在日朝鮮人二世という苦悩の中、独自の世界を描いた。

1985年、ガス自殺。46歳没。

【ちばあきお】
漫画家。野球漫画『キャプテン』『プレイボール』の作者。漫画家ちばてつやの実弟。

躁鬱病を患った後、自殺を図り41歳で逝去。
絶筆となった『チャンプ』の最終回(第8話)は、チーフアシスタントであった高橋広が、ちばあきおの下絵をもとに作品として仕上げ掲載された。

【中山三吉】
元漫才師、コメディアン。独特のおうとつのあるサル顔を弄られ人気を得る。またやくざ役も得意とした。

1984年に首を吊って自殺した。46歳の若さだった。

【山藤浩三】
元競輪選手。東京オリンピック日本代表選手。

1984年5月、取手市の自宅で妻子3人と共にガス自殺を図り、自身を含め全員死亡。当時の一般紙等の報道によると、多額の借金を苦にした一家心中であると見られている。39歳没。

【依田郁子】
陸上競技選手。元女子80mハードル日本記録保持者。東京オリンピック日本代表。スタート時”奇行”を行うことで有名。

1983年10月、自宅にて自ら命を絶った。膝の膝内症の手術を受けるが手術中に麻酔のショックが起きて手術は中断し、結局手術は完了しなかった。45歳没。

【沖雅也】
俳優。『太陽にほえろ!』へのレギュラー出演で、爆発的な人気を得る。

1983年6月、新宿京王プラザホテルの最上階(47階)より警備員の制止を振り切って飛び降り自殺。まだ31歳の若さだった。
共演者等に「30歳を過ぎたら俺は死ぬ。年老いて醜い姿をしてまで生きたくはない」と言っていたことや、つかこうへいに評価されなかったことへのショックも自殺の原因とされる説もある。

【江夏美好】
女性作家。「脱走記」で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となる。『下々の女』で田村俊子賞受賞。

口腔がんを患い、闘病生活のなか、1982年7月に首を吊って自殺した。59歳没。

【山本弘】
洋画家。アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作し続ける。

1981年7月、2度アル中治療のため入院するが完治に至らず。最後に1年余の入院から退院後まもなく自殺する。51歳没。

【春風亭一柳】
落語家。『笑点』の大喜利レギュラーを務める。

精神的に落ち込むようになり、写経をはじめたり、言動が周囲に心配されるようになった。投薬治療で快方に向かっていたが、1981年7月、自宅の団地屋上から飛び降り自殺した。45歳没

【中田治雄】
漫才コンビ。現在のWヤングは2代目であり、「第2次Wヤング」とも呼ばれる。

楽屋ではやっていた野球賭博に手を出した事と事業の失敗で多額の借金を抱え、1979年10月、熱海の海岸で飛び降り自殺。41歳没。
便箋5枚に渡る「死出の旅」という遺書には「人はいさ心も知らぬ故里に死ぞ昔の香に匂ひけり」と辞世の歌が書かれていた。

【大下弘】
プロ野球選手(外野手)・監督。少年達からの人気は絶大であり、美空ひばりと並ぶ終戦直後の日本における国民的スターであった。

1979年5月、致死量の睡眠薬を飲み自殺。脳血栓により手足が不自由となっていた。56歳没。

【田宮二郎】
俳優・司会者。1960年代から1970年代にかけて活躍し、代表作は映画『悪名』シリーズ、『白い巨塔』、クイズ番組『クイズタイムショック』の名司会、テレビドラマ『白い巨塔』など。

1978年12月、ベッドの上に仰向けで横たわり猟銃自殺。散弾銃の引き金を足の指で引いたとされている。43歳没。
妻へ宛てた遺書には、感謝の言葉と共に、生きることの苦しみと死への恐怖が綴られ「病気で倒れたと思って諦めて欲しい」と書かれていた。

【畠山麦】
俳優。『秘密戦隊ゴレンジャー』のキレンジャー / 大岩大太役で知られる。

1978年7月、『特捜最前線』の撮影期間中に、出番を残したまま自宅で首吊り自殺。34歳没。
自殺の理由は不明ながら、キレンジャー役のインパクトが強すぎて大人向けの演技が出来ないと酷評され悩んでいたからとも、レギュラーが無く端役ばかりな状況で収入が少なかった事が理由と考えられている。

【富所正一】
シンガーソングライター。代表曲に、「お前(おめ)まだ春らかや」、「どじょうを取りにゆこうや」、「農業高校」がある。地元の方言の多い素朴な詩の中に、強烈なメッセージを含む曲が多い。

1977年3月、新潟県三条市内を流れる信濃川の三条大橋から投身自殺。25歳没。

【保倉幸恵】
元モデル、女優。少女モデルとして人気を得るが、その後モデル業を引退。女優として復帰し、「黄色い涙」「鏡の中の女」などに出演。

女優業を休止して療養中だった1975年、列車に轢かれて即死した。22歳没。高速列車に轢かれたために損傷が酷かったと言う。
自殺の動機については母親の病気の介護や当時出演していたドラマの俳優との人間関係、ノイローゼからくる情緒不安定など諸説あるが、遺書が無かったため現在に至るまで不明である。

【富永美沙子】
女優、声優。テレビドラマや映画に出演、外国映画の吹き替えとしても活動した。

1975年5月、アテレコ・プロデューサーの母袋博と車の中で、排気ガスによる心中死体で発見された。41歳没。
母袋は14歳年下の28歳だった。富永は黒の死に装束を身に着けていたという。

【中村英子】
元女優。任侠映画、TV時代劇に出演。山口組三代目田岡一雄の長男でプロデューサーの田岡満と結婚。芸能界を引退して一女をもうける。

1975年3月、神戸市の自宅でガス中毒死していることを発見された。自殺と発表された。24歳没。

【杉山登志】
CMディレクター。テレビ草創期から数多くのテレビCMを製作し、国内外の賞を数多く受賞。

1973年12月、自宅マンションで首を吊って自殺した。まだ37歳の若さだった。
遺書は『リッチでないのにリッチな世界など分かりません。ハッピーでないのにハッピーな世界など描けません。夢がないのに夢を売ることなどは……とても……嘘をついてもばれるものです』と書かれていた。

【小林美代子】
小説家。自らの精神科病院入院体験を題材にした小説『髪の花』、自伝的小説『繭となった女』を発表して高い評価を受けた。

目まいや幻聴が再発し、2年後の1973年に東京都三鷹市内の自宅において睡眠薬自殺を図り自ら命を絶った。56歳没。

【大辻伺郎】
元俳優。その演技力は幅広く、気弱な男から悪の首領、主役を食うほどのヒーロー、時には老婆までを見事に演じ分け「怪優」と呼ばれた。

1973年、港区虎ノ門のホテルオークラ(現・ホテルオークラ東京本館)の客室で首吊り自殺した。38歳没。
自殺の前日に大辻は自動車事故を起こしており、事故相手から暴行を受けるなど深刻なトラブルに発展していた。
多額の借金が原因とも言われたが、前年度の収入を考えても彼にとっては 返せない金額ではなく、借金を苦にして死ぬ奴ではないと友人知人が口を揃えている。

【松本錦四郎】
俳優。1950年代後半から1960年台半ばにかけ、時代劇俳優として映画・テレビで活躍した。

役者として伸び悩み、苦悩の中で追い打ちをかけるように自身の病が発覚するなど、表舞台に立つ機会は次第に失われていった。
1973年、失意のうちにガス自殺。39歳没。晩年は人気俳優の座を追われたものの、自殺報道後には後追い自殺者が出るなど、根強い人気があった。

【弓削太郎】
映画監督。大映のプログラムピクチャーを多く監督した。

大映倒産後の1972年に行方不明になり、翌年に軽井沢の父親の別荘で首吊り自殺の状態で発見された。発見時、すでにミイラ化しており、所持品の日記のページには「死ぬ」と書かれていた。

【瀬越憲作】
囲碁棋士。1946年から48年に日本棋院理事長を務めるなど、棋院運営や囲碁普及に大きく貢献した。

1972年、体の衰えを苦に自殺。83歳没。

【川端康成】
小説家。死や流転のうちに「日本の美」を表現。ノーベル文学賞を日本人で初めて受賞した。

1972年、マンションの自室で、ガス管を咥え絶命しているところを発見され、ガス自殺と報じられた。72歳没。
死亡当時、死因は自殺と報じられ、それがほぼ規定となっている。その一方で、遺書がなかったことや、死亡前後の状況から自殺を疑い、事故死とする見解もある。

【剣持勇】
インテリアデザイナー。第二次世界大戦後にジャパニーズ・モダンと呼ばれるデザインの礎を創ったと言われる。ヤクルトの容器も剣持デザインの代表作である。

1971年、ガス自殺により死去。59歳没。

【三島由紀夫】
小説家、政治活動家。戦後の日本文学界を代表する作家の一人。人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。

1970年、楯の会隊員4名と共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れて東部方面総監を監禁。部屋の前のバルコニーでクーデターを促す演説をし、割腹自殺を遂げた。
この一件は世間に大きな衝撃を与え、新右翼が生れるなど、国内の政治運動や文学界に大きな影響を及ぼした。45歳没。

【半田義之】
小説家。「鶏騒動」で芥川龍之介賞を受賞。

1970年に59歳で自殺した。

【津憲太郎】
水泳選手。1932年ロサンゼルスオリンピック100メートル背泳ぎで銅メダルを獲得。

1970年焼身自殺、55歳没。

【太田八重子】
ヌードモデル。一流企業の秘書からモデルに転身。「X線撮影法大系」のモデルとして、レントゲン撮影機の透視台の上でポーズをとり続け、ヌードモデルでありながら日本放射線医学界に貢献をした。

1969年、入水自殺。シンナーを含ませたビニール袋を用いて自殺したという説もある。25歳没。


「18禁」


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