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2024年06月08日
麻酔
6月5日の記事に「脂肪腫」を書いています。
5日の水曜日は休診でしたが、昨日、行ってきました。きれいなクリニックで、何しろ回転が速いんです。患者さんたちが次々と呼ばれ、診察を受け、会計しては帰っていきます。
医師に
「回転が速いですね。」(これは誉め言葉になるのか、ナゾ)
そういったら、医師は
「スタッフさんたちが頑張ってくれているんです。」
と謙遜されていました。若い先生です。
で、医師は私のを見ると「こんなの簡単」と言いたげにさっそく手術になりました。
患部に麻酔を注射されます。これは痛かったですね。医師曰く、麻酔薬が注入されている間、痛いんだといいます。
注射をされて、初めは感覚があったものの、10分もすると手術が始まっていました。私が
「もう切開されてるんですか?」
と聞くと
「もう、しっかり開いていますよ。」
といいます。
術後に見せてくれたのは、脂肪腫、、、で良いんでしょうか?
直径1.2cmほどの球体でした。術前に触った感じだと皿状のものだと思っていましたが。
医師はそれを脂肪腫ではなく、私が聞いたことのないカタカナの用語で呼んでいました。
「シボウシュ」
いやいやいやいや、これはウソです。
そして今こんな感じです。
来週、抜糸します。
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2024年06月05日
孫じい
皮膚科が休診で、ほいで時間ができたから孫を見に行ってきました。
6日前に見たばっかりなんです。だから成長を見るというより、見たい、会いたいって感じでした。
ネコのように抱っこします。体重は約4kgだそうで、ネコより軽いかも知れない。
孫の顔を見ると、孫はこっちを見て、それを見て娘は
「笑ってる」
といいますが笑顔なのか、私にはわかりません。
ただ見ているうちに思い出した歌がありました。“生まれくる子供たちのために”「今日のうた」に追加しておきます。
脂肪腫
「ちょっとこれ見てくれ〜!」
これは私が中学生時代、実はクラスでいちばんモテていたんじゃないか。という女の子が言い放った言葉です。女の子が口にするのは少々はしたないですが、その子なら
「ありだね。」
多くの男子がそう感じたはず。しかもわざとかどうか、訛っていました。
で、こんな写真を見せて大変に申し訳ございません。いやな方は見ない方が良いでしょう。
これは私です。
こめかみのあたりがポッコンてなってるのわかりますか。
約1か月前、初めは小さな粒のようなものでした。それがひと月かけてだんだん大きくなってきました。ネットで調べると、どこまで大きくなるかわからないとあります。
皮膚科で取ってもらおうと、今日行ってみたのですが本日、水曜日は休診でした。また後日。
2024年06月04日
寝返り
最近ネコのYoutube動画を見ることが多いです。
日本語の乱れは身近なところから、Youtube動画のように影響力のあるメディアにも広がっているようです。
ネコが寝返りができない。
というんです。
寝返りというのはできるできない、するしないではなく、打つ打たないではなかったですか。
ネコが寝返りを打てない。
Youtube動画は素人さんでも簡単にアップロードできて、それなりに影響力もあると思います。なら、もう少ししっかりした日本語をつかって欲しいと思います。
2024年06月01日
のろけ
先日書いた、理容美容専門学校へ行った彼女のことなんですけど、春休みで帰省した際にデートする前に、私の住んでいたA市でもデートしたことがありました。
もう40年以上昔のことなので、消えかかっている思い出なんです。
田舎町からやってきた彼女を迎えて市内を歩き、信用金庫へ行きたいというからつきあいました。すでにA市に来ることは決まっていたので、その準備もあったのでしょう。
もう消えかかっている思い出だから、信用金庫以外にどこへ行ったか、憶えていないんです。たぶん、いつも決まりの喫茶店にでも行っていたんだと思います。
思い出すと、とっても甘いんです。
甘い甘い思い出です。
2024年05月31日
正体不明
いったい何だったのか。
私事ですが、2月5日「敵は思わぬところから」で、右脳に動脈瘤があるといわれたことを書いています。
詳細は、1月12日夜、10時ごろ、何気なく左手を動かそうとしたら動かないんです。ぐーのまま開かない。
これはマズイ!
それを同じリビングにいたパートナーに伝えるのですが、ろれつが回りません。
これはヤバい!
病院へ行こうとなり、タクシーを呼ぼうと電話をしましたが、5社、すべて断られました。
さすがに自分で運転していくのはマズいでしょ。と、救急車を呼んだんです。
救急車には自分で乗れました。もう回復していたようです。
救急病院でMRIの診断を受け、とりあえず大丈夫とのことでした。ただ、定期的にMRIを受診した方が良いと言われたのです。
そこで、今日、行ってきました。4時間もかかりました。
どうでしょう?MRIの検査自体は15〜20分くらいなのに、全体で4時間もかかりました。待合室を見ると、他の患者さんはだいたいお友達がいてお話ができているようです。
でもこっちは一人。
MRIのあと、診察は2〜3分なのに合計4時間?
自分の命にかかわるためからか、不満をいう患者もほぼ、いないでしょう。
販売業、運送業、、
分類していくと医療分野はサービス業に近いと思います。私は。
ならもう少し、回転良く時間も短縮できないかと思うのですが、きっと無理なのでしょうね。私が死ぬまでの間には。
結果は
「動脈瘤はありません。」
とのこと。
へ?
じゃ何だったの、あれ。
ただ医師は、脳動脈の分かれるところをある角度で見れば動脈瘤に見える可能性があると私に画像を見せて説明してくれました。
反面、2月の
「動脈瘤がありますよ。」
という診断は電話のみ。MRI画像を見せてくれたわけではありません。
でも、2月に動脈瘤があると電話で聞いたあとは、自分の世界が別世界に感じました。落ち込みました。
「いつ衝撃的な頭痛が襲ってくるのか?」
自分の人生がもう終わった気がしました。
いまでは、もうこうなったらよくわかりません。
好きなように生きます。
それで良いんです。
2024年05月30日
近況
長い間、更新せずに申し訳ございません。
最近、特に今年に入ってから悪いことが続き、荒んだ生活を送ってきました。
それが今日、ちょっとした動きがありましたので、また後日、ご報告させていただきたいと思います。
2024年05月25日
現状
いつもご訪問くださいましてありがとうございます。
いま、身辺にいろいろなトラブルが続いており、その対処で更新できません。
詳細はあとで書くことになります。
少々お待ちください。
2024年05月11日
固定電話
まだ昭和の時代。まだ携帯電話などなくて、通信手段は固定電話か手紙の時代。
中学生の頃、部活中にふと見ると、よくこちらを見ている女の子がいました。後輩で年齢は、いっこ下。かわいい顔をしていて、私も好意を寄せていました。
というより、チラチラ見る作戦にだんだん私が嵌められていったのかも知れません。
私は中学を卒業し、先に高校へ進学します。高校は親元を離れ、実家から鉄道で4時間くらいかかる地方都市へ行きました。鉄道といってもまだ国鉄の時代です。
きっかけをどう作ったのかは憶えていません。でもその女の子と文通を始めたんです。
私は先に地方都市に来ていましたけど、女の子は中学3年生です。将来をどう考えているのか聞くと、美容師になりたいと返ってきました。
美容師?
では理容美容専門学校で、同じ地方都市に??
するとまったくそのように考えていると返事が来たんです。
とうとう春が来た!って思いましたね。
季節は春になり、春休みで帰省した私は女の子とデートしました。白のサブリナパンツと白い靴で、おしゃれしてきたんだと思いました。
とうとう4月になり、いつ引っ越してくるのか、いつ会えるのか?
待ち遠しくて仕方のなかった私は、女の子から来た手紙をむさぼるように読み始めたんです。
そしたら、え??
お付き合いはできないと書いてありました。美容学校での学習を頑張ると。
私は、天井から奈落です。
3億円の宝くじが当たって、受け取りに行ったら
「うそぴょーん!」
と言われた方が、まだよかったかも知れません。
自分の居場所がないっていうんでしょうか。
誰とも話したくないし、会いたくないし、一緒にいたくない。
ひとり徹夜で街を歩き続けたこともありました。
事実はこうです。
女の子とデートをしたあと、私、電話で話したんです。当時はまだ固定電話。
電話をしたら、女の子の父親が出ました。私は
「○○さんはいらっしゃいますか?」
と聞いて、ここまでは良かったんです。
固定電話でよくあったのが、電話の並列つなぎでした。もともと1本しか来ていない電話線に2台の固定電話を、例えば1階と2階とで並列に接続します。すると、どちらの電話機もつながった状態になります。
女の子の父親は2階にいる女の子に代わって、それでもずっと我々の会話を聞いていたんです。
そして女の子の父は、理容美容専門学校には彼氏を作りに行くんじゃない。勉強しに行くんだと諭し、女の子は納得してしまいました。
当たり前に盗聴がされていた時代でしたね。
ねこ
最近、Youtubeでネコ動画を見ることが多いです。
今から40年ほど前、私は高校へ進学と同時に親元を離れました。
そしたら、ちょうど里親を探していたネコがいたのだそうで、実家ではそのネコを飼うのと同時に、ネコには実家を離れた私の愛称が付けられました。
夏休み、冬休みと実家へ帰ればそのネコはいたのですが、ネコってマイペースですよね。
これがエサを与える飼い主なら懐くのでしょうけど、たまに実家に帰ってくる私のことはきっと、猫にとってみたら、あくまでよそ者だったのでしょう。
基本、仲は悪かったです。実家にいる間には私の手が傷だらけになりました。
そんなネコだったんですけど一度、出産したんです。確か4匹だったでしょう。
3匹は無事に里親が見つかり、引き取られていきました。けど、もう1匹だけ、里親が見つかりませんでした。
実家に長く置いても、懐いてしまうでしょうから早く何とかしなければなりません。
そしてある晩、捨てに行ったのです。
不思議ですね。
普段車に乗せるときは何でもないのに、捨てられに行くときはわかるんですね。
車に乗せたとたん、鳴いて鳴いて仕方がないんです。
私と、私の母と彼女、3人で捨てに行きました。
中央という集落でした。
あるお店の前に車を止めて、そこでネコを段ボール箱から出して地面に置きます。そしたら、相変わらずミャーミャーと鳴いて、車の下に隠れてしまうんです。
これでは車を出すときに轢いてしまうのではないかと、なかなか車を出すことができません。
でも帰らなければならないので、ゆっくり出発します。
あれからもう40年。あのネコはもう生きてはいないでしょう。間違いなく。ネコだから2〜3世代変わっているかな。
きっとあのネコは死なせてしまったと思います。
今のようにスマホがあれば、里親募集だって、より広くの方たちに呼びかけることができたでしょうに。