2015年09月15日
今日は、関ヶ原の戦い・・・じゃないよ
豊臣秀吉没後の豊臣政権内の主導権争いを発端とした日本を二分した一大決戦を
現・岐阜県不破郡関ケ原町を主戦場としたことから関ヶ原の戦いと呼ばれています。
時は、慶長5年9月15日・・・だからと言って、今日ではありません。
旧暦ですからね。
西暦換算すると、西暦1600年10月21日。
ちょっと、肌寒い季節なんですね。
家康は、主力の秀忠軍到着を待たずに決戦に赴いたことから、温存説がありますが、
真田昌幸の手の平で踊らされ、上田城で多大な損害を被り、疲弊した軍団を温存とは
言い難く、小早川秀秋の裏切りも、戦況を見て有利な方に与しただけ。
決して、楽勝ではなかったと思いますよ。
勝負は時の運・・・何かの要因が加われば、徳川軍も破れていたかも。
まあ、秀頼出陣はないでしょうが、家康暗殺が成功してればね・・・あ、影武者がいたか
因みに、かつて「敬老の日」だった今日は、現在「老人の日」です。
「敬老の日」が、9月の第3月曜になったのに伴い、それまでの敬老の日を記念日として
残すために制定されたそうです。(9月の第3月曜が15日のケースもあります)
家康は、自己管理が徹底していて、当時としては高齢の75歳まで生きて、徳川幕府の
礎を盤石なもの(豊臣家の滅亡)となったのを見届けてから亡くなっています。
ここまでくると、並々ならぬ執念としか思えませんね。
現・岐阜県不破郡関ケ原町を主戦場としたことから関ヶ原の戦いと呼ばれています。
時は、慶長5年9月15日・・・だからと言って、今日ではありません。
旧暦ですからね。
西暦換算すると、西暦1600年10月21日。
ちょっと、肌寒い季節なんですね。
家康は、主力の秀忠軍到着を待たずに決戦に赴いたことから、温存説がありますが、
真田昌幸の手の平で踊らされ、上田城で多大な損害を被り、疲弊した軍団を温存とは
言い難く、小早川秀秋の裏切りも、戦況を見て有利な方に与しただけ。
決して、楽勝ではなかったと思いますよ。
勝負は時の運・・・何かの要因が加われば、徳川軍も破れていたかも。
まあ、秀頼出陣はないでしょうが、家康暗殺が成功してればね・・・あ、影武者がいたか
影武者 徳川家康 [完全版] 全巻セット(1-4巻 全巻)/原 哲夫 画/隆 慶一郎 作/徳間書店 価格:4,320円 |
因みに、かつて「敬老の日」だった今日は、現在「老人の日」です。
「敬老の日」が、9月の第3月曜になったのに伴い、それまでの敬老の日を記念日として
残すために制定されたそうです。(9月の第3月曜が15日のケースもあります)
家康は、自己管理が徹底していて、当時としては高齢の75歳まで生きて、徳川幕府の
礎を盤石なもの(豊臣家の滅亡)となったのを見届けてから亡くなっています。
ここまでくると、並々ならぬ執念としか思えませんね。
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