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2019年05月27日

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて8

9 だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。それは我が妻子のことだ。君が南から帰ったら、おれは既に死んだと彼等に告げて貰えないだろうか。決して今日のことだけは明かさないで欲しい。飢え凍えようとする妻子のことよりも、おのれの乏しい詩業の方を気にかけているような男だから、こんな獣に身を堕すのだ。
この群に属するパーソナリティ障害には、他人を巻き込み派手で人間的な人格といった特徴があり、他人を巻き込み派手で劇的な人格が見られる。
10 袁參一行が丘の上についた時、彼等は、言われた通りに振り返って、先程の林間の草地を眺めた。一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出た。虎は、月を仰いで、二声三声咆哮し、又、元の叢に躍り入って再びその姿を見なかった。
 購読脳の組み合せ、「自尊心と自己愛性パーソナリティ障害」という出力が、共生の読みの入力となって横にスライドし、出力として「人生と思考」という組を考える。よって「中島敦と思考」というシナジーのメタファーが成立する。
 中島敦の執筆脳は、リスク回避と取れる提言がある。己惚れることなく協調性を持って生活することが人生の心得なのである。なお、パーソナリティ障害は、一般的に病気に対する自身の認識が低いため、治療に至らないことが多い。できるだけ周囲の人を通して調節するとよい。
 リスク回避の計算でみると、当初は個人的な問題に影響していたものが、次第に組織やその運営に関わるということから統計で表示できるリスクになり、予測可能なできごとになっていく。ベック(2014)によると、予測可能なできごとは、個人レベルを越えた、承認、補償、回避のための政治的なルールに属するようになる。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて7

3 一年の後、公用で旅に出、汝水のほとりに宿った時、遂に発狂した。或夜半、急に顔色を変えて寝床から起き上ると、何か訳の分らぬことを叫びつつそのまま下に飛び下りて、闇の中へ駈け出だした。しかし、二度と戻って来なかった。自己愛を傷つけられると怒ることもある。
4 翌年、監察御史、陳郡の袁參という者、勅命を奉じて嶺南に使いし、途に商於の地に宿った。次の朝未暗い中に出発しようとしたところ、駅吏が言うことに、これから先の道に人喰虎が出る故、旅人は白昼でなければ通れない。
5 袁參は、しかし、駅吏の言葉を斥けて出発した。残月の光をたよりに林中の草地を通って行った時、果して一匹の猛虎が叢の中から躍り出た。虎は、あわや袁參に躍りかかるかと見えたが、忽ち身を翻して、元の叢に隠れた。叢の中から人間の声で「危ないところだった」と繰返し呟くのが聞えた。その声に袁參は聞き憶えがあった。「その声は、我が友、李徴子ではないか?」
6 我が醜悪な今の外形をいとわず、曾て君の友李徴であったこの自分と話を交してくれないだろうか。その時、袁參は、この超自然の怪異を実に素直に受容れて、少しも怪しもうとしなかった。彼は部下に命じて行列の進行を停め、自分は叢の傍に立って、見えざる声と対談した。都の噂うわさ、旧友の消息、袁參の現在の地位、それに対する李徴の祝辞。その後、袁參は、李徴がどうして今の身となるに至ったかを訊ねた。草中の声は次のように語った。
7 自分の中の人間は忽ち姿を消して、既に虎になっていた。己がすっかり人間でなくなってしまう前に、我が為に詩を伝録しておきたいのだ。一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死に切れない。
8 このままでは、第一流の作品となるのには、どこか欠けるところがあるのではないか。人間であった時、おれは努めて人との交りを避けた。勿論、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。おれは次第に世と離れ、自尊心を飼いふとらせた結果が猛獣だった。虎だったのだ。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて6

5 中島敦の「山月記」の執筆脳

 中島敦(1909−1942)は、1942年持病の喘息を抱えながら「山月記」を書き、同年喘息が悪化したため、12月4日に33歳で死去した。人の人生を考えた内容は、一連の精神活動の中で思考とつながる。そこで今回は、「中島敦と思考」という組み合わせでシナジーのメタファーについて考察する。思考は、無意識の欲望や願望のために誤解が生まれることもあり、判断が甘いとか思慮不足となることもある。

1 博学才穎の李徴の物語。若くして名を虎榜に連ね江南尉になるも、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。下吏となって長く膝を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺そうとした。官を退いた後は、人と交わりを絶って詩作に耽った。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は焦躁に駆られ、その容貌も峭刻となり、曾て進士に登第した頃の美少年の俤は、どこにもなくなる。
2 数年の後、一地方官吏の職を奉ずることになった。曾ての同輩は既に遥か高位に進み、その連中の下命を拝さねばならぬことが、李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として楽しまず、狂悖の性は愈々抑え難くなった。
 そこで「山月記」の購読脳を「自尊心と自己愛性パーソナリティ障害」にする。自尊心については、李徴自身も認めている。日本成人病予防協会(2014)によると、人から称賛されたいと強く思い、根拠もないのに自分は称賛に値する優れた人間だと信じている。特権意識の強い、己惚れた人間である。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて5

4 マクロの一例−Lの比較

 作家の執筆脳を研究しながら、これまでにトーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖、川端康成を題材にして、作家が試みるリスク回避について論じてきた。(花村2017、花村2018)今回は、中島敦の「山月記」を取り上げる。人間の人生を語った内容は、しばしば教材にも取り上げられている。
 心の表出とされる精神活動は、脳により生まれている。脳の活動は、体内部のみならず、体外部のもの、環境、社会、文化などから様々な影響を受けているため、心の病気も様々な原因が絡み合って発症している。
成人病予防協会(2014)によると、心の病気の原因には、心理的なストレスや環境が要因となる心因(性格の変化)、生まれつきの体質が原因とされる内因、身体的な病気や中毒性物質が脳に影響する外因に分けられる。
 心の健康を管理するには、心が病気になるとどのような症状が出るのかを把握しておくとよい。例えば、五感を伴う意識、感情、記憶、意欲、知能などに障害が出るという。これまで作家の執筆脳を分析しながら、リスク回避の問題を取り上げる際に、これらの症状が問題解決のヒントを示してくれた。(花村2018)
 魯迅は、中国人民の精神的な病を小説で治療しており、そこから魯迅とカオスというシナジーのメタファーを作った。ナディン・ゴーディマは、アパルトヘイトからの脱出が白人の精神的な動脈硬化を予防すると訴えたことから、彼女の執筆脳を意欲と組み合せ、井上靖は、実母の認知症が招く家庭崩壊の危機を細かく描いているため、ゴーディマと脳の活動で性差を説明できるように連合野のバランスと組を作った。
 また、対照言語のドイツ語と日本語では、トーマス・マンのイロニーがファジィ推論と相性が良いことを説明する一方で、ドイツの発展が止まることを危惧して小説や論文を書いたことに言及した。さらに森鴎外についても明治天皇や野木希典大将の死後、歴史小説を通して世の中に普遍性を残そうとしたことにも触れた。
こうして考えると、20世紀前半の作品であれば戦中戦後の話が中心となり、社会とシステムの枠組みでストーリーが展開していく。通常、情報科学では、社会とシステムと医療と情報が大きなセパレートになる。しかし、文学の世界で別段分ける必要はない。高齢化社会の昨今、老人を抱える家族であれば日本でも中国でも家庭崩壊の危機はある。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて4

3 リスク社会論を拡張する試み

 中国で10年近く日本語教育に関わっていたこともあり、ここで教育についてリスクの問題を考察する。一般的に評価については、誰もがいい評価を得られればありがたい。しかし、話が複雑になると必ずしもうまくいかない。難しいことを避けていても、年と共に立場上考えなければならなくなることもある。
 研究を進める上で難しい問題は、何といってもマクロの分析である。マクロの分析を地球規模とフォーマットのシフトにすると、どの系列に属していてもこぼれる人はいない。地球規模の研究は、東西南北の国地域とか地球全体を覆うオゾン層や1万メートルの海底に眠る生態あるいは浅瀬にある鉱物資源、さらに国地域を越えた伝染病などが研究の対象になる。
 どの分野の研究者も文系理系の何れかが主の専門であり、他の系列の副専攻は、認知科学の柱をずらしながら調節している。一方フォーマットのシフトは人文が主であれば、認知の柱を崩して縦に言語の認知、横に情報の認知を置いたⅬのフォーマットを作り、何れかの対象を分析していく。
 ではどうしてマクロが問題になるのであろうか。それは、研究がマクロに届けば、自ずと発見発明に通じるからである。自分の専門の系列及びその界隈をいくら調節しても、所詮アレンジで終わってしまう。濃くなるけれど頭打ちになるのが関の山である。結局、発見発明のない研究者で終わってしまう。
 解決策として、若いうちから取り組むことを勧める。博士論文を書いてから、社会人としての人生がスタートするときに、評価の項目を10個ぐらい皆が持っている育成がよい。平時の実務や自分の専門のみならず、副専攻についても日頃から互いに評価をしていく。例えば、副専攻として情報や医学の中から何かを選ぶようにする。
 人文が専門の私の場合、対照言語がドイツ語と日本語であり、他の国地域、例えば、中国や南アフリカの言語文学は副専攻になる。また、他の系列との共生として、人文と情報、心理と医学、文化と栄養などがこれまでの実績になる。自分の専門と比較及び共生をまとめるとこうなるという主張ができれば、難易度の調節とか世の中への貢献といった条件を満たしていて、名誉にも値する。
 逆に全くの縦割り縦型で大学院時代から社会人にかけても文系か理系のいずれかに留まっていれば、今時サラリーマンでもシナジー共生に取り組んでいる人が多い中、研究者としては時代遅れで評価は低くなる。そこにリスクといえる負の要素が潜んでいる。つまり、社会人として評価の項目が増えずに調整の機会が少ない育成こそが自己責任によるリスクになってしまう。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて3

 世界のリスク社会は、ことばと現実との乖離の一例にもなる。世界のリスク社会は、テロと戦争、経済的グローバル化と新自由主義、国家と主権という概念で説明される。そこでは、危険の次元が三つに区別できる。エコロジカルな危機、世界的な金融危機、同時多発テロ以降の国境を越えたテロネットワークの危険性である。
 そのため、リスクの考察は、決定を前提とし、文明上の決定の予見できない結果を予見可能、制御可能なものにする試みといえる。しかし、ベック(2003)の解説にもあるように、リスク社会と並んで個人化が進んだために、マクロとミクロをつなぐメゾの部分がなくなり、世界中で調節が難しくなっている。ベックは近代化を二分している。第一は通常の産業化のことであり、第二は第一の近代化を反省する近代化のことである。この第二の近代化こそがリスク社会である。
 この第一の近代から第二の近代へ転換して行く反省的近代化は、彼の歴史と社会の認識の重要な接点を示している。つまり、現代社会がどこから来て現在どこにあり、これからどこへ行こうとしているのかという根源的な問題意識に基づいて、そこから現代社会の歴史的位相とは何か、その価値体系は何かという問いを立てている。第二の近代は、未来志向的な時代の診断学である。
 ベックのリスク社会論は、@産業社会で制御可能であったリスクが、制御不可能なものに変わり、Aそれが国民国家の枠組み、一国社会に留まらず、世界規模で広がり、Bその結果、世界の市民がリスクを被り、C科学、技術、経済というリスクを生み出す決定者は国家であり、D世界市民からの抵抗運動が下から換気されるというものである。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて2

2 リスク社会論とは

 近代の変容に着目した現代社会論にポストモダン論とリスク社会論がある。ポストモダンとは、例えば、近代化における民族解放とか共産主義の理念や目的が失われた時代のことである。一方、リスクとは、人間が何かを選択したときに生じる不確実な損害のことであり、危害や損失の生じる恐れがある危険一般とは異なる。
 橋爪(2016)によると、リスク社会では人間の主体性が社会の根本的な前提になっていて、特に新しいリスクによって特徴づけられる。チェルノブイリの原発事故や東日本大震災、そして地球温暖化のように大きな破壊的な結果が生じ、しかもそのリスクが生じる確率が非常に低くて、どのくらいの確率で起こりうるか計算できない。また、責任という概念を破壊する。温暖化による生態系の破壊は、誰に責任があり、誰が損害を補償するのか考えれば自明なことである。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて1

1 はじめに

 ドイツ語でリスクはRisikoのことであり、危険はGefahrという。Gefahrは、天災のように自己責任と無縁の外部からの襲撃であり、一方リスクは、交通事故など自己責任に負うところが多い。ウルリッヒ・ベック(2003)が説くように、リスクは社会の在り方、発展に関係があるため、人間の自由な意思決定や選択を重視する近代社会の成立によって成立した概念である。
 リスク社会は、これまでの社会とは全く異なる性質を持っている。環境や原発の問題が世界規模で広がり、新しい段階に入っている。この小論では、ベックのリスク社会論を中心にし、そこから文学と共有できるものがあるかどうか考察していく。

花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より

2019年03月15日

ドイツ語特許翻訳の相談窓口

ドイツ語の特許明細書の和訳について、相談したいことがあれば承ります。機械、自動車、バイオ、医療機器など分野を問わず一緒に特許翻訳について考えていきましょう。
〒359-1132 埼玉県所沢市松が丘2-22-14 
電話1(プッシュホン)04-2921-1820 花村嘉英(はなむら よしひさ)

2019年01月24日

シナジーのメタファーのために一作家一作品でできることー川端康成16

5 まとめ

 作家の執筆脳を探るシナジーメタファーの研究は、花村(2018)でも記したように、@LのストーリーやAデータベースの作成、さらにB論理計算やC統計によるデータ処理が必要になる。しかし、最初のうちは、一つの小説について全てを揃えることが難しいため、4つのうちとりあえず3つ(@、A、Bまたは@、A、C)を条件にして、作家の執筆脳の研究をまとめるとよい。ここでは、@、A、Cの条件を満たしているため、「川端康成と目的達成型の認知発達」というシナジーのメタファーは、成立していると考える。

参考文献

花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015a
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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