2019年05月27日
リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて2
2 リスク社会論とは
近代の変容に着目した現代社会論にポストモダン論とリスク社会論がある。ポストモダンとは、例えば、近代化における民族解放とか共産主義の理念や目的が失われた時代のことである。一方、リスクとは、人間が何かを選択したときに生じる不確実な損害のことであり、危害や損失の生じる恐れがある危険一般とは異なる。
橋爪(2016)によると、リスク社会では人間の主体性が社会の根本的な前提になっていて、特に新しいリスクによって特徴づけられる。チェルノブイリの原発事故や東日本大震災、そして地球温暖化のように大きな破壊的な結果が生じ、しかもそのリスクが生じる確率が非常に低くて、どのくらいの確率で起こりうるか計算できない。また、責任という概念を破壊する。温暖化による生態系の破壊は、誰に責任があり、誰が損害を補償するのか考えれば自明なことである。
花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
近代の変容に着目した現代社会論にポストモダン論とリスク社会論がある。ポストモダンとは、例えば、近代化における民族解放とか共産主義の理念や目的が失われた時代のことである。一方、リスクとは、人間が何かを選択したときに生じる不確実な損害のことであり、危害や損失の生じる恐れがある危険一般とは異なる。
橋爪(2016)によると、リスク社会では人間の主体性が社会の根本的な前提になっていて、特に新しいリスクによって特徴づけられる。チェルノブイリの原発事故や東日本大震災、そして地球温暖化のように大きな破壊的な結果が生じ、しかもそのリスクが生じる確率が非常に低くて、どのくらいの確率で起こりうるか計算できない。また、責任という概念を破壊する。温暖化による生態系の破壊は、誰に責任があり、誰が損害を補償するのか考えれば自明なことである。
花村嘉英(2005)「リスク社会論からトップダウンで作家の執筆脳を考える−中島敦の「山月記」を交えて」より
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