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2017年08月24日

心霊体験(4)

3/21「心霊体験(2)」で、三つの体験を箇条書きにした三つ目です。

中学生のときです。
部活動には結構、力が入っていました。
夏・冬・春休みや土日も返上で、毎日。

部員は全部で数十名。
夏休みには合宿があり、山間部にある“〇〇青年の家”で確か2泊3日だったと思います。
学生の頃は、そういった合宿や修学旅行とか、友人同士で宿泊できるのが楽しみだったと思います。

〇〇青年の家は4人部屋。大部屋ではありません。
子供たちが夏に4人部屋で宿泊となると、自然に「怪談」が誰ともなく出てきます。

4人部屋は奥に窓、テーブルとイス。出入り口側に2段ベッドが二組。ちょうどフェリーにも同じ造りの部屋があると思います。
消灯後ですし、怪談は小さな声が好ましいので、一人のベッドに皆集まり静かに盛り上がります。
聞いた話や自らの体験談。それぞれ順番に語ります。
私もたぶん「心霊体験(2)」や「心霊体験(3)」の話をしたでしょう。

山間部の静かなところで深夜、聞いたことのない怖い話。恐ろしさに盛り上がります。

やがて、一人が
「やめろって!」
と言い出します。

「どうした?」
と聞くと、
「シャツを引っ張るな。」
というのです。

一つのベッドに4人ですから、もちろん狭い。
壁側に二人。通路側にも二人。一人は壁側の角に、一人は通路側の角。残りはそれぞれベッドの中間あたりに座っていました。
シャツを引っ張られたのは壁側の角にいました。
誰の手も届きません。
そのことを言うと、そいつは気味が悪いと、自分のベッドに戻り寝ると言います。

一人いなくなり、少し広くなったと、横にいた私はそこに収まりました。
そしてまた、怪談が盛り上がり始めた頃、
「ツンツン」と、誰かが私のシャツの裾を引っ張ります。

夏だったのでシャツの裾を外に出していました。
ドアをノックするタイミングで、ジーンズの右尻ポケットの上あたり。
ベッドでの位置も、さっきと同じ場所です。誰の手も届きません。

その〇〇青年の家は前から噂のあったところです。
近くにトンネルがあり、そこは心霊スポットだともいわれていました。

そのトンネルはもうありませんが、青年の家は名前を変え、現在も違う用途で使われています。

霊魂を信じる人も信じない人も、それは個人の自由ではあります。
しかし、科学では説明のつかない何らかのエネルギーが存在するのは事実だと思います。

昔、ときどき会議に使っていた施設。
中に入るとまず目に留まるのが奥の大きな窓。
見るたびに引き寄せられるような、何か不気味なものを感じていました。
会議で使うのは大抵夜です。

気になったので私は昔を良く知る人に聞いたことがあります。
すると、かなり昔にその窓の先で首つり自殺があったのだとか。

昔、7/1の単独事故の話を書きました。
実はその話には前触れと、続編があります。
また親戚間にも、ある言動が元で、亡くなった?
という話も。

それらの詳細は私、あとが恐ろしくて書けません。
不思議な現象を何もなかったかのようにする「単なる偶然」という便利な言葉もあります。
ですが、きっと偶然で片づけるには天文学的な確率なんじゃないかと思うことも。

信じない人にとっては関心のない話でしょう。でも、受け入れてしまうと、人に言えない話も抱えることになるのではありませんか?




2017年08月22日

心霊体験(3)

夏といえば“怪談”ですね。

3/21に「心霊体験(2)」を書いたとき、三つの体験を箇条書きにして、ひとつだけ書き、あとはそのままになっていました。すみません・・

今日は二つ目です。

小学校4年生のときです。
父が家を持とうと、千葉のマンションや都内の一戸建て住宅を検討し、都内の分譲住宅を購入することにしました。
ところが、土地に何か心配(?)があるとの指摘をいただき、建築前に家族そろって確か、、神奈川県の身代わり不動へお払いに行ったのです。
お払いはさほど時間もかからず、お守りをいただいて帰ってきました。

家は翌年夏に出来上がり、夏休み中に引っ越し、小学校は2学期から別の学校に転校です。
当時私の一日は、朝学校へ。放課後友達と外で遊び、週二回くらい学習塾へ。
夜は部屋でラジオを聞きながら、プラモデルを作っている毎日でした。

家は割と小さな家でした。3LDK。
造りは1階の東側が居間で、その真上、2階の東側が10畳間になっており、ドアが二つ。
部屋の中間にはアコーディオンカーテンがあり、部屋を二つに仕切るようになっており、仕切った南側を2歳上の姉が、北側を私がそれぞれ子供部屋にしていました。
中間のアコーディオンカーテンを挟んでベッドを置き、寝るときにはアコーディオンカーテンを少し開けると顔を見合わせて話ができるようしていました。
でも話をするたびにアコーディオンカーテンを開け閉めするのも面倒なので、いつも少し、、
30センチくらい開けたままにしていました。

まだ暑い時期だったと思うので、たぶん引っ越して間もなくだったと思います。
夜に家族みな1階の居間でテレビを見ていると、突然天井から「ドン!」と音がしました。
何か重いものが落ちた音です。

2階から不審者が入ってきたかも知れないと、父を先頭に皆で恐る恐る2階へ上がっていきました。
厳密にいえば、音がしたのは姉の部屋あたり。
姉の部屋と、私の部屋もくまなく見ましたが、誰の侵入者もいませんでしたし、何も落ちた形跡はありません。
まして、あんなに大きな音がするほど重たいものは何もありませんでした。
机の上からラジカセが落ちたくらいの音です。
でも、床に落ちたものは何もありませんでした。

その件は結局、
「不思議だね〜」
ということしかできませんでした。

---------

私はというと、いつもラジオ、プラモデルの毎晩でした。
姉は夜、居間にいることが多かったので、2階には私しかいないのがほとんどでした。

「ドン!」
が先か、後か、同じくらいか忘れました。
でもラジオを聞きながら、もう一つ別の音が聞こえていました。

人の息遣い。
「すー、はー」という呼吸音が毎晩聞こえていました。
それが隣の姉の部屋からです。
当然、姉がいるのか? と思い、
「ねぇちゃん?」
と声を掛けます。
返答はない。

寝ているのか? と思っても、アコーディオンカーテンは少し開いているから寝ていないのはわかります。
その前に、姉の部屋はずっと暗いので誰もいないと考えるのが普通です。

絶対におかしな現象であっても、慣れてしまうんですね。
確か、、
聞こえなかった日が、二日くらいあったと思います。
聞こえるのが毎日だと、聞こえない日が逆に落ち着かないんです。(笑)

当時、私は「鍵っ子」でした。
父母は仕事。姉は中学で部活動。
たまに昼寝をしたいときもあります。

その日、学校から帰り、自分の部屋で昼寝をしてしまいました。

突然、ノックの音で目を覚ましました。
私は
「誰?」
と聞きましたが返事がない。
私はまた昼寝の続きに。
次に目を覚ましたのは夜でした。
下に降りると、ちょうど夕食ができていました。
家族に、
「さっき部屋に来た?」
と聞くと、誰も来ていない。2階には行っていないと言います。

確かに、家族ならノックするより先に名前を呼ぶと思います。
それから、起きて部屋を出るとき、ドアが10センチくらい開いていました。
戸締りにはうるさい親でしたので、私が開けっ放しというのは考えづらいですし、ましてドアが半開きならノックはせずに入ってくるでしょう。親か姉なのだから。

---------

いわくつきの家は父の仕事にも影響を与えました。
父の会社が経営に行き詰まり、私が小学校を卒業すると同時にその家を手放すことになりました。
単なる偶然かも知れません。(笑)

引っ越しが決まって、3月のことです。
仲の良い友達といつも放課後に遊んでいました。
その友人は家も近いので、片方が遊びに行く。どっちが行くか、すぐ行くか、用事があれば済ませてから行くか?
「すぐ行く? 即行く?」
なんて、他愛もない確認をしあい、その日はこちらへすぐ来るというので私は家で待つことにしました。
自分の部屋に行かず、居間にカバンを放り投げ、そのまま椅子に座って友人を待っていました。

すると、、

「ミシッ」と上から音がします。
さらに「ミシッ」と続きます。
それが、歩幅の間隔で動いているのです。
さらには、最初の「ミシッ」が姉の部屋あたり。
その音は姉の部屋を出ました。そして廊下へ。私はもう恐ろしくて動けません。
なぜなら、すでに足音は階段の上に来ています。
部屋を出ると見えてしまうかも知れないからです。

動けないままいると、友人が来て、事なきを得ました。
思うに、姉の部屋に何かあったのかと思います。

あの家に住んでから、姉はいじめにあったと聞きました。
そして父の会社の倒産。

瀬戸物の表札は良くないらしいですね。
割れてしまうから。
こともあろうか、その新築の家に父は瀬戸物の表札を付けました。
ある日、表札が落ちて割れてから父の会社は傾き始めたと言います。

また、これは最近知ったことです。
父もかなりあとから聞いたと言います。

その分譲住宅ができた区画は7軒の家がじゅんぐり建ちました。
昔その区画は工場だったとか。
それは身代わり不動へ行く前から聞いていました。
ただ、
最近知ったのは、その工場で死亡事故が起こり、そのため工場を移転。
跡地が分譲されたのだとか・・・



2017年08月04日

予知夢(4)

久しぶりに予知夢の話です。
予知夢では、最後の投稿です。

予知夢については、

2/11
予知夢
で、このカテゴリ内に、初めて予知夢を見たときを投稿しています。

3/29
予知夢(3)
では、自分は予知夢を見ることができるんだと思ったことを書いています。

今回は少し特別な予知夢について書きます。
何が特別かというと、

・まったくそのままの景色を見た。
・私自身、その予知夢を見たいと願っていた。

ということです。

今から20年くらい前だと思います。
営業の仕事をしていた私は、週に一度、その官公庁に出入りしていました。
そこには臨時職員の女性が数名いたんです。

その中に、女優の山口智子さんに似た、かわいい女性がいました。
ある日、その女性がテプラが欲しいと言います。
テプラっていうのは、ご存知と思います。
キング事務が作っている、テープライターです。

その女性の実家は寿司屋さんで、夜にはお酒も出すのでしょう。
お客様がキープしているウイスキーのボトルに名前を付けるため、実家で使いたいのだと言います。

前から気になっていた女性でした。
でももう私は結婚していたし、たまたま出入りのある、いち業者の身。

でもね、人間ですから、
実家の寿司屋さんに領収証を書くときに、しっかりとお店の名前を記憶しておきました。

縁はないと、わかっていながら気になるものは気になります。
その店はどこにあるのだろうか? って。

その官公庁がある町というのは人口数千人の小さな町。
探すのにも苦労はいらないと思いました。
でも、まず「夢」に案内して欲しいと願っていたのです。

それから数ヵ月か半年後か、憶えていませんが見ました!

夢では突然、その店を外から見ているのです。
忘れません。
交差点、角から2軒目で、2階建て。奥に長い建物で、横には階段が付いています。
階段というのは鉄製で、もしかしたら2階をアパートとして貸していたのかも知れません。
店の正面は引き違いの扉で、その右側には看板が付けてあります。

繰り返しますが、予知夢の映像は鮮明です。
そして、はっきりと記憶に残ります。
まるで、いつも壁に貼ってある写真を10年間見続けたかのように、細部まで鮮明に記憶するのです。

次の週、私はその官公庁で仕事が終わった後に、町を車で回りました。
小さな町なので繁華街といっても、そう広い範囲ではありません。

「このあたりかな?」
と、開けた景色に夢で見た、そのままの光景がありました。

角から2軒目。
奥に長い2階建ての店舗。そして左側には鉄製の階段。
正面は引き違いの出入り口があり、右には看板。

もちろん、初めて訪れた場所です。
満足感でいっぱいでした。

その子、いま何をしているのでしょう?
子供の受験に頑張っているのかな?
それとも、もう大学生になった子供に期待をかけているのでしょうか?

ただ、、
この夢には、おまけがあります。

右の看板。
夢で見た看板には領収証に書いたお寿司屋さんの名前でなく、まったく違う文字が書いてありました。

領収証には
「〇〇寿司」と書きました。
しかし、夢の看板には
「△△」と書いてありました。
その「△△」。
夢では「△△」と書いて、「〇〇寿司」と読むんだよ。と夢にありがちな、矛盾がありました。
例えるなら、
「誕生」と書いて、「よし寿司」と読むんだよ。といった感じです。

私、いまある地方都市に住んでいます。
ここに「△△川」というのがあります。

当時、この地方都市には住んでいませんでした。
でも、ここにある「△△川」は知っていました。

このあとに何かあるんでしょうか?
種明かし的なことが。

もしあったら、予定外の「予知夢(5)」にして投稿させていただきます。




タグ:予知夢

2017年04月13日

虫の知らせ

“虫の知らせ” ってありますね。
親戚や知人に何かあったとき、不思議な現象が起こったり、また夢で見たりと。

それは何かあった当人が、親戚や知人へ送るメッセージだと思っていました。
でも、そうじゃない場合があると思います。

私は20歳のときに事故を起こしました。
車の単独事故です。

救急車で運ばれ、翌日大きな病院へ転院し、合わせて16日間入院しました。
意識が戻ったのは確か6日目くらいで、それまではベッドの上で暴れていたそうです。

病院は16日で退院できましたが、家に戻ってからもしばらくは寝たままでした。

7/1の事故だったので、詳細は7/1に書こうと思っています。
車のリアウインドウを突き破り、車外へ投げ出され10数メートル飛んで、着地するとき脳天の少し後ろを強打しました。

RX7.jpg


診断書には、頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、舌左方偏心、左半身麻痺と悲惨なことが書いてあります。
だいたい完治したな、と思うまで3年かかりました。
その間は物忘れが激しかったり、状況把握ができなかったり、つい短気を起こしたりと、しばらく困った思いをしていました。

そのくらいの事故でした。

すると、退院後に聞いたのですが二人、虫の知らせを受けたと言います。
一人は当時お付き合いしていた彼女の母。
私が事故に遭う夢を見たと言います。

もう一人は昔お付き合いしていた彼女でした。
何か無性に気にかかったので、私の実家に電話すると事故に遭ったことを聞いたと言います。

私から虫の知らせを送ったということはありませんし、もし事故のせいで記憶を失っていたのだとしても、彼女の母にメッセージするというのは、考えづらいことです。

すると、虫の知らせというのは当人以外のなにか別な存在からのメッセージであり、
もしかしたら、すべて当人が発しているものではないかも知れません。

言うならば、虫の知らせを受けた人が感じたシグナルなのかとも思います。


タグ:虫の知らせ

2017年03月29日

予知夢(3)

私が初めて予知夢をみたのは小学生の頃で、予知夢に書いてあります。

あのときは初めての体験だったこと、まだ小学生でしたし、何より橋の上でミッキーマウスたちがカーニバルをしているという、意味不明なシチュエーションだったこともあり、
「不思議なこともあるなぁ」
程度にしか考えていませんでした。

でも、中学生になり2回目の予知夢を見たとき、あぁ、予知夢ってあるんだと意識するようになりました。
もちろん、遅刻する夢を見て寝坊したといったものではありません。w

中学校では3年間部活動をしていました。
かなり、力の入った部で、1年生のときも2年生も、夏・冬・春休みを返上し、毎日部活に明け暮れていました。
途中で何度、辞めさせてくれと顧問の先生にお願いしたことか。

それでも3年生になり、受験を控えると、ようやく長かった部活動も終わりになります。
念願の、放課後にまっすぐ帰宅できるようになったのです。

また当時、夕方4時から大好きだったドラマの再放送がされていました。
まだ明るいうちに帰宅して、ドラマの再放送を見る。
まさに夢のような生活でした。ただし、高校受験を除いては。

そんなある日の朝、夢を見ました。
夢は、
慌てて家の階段を上る自分。茶の間に入るとテーブルの上に新聞が置いてあった。
新聞を開くと、そこにはドラマに(終)と書いてある。最終回です。
泣く泣く、途中から再放送を見たという夢でした。

そんなことも忘れ、友人たちと下校途中に、ちょっとレコード店に寄って行こうかという話になりました。
友人との会話に花が咲き、店内を物色している最中に、
「は!」
これでは夢の通りになると、朝の夢のことを思い出しました。
先に私一人、走って家に向かい、階段を上る自分の視界は夢とまったく同じ。

新聞が置いてあるテーブルも、新聞の位置も。
もちろん、ドラマの横には(終)の文字が。
泣く泣く途中から見たのです。

出来事としては単なる偶然とも思えます。
でも、視界に入る階段、茶の間のテーブル、新聞の位置、そして(終)の文字、さらにその時の慌てた感情は、これから起こることをまるでビデオで見ているようなリアルさでした。

この体験は、小学生のときに見た、予知夢を裏付けるものにもなったと、そのとき思いました。


2017年03月21日

心霊体験(2)

私は霊感が強いとは思いません。
それでも不思議な経験はたびたび経験してきました。

子供の頃、心霊体験は大きく三つありました。予知夢は除きます。
・霊と思しきものを見た
・毎晩、誰もいない隣室から息遣いの音が聞こえた
・夜、友人と怪談話をしていたらシャツの裾を引っ張られた

今日は霊と思しきものを見た話です。

私が小学3年か4年でした。
夜、なかなか寝付けないので、子供部屋から親が寝ている部屋へ行き、両親が寝ている布団の間に入り、眠れないまま部屋の中をきょろきょろと見まわしていました。
見回すといっても、窓のない部屋で電灯の小玉も点いていない、真っ暗な部屋です。

やがて、壁にぼんやり青色っぽい明かりがあることに気づきました。
さっきまではなかったはずです。
真っ暗な部屋なので、その明かりの場所は確かではありません。
恐らく部屋に出入りする、襖(ふすま)じゃないかとそのときは思いました。

襖には学校で配られた印刷物を貼っていましたので、その印刷物が何かの光を受けて反射しているのだろうと思いました。いえ、そう思うことにしました。
真っ暗な部屋で反射とは、おかしいなと感じながらもです。

青色の光ははじめ、角が丸い、野球の四角いベース型に見えました。
私はいたずら心で、
「あの四角い角が取れて、顔の輪郭に見えたら怖いだろうなぁ」
と。
そう思った途端、四角い光、下の角二つが取れたのです。
まるで顎の輪郭になりました。
さらには、真ん中に鼻のようなものも浮かび上がりました。

もう私は怖くなり、その青い光を見ないようにと、仰向けに寝ていたのを首を横に向け、見ないように見ないように努めました。
ときどき、光は消えたかと、ちらっと首を動かすのですが、相変わらず青い顔はあります。

そのうちに眠りについて、何事もなく朝になりました。
無事に朝がきたから、もう昨夜のことは気にしないことにしました。
でも、翌朝あの光の場所を確認すると、印刷物など貼っていないところだったのが気になりましたが。

それから2年ほど経ったある日、姉が友人から漫画の単行本を借りてきました。
“つのだじろう” さんの、「うしろの百太郎」をです。
何巻目かは憶えていませんが、その中に、つのだじろうさんがご自身の守護霊を見た体験談が載っていました。

その話を読んで私は、これだったのか!
そう思いました。

いくつもの共通点があるのです。

1. 真っ暗な部屋で見た
2. 青色っぽい光に見えた
3. 壁に映って見えた
4. 光は動かなかった
5. 金縛りになったが、首だけは動いた。

私は金縛りだったとは思いません。
でも、不思議と首だけ動かしていました。
普通、嫌なものから目をそむけるには、首をひねるのではなく、寝返りを打つと思います。

もし、あれが私の守護霊だとして、何かお告げになりたかったのか、今ではわかりません。


2017年03月07日

予知夢(2)

今の会社は出戻りです。
今は部署こそ違いますけど元の同僚とか、
名前は知らなくても前には廊下でよくすれ違っていたり、食堂でよく見ていた顔。たくさんいます。

でもよくわからない人が二人います。

一人はよく知っている顔で、確か昔よく話した人なので、喫煙室で久しぶりに対面したときは
「しばらくです!」
と出戻りとしてご挨拶しました。

しかし、その人は
「は?」
という感じです。
こっちは名前も憶えているのに。

もう一人は
同じフロアーにいる人です。
その人は非常に親しいくらい、よく顔を憶えていて
「やあ!久しぶり!」
と声をかけたいくらい。

そのお顔の一致度は、知り合いの誰かに似ているというレベルではありません。
まさに当人そのもの。

なのに二人ともに共通しているのは、二人とも私に憶えがないということ。
さらに私も顔はよく知っているのに、昔お話しした話題を何一つ憶えていないことです。

前にご紹介した予知夢は風景でした。
でも予知夢は、お顔もそうなんです。

10年位前テレビで、ある放送作家の生い立ちを紹介していました。
その方は子供の頃、特殊学級にいらしたとか。
それが担任の先生から手厚い指導を受け、できないことを克服し、今では立派な放送作家に。
先生はもう他界していました。
テレビには先生のご子息さんがゲストで迎えられていました。

ご子息さんの顔をカメラがアップで映します。
その顔は数日前に、夢で見たお顔でした。
カメラは顔を上から下に下がっていきます。

するとまだ映されていない鼻から下が、頭の中に映像としてすでにわかっているのです。
これから映る鼻から下は、こんな輪郭で、このような口になっていると。

ここで紹介した二人目の方。
もちろん私を知らないと仰います。
私も何一つその人との行動、会話の記憶がない。でも顔だけはよくよく知っている。

初めはそれが何なのか、まったくわかりませんでした。
でも、夢で見ていたのならば、説明はつくのです。


2017年02月11日

予知夢

今日は予知夢の話です。

やはり作ってしまいました。新しいカテゴリ「不思議な体験」を。w

子供の頃、霊体験がありました。他にも予知能力や予知夢を見ること。
子供の頃はそういう体験をし易いと聞きます。スピリチュアリスト、江原啓之氏によれば、子供はまだあちら(あの世)から来たばかりだからと。

大人になってからほとんどそういった体験はなくなりました。
でも、先日書いたエレベーターの話。あと、予知夢は今でもときに見ているようです。

予知夢を初めて見たのは小学生の頃。
おかしな夢でした。

青空の下でミッキーマウスやドナルドダックらがカーニバルのように踊っている。
それが橋の上なのです。
かなり広い川で、そこに架かる長い橋です。
橋は車しか通れないもので、上下線それぞれが一本ずつの橋に分かれており、トラス橋というのでしょう、鉄骨は水色でした。

左を見ると、だいたい300メートルくらい先でしょうか、鉄道の鉄橋が架かっています。
その100メートルくらい手前に、下水道か上水道の太いパイプが川に架かっていました。

私立中学校を受験したことがあります。
たぶん、あの夢を見てから1年くらいあとに。
行きと帰りは父の車に乗って。

帰り道です。
ふと、気づいたんです。

いま渡っている橋が水色で、上下線それぞれ一本ずつ。
左を見ました。
すると、300メートルくらい先に鉄橋があり、その手前には太いパイプが架かっている。

予知夢を見るときは必ず、景色が鮮明に記憶されます。
まさに同じ情景でした。

父に、
「前にもここ通ったことある?」
と聞きましたが、父はわからないと。
でも、まだ小学生でしたから、車しか通行できない橋を、例えば友達と渡ったことなどないはずです。

でもさすがに、ミッキーマウスもドナルドダックもいませんでした。

え?
それでは予知夢じゃないだろうって?

当時、東京に住んでおり、受験したのは千葉の中学校でした。
千葉の浦安に東京ディズニーランドができたのは、それから5年後のことです。
その橋は浦安とはかなり距離が離れていますが、どうなんでしょう、開園5年前にはまだ浦安とは決まっていなかったとか。

2017年02月01日

心霊体験

私に霊感はあるか?
と言えば、??ですが、今まで体験した不思議なことは多い方だと思います。
「不思議体験」というカテゴリを作れるくらいは...

コールセンターには負のオーラを感じることがあります。
特に、受信のセンターでは雰囲気の悪いところも多く、中には、いるだけで疲れてしまうセンターもありました。

ストレスのたまる職場であることも事実です。
管理者からは効率を求められ、電話ではクレームに対応し、また管理者も企業から無理難題を押し付けられます。

受信のオペレーターがクレーム対応をし、相当キツイことを言われたのでしょう。
失神して救急車で運ばれる姿は何度か見てきました。

それらのことで自殺にまで追い込まれたという話を聞いたことはありません。
でもそれは私が知らないだけかも知れません。

ある晩、
仕事が終わり、帰ろうとエレベーターのホールに着いたとき、4基あるエレベーター、
向かって左、奥側のドアが開いていました。

中には女性が立っていました。
操作パネルのところに。

私は乗せてもらおうと急ぎ足で近づいたとき、ドアが閉まりました。

「え?(女性は)こっちを見て、いま目と目が合ったじゃないか。どうして閉めてしまうのか。」

ちょっと不服に思い、エレベーターを呼ぶ「↓」ボタンを押しました。
そしたら、押したと同時に「ピーン!」とエレベーターの着いた音が。
そして、
後ろのエレベーター、ドアが開きます。

振り返ると、いまドアが閉まったばかりのエレベーター。
中には誰も乗っていませんでした。

あの女性は?

もう10年近く前のことです。
かなり色褪せましたが鮮明でなくとも、その情景を浮かべることはできます。

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