2017年06月12日
今日は、桶狭間の戦いの日
7日に梅雨入りした東海地方。
457年前の今日(旧暦 永禄3年5月19日)桶狭間において織田信長の軍勢が
今川義元(今年の大河では春風亭昇太師匠が無言で演じました)の大軍を
「石水混じり」の豪雨をつく奇襲で撃破。世にいう「桶狭間の戦い」です。
太田牛一の「信長公記」に記された石水とは雹(ひょう)の事らしい。
当時も梅雨入り、しかも雹混じりの豪雨の中、敵の奇襲に今川軍は混乱、
大将の義元の首を取られたとあっては…
これが、現在と同じ空梅雨だったら、奇襲は成功しなかったでしょうね。
義元さんの不運というか、何故梅雨の時期に京を目指したんだろう?
梅雨明けまで待っても良かったんじゃね?
一方、桶狭間の戦いで一躍スターダムにのし上がった信長ですが、
彼もまた、22年後の6月21日(旧暦 天正10年6月2日)梅雨の時期に露と消えました…
457年前の今日(旧暦 永禄3年5月19日)桶狭間において織田信長の軍勢が
今川義元(今年の大河では春風亭昇太師匠が無言で演じました)の大軍を
「石水混じり」の豪雨をつく奇襲で撃破。世にいう「桶狭間の戦い」です。
太田牛一の「信長公記」に記された石水とは雹(ひょう)の事らしい。
当時も梅雨入り、しかも雹混じりの豪雨の中、敵の奇襲に今川軍は混乱、
大将の義元の首を取られたとあっては…
これが、現在と同じ空梅雨だったら、奇襲は成功しなかったでしょうね。
義元さんの不運というか、何故梅雨の時期に京を目指したんだろう?
梅雨明けまで待っても良かったんじゃね?
一方、桶狭間の戦いで一躍スターダムにのし上がった信長ですが、
彼もまた、22年後の6月21日(旧暦 天正10年6月2日)梅雨の時期に露と消えました…
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