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2024年01月06日
やめた。
非常に小さなことですが、今までしていたQRコードの読み込みをやめました。
私は喫煙者です。20歳のとき車で事故を起こし退院したときは、さすがにタバコはまずいだろうと半年くらい吸わないでいたのですが、一日に1本、、2本と吸うようになってしまいました。
当時はまだ、退院後も毎月、通院していたんです。タバコを吸うようになっちゃったんで、思い切って医師に聞いてみたんです。
私「タバコはダメですよね?」
って。
そしたらなんと、
医師「度を超えなければ良いです。」
って。
私「そうですか。(イヤッホ〜!!)」
あれ以来、禁煙を考えることもなく40年近く吸い続けています。
話がそれました。
紙巻きタバコを吸っています。箱を開けるとまず、フタの裏側にQRコードがあるんです。私の特性として、そこにQRコードがあれば読まなければならない気になります。
読み込みは箱が空になり、捨てるタイミングなんですが、何か他のことをしていたり、面倒くさいと思えば空箱を置きっぱなしにしてしまいます。それが油断すると10箱くらい溜まってしまいます。
だけどある日、思いました。
「一生懸命に読み込んでいるけど、読み込んでどうなるん?」
調べてみると、読み込むごとにポイントが貯まり、一定のポイントになるたび応募できるのだとか。しかし!賞品はジッポーのライターとか。
私、抽選なんて、まず当たらないものだと思っています。それにジッポーのライターは欲しくありません。だからタバコの応募だってしないはずですが、QRコードの存在に負けたのか、、。
冷静に帰って読み込むのをやめました。
2024年01月04日
連絡手段
あれ〜?
仕事はいつからだっけ?
確か9日からというのを文字で読んだ気がするんです。
で、携帯メールを見てもないし、まさか間違えて消してしまった?と思い、PCメールを探してもありません。
私、メールはPCメールで受け、携帯に転送しています。なのでPCメールのアドレスしか公表していません。携帯メールのアドレスは自分でも憶えていません。
仕方がないから派遣会社に電話しました。そしたら9日からというのは間違いではありませんでしたが、LINEで送ったというんですね。私、LINEで見たことを忘れていたんです。
どうしてもまだ私は、LINEの公式性というか重要性を低く見ているから、仕事の予定をLINEで送ってくるという感覚がないんです。
初めてLINEを使ったのがごく親い友人とのやりとりだったので、いまだに「おちゃらけ連絡ツール」という感覚が抜けません。
それがいつの間にかLINEをやり取りする相手が友人から家族へ、そして仕事先と変化してきたんですね。
でもあんまり、賛成できません。
いくら便利であっても、現在だってLINEで仕事を休む連絡はNGでしょう。その延長だと思っています。
還暦が近づいてきたおっさんのボヤキでした。
2024年01月01日
ご挨拶
あけましておめでとうございます。
さっき0時を過ぎ、無事に2024年を迎えることができました。ありがとうございます。
私はいま、寝るでもなく寝ないわけでもなく、また例によってYoutube動画をダラリと見ていました。
Youtube動画を見ていると画面右側に関連動画が出てきますね。
なぜか?なぜか何だかわかりませんが、永ちゃんが出てきましたよ。矢沢永吉さん。
そしたら聞きたい曲は決まっています。
「さめた肌」
私、別に永ちゃんのファンではありません。しかし、良い歌創っていますよね。
中でも「さめた肌」は私にとって特別なんです。
私が初めてあの歌を聞いたのは、かなりあとで1984年の冬だったと思います。
免許を取って初めての冬でした。普段は親の車を借りて乗っていました。けど、親の車が車検だったんです。
また、当時はまだ携帯電話がありません。だから、友人に会おうと家電に架けて
「出かけてるわ。」
となったら、友人と会うこともできないし、もう何もできないんです。
することがないので、まだ免許取りたての私は一人で車で流して(流す = ドライブする)こようと思いました。けど、親の車は車検。代車はありました。ですが代車はなんと白い軽トラック。
車で流すなら、若者だと音楽は必須です。しかし当時の軽トラックにカーコンポなんてあるわけない。
そこで持ち出したのは祖母からもらった携帯用のカセットレコーダーでした。大きさは弁当箱を少し厚くしたくらい。
それを軽トラックのダッシュボードに乗せて、たまたま聞いた歌の中にあったのが永ちゃんの「さめた肌」だったんです。
私は一人、孤独でした。孤独で行った先は港。北海道、日本海の港。しかも冬です。
見ても堤防に守られた内海に、ただよっている波と、真っ暗な空、外はきっと強い風が吹いていたでしょう。
そこに永ちゃんの「さめた肌」。
ぴったりだったんです。
以来、永ちゃんといえば私の中では「さめた肌」です。
さて、
昨夜はなかなか寝付くことができず、寝たのは朝の5時頃だったか?
目が覚めて時計を見ると9時。
え?
朝の9時?まさか夜の9時?と焦りましたが、朝の9時でした。
今年もよろしくお願いいたします。
こんなブログ、読んでくださってありがとうございます。
なのに意外と多い、読者様の人たちに感謝しております。
あの、読者様って読者様なんです。「様」です。
単純には
「好きで読みに来ているのだろう?」
と思いがちですが、ブログを読むのも、それなりに時間を遣ってしまうんですよね。
貴重なお時間をこのブログに割いていただいてありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2023年12月31日
年賀状
年賀状はもう出しましたか?
私はいま、やっと印刷を終えたところです。これじゃ明日、元旦の配達には間に合わないですね。
だけどその前に、ハガキの年賀状って今どき必要?
昨年まで、そう考えたことはなかったんですけど。
そもそも近年、年の瀬感とか正月感て、なくなってませんか?
昔、私が中学生の頃だから昭和50年代中頃、1970年代の後半なら、年の瀬になるとラジオを聞けばベートーヴェンの第九が流れ、正月の三が日はテレビも楽しかったんですけどね、飽きちゃったんでしょうか。その前にラジオを聞くこと自体、なくなってしまいましたけれども。
そんな折、ハガキの年賀状は単なる義務にしか思えなくなりました。
何年前か、もう10年以上前だったと思います。一度、出さないでみたことがありました。そしたら親戚のかたが、
「年賀状が来ないから、どうしたかと思った。」
って。お叱りを受けてしまいました。
もっとも生存確認という意味をもって、その役は果たしているのかと思います。
そしてハガキの年賀状なら必要なのが“ひと言書き”ですね。これがあるのとないのとではぜんぜん違います。
けど、いろいろ考えすぎるあまり、しまいには
「お元気ですか?」
ばっかりになってしまうとか。
そんなこんなで、今回はひと言書きもなくなってしまいそうです。
2023年12月30日
年中行事
毎年、暮れになると神棚を掃除します。今年は今日やりました。けど微熱があり、体調もあまりすぐれなかったので、神棚本体は下ろさず、前と横だけ拭き掃除しました。昨年は12月になって早々にやったんです。
あとそれから、しめ縄を取り替えます。神棚の上で左右にまたがっている、アレです。別名ゴボウ。神棚はリビングに鎮座しており、部屋の造りから、上が天井にくっつくくらいの高さにあります。なのでイスに上っただけでは作業ができません。小さな脚立に立って作業します。
これ、立っているときはあまり気にならないんですが、下りるとき、ヒヤッとすることがあります。
落ちても大した高さではありません。でもいざというとき、適切に対処できる反射神経だって、もう自信がありません。今日、一回ヒヤッとしました。下りるとき、ヨロッとしたからです。
神棚は私が11歳のとき、父が買ったものです。だから今年で47年。最初は檜の良い香りと色がしていました。色は今では茶色といったらいいでしょう。けど、半世紀近い年月で変化した色です。これはこれで重みがあります。ちなみにタバコのヤニではありません。
この神棚、東京から北海道の田舎町へ引っ越し、そのときは実家に。私の両親が東北へ引っ越していったとき、私の家に来ました。しばらく私たち家族は田舎町に住んでいました。
でもその後、私たち家族が札幌市へ移り住むとき一緒に札幌へ。思うと結構長い間、この神棚には見守られたと思います。そして思うのは、この神棚、私よりも長生きするだろうと。私が死んだあと、処分されることになるのでしょう。
2023年12月22日
近所迷惑
住んでいるのはマンションなんですけど、近所迷惑ってあります。
上の部屋です。音ですね。
以前に管理人から聞いたところ、上には女性一人で住んでいるそうです。
さっきもあったのですけど上の住人さん、今日は19時頃に帰宅したようで、その後なにをしているんだか?
トントントンて、金づちで床を叩くような音がずっとしてくるのです。気にしなければ良いというレベルは超えています。気になります。うるさいです。
これはいま始まったことではなく、前からそうでした。私たち家族がここに入居したのは2015年。もう8年経ちます。そしておそらくは上の住人さん、私たちよりも後から入居したと思います。
いつからかは、はっきりと憶えていませんが気が付くと、物音がうるさい家だと思うようになりました。その音はまず足音でした。
で、今はトントントン。しかし自分の家で考えてもそんな音はたてません。いったい何の音なのか??
そういえば上の住人が入居して間もなく、深夜に足音がうるさいと、やはり管理人に苦情を言ったこともありました。
さっきも上の主が帰ってきたのとほぼ同時くらいに、また音が始まったので管理人に電話しました。
そもそもは私、相手に直接、交渉したいのですが、それでは角が立つのでやめています。
管理人へ電話するとほぼ同時に、音はしなくなりました。
けど、わからないのかなぁ、、
自分で立てている音が、下の部屋に迷惑になること。
頭の毛が一本足りないのかなぁ、、、
2023年12月19日
文庫本
映画「激突」って、ご存じですか?
1971年、アメリカの映画です。スティーブン・スピルバーグの初監督作品です。
ある日、いつものように仕事に出かけた主人公が乗る赤い車。山道の途中で何気なく前を走るトレーラーを追い越します。するとそのトレーラーは何が気に障ったのか、執拗に主人公の車を追いかけてくるのです。
初めは気のせいだと思った主人公も、あまりのしつこさ、また、危険な行為にだんだん追い込まれていきます。たとえば、踏切待ちをしていると、列車が通過しているところで後ろからトレーラーが主人公の車にぶつけて、踏切内へ押し込もうとします。
終盤には峠道で主人公の車は冷却水が足りなくなっていたため、オーバーヒートし、速度が落ちてしまいます。そこへ迫るトレーラー。
なぜだか最近、Youtube動画で関連動画にこの、激突がよく出てくるんです。
他の画面に切り替えても出てくる。それだけこの「激突」という映画は名作なんでしょうか。
この映画、観に行ったわけではなく、中学生のときテレビで見ました。
でもその前に、小学生のとき文庫本で読んでいたのです。私は読書が趣味ではありません。けどある日、母が買ってきてくれたのがこの「激突(DUEL)」でした。私が初めて読んだ文庫本でした。
もっとたくさん本を読みなさいというメッセージだったんでしょうかね。
私、解説本は読みます。でもたとえばJ・ベルヌ氏の「十五少年漂流記」とかいう、物語というか、創作は好きじゃないんです。あくまでノンフィクション志向です。
十五少年漂流を読んだことはあります。小学生のとき通っていた塾で、読んで感想文を提出しなさいとなったからです。だけど、物語の内容はまったく憶えていません。
J・ベルヌさん、ごめんなさい。
2023年12月16日
裏声
大変ご無沙汰しております。申し訳ありません。
コールセンターおじさん、なんとか無事でおります。
最近は夜になるとYoutube動画を見ている日が続いております。
そこで感じることなんですが、裏声で話す男性が多いこと。
たとえば見ている動画で、二人が対談しているとします。本人は無意識にやっているのでしょうけど、片方、あるいは両方の人が喋ると、しょっちゅう声がひっくり返って裏声になっちゃってるんですよね。実際、聞いていてあまり快く思えないです。
けどこれ、昔からそうだっけか?
そう思って聞いています。
急いで喋っているからか?とも思うんです。
その昔、一般人がYoutube動画をアップするのに最長10分て制限があった気がするのですが、いま私が見ているYoutuberはそんなの関係ないでしょうから。
いまの時代がそうなってしまったのでしょうか。
私は札幌市在住です。街を歩いていて、人の歩く速さは世間で言われているほど足早ではないと感じています。
では私の見ているYoutuberが東京在住だから?
そんなに違うんでしょうかね?
けど都会の人たちは歩くのが速いというのは、もう40年くらい前からずっと聞いてたように思います。
40年も速い、速い言い続けられていたら、今頃はもう時速40Km/hくらいで歩いていそうなものです。(笑)
2023年12月10日
ともちゃん
一昨年の11月、従弟のお参りを兼ねて私はリフレッシュ旅行に行ってきました。行先は神奈川と東京。
従弟は2015年に仕事上の悩みを苦に自ら命を絶ってしまいました。
私の父は商売人で、転職や転勤したり仲間たちと会社を興したりと東北から東京まであちこちと転居していました。そのため私も学校を転校し、小学校は4校、通っているんです。
だから私には幼馴染という存在がありません。唯一、幼い頃から一緒に遊んできたのは、その従弟でした。
従弟が亡くなったとき、一報はありました。けど神奈川までは行けなかったんです。
そこで遅ればせながら、6年後の一昨年に手を合わせに行ってきました。
JRで千歳空港まで行き、飛行機で羽田へ。羽田からはバスで錦糸町まで行きました。錦糸町からホテルのある亀戸まで歩いて行ったんです。キャリーケースをゴロゴロ引っ張って。
翌日、JRで新宿まで。新宿から小田急線で相模大野まで行くと従姉の、ともちゃんが迎えに来てくれました。約20年ぶりの再会です。
待ち合わせをして、そこに立っているから、ともちゃんには間違いありません。でも、
「え?」
というのが正直な感想でした。だって20年振りですから。本人にはとても言えませんが。
ともちゃんは連れ子です。
幼い頃に母を亡くし、ともちゃんの父は、私の叔母と再婚しました。苦労人です。
その昔、ドリフターズのコントで、
「あーみーまー ゆーやーゆ ひずひむひー しーほーひー」
って、あったの憶えていますか?
私はまだ小学生で、従弟と盛り上がりました。
しかしそれを聞いていたともちゃんから、すかさず指導を受けました。
「それ、アイマイミーマイン、ユーユアユーユアーズ、ヒーヒズヒムヒズ、シーハーハーハーズだよ。」
って。
ともちゃんは当時、高校生だったかな。
小学生の私でも、夢を壊さないでくれ!
そう思いました。
2023年12月03日
山田太一さん
脚本家の山田太一さんがお亡くなりになりました。私世代だと『ふぞろいの林檎たち』シリーズでご存じの方も多いのではないでしょうか。
私は山田太一さんの作品に、かなり影響を受けています。仮にドラマの番組予告があって、脚本が山田太一さんとあれば、それだけで見たくなる。そんな存在でした。
私が初めて山田太一さんの作品を見たのは、昭和51(1976)年だったと記憶しています。『男たちの旅路』シリーズです。当時は脚本家が誰か…など気にすることもありませんでした。
でも記憶には残ったんです。自殺志願者役の桃井かおりさんを、鶴田浩二さんが体をかけて説得 → 叱るシーンが印象に残りました。
以来、『男たちの旅路』シリーズの放映があれば、毎回見るようになり山田太一さんの他作品へも関心が広がっていきました。
『男たちの旅路』シリーズには名作、「車輪の一歩」があります。斎藤洋介さんのテレビドラマ初出演作品でした。斎藤洋介さん、熱演しています。当時私は中学生でしたが、
「なんだ?この役者は!」
とさえ思いました。
私は昨夜、山田太一さんの弔いに「車輪の一歩」を見たんです。
車輪の一歩が名作というのは、それまであまり理解されていなかった、車椅子を使用した人たちの生活を世間に知らしめ、また作品中では家から出ることのなかった車椅子生活の少女を皆で自立させる。そんな感動作品なんです。
だけど山田太一さん、これほどシリアスな物語、ストーリーにもかかわらず、随所随所にギャグを散りばめているんです。これはすごい。
おそらく、近日中にNHKでは追悼番組として、『男たちの旅路』シリーズを再放送するのではないでしょうか。もし、ご存じなければ「車輪の一歩」はご覧になって良いと思います。
山田太一さんのご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。