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2017年10月05日
自分らしさとは…
自分のことを自分らしいと思う基準ってどこですか?
こんにちは。いつもご覧頂き有難うございます。
自分らしさとは…
自分の性格や考え方、自分が好きなことと嫌いなこと
今、「こうしなければならない」という思考や、実際に行っている行動は
本当に、心から自分が思っている事と一致しているのしょうか?
他人や周りから見た貴方と、貴方が分析した貴方は
まったく別の人格ということがあるそうです。
実際、本当の自分が何物なのか、分からなくなることもあります。
他者と一緒に生きてきて、その時その時の、環境や出来事でも
人格は姿を変えていきます。
本当の自分、本当の人格
果たして今自分だと思っている人間は本物なのでしょうか?
もしかしたら、自分の性格だと思い込んでいるだけで
本当はもっと別の者なのかもしれない。
そう考えると、自分という存在と、他者という存在は
全く別に見えて、しかし本当は全く同じ者なのかもしれません。
その時、その時代に側にいた人物こそが、最も自分という人間に
近いのかもしれない。
その考えが、少しでも当てはまるのだとすれば
今、自分の周りにいる人や、その人が考えてる思考
そして、嫌だと目をふさぎたくなることさえも
自分自身と同じ方向を向いているから、そこに有るのではないか?
環境は自己分析のパラメーターかもしれません…
だとしたら、もしも耐えがたい事があるなら
それが自分の成りゆく方向を写し出していることになる。
いま居る環境で耐えがたいことが有るなら
それはこれからの自分を形成するのに悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。
もしそう感じたなら
すぐさま、その場から離れた方が良い。
理想の自分というものになるためには
自分の理想を形にしている人物の側で、その行いを学んだほうが
一番早くその形を得ることが出来るのでは無いだろうか?
思考も、行動も全てインプットし、そこから引き出しながら
自分を作り上げていく。
もしも、「これは、なんだか違う気がする」と思うことがあるなら
それが自分の本心なのかもしれない
初めから誰かに、「貴方はこういう人間だ」と、自分を決めつけられたり
それに対し、「そうなのかもしれない」もしくは「そんな人間ではない」と思ったり
かと言って、本当の自分とはどんな人間なのか?
悩んできたかもしれないが
環境から学んでいるうちに、自然と、その環境に対し
何らかの感情がうまれる。
それが最も自分という形に当てはまるのではないだろうか?
よく判断しながら、より理想に近いものを「素直に」選んで
自分らしさを作り上げよう。
2017年10月04日
『暗号』…
暗号
my art.
暗号
世の中は、わざとに難しくなるように仕向けられている
それは、セキュリティーのようなもので
自分や自分の大切なものを守るために
自分と自分レベルの信頼できる者だけに分かるように
何もかも難しく、分からずらい言葉に直されているのだ
本当は、もっと簡単でシンプルな事なのに
いかにも難しそうなニュアンスで、わざわざ分からないようにしている
ある意味それはひっかけ問題に近い、引っかかれば逮捕である(笑)
誰これ構わず、大切なものを手に出来ないように、残る者は選択され
そうやって世界は作られているのだ。
物事全て、何もかもに決まりを作り、簡単には近づけさせまいと牙をむく
けれど逆の立場なら、それも仕方がないのかもしれない。
なぜなら
もしも、弱者に優しくして自分の秘密を教えたり、自分の持っている武器の使い方を与えてしまったら
その時は感謝され自分も嬉しいかもしれないけれど、次に会った時は武器はその弱者のものになり
自分の武器は古くなってしまい、暗号を教えた裏切者だと追放され
落ちるところまで落ちてしまうかもしれないのだ
良いことをして人を救ったが、同時に二つの物は得られない
常にどちらかを失う…
得る、とは失う、と同じことなのである。
優しさの反対には、厳しさがひそんでいるのだ
弱者ほど優しく、弱者ほど哀れである
どんなに助けてあげたくても、そのだいしょうは大きく
自分だけが全てをなくすのなら耐えられるが
自分にも大切な者がいて
自分の行動一つで、大切な者を苦しめることになってしまうのだ
一人選ぶと、その分誰か一人失う
それだけは避けたいから、境界線という暗号を強化していくのかもしれない。
けど、その方が争いを最小限に防ぐことが出来るのではないだろうか?
暗号を知らなければ、弱者は武器を持たないからだ
きっと、そのようなところから、洗脳は始まったのかもしれない…
どちらが良いも悪いもない
どちらも悪い最善策だったのだ。
話が少しそれたが、
今までものすごく難しいとされていることの根本は
実のところはものすごく簡単でしかない
ただ争いを避けるために暗号のように分かりにくくされているのだ
隠されているやり方の、溶き方さえ分かれば
後は一気にせめるだけである。
どちらの立場の意見も分かる気がする。
どちらも裏表の存在で繋がっているからだ。
もしも他に、上手く共存する方法がほかにあるなら教えて欲しい…
2017年10月03日
自分勝手
自分勝手
my art^^
「自分勝手は悪いことだ」と
小さなころから、今に至るまでそう教わってきましたよね
けれど、本当にそうなのでしょうか?
自分勝手というワードを検索すると、
自分勝手=他人の事は考えず、自分の都合だけを考えること。
また、そのさま。身勝手。手前勝手と有ります。
どれも悪いイメージしか浮かびません
そういえば昔
テレビのコマーシャルで
自己虫という名の
顔がオバさんやオジさんで体は虫という、面白いキャラクターが
ゴミのポイ捨てをしたり、社会的に不適合な行動をし
「最近自己虫が増えています。自己中はやめましょう」というもをのが
記憶に残っています。
あれを見ると、自分勝手で自己中心的行動はダメな事で社会不適合者であり
常に社会に合わせ、適合できる人間こそ優秀だ!と言われているような気がしました。
けれど
そもそも自己中というものに悪いイメージを植え付けたのは
そうした方が都合がよい何かがあって、その何かのために仕向けられていたのかもしれない…
とふと思ったのです。
自己中で自分勝手というワードが、悪いイメージなのは
実はそう思わせられていただけで、本当の自己中心的とは
自己中が恥だと思い込ませ自己中(自分の考えを持っている者)の権限を奪い
そうすることで実は社会そのものを理想の色に染めてきた、何か。が、
真の自己中なのではないかと…
色々考えていると。想像が膨らんで
物事が全て反対のものに見えてくるのです。
自己中心的な行動
確かに自分以外の人の事は、気にせずに物事を進め
それによって周りに迷惑がかかる場合は、悪いイメージだと思われても
仕方がないのかもしれません。
最近ニュースでよく見かける、ラスベガスの銃乱射事件も
まさに自分の身勝手な行動で、他人を巻き込み更には命まで奪ってしまいました。
そこまでいくと、もう悪いイメージにしか思えません
犯罪を犯し人を巻き込んだ自分勝手な衝動。
きっと自己中、自分勝手とは
良いも悪いも二つの意味合いがあるのかもしれません
扱い方を間違えてしまうと、悪に進んでしまう…
逆に、良い意味の自己中とは自由意志の事で
良い意味の「自分勝手」とは
⊡人の気持ちは人のものだと割り切り、人に左右されない自分だけの意志を持つこと
⊡弱い自分に打ち勝つ手段(何があっても動じない強さ)
⊡自分の意志と自分の手で勝ちを取る。(勝つために必要な事)
「自分・勝・手(手段)」です
そう考えてみると、
全ての物事には善悪があり
これが正しいという正解はないのかもしれません
ただ言えることは、自分勝手の使い方を間違って人に迷惑さえかけなければ
自分勝手であっても全然良いのではないかと
わたしはおもいます。
2017年10月01日
習慣と疑問☆
習慣
日々の習慣になっている事ってありますよね?
けれどそれは、貴方が生まれてから経験してきたもので
なんの意識もせずに入り込んだ価値です。
ですので、
その考え自を分が当たり前のことなのだと
理由もなく信じ込んでしまっているんだと思います。
周りの人や環境がそうなら尚更、疑問すら感じなくなってしまう
完全に思考が麻痺した状態です
貴方がまだ幼い頃、
これから学び始める為の環境に、ヒントが隠されています。
貴方という意識が、ゼロでまっさらな脳に
それは埋め込まれていきました。
本当は、全ての物事に対して
貴方には貴方の考え方や疑問があったはずなのに…
まだ知識も経験も、自分で調べる方法も分からない頃
一番近い存在に教わった事が、一番の真実、現実的なものなのだと
そう感じる他なかったのでしょう?
そして、もしもその当たり前とされることに疑問をいだくようなら、
その当たり前を信じている環境に
貴方がが「おかしい者」だと言われてしまう事をおそれたのでしょう?
だから、周りの言うとおりにならないと
この環境を、生き抜けなかった。
「自分自身の考えを、環境に作られてしまうのです」
どちらが正しいかなんて誰にも分りませんが
皆それぞれの思考をもっています。
その貴方自身の疑問を大切に、忘れないであげて下さいね。
こんにちは^^
今日のはお話し少し分かりにくいかもしれませんが
何となく伝わって頂けたらと思います(^^♪
お酒飲みに行ってきました!☆
雰囲気も良く、楽しく酔えました^^
2017年09月26日
信じきる事
信じきる事
貴方にとって信じている事、もしくは信じたいことはありますか?
信じていた事が大きければ大きい程
そこには負荷がかかりますよね?
それが良い方向か、もしくは悪い方向なのか
どちらにも転んでも不思議ではありません。
けれど、貴方の信じたいと思うことが
実は悪い事だったり間違いだったりしたら
それは辛い事ですよね。
けれど、大切なものや、信念というのは
二面性をもっています
それに対しての想い入れが強いために
良い方に転べば最高な幸せを得られますが
逆に、悪い方に転ぶとものすごく大きなダメージの辛い状況になります。
そうかんがえると
ある意味信じるとは賭け事のようにも思えますよね
表と裏の二面性のなかで
どちらかを、選ぶ=信じるという選択をしているからです
選ぶ事が出来たのに
少し傾くと不安になり、つい信じる事に疑いをかけて迷いを生じてしまうことが有ります
それは間違でもないですし選択をしたがゆえに起こるつきものです
曖昧な状態を待つのはかなりの精神力か必要なため
もしかしたら、自分が信じていた事は嘘だったのかと
疑い心が強まります。
恐怖感からか無理矢理に気持ちシャットダウンしてしまった経験
私も何度か有ります…
けれど、そうなった後で
始めに信じていた事がやっぱり正しかったと実感する出来事が起こるのです
確率的には半々位かもしれませんが
だいたいは、一番はじめに感じていた物が
真実になったりします。
それなのに途中で耐えられずに
その想いを切ってしまったら後の祭りですよね
もしそれが人間関係だとしたら
せっかくの良い仲が崩れてしまいます。
ですので、もし信じたい事が有るなら
その精神を曲げずに信じぬく事がとても大切なのだと私は思います
もしそれが偽物だったとしても
貴方の気持ちが本物なら
それで良いではありませんか?
失敗したとしても、それが経験になりますし
後悔はしないはずです。
信じたかったのですから、それで良かったのです
失敗することよりも
途中何度もよそ見をして迷子になり
結局はスタート地点に戻ってしまうことのほうが
リスクが大きいと思いますよ(^^
信じきることが貴方の強みにかわると良いですね♪