2024年05月03日
重み
最近、テレビから「わだち」ということばが聞こえなくなりました。
「てつ」って言っています。どちらも漢字で書くと「轍」だから、同じ意味のことばです。しかしもともと「わだち」には地面に車輪が付けていく跡という意味があるのだから、ちゃんとその読みで言ってあげなさいって思うんですけど。
「二度と同じわだちを踏まないように。」
「二度と同じてつを踏まないように。」
意味は通じるんですけど、「てつ」って言ってしまっては重みがないですよね。
他にも最近のことばといえば
・レベチ
・ガチで
・エグい
これら、どれも嫌いなんですけど、私、保守なんでしょうね。
2024年04月30日
曲
歌(曲)ってすごい。
音階とリズムの組み合わせでしかないのに、過去何百年、あるいは何千年も新しい歌(曲)が、次々とできているんですね。
2024年04月28日
じい
最近、見るYoutube動画はネコものが多いんです。捨て猫を保護して家で飼うようになったとか、保護したネコが成長していく様を記録した動画です。
見ていると、ご主人は、じいさんばあさんのことが多いようですね。
飼い主が動画に映ることは少ないのでしょうが、声は聞こえてきます。聞こえてくる声が、きっとじいさんばあさんなんです。で、普段はあまり自分がどう見えるかなんて、気にすることは少ないのですが、改めて見てみました。先日撮ってもらった写真を。
こりゃじいさんです。
とうさんじゃないです。
白髪も多くなっているし、顔も疲れてきています。
でも年齢が年齢なんだからしょうがないのでしょう。
親のときは思いませんでした。現物が相手ですから。
でも孫の写真って、ずっと見ていられるんですね。
さて、コールセンターおじさんのブログは、コールセンター孫じいさんのブログになるのか?
まさか。
2024年04月25日
だっこ
孫んとこさあ行ってきました。
娘が23日に退院したので、家まで行ってきたんです。
婿さんの両親も来ているので、両家揃ったわけですね。
家に入って、まだ立っている状態でまず赤ちゃんのパスが回ってきました。
そして
「まあまあ座って。」
ってなると、4人のじいさん、ばあさんがぐるっと輪になりました。4人が輪になって座ります。
婿さんの父親が東家とすれば、母親が南家、私の妻が西家で私が北家です。まるでマージャンですね。
もちろんマージャンをしたわけではございません。
するとまた赤ちゃんのパスが回ってきます。北家の私は最後です。そして少し場所が奥まっていました。
「北家の私まで来るのかな?」
私は新生児を長時間抱っこしたことがないため慣れていないのと、少しの遠慮がありました。
なのにパスは回ってきました。
皆が歓談している間、ときおり話に加わりながら、私は1時間以上、抱っこしていました。
赤は寝てました。たまに目を開くのですが基本、寝ていました。この赤がどこまで大きくなるのでしょう。いつになったらお話しができるんでしょう。
そして私は赤がいくつになるまで生きていられるのかなぁ、って考えていました。
こうして孫じいさんの出来上がりです。
2024年04月21日
大食い
今日は「モッパン」で検索してフードファイターのYoutube動画を見ました。
2024年04月20日
かみ合わない
4月も下旬に向かい、だんだんと暖かくなっています。
家の暖房は灯油です。ベランダに90リットルのタンクと、脱衣所に18リットルのポリタンクが二つあります。灯油は配達をしてもらうのですが、配達にはいくつか条件があるんです。支払いは現金のみとか。
幸か不幸か、私の家は1階なのでそのままタンクに給油してもらえます。しかし3〜5階に住んでいると、給油するホースが届きません(3階は建物によって届くかもしれません)。
だから1階にポリタンクを置いておき給油してもらい、給油してもらったポリタンクを持って階段を四往復も五往復もしなければならないと聞いたことがあります。
かといって、ポリタンク一つや二つでは1回の配達で売り上げも小さくなるから、だいたいの店には断られます。だからある程度まとまった量の配達をお願いする必要があるんです。
ということは空になってしまうギリギリまで給油ができないこともあります。
また、これから暖かくなるので灯油の配達は秋まで必要なくなります。例年のペースだと3月に満タンにすれば10月、もしくは11月まで給油しなくて良いんです。
今日はこのあと給油してもらいます。もう4月です。ひと月遅れ。これで秋まで持つのは間違いないでしょうし、3月に給油してもらうのに比べれば、次の秋の給油まで、時間を稼ぐことができます。
その上で、妻に言いました。
「いま給油したら、秋の給油までも相当、長持ちするね。」
って。
そしたら妻。
「来週から気温、上がるよ。」
こっちは秋の話。妻は来週の天気。
2024年04月19日
タイムラグ
私、じいさんになりました。
朝8時過ぎ、娘に陣痛が起こり入院したと妻からLINEが来ました。その後10時30分過ぎに産まれたとLINE。
ずいぶん早いと思いました。陣痛から出産までが。そうとは言え何時に入院したのかは書いていなかったので、起こり得ない話ではありません。
仕事だった妻は早退し、一緒に病院へ行くことになりました。
病院は札幌市にはありません。あらかじめ道順を調べて、コンビニの角を曲がれば良いと見当をつけていたんです。が、そのコンビニが何軒もあることまでは調べていませんでした。そしてつい、間違えて手前の店で曲がってしまい、迷子に。
慣れていない道。面会の予約時間が迫ってきます。
こーゆーとき、カーナビですね。
そーいやー車を買ったとき、「カーナビはいらない」って言ってしまったんです。でもすったもんだあり、カーナビがサービスになったんです。前にもありました。カーナビのお陰で間に合ったことが。やっぱカーナビは必要です。予約時間を5分すぎて受付しました。
さてさて、孫には会えました。
妻は「お父さん似だね。」とか「顔は変わるから。」なんて言ってましたが、私なりに思うのは男の子は母親に似て、女の子は父親に似る。
さらにいえば、産まれてすぐの女の子は母親に似ていると言われ、しばらくすると父親に似ているとなる。
でもそんなんどーでもいい。どっちに似ていたからどうなんだ?
そんな、どっちに似ているとかじゃなくて、とてもまともな顔で生まれてきてくれたと思いました。
面会が終わったとき、赤子のベッドにあるカードを見ると、8:47(出産)とありました。
陣痛が7時間と聞いたから、午前2時頃からだったんですね。
娘が産まれたとき、病院へかけつけると妻はベッドで横になっていました。時は流れて今日、出産を終えた娘は歩いていました。
2024年04月17日
連帯責任
昔いませんでしたか?
「あぶないよ!」
っていうやつ。
そいつが歩いて通るとき、たとえば私の立ち位置が邪魔だった場合、本当なら
「どけて。」
というべきなのでしょうけど、なぜか
「あぶないよ!」
っていうんですよ。
誰が危ないの?
どう危ないの?
よけなきゃ暴力でも振るおうっての?
「じゃま!」
というよりかはまだ、失礼ではないと思うのですが、
「あぶないよ!」
っていうのは、ちょっと違うと思っていました。
別な話ですけど、小学校のとき、、、6年生のときです。女性の先生で、その先生が暴走してしまったんです。あの頃はまだ、担任の先生が自分のカラーを出しやすい時代だったろうと思います。
確か、授業が始まるのにクラスの子供たちが静まらなかったと思うんです。算数の授業でした。
そしたら先生が必要以上に怒ってしまって
「分布図おしえてあげないからね!」
小学生の私からすれば、当時の先生というのは反抗してはいけない存在でした。
それでもどこかおかしい、言っていることが違うと思いました。事実、先生の授業放棄です。
もっともあの先生の熱量では反抗することなど考えられませんでしたが。
また、4年、5年と通った別な小学校では軍隊教育の男の先生でした。誰かが宿題を忘れると、前に並ばされてビンタです。自分が忘れていなくても、班の誰かが忘れたら「連帯責任だ」と班の全員が。
それも先生の気分次第で、宿題を忘れた本人だけビンタされることもあれば、班長が悪いと班長が2度ビンタされていました。もちろん、班長が宿題を忘れていなくても。
さらに女子に対してビンタは優しく優しく「ペチ」っと。
いま考えるとめちゃくちゃですね。学校って、教室の中では何が行われているかわからないですね。
ところであの軍隊教育先生、まだ生きているのかなぁ?
2024年04月16日
漢字の読み
私は保守なんでしょうね、きっと。
時代が変わっていくことに寂しさを感じます。
と、
またことばの話なんですけど、普段、友人や知人と話しているときには、なーんも気にならないんですけど、テレビのニュースで
「え?えーー??」
ってことがあります。
「大地震」
これ、
「おおじしん」
ですね。
なのにあるニュースで
「だいじしん」
といっていました。
同様に、
「市場」
これ、特に食材を売っている場所は
「いちば」
なのでしょうに
「しじょう」
だって。
おそらく、テキストを読み上げるアプリがまだ未完成で間違えるから、人にまで混同を招いているんじゃないかと思います。だけど、現在の社会環境では自浄作用は働かないでしょう。近い将来、どっちが正解かわからなくなるでしょう。
また、ニュースは正しい日本語を求められているはずです。訛っちゃいけないでしょうし、読み間違えると視聴者から抗議の電話が入るでしょう。
あ、
よくある話。コールセンターに電話をすると、コールセンター側から電話を切ってはいけないって。あれ、放送法でそのように決められていると聞いたことがあります。
さて、話を戻して他にもあります。
「同じ轍を踏む」
これは
「おなじわだちをふむ」
ですけど、
「おなじてつをふむ」
になってきてますね。
「わだち」
と聞けば、昔の馬車など重たい車輪が付けた溝で、いちど嵌まると抜け出しづらいというのがイメージできます。が、
「てつ」
だと、「鉄」なもんだか「哲」なんだか「迭」なんだか、なかなかわかりません。
細かいことのようですけど、この積み重ねが正しい日本語を失わせていくんです。もう、誰かの力で何とかなるものではないでしょう。
現に、二重敬語の
「おっしゃられる」
は標準語化してきました。
2024年04月12日
記憶
まったく忘れていました。
先日PCで、ある古い邦画を見たんです。そしたら昔、その邦画のことで高校時代の友人と話したことを思い出しました。
あのとき私、そいつのところへ遊びに行っていたんですね。遠かったです。まだ車の免許を取る前だから、原付バイクで行ったんです。片道130kmも走って。
たぶん、普段は考えもしない昔の記憶って、時代ごとに集まって脳内にあるんじゃないでしょうか。もう、40年以上前の話です。それが映画の記憶に触れたものだから、連鎖で蘇ってきたんだと思います。
その友人が学校をやめて他の高校へ編入したからそのアパートへ引っ越した。そして私が遊びに行った。これすら、普段は思い出しもしなかったことです。当時は固定電話で連絡を取っていたんですね。
そして友人が住んでいた町も、それが、ある地方都市にあることさえ、すっかり忘れていました。
というのをさっき、トイレに座っていて思い出しました。