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2023年11月10日

予知夢2/2


 三回目は大人になってからです。
20代の中頃だったと思います。当時私は主に官公庁をルート営業で回っていました。車で40分くらい走った町にある役所に行ったとき、ちょっとかわいい山口智子さん似の臨時職員がいたんです。

テプラってありますよね。あるときその臨時職員が個人的に欲しいというんです。役所で買うのではなく実家で使いたいんだと。臨時職員の顔と名前は知っていました。しかし話したことはありませんでした。

聞けば実家が寿司屋さんで、お客さんがキープしたボトルに貼りたいのだとか。実家の経費で落とすから、領収証が欲しいといいます。領収証を書いたので寿司屋さんの名前がわかりました。

 その寿司屋さんはどこにあるんだろう?
そう思ったんですけど、役所は町のほぼ入口にあったため、寿司屋さんのある町中まで行くことはなかったんですね。

だけどその町自体が小さいから探せばすぐにわかるはずです。けど探してどうする?とも考えていました。モヤモヤしていたんです。

あのときだけですね。
「夢で見られないか?」
そう思ったのは。

そしてとうとう、見たんです。見てしまってはとても気になります。

 ある日のこと役所への営業が終わった後に、探してみることにしました。
小さな町なので、繁華街がどこにあるのかわかります。さほど苦労もなく見つかるだろうと思いました。

寿司屋さんはすぐに見つかりました。
交差点を一時停止して出るとき、右側に見えました。

あのときは感動したのか、ゾッとしたのか、
それは目の前に見えている光景が見た夢とまったく同じだったからです。

寿司屋さんは角から2軒目の区画で、奥に長い造りになっており、正面は引き違いのガラス扉。正面の右端に看板が付いていました。2階はアパートで貸していたのかも知れません。

こちらから見ると手前、建物正面に向かって左側に外から上っていく階段が付いていました。
角から2軒目でしたが、1軒目の区画に建物はなく、木々が生えていました。
と、夢で見た景色とまったく同じ光景があったんです。

 アカシックレコードってありますね。
Wikipediaから抜粋すると、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという。
と。

予言者と呼ばれる人たちはこのアカシックレコードにアクセスできるといいます。私は預言者ではありません。でもちょっとアクセスできちゃったのかな?と。








2023年11月09日

予知夢1/2


 ずっと風邪をひいています。会社に行ってません。昨日も病院へ行ってきました。
かかりつけの病院には待合室に書籍が置いてあります。行くたびになぜか手にしてしまうのが、たつき諒(りょう)さんのマンガ「私が見た未来」です。

たつき諒さんは予知夢を見るらしく、印象に残る夢を見たときにはそれをメモしているといいます。たつき諒さんの「私が見た未来」は、1999年に刊行されましたが、その表紙には「大災害は2011年3月」と書かれており、それを理由に有名になったそうです。2011年3月は東日本大震災がありましたね。
他にも阪神淡路大震災やコロナウイルスなども予言されていたようです。

私も予知夢を何度か見たことがあります。ただ、
ただ、ただ、それは私個人にかかわる夢なので、社会的価値はゼロでしょう(笑)。
でもよかったら聞いてください。

初めて見たのは小学生5年生のときだったと思います。夢に出てきた風景が、やけにはっきりしていたので、ずっと記憶していたんです。
そして小学校6年生の冬、私は私立の中学校を受験しました。結果はサクラ散るでした。

当時、東京に住んでいました。受験したのは千葉県の市川中学校。試験前に体育館に整列した生徒たちの数の多さが脅威でした。競争倍率は10倍くらいでした。

 受験は父が車に乗せていってくれました。帰り道、江戸川を渡る橋を通ったとき、私は
「ここだ!」
と思ったんです。

 下流の広い川で、橋は水色のトラス橋。上下線がそれぞれ分かれていて、左を見ると、300メートルくらい離れたところに鉄道の鉄橋があり、その少し手前を直径1〜1.5mくらいのパイプが川をまたいでいました。パイプは上水道か下水道だったんじゃないかと思います。

 次に見たのは中学3年生のとき。
中村雅俊さん主演のドラマ、「俺たちの旅」が大好きなんですね。

中学3年生も秋になると部活動を終え、受験の準備になります。毎日6時までの部活動が、4時前に帰れるようになるんです。

あのときドラマ「俺たちの旅」が再放送されていました。
早く家に帰れるようになってから、ドラマを見るのが楽しみだったんです。
でもあの日は友人と、店に寄って帰ろうってなったんです。

店で何かを買うでもなし、物色しているうちに思い出しました。
「あれ?今朝見た夢と同じじゃないか?」
って。

このままじゃドラマが見られない。
で、友人には失礼して家に帰ったんです。帰ると2階への階段を駆け上ります。そして居間にある新聞を見ます。そしたら「俺たちの旅(マル終)」って。

やむなく途中から見ることになりました。
お店尾物色しているときから、朝見た夢と同じでした。

つづく





2020年10月24日


 夢って、必ず見ているらしいですが、起きた頃にはたいてい忘れていると思います。

朝、二度寝などすると、睡眠が浅いためか後から見た夢は憶えていることがあると思います。
私は仕事中とか、夜などにふと見た夢を思い出すことがあります。
しっかり思い出すわけでなく、一部だけ。

ただそれが今日見た夢だとは確信できないことがよくあります。
それは以前、見た夢に出てきた場面だからです。

でも何年も前に見た夢が、ふと蘇ることなんてあるのかと。
またそれが、何度もあるというか、夢に出てくる場面が限られるのです。
言い換えると、私が夢で見るのはいつも同じ街を訪ねているように思えるのです。

出てくる場所は3〜4パターンです。
例えるなら、今日は1丁目。この前は3丁目だったという感じです。

見る夢がこんなパターンを繰り返すようになったのは10年前くらいからでしょうか。
初めは夢にちゃんとしたストーリーがありました。誰が出てきてどうなったという。
もしかしたら今もストーリーはあって、憶えていないだけなのかも知れませんが、風景は同じです。

その街には都会的な場所と、住宅街とあります。住宅街は田舎っぽいです。
大きな立体駐車場のある商業施設もあります。

現在の科学で夢というのはどこまで解明されているのでしょう。
前に書いた現実夢。また訪れたことのない場所を、夢が教えてくれた話も。

夢枕に立つという言葉もありますね。
私は二十歳のとき、大きな単独事故で入院しました。
あのとき、彼女と元カノが見舞いに来てくれ、病室で対面して大変なことになったのですが。

離れていた元カノが、どうして事故を知ったのか。
夢で見たから、私の実家に問い合わせたといいます。まだ携帯電話のない時代です。

また彼女も、母親が夢で見たと言っていました。
これでわかるのは、当事者である私が、自分の未来を予知して自分から夢を見せたのではないことです。

 夏のことです。
家を出て歩いていると、早足の高校生くらいの男の子が右から私を追い抜いていきました。
そしてすぐ右に曲がったのです。私も歩きながら、彼が曲がった方向を見てみると、、
いません。

いくら早歩きでも、見えなくなるほどの距離はまだ歩いていないはずです。
また、その方向に建物に入れる入り口はありませんでした。

ふだん何気なく見ている街の風景も、目を凝らしたら意外と不思議なことが起こっているかも知れません。
信じるか信じないかは、、、







2020年09月07日


 知人が神の書籍をたくさん読んだところ、行きつく先は共通して神は龍の姿をしているのだそうです。

龍は想像上の生き物として知られています。
だから神は龍だというのは信ぴょう性がないと思います。
その前に、神を信じるか信じないかの問題があるとも思いますが。

日本では「大国主命(おおくにぬしのみこと)」、大黒様が代表的な神として出雲大社に祀られています。
キリスト教ではイエス様です。イスラム教ではアラーの神で、いずれも擬人化されている気がします。
でもなぜか、龍という想像上の生き物を誰もが知り、実体がわからないのは神秘的だと感じます。

20年ほど前に、お世話になったお寺の住職さんから聞いた話です。
真言宗のお寺です。住職さんは確か2代目で前職から受け継ぐ前に修行に行きました。

修行先は広島県の宮島。その山頂に近い小さなお寺か社だったか。
食事は朝だけ、お椀に一杯のお粥だったと思います。
すべてを閉め切り、呪文を唱えます。

呪文と数字は憶えていませんけど、1フレーズ唱えるのに〇秒かかるんだそうです。
1フレーズの時間がわかっているから、1時間続けると何回唱えたのかわかります。
それを1日〇時間唱えると、1日何回というのを計算して求めることができます。
そして〇〇日修行をすれば、全部で〇万回、唱えたことになるんだそうです。

昼でも真っ暗の中、食事制限もすると神経が研ぎ澄まされてくるのでしょう。
断食(だんじき)という修行もあるくらいですからね。

修行が進んで行くと、やがて閉ざされた中からでも外が見えるようになるといいます。
宮島には鹿がいますね。呪文を唱えながら、外に鹿が来ているのが見えたそうです。

修行は今から40年くらい前のお話です。
わずかな食事で大丈夫だったのか聞くと、歯を見せてくれました。
総入れ歯でした。修行は30代半ばだったようですが、歯がすべて抜けてしまったそうです。

そして修行も終わりに近づいたとき、突然、胸元から赤い龍が現れて額に入っていったそうです。
この話を聞いたとき、神と龍との関係知りませんでした。想像もできませんでした。
でも“龍”っていったい何なの?と考えると神なのかも知れないです。

信じるも信じないもあなた次第。

神がいるかいないか、私には判断がつきません。
しかしこの世には、宇宙には何か、一定の法則があり支配されている気がします。

(YouTube:nakanishi tuyoshi様)





2020年05月26日

妖虫


 古賀新一(1936年8月18日 - 2018年3月1日)。ホラー漫画家。

ホラー漫画といってもいくつかジャンルがあると思います。
心霊系だと、つのだじろうさん。妖怪だと水木しげる。古賀新一は楳図かずおさんに近い、怪奇系なのだと思います。“エコエコアザラク”が代表作です。

 ※今日は少し、グロい話です。自己責任でお読みください。

彼の作品に“妖虫”という作品があります。
大屋敷に住む青年、秀夫は昨年母を亡くし、いじめられるからと仕事にも就かないでいました。
秀夫は昆虫が大好きで家の中にも放し飼いにしています。

ある日、秀夫は傷口から綿が出てくる奇病に侵され動かなくなり、そのままサナギになります。
サナギから出てきたものは、、妖怪。妖怪は犬に襲われ片手をかみ切られます。
かみ切られた片手を拾った少年は老化して死亡。

かかわった研究者はミイラ化して変態。
妖怪に変態した秀夫は人間を丸呑みし、やがてまた人間に変態。
今度は子供に退行していき、人間の生き血を吸い、最後は胎児になり死んでしまいます。

Amazonの書籍紹介ではトラウマ作品というくらい、読んでいてもグロテスクで、かなりおぞましい作品。
私がこの作品と出逢ったのは小学生の頃。まさにトラウマ作品でした。
初版は1975年。単行本で買いました。

「古賀新一 妖虫」でググれば、表紙写真が出てきます。それだけでも相当グロい。
それでも今読んだら昔ほどの恐怖感はないと思います。

ただ、恐ろしいだけの漫画であれば、すぐに捨てていたでしょう。
しかし秀夫は加奈ちゃんという女の子に恋をしていました。
その姿が哀れで、それだけで捨てられなかった私。

捨てられなくとも、また読むかどうかは別問題です。
中学か高校だったある日、私は久しぶりに妖虫の単行本を手に取って読もうとしました。

すると、

途中のページに蛾の死体が挟まっていました。
4〜5pはあろうかという大きな蛾。
ペッタンコになって。

誰が、何のために?

ちょっとした悪意だったとしても、そんな気持ち悪いことできます?
蛾を取ってきて、さらにトラウマ本に挟むなんてこと。
人の出入りもない物置部屋にあった本。

もちろん単行本はそのまま捨てました。

私には誰かがやったこととは思えません。
ではいったい誰が?いや、何が?












2020年05月19日


 “夢”って、なんでしょう。

この夢とは、American Dreamのような、憧れの夢でなく、寝ている間に見る夢です。
普通に考えたら、寝ている間にその人の潜在意識が見せるものなんでしょう。
でも私からすると、どうも違うというか、もっと奥深いと思うんです。

人は寝ている間に夢を見ているといいます。
が、朝、目が覚める頃には忘れています。

でもときどき憶えている夢もあると思います。
以前に予知夢を見たことが何度かあると書きました。

一つは中学生のとき、寄り道をして家に帰るのが遅くなり、毎日楽しみにしていたドラマの再放送を見る時間だと慌てて家に帰り、階段を駆け上って新聞を見ると、ドラマは最終回。途中から見ることになった。

その日の朝、見た夢の通りになりました。

単なる偶然かも知れません。
でも、その日に限って寄り道をし、その日がドラマの最終回だなんて、偶然にしてはすごい確率です。
また再放送のドラマに予告はありません。

もし、それが私の潜在意識で見たのだとすれば、私には予知能力があることになります。
また小学生の頃から何度か、実在する景色を見たこともあります。

よく、デジャヴュとか、既視感という言葉でくくられることもありますが、違う。
実際の景色を見る前に絵に描き出すことができるくらい、鮮明に憶えています。
初めて見る景色を前に、見たことあるような、、なんてものではありません。

 仕事で訪れる得意先に、ちょっとかわいい子がいました。
あることから家が店をしていると聞き、店の名前で領収証を書きました。

どこなんだろう?
昔のように、また夢で見ることができないかと思っていました。
それから数年経った後、見ることができました。

角から二軒目で、二階建ての奥に長い建物。正面は引き違いの扉が四枚ありその右側に看板。
建物の左側には外から上る階段が付いており、アパートなのか、人が出入りできるようになっている。

夢は写真を見るように鮮明に憶えていました。
ある日、仕事で訪れたとき、少し時間を取り、探してみることにしました。

小さな町です。探すのもそれほど大変ではないだろうと思いました。
案の定、間もなくその場所は見つかりました。
夢で見た光景とまったく同じ。

 夢が奥深いと思うのは、潜在意識が見せるのだとしたら、その想定を超えていると思います。
予知夢であって欲しくない夢を覚えています。地球外生命体に地球を占領される夢です。
それは映画、未知との遭遇のように、途方もなく大きな円盤が地球に接近します。

上空に大きな円盤を見ながら、その円盤の重力なんでしょうか?
地球の自転が止められるような、大きな減速Gを感じました。
日常、自転が止められるようなGを考えたことありません。

また、夢の中で予期せぬ人と話すこともあります。
夢で初めて逢った人。きちんと会話になっています。
自分の潜在意識の中だけで会話ができるのでしょうか。

そもそも動物はなぜ寝るのかわからないと聞いたことがあります。
そして私はこの考え方に賛成です。

動物は毎日寝るから、当たり前だと思っていませんか?

そもそもどうして眠る必要があるのでしょう。
世界には何年も眠れなかった人だって生きています。

思うのは、動物は眠ることで意識を共有しているのかも知れない。
共有している“意識”というのは超越的で、人知を超えているのかも知れない。

そう考えると、今日書いたことだって納得できるのです。












2019年09月19日

腰痛


 私は腰痛持ちです。

 前は数年に一度、腰が痛くなっていました。
が、近年その頻度が高くなっており、特に今年は6月、1週間痛みが取れなくなりました。
コールセンター業務って、動きません。座ったまま話します。

一見、楽そうな仕事ですが、じっとしている仕事です。
話に集中しているときは痛みを忘れて没頭します。
しかし、話に集中しているのは一日のうち、わずかな時間です。

留守電や多忙、固定電話なら不在など話をできないケースが多い中、じっくり話ができる機会はあまりないといって良いでしょう。
そんなとき、ずっと痛みを我慢するのは、なかなかしんどいものです。

1週間、痛みがとれなかったときは、たまらず会社を早退し、信頼している整形外科へ行きました。
整形外科でレントゲンを撮り、触診、その結果“坐骨神経痛”と診断され、腰に注射を打ち痛み止めの薬とシップを処方されました。

それから2ヶ月間、痛みは和らいでいましたが、ひと月くらい前からまた少しずつ痛み出し、また整形外科に行かなければならないかと覚悟していました。
また、2ヶ月間は和らいでいた痛みでもシップは毎朝欠かさず換えていました。
もし、一日でも貼り忘れたら腰痛で会社を早退しなければならないだろうと考えていました。

 さて、
2019/09/13「フランシスコ・タレガ」に、コンサートのことを書いています。

コンサートの主宰者について触れていませんでしたが、主宰者は知る人ぞ知る占い師です。
姓名判断をしたり、頼まれて除霊をしたりすることもあるそうです。

 姓名判断では後に有名になったバンドに、グループ名から「The」を取りなさいと提言し、その通りにした結果、大ヒット。トップアーティストになりました。
我々世代なら誰でも知っているグループだし、誰でも知っている歌です。
この改名の逸話は、Wikipediaでそのグループ名を引くと、占い師の名前も書いています。

コンサートのあと、聞きに来ていた人のうち一部がすすきのに会場を移し、ある会の結成式であり顔合わせを行いました。
その中、主宰者は挨拶で言いました。

〜 年齢からコンサートは体力的にきつい。これで最後にしたい。〜

コンサートは2部編成になっており、第1部は占い師が日本舞踊を踊り、浪曲、懐メロ、歌謡曲、童謡を歌い、第2部では女性歌手が万葉集にメロディを付け歌いました。
第1部が1時間、第2部が30分でした。

会場は360席ほどの小さなホールでしたが、占い師はマイクなしの肉声で歌います。
日本舞踊は中腰になることが多いため、見ていても体力を消耗するのは容易に想像できました。

そして続けます。

〜 コンサートを最後にするお詫びに、今日会場へ足を運んでくれた方々が幸せになるよう、気を送った。〜

 翌日、占い師と3人でカフェで打ち合わせをし、その後私はコールセンターで仕事をしました。

あることに気付きました。

「今日、シップを貼って来なかった。」

痛くないんです。腰が。
痛くないからつい、貼ってくるのを忘れていました。

6月に悪くなってから3か月、一日も欠かすことのできなかったシップ、今日で1週間。
偶然といえばそれまでかも知れませんが、痛くないんです。












2019年07月02日

出逢いって偶然


 昨夜はある二人を結び付ける仲立ちをしてきました。

一人は道議会議員。もう一人はネットでは“占い師”と紹介されている人です。
占い師というと、何かといろいろなお考えがあると思います。
が、その人は道政、国政にも通じていて道議会議員を応援したいという方です。

まず、道議会議員。
この方とは3年前に知り合いました。
以前には衆議会議員をしていたことがあります。

議員を紹介してくれたのはコールセンターで一緒になった友人です。
一緒になったといっても、同僚ではありません。

 タバコは喫煙室で吸います。
同じビル内で働く人たちとの共有スペースです。

コールセンター勤務していると喫煙室でいろいろな人を見ます。
でも話をするのは同じブースで働いている人で、ブースが違う人と話すことはまずありません。

なのに、その友人は話をしてみたいと思い、確か私から声を掛けたのだと思います。
5〜6年前のことです。

話してみると情熱的な方で、政治家、あるいは実業家を目指していると言います。
そして私に名刺をくれました。

その名刺は当時、政治家候補だった議員の写真入りで、友人が後援会役員をしている名刺でした。
候補の名前と写真があり、その横に役職と、友人の名前が書いてありました。

政治家といっても選挙区があるので、例えば候補を紹介してもらっても選挙区が違えば何か役に立ってあげることはできません。
そのときは「頑張って下さいね。」という体で終わりました。

 しかし偶然というのは恐ろしいもので数年後、まったく関係のない選挙区だったはずの候補は、政治上のご都合で、なんと私が30年過ごした地域から立候補し、道議会議員になっていました。

 なら話は別。

議員の出身地と私が住んでいた地域は、広い広い北海道でほぼ、端と端。
議員にしてみれば遠く離れた地域で心細い思いもあったことでしょう。

その地域により馴染んでもらうため、私は昔過ごした地域の知人たちを紹介しました。
私も加わって飲み会を開いたのです。
知人といっても若い頃、深夜まで語り明かした気の置けない仲間たちです。

 以来、議員にとって地盤となる地域で、私の暮らした町は紹介した知人たちがいる、議員にとっては“憩いの場”になったと言ってくれます。

ここまでがひとつの偶然です。


 そして占い師。
占い師というのは私の先輩の兄です。
先輩というのは、私が紹介した知人のひとりです。

昨年1月、その先輩が病気で入院しました。
入院したのは私の住む札幌市の病院。

私、その先輩には大変、お世話になったので休日には必ず見舞いに行きました。
占い師も兄ですから見舞いに訪れます。
そのとき、占い師と私は数十年ぶりに再会しました。

ただ、占い師は私のことを憶えておらず、名刺を差し出しました。
私も名刺を返したいのですが、コールセンターで私のような下っ端は名刺がありません。
仕方ないので持ち合わせていた議員の、札幌後援会で役員をしている私の名刺を差し上げたのです。

 今年の5月、朝に電話がありました。
占い師からです。ビックリしました。
占い師は議員を紹介して欲しいと言います。

占い師としてではなく、個人的に議員を応援して、同時に北海道を盛り上げたいと。
そして議員のスケジュールも聞きながら昨夜にしました。
場所はススキノです。

宴は4人でした。
議員と占い師、私とコールセンターで知り合った友人です。

占い師といっても他に様々な活動をしており世界中、飛び回っているそうです。
歴史書も書いて出版しています。
話をしながら、このかたの頭脳には一体どれだけの情報が詰まっているのかと驚くばかりでした。

 占い師。
美輪明宏さんのような能力をお持ちだと言います。

私が店に着いたとき、すでに占い師と友人がいました。
そして初対面であるにもかかわらず、霊的な話で盛り上がっていました。

友人も昔、女性の霊感師から霊的な能力を鍛えられたと言います。
確かに以前、私の守護霊を見てもらったとき、私がとうに忘れていた懐かしい家系の話をしてくれました。

 “TUBE”というバンドがあります。
“TUBE”は初め、“The TUBE”だったのをご存知でしょうか。
まだ売れない“The TUBE”に“The”を取れば、良い方向へ向かうと助言したのがその占い師です。

この話は昔から町の噂として聞いていました。
昨日、この出来事が本当なのか聞いてみました。

すると本当のようで、TUBEのメンバーはとても素直な4人。ある日占い師の楽屋に訪れ、改名を勧められた。改名した途端、シーズン・イン・ザ・サンがCMに使われ大ヒットしたのだと言います。
ただ、いままで知りませんでしたが、このことWikipediaに書いてありますね。

 宴は大成功で、4人は互いに協力し合いましょうとお開きになりました。
ただし9月12日、占い師が発足させる“令和元年の会”に3人は強引に入会させられました・・・
当然のように。それが当たり前であるかのように。


 もし私に仕事の名刺があって、その名刺を渡していたらこんな話にはならなかったでしょう。
名刺をきっかけに、本来あるはずのない“出遭い”が起こったのです。









2018年11月04日

ノーサイド


 人が死ぬというのは大変なことです。

帰宅してもすることが減らず、それでも今日、どうにか落ち着いたと思いゆっくり寝ていたら、起きるともう昼過ぎの3時でした。旅の疲れがまだ取れていなかったのですね。

 “ノーサイド”という言葉があります。
ラグビーで「試合の終わり」を差しますね。
戦いが終ったら敵味方関係なく、同じ仲間になることを意味しています。

故人が亡くなったことで、例えば故人、兄弟間のケンカは終了します。
また、故人のことで私は故人の住む市と闘っていました。市長あてに手紙で抗議し故人が本来、もらうべきだった給付金を請求していました。
これもノーサイドです。

 今回私は故人の周囲の方々から、故人の功績と言っては大げさですが、お褒めの言葉をいただき安心しました。例えば、週に3回通うデイサービスセンターのムードメイカーになっていたとか、別の人からは良い話相手であったとか。

兄弟ゲンカしていた故人の兄弟からも香典をいただき、お礼の電話をすると、故人を偲ぶ話題になります。
もう、亡くなったんだからノーサイドなんです。

 でも、人が亡くなったとき、
「引っ張られる」
という話を聞くことがあります。

今日は久しぶりに“不思議な体験”カテゴリです。

 今は少子高齢化社会で、子供の数も減少し、小・中学校一学年の生徒は100人未満と聞きます。60人とか。
私の時代は小・中学校それぞれ一学年200人弱だったと思います。

それだけ人数がいると、早ければ中学生、高校生のときに事故で亡くなったという話もあります。
その後、30代でガンで亡くなるとか、40代でもガンやクモ膜下出血など。

30代で友人が亡くなったときです。
葬儀のあと、少しして「〇〇も亡くなった」と聞きました。
「○○は(亡くなった友人と)仲良かったからなぁ、引っ張られたんじゃないか?」
そんなことがありました。急死だったそうです。

 しかし世の中には「恨みつらみ」があるものです。
「亡くなったらノーサイド」というのをできないこともあるようです。

私が祖母を亡くしたのは16歳のときでした。
祖母は8人の子供を儲けました。私から見れば叔父、叔母たちです。
それが叔父だった場合、嫁をもらいます。すると嫁、姑の関係ができあがるのです。

父方の祖母だったので、私の母も嫁の立場です。
葬儀では親戚一同が集まり、故人を偲ぶ話題になります。

しかし嫁の立場となれば、そう綺麗ごとばかり並べることができるとは限らないのでしょう。
葬儀のあと、恐らく嫁の立場の人、私からすると叔母たちが故人を偲ぶ話をしているときのこと。

ある叔母が、祖母の悪口を言ったといいます。
その後まもなくしてその叔母は体調を崩します。
そしてあっという間に亡くなってしまいました。

これは母から聞いた話です。
母は叔母の話を聞いて、「そこまで悪く言う必要はないと思った」と言います。
何をどう言ったのかは知りません。

もし聞いても母が話すことはなかったでしょう。
また、聞いてしまったら母まで急死してしまうような気がして聞けませんでした。

さらに恐ろしいのはつい数年前まで私は、その亡くなった叔母の名前さえ思い出せなかったのです。
もしこれが祖母の恨みだったなら、孫である私の記憶からも叔母の存在を消したかったのかも知れません。



2018年02月15日

うちみや運輸

 昨日はバレンタインデーでした。
小学校のとき、もらったチョコレートというのは絶対に忘れないだろうと思っていたのに、だんだん定かではなくなっていくものですね。
間違いなく覚えているのは、冗談を言い合う程度のお友達でした。が、いま思うと芸能人張りの美人になり得る娘でした。もったいないことをしました。(笑)また、思い出せない娘もいます。
あと、違ったかなぁ、確かいただいたと思っています。

もう今だから言っても良いですよね。

「うちみや運輸」という会社の令嬢でした。
学校の窓から見えるマンションはきっと会社の持ち物で、1階の駐車場には社長(お父さんですね)のジャガーが止まっていました。

たぶん、レインボーブリッジの工事なども受注したのでしょう。
今では社名も変わり、たいへん大きな会社になっています。
その令嬢も、もう孫がいてもおかしくない年齢ですね。

東京で小学校を卒業した私は、とても田舎の町へ引っ越していきました。
忘れ去ることはありませんが、小学校のことをいつも思い出している人もいないと思います。

 やがて大人になり、ある晩のこと。
なぜか胸騒ぎというか、ただならぬものを感じた私。
ひとり自分の部屋で、つい窓のカーテンをめくりました。

すると、とても大きなクレーン車が私の眼下を曲がっていくところでした。
私の部屋は2階にあり、国道と町道の交わる交差点の角に接していていました。

クレーン車は国道を南方向から走ってきて、町道へ右折していったのです。
私から見ると、右手に見える国道を奥から手前に近づいてきて、眼下で右折、左方向へ走っていきました。
眼下を過ぎるとき、クレーンのブームが見えます。

そこには実に懐かしい、会社のロゴが見えたのです。
桃色した桜の花に、黒くひらがなで「うちみや」と書いてあるロゴが。

いったい何時だったか、憶えていません。
でも深夜だったし、田舎なので走っていたのはそのクレーン車だけでした。

 とても不思議な光景でした。

どうして、うちみや運輸のクレーン車が住んでいたド田舎まで来たのか。
直線距離にしたら1000kmくらいあります。
また、
どうして引き寄せられるように、ドンピシャのタイミングでカーテンを開けたのか。
私は幻を見てしまったのかとさえ思ってしまいます。

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こんなエピソードです。
でも今になると令嬢に会って伝えたいと思う気持ちが強くなってきました。

お迎えが近いからなのでしょうか?(笑)

古い友たち。いま何やっているのかなぁという気持ちがだんだんと強くなります。
フェイスブックとかでつながっていれば、だいたいわかります。
しかし、そんなつながりなどなければ、純粋に会いたい気持ちが強くなってきます。




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