2017年08月22日
心霊体験(3)
夏といえば“怪談”ですね。
3/21に「心霊体験(2)」を書いたとき、三つの体験を箇条書きにして、ひとつだけ書き、あとはそのままになっていました。すみません・・
今日は二つ目です。
小学校4年生のときです。
父が家を持とうと、千葉のマンションや都内の一戸建て住宅を検討し、都内の分譲住宅を購入することにしました。
ところが、土地に何か心配(?)があるとの指摘をいただき、建築前に家族そろって確か、、神奈川県の身代わり不動へお払いに行ったのです。
お払いはさほど時間もかからず、お守りをいただいて帰ってきました。
家は翌年夏に出来上がり、夏休み中に引っ越し、小学校は2学期から別の学校に転校です。
当時私の一日は、朝学校へ。放課後友達と外で遊び、週二回くらい学習塾へ。
夜は部屋でラジオを聞きながら、プラモデルを作っている毎日でした。
家は割と小さな家でした。3LDK。
造りは1階の東側が居間で、その真上、2階の東側が10畳間になっており、ドアが二つ。
部屋の中間にはアコーディオンカーテンがあり、部屋を二つに仕切るようになっており、仕切った南側を2歳上の姉が、北側を私がそれぞれ子供部屋にしていました。
中間のアコーディオンカーテンを挟んでベッドを置き、寝るときにはアコーディオンカーテンを少し開けると顔を見合わせて話ができるようしていました。
でも話をするたびにアコーディオンカーテンを開け閉めするのも面倒なので、いつも少し、、
30センチくらい開けたままにしていました。
まだ暑い時期だったと思うので、たぶん引っ越して間もなくだったと思います。
夜に家族みな1階の居間でテレビを見ていると、突然天井から「ドン!」と音がしました。
何か重いものが落ちた音です。
2階から不審者が入ってきたかも知れないと、父を先頭に皆で恐る恐る2階へ上がっていきました。
厳密にいえば、音がしたのは姉の部屋あたり。
姉の部屋と、私の部屋もくまなく見ましたが、誰の侵入者もいませんでしたし、何も落ちた形跡はありません。
まして、あんなに大きな音がするほど重たいものは何もありませんでした。
机の上からラジカセが落ちたくらいの音です。
でも、床に落ちたものは何もありませんでした。
その件は結局、
「不思議だね〜」
ということしかできませんでした。
---------
私はというと、いつもラジオ、プラモデルの毎晩でした。
姉は夜、居間にいることが多かったので、2階には私しかいないのがほとんどでした。
「ドン!」
が先か、後か、同じくらいか忘れました。
でもラジオを聞きながら、もう一つ別の音が聞こえていました。
人の息遣い。
「すー、はー」という呼吸音が毎晩聞こえていました。
それが隣の姉の部屋からです。
当然、姉がいるのか? と思い、
「ねぇちゃん?」
と声を掛けます。
返答はない。
寝ているのか? と思っても、アコーディオンカーテンは少し開いているから寝ていないのはわかります。
その前に、姉の部屋はずっと暗いので誰もいないと考えるのが普通です。
絶対におかしな現象であっても、慣れてしまうんですね。
確か、、
聞こえなかった日が、二日くらいあったと思います。
聞こえるのが毎日だと、聞こえない日が逆に落ち着かないんです。(笑)
当時、私は「鍵っ子」でした。
父母は仕事。姉は中学で部活動。
たまに昼寝をしたいときもあります。
その日、学校から帰り、自分の部屋で昼寝をしてしまいました。
突然、ノックの音で目を覚ましました。
私は
「誰?」
と聞きましたが返事がない。
私はまた昼寝の続きに。
次に目を覚ましたのは夜でした。
下に降りると、ちょうど夕食ができていました。
家族に、
「さっき部屋に来た?」
と聞くと、誰も来ていない。2階には行っていないと言います。
確かに、家族ならノックするより先に名前を呼ぶと思います。
それから、起きて部屋を出るとき、ドアが10センチくらい開いていました。
戸締りにはうるさい親でしたので、私が開けっ放しというのは考えづらいですし、ましてドアが半開きならノックはせずに入ってくるでしょう。親か姉なのだから。
---------
いわくつきの家は父の仕事にも影響を与えました。
父の会社が経営に行き詰まり、私が小学校を卒業すると同時にその家を手放すことになりました。
単なる偶然かも知れません。(笑)
引っ越しが決まって、3月のことです。
仲の良い友達といつも放課後に遊んでいました。
その友人は家も近いので、片方が遊びに行く。どっちが行くか、すぐ行くか、用事があれば済ませてから行くか?
「すぐ行く? 即行く?」
なんて、他愛もない確認をしあい、その日はこちらへすぐ来るというので私は家で待つことにしました。
自分の部屋に行かず、居間にカバンを放り投げ、そのまま椅子に座って友人を待っていました。
すると、、
「ミシッ」と上から音がします。
さらに「ミシッ」と続きます。
それが、歩幅の間隔で動いているのです。
さらには、最初の「ミシッ」が姉の部屋あたり。
その音は姉の部屋を出ました。そして廊下へ。私はもう恐ろしくて動けません。
なぜなら、すでに足音は階段の上に来ています。
部屋を出ると見えてしまうかも知れないからです。
動けないままいると、友人が来て、事なきを得ました。
思うに、姉の部屋に何かあったのかと思います。
あの家に住んでから、姉はいじめにあったと聞きました。
そして父の会社の倒産。
瀬戸物の表札は良くないらしいですね。
割れてしまうから。
こともあろうか、その新築の家に父は瀬戸物の表札を付けました。
ある日、表札が落ちて割れてから父の会社は傾き始めたと言います。
また、これは最近知ったことです。
父もかなりあとから聞いたと言います。
その分譲住宅ができた区画は7軒の家がじゅんぐり建ちました。
昔その区画は工場だったとか。
それは身代わり不動へ行く前から聞いていました。
ただ、
最近知ったのは、その工場で死亡事故が起こり、そのため工場を移転。
跡地が分譲されたのだとか・・・
3/21に「心霊体験(2)」を書いたとき、三つの体験を箇条書きにして、ひとつだけ書き、あとはそのままになっていました。すみません・・
今日は二つ目です。
小学校4年生のときです。
父が家を持とうと、千葉のマンションや都内の一戸建て住宅を検討し、都内の分譲住宅を購入することにしました。
ところが、土地に何か心配(?)があるとの指摘をいただき、建築前に家族そろって確か、、神奈川県の身代わり不動へお払いに行ったのです。
お払いはさほど時間もかからず、お守りをいただいて帰ってきました。
家は翌年夏に出来上がり、夏休み中に引っ越し、小学校は2学期から別の学校に転校です。
当時私の一日は、朝学校へ。放課後友達と外で遊び、週二回くらい学習塾へ。
夜は部屋でラジオを聞きながら、プラモデルを作っている毎日でした。
家は割と小さな家でした。3LDK。
造りは1階の東側が居間で、その真上、2階の東側が10畳間になっており、ドアが二つ。
部屋の中間にはアコーディオンカーテンがあり、部屋を二つに仕切るようになっており、仕切った南側を2歳上の姉が、北側を私がそれぞれ子供部屋にしていました。
中間のアコーディオンカーテンを挟んでベッドを置き、寝るときにはアコーディオンカーテンを少し開けると顔を見合わせて話ができるようしていました。
でも話をするたびにアコーディオンカーテンを開け閉めするのも面倒なので、いつも少し、、
30センチくらい開けたままにしていました。
まだ暑い時期だったと思うので、たぶん引っ越して間もなくだったと思います。
夜に家族みな1階の居間でテレビを見ていると、突然天井から「ドン!」と音がしました。
何か重いものが落ちた音です。
2階から不審者が入ってきたかも知れないと、父を先頭に皆で恐る恐る2階へ上がっていきました。
厳密にいえば、音がしたのは姉の部屋あたり。
姉の部屋と、私の部屋もくまなく見ましたが、誰の侵入者もいませんでしたし、何も落ちた形跡はありません。
まして、あんなに大きな音がするほど重たいものは何もありませんでした。
机の上からラジカセが落ちたくらいの音です。
でも、床に落ちたものは何もありませんでした。
その件は結局、
「不思議だね〜」
ということしかできませんでした。
---------
私はというと、いつもラジオ、プラモデルの毎晩でした。
姉は夜、居間にいることが多かったので、2階には私しかいないのがほとんどでした。
「ドン!」
が先か、後か、同じくらいか忘れました。
でもラジオを聞きながら、もう一つ別の音が聞こえていました。
人の息遣い。
「すー、はー」という呼吸音が毎晩聞こえていました。
それが隣の姉の部屋からです。
当然、姉がいるのか? と思い、
「ねぇちゃん?」
と声を掛けます。
返答はない。
寝ているのか? と思っても、アコーディオンカーテンは少し開いているから寝ていないのはわかります。
その前に、姉の部屋はずっと暗いので誰もいないと考えるのが普通です。
絶対におかしな現象であっても、慣れてしまうんですね。
確か、、
聞こえなかった日が、二日くらいあったと思います。
聞こえるのが毎日だと、聞こえない日が逆に落ち着かないんです。(笑)
当時、私は「鍵っ子」でした。
父母は仕事。姉は中学で部活動。
たまに昼寝をしたいときもあります。
その日、学校から帰り、自分の部屋で昼寝をしてしまいました。
突然、ノックの音で目を覚ましました。
私は
「誰?」
と聞きましたが返事がない。
私はまた昼寝の続きに。
次に目を覚ましたのは夜でした。
下に降りると、ちょうど夕食ができていました。
家族に、
「さっき部屋に来た?」
と聞くと、誰も来ていない。2階には行っていないと言います。
確かに、家族ならノックするより先に名前を呼ぶと思います。
それから、起きて部屋を出るとき、ドアが10センチくらい開いていました。
戸締りにはうるさい親でしたので、私が開けっ放しというのは考えづらいですし、ましてドアが半開きならノックはせずに入ってくるでしょう。親か姉なのだから。
---------
いわくつきの家は父の仕事にも影響を与えました。
父の会社が経営に行き詰まり、私が小学校を卒業すると同時にその家を手放すことになりました。
単なる偶然かも知れません。(笑)
引っ越しが決まって、3月のことです。
仲の良い友達といつも放課後に遊んでいました。
その友人は家も近いので、片方が遊びに行く。どっちが行くか、すぐ行くか、用事があれば済ませてから行くか?
「すぐ行く? 即行く?」
なんて、他愛もない確認をしあい、その日はこちらへすぐ来るというので私は家で待つことにしました。
自分の部屋に行かず、居間にカバンを放り投げ、そのまま椅子に座って友人を待っていました。
すると、、
「ミシッ」と上から音がします。
さらに「ミシッ」と続きます。
それが、歩幅の間隔で動いているのです。
さらには、最初の「ミシッ」が姉の部屋あたり。
その音は姉の部屋を出ました。そして廊下へ。私はもう恐ろしくて動けません。
なぜなら、すでに足音は階段の上に来ています。
部屋を出ると見えてしまうかも知れないからです。
動けないままいると、友人が来て、事なきを得ました。
思うに、姉の部屋に何かあったのかと思います。
あの家に住んでから、姉はいじめにあったと聞きました。
そして父の会社の倒産。
瀬戸物の表札は良くないらしいですね。
割れてしまうから。
こともあろうか、その新築の家に父は瀬戸物の表札を付けました。
ある日、表札が落ちて割れてから父の会社は傾き始めたと言います。
また、これは最近知ったことです。
父もかなりあとから聞いたと言います。
その分譲住宅ができた区画は7軒の家がじゅんぐり建ちました。
昔その区画は工場だったとか。
それは身代わり不動へ行く前から聞いていました。
ただ、
最近知ったのは、その工場で死亡事故が起こり、そのため工場を移転。
跡地が分譲されたのだとか・・・
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