2015年10月17日
ツーリング 地元めぐり
今年は天候不順が多く、今日は寒いとか雨が降ってるとかなどで
次第に我が腰は重くなり、外になかなか出掛けなくなっていた。
こんな晴れた日は滅多にない。
出掛けることが使命であると己に言い聞かせ、
外に出ることにした。
久しぶりなのでご近所巡りと行こう。
バイクの暖気運転を十分に行い、メットのシールドも磨き
颯爽とダッシュする。
最初に向かったのは、飯岡刑部岬(ぎょうぶみさき)。
案内板によれば、「昔、佐貫城に仕えていた家老鬼越刑部栄定の
居宅がこの岬の崖下近くにあった事から、刑部岬と呼ばれたと
言われている。」とのこと。
文字から判断して昔の処刑場の跡か思っていたが、
全くの誤りであった。
刑部岬に平謝りである。
今は崖となっているこの岬の場所も、
昔は沖合6Kmまで陸地であったと言われる。
荒波により陸地は削り取られ、流れた砂は九十九里の砂浜を形成し、
そして削り取られた絶壁には刑部岬と名付けられ今、ここにある。
岬の先端に立ち辺りを見渡せば、左方に断崖絶壁の屏風ヶ浦があり、
右には飯岡漁港を突端に九十九里海岸が拡がっている。
目の前には黒潮の雄大な世界がある。
次第に我が腰は重くなり、外になかなか出掛けなくなっていた。
こんな晴れた日は滅多にない。
出掛けることが使命であると己に言い聞かせ、
外に出ることにした。
久しぶりなのでご近所巡りと行こう。
バイクの暖気運転を十分に行い、メットのシールドも磨き
颯爽とダッシュする。
最初に向かったのは、飯岡刑部岬(ぎょうぶみさき)。
案内板によれば、「昔、佐貫城に仕えていた家老鬼越刑部栄定の
居宅がこの岬の崖下近くにあった事から、刑部岬と呼ばれたと
言われている。」とのこと。
文字から判断して昔の処刑場の跡か思っていたが、
全くの誤りであった。
刑部岬に平謝りである。
今は崖となっているこの岬の場所も、
昔は沖合6Kmまで陸地であったと言われる。
荒波により陸地は削り取られ、流れた砂は九十九里の砂浜を形成し、
そして削り取られた絶壁には刑部岬と名付けられ今、ここにある。
岬の先端に立ち辺りを見渡せば、左方に断崖絶壁の屏風ヶ浦があり、
右には飯岡漁港を突端に九十九里海岸が拡がっている。
目の前には黒潮の雄大な世界がある。
岬先端から見た太平洋
屏風ヶ浦方面、う〜ん、ここからだと絶壁が見えない
飯岡漁港から伸びている堤防
飯岡漁港
九十九里海岸の始まり
飯岡の山?高台?
何と言うのだろうか、昔はぼっけと言ったが
何と言うのだろうか、昔はぼっけと言ったが
飯岡の灯台
子供の頃見た灯りが脳裏によみがえる
今はビーコンだのレーダーだのGPSなどがあるから、
灯りは使われていないと思うが、灯りには風情を感じる
子供の頃見た灯りが脳裏によみがえる
今はビーコンだのレーダーだのGPSなどがあるから、
灯りは使われていないと思うが、灯りには風情を感じる
展望台と駐車場
しばらく秋の風に身を任せたあと、次の場所へと移動する。
刑部岬の坂を下り、国道126号線を銚子方面へと向かう。
出来た頃は有料だった「銚子ドーバーライン」も、今は無料となっている。
今更ながら、この道はこんな名前だったんだと知る。
この道路の終点に「地球の丸く見える丘展望館」がある。
昔は無料のこざっぱりした展望台で、みえる人の数もまばらだったが、
展望館となった今は、入るのも有料でそれなりの建物になっているが、
見える人も今もまばらである。
無料だった施設がだんだん有料化されて、派手とまでは言わないものの
それなりに綺麗な建物が建って、中には土産物屋とかレストランなどの
施設もあるのだが、やはり人はまばらで、ここまでやることの意味目的が
解らない。
営利目的、雇用目的、資料保存?
誰かが手を掛け見ていないといつの間にか消えてしまう。
そんな場所や建物がいっぱいあるように思える。
無駄と思えることでも、人の記憶に残す為には必要なことなのだろう。
駐車場から徒歩で坂を上り「地球の丸く見える丘展望館」に向かうが、
その途中に寂れた公園がある。
この公園の場所には昔小学校があった。
少子化で子供の数が減り、小学校や中学校は統合されたり
廃校になったりしている。
刑部岬の坂を下り、国道126号線を銚子方面へと向かう。
出来た頃は有料だった「銚子ドーバーライン」も、今は無料となっている。
今更ながら、この道はこんな名前だったんだと知る。
この道路の終点に「地球の丸く見える丘展望館」がある。
昔は無料のこざっぱりした展望台で、みえる人の数もまばらだったが、
展望館となった今は、入るのも有料でそれなりの建物になっているが、
見える人も今もまばらである。
無料だった施設がだんだん有料化されて、派手とまでは言わないものの
それなりに綺麗な建物が建って、中には土産物屋とかレストランなどの
施設もあるのだが、やはり人はまばらで、ここまでやることの意味目的が
解らない。
営利目的、雇用目的、資料保存?
誰かが手を掛け見ていないといつの間にか消えてしまう。
そんな場所や建物がいっぱいあるように思える。
無駄と思えることでも、人の記憶に残す為には必要なことなのだろう。
駐車場から徒歩で坂を上り「地球の丸く見える丘展望館」に向かうが、
その途中に寂れた公園がある。
この公園の場所には昔小学校があった。
少子化で子供の数が減り、小学校や中学校は統合されたり
廃校になったりしている。
さすが銚子、魚のモニュメントである
錨を使った日時計もある
潮風で傾いた木々
真ん中には銀杏の木、そうか、小学校跡地か。
私の通った小学校にも大きな銀杏の木があった。
昔の学校には、銀杏の木と二宮金治郎がいた。
私の通った小学校にも大きな銀杏の木があった。
昔の学校には、銀杏の木と二宮金治郎がいた。
銀杏の木の向こうに展望館
道路を渡りゲートをくぐり階段を上って、
展望台、いや展望館に到着する。
展望台、いや展望館に到着する。
展望館入り口のゲート
展望館に上れば視界360度の世界が現れる。
その360度の330度までが水平線である。
その名の通り、地球の丸さを実感できる場所である。
その360度の330度までが水平線である。
その名の通り、地球の丸さを実感できる場所である。
展望館には入らなかったので、
この位の世界
この位の世界
展望館の前には、「日比友愛の碑」がある。
「日比友愛の碑」とは、第二次世界大戦時に戦火を交えた
日本とフィリピンとの両民族が恩讐を越えて
永く世界平和を祈念する目的で昭和33年に建てられたもの。
この斜塔は友愛の浄化をかたどったもので、モニュメントは炎を表している。
炎の先端は、フィリピンルソン島南部のマヨン山を指している。
「日比友愛の碑」からマヨン山までの距離はおよそ3千Kmあり、
その間を遮るものは何もない。
「日比友愛の碑」とは、第二次世界大戦時に戦火を交えた
日本とフィリピンとの両民族が恩讐を越えて
永く世界平和を祈念する目的で昭和33年に建てられたもの。
この斜塔は友愛の浄化をかたどったもので、モニュメントは炎を表している。
炎の先端は、フィリピンルソン島南部のマヨン山を指している。
「日比友愛の碑」からマヨン山までの距離はおよそ3千Kmあり、
その間を遮るものは何もない。
また、マヨン山の麓の街レガスピー市と銚子市は
姉妹都市協定を結んでいる。
何気なく通り過ぎる景色にも、
関心を持って見てみるといろいろな物語が隠されている
持つ好奇心の度合いにより、物語はより重厚な震動を与えてくれる
姉妹都市協定を結んでいる。
何気なく通り過ぎる景色にも、
関心を持って見てみるといろいろな物語が隠されている
持つ好奇心の度合いにより、物語はより重厚な震動を与えてくれる
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