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posted by fanblog

2017年10月15日

  
   



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時が解決してくれるとよく言うが


時は解決を望んだものにしかその力を貸してはくれない


いかにその問題が、残酷で思い出すだけでも寒気がするほど嫌なことだとしても


ただ過ぎゆく流れだけでは、気をまぎらわすことしか出来ないのだ。


根本的なことは、忘れられるものではない


原因がわからないのは、隠していた恐怖の感情の扉を


再び開けることが怖いからだ


だから時にすがって、何度も何度もおなじことを繰り返してしまう


問題というのは、隠してはまたみつけ出され、壊しても欠片を拾い集めて


またパズルのように、組み立てられてゆくのだ


時は孤独で


時は、まってはくれない


おいて行かれないように、時についていけば


また、沢山の出来事がおこり


それが過去を連想させるものならば


時は姿を変え、過去のときを脳裏に巡らせるのだ


解決をのぞみ、過去という時に立ち向かうものだけが


今という時と、未来という時に、打ち勝ちことができるのだ


時を、自分が思うようにあやつりたいのなら、


時に勝ちたければ


根本の問題を、解決そる他ない。

2017年10月12日

蟻地獄




はじまりの言葉


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my art.


記憶はその残像を脳裏に焼き付けて


離してはくれない


勇気を土台にしてから勧めたとしても


全てが順調にすすみはしない

情報は日々変わってゆく


だから、
その中で手段を変えなければならない

そうしないと障害物をよけられないのだ


手段を変えても、行き先を変えてはいけない

行き先は動かない


動くのは己の感情である


早く進みたくて焦れば焦るほど

道は険しくなり

深みに脚がハマっていく


何故だか失敗ばかりくりかえしたり

失敗が悔しくて


倍にしてを取り戻そうとすればする程

更に何倍も大きくなって見動きがとれない

そこに入ると中々出られず思い通りに進まない

負のスパイラル地獄は深入りしてはいけない

蟻地獄のようなもので

焦って入り込むほど底へ沈むのだ

手放せないまま両手いっぱいに抱えた

(怒りと欲)の重みで蟻地獄の底に沈んでしまってはいけない

結局はその欲もろとも全てを失なってしまうのだ



焦りの感情や欲がでて沈み始めたときは

一度停止して

冷静を取り戻す必要がある

欲の重荷は手放さなければ

巣の底の蟻に喰い殺されてしまうのだ


はじめの言葉を思い出し

また再出発しよう

身軽になれば、また抜け出して

歩き出せるのだから





2017年10月11日

「裁かなくて」良い!



判決!

この人は、『 』い人である!


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良い人は、どうして良い人だと思われるのでしょう?

悪い人はどうして悪いと思われたのでしょう?

そして、それを判別しその人の基準を決めたのは誰なのか?

誰から見て、そう決まったのか


私が思うに、良い人も悪い人も

結局は同じで

その人の善悪の価値観を決める人が

自分にとって良くしてくれるか、それとも自分にとって困ることをされるかで

決まっているのだと思います。

例えば、Cさんが、AさんとBさんにそれぞれお話をしました。
Cさんは二人ともに平等に接したところ

AさんはCさんのことを、「親身に話を聞いてくれる優しい人だなぁ。」と思いました
しかし、それに対し

BさんはCさんのことを、「御節介だなぁ、もしかしたら何か企みが有って私の話を聞き出しているのだろうか。」
と思うわけです。

結局のところCさんは、良くも悪くも何方でもなく

AさんとBさんの、とらえ方次第なんですよね。

誰かに対して、判断を下すとき

その人が良く見えるか、あるいは悪く見えるかは

自分の心の基準がどちらかに傾いていて

それが鏡のように映し出されているのかもしれません。

ただ、
被害者的にとらえてしまうのも、実は警戒することで騙され率を軽減し

自分を守るための「防御・思考能力」であって必要な事ですし、

受け入れ型は、その人を良い人だと思うことでストレスを軽減し

人の知恵を吸収し、助け合って生きるという方法の一つでも有ります

ですので、

何方が正しいかは、その人の価値観によって分けられます

ただ、一つの意見として言えるのは、

人に対して良い悪いを決めると、自分が疲れるだけなので

自分勝手な価値観をという期待を相手に求めた結果、そうならなかった時の気持ちのせいで左右されるのならば、
初めから良くも悪くもこの人はこの人では自分は自分と悟って

他者がどう考えていても、自分は自分にとって気持ち良い方向に持っていけば良いのではないかと思います。



「誰も裁かなくて」良いのです。



2017年10月09日

考えないように考える


考えすぎて疲れ果てた時。

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my art.

何でも簡単に、

単純にかんがえられたら


こなすスピードも早まるのに…
 

感情を出せないまま深い部屋に閉じこもって


まだ見てもいない不安や恐怖を 

自分から作り出ししまう。


考える能力、思考は良い事ばかりではない。


考えグセは時に

自分を暗闇の底に沈めてしまうときもある。


恐怖、恐れ、不安


それらの正体は自分自身の心にある


罪悪感や過去の失敗、劣等感や未来への不安


ただ、何故マイナスの考えが浮かぶかは

結局は底に落ちたくない気持ちが強いから


今考える事がマイナスに感じるのだ


恐怖の大きさの分だけ


明るさに向かいたいという野望があるのだ


もしも、本心が暗闇なら


暗闇の中に沈んでも苦しいはずがない


本心が光だからこそ


反対の暗闇を想像し、恐怖をおぼえるのである。



考えるということ。


悪い事を考える事によって


そうならないように


解決策を導き出すためにある


つまりは考えるとは、良いことで


大切な事だ。



しかし考えを暗闇にばかり向けてしまい


解決策も闇のそこに沈めてしまうなら


悪い考えを、考えないように、考えれば良い。


いつまでも暗闇に沈んでいないで


明るいアイディアを導き出す


または、


深く沈まないように


気楽な場所や気楽な人と過ごし


深みを自分からはずすことも


ある意味本当の自分の深い心を守るための術である。


考えすぎないように考える


単純に簡単に。









2017年10月06日

極みぐせ


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何でも真面目にコツコツこなすこと


それは大切なことである


一番の力を得た人や


一番の成績をおさめた人
 

一番の成功を得た人


皆必ず、コツコツと真面目に、より集中して

一つの分野に没頭したからこそ得た、


自分にとって一番のご褒美である。


それは人が真似をしたところで


同じものは得られず


同じ感動は感じないだろう。


自分にしか分からない    


能力の極めに対する結果である。


ただ、その人たちが


本当にそのものだけに没頭出来た理由は


極める事が



只々たのしかったのである。



はじめは大変なこともあったはずだし


分からない事だらけだった



それでも一つ一つ、



確実に勧めた結果


辛かったはずの事が


なぜかいとおしく思えたり



苦手だった事が、得意な事に変わってしまったり



自分の能力の発達が目に見えて分かるようになり


いつの間にか



苦痛が快楽に変化したのである。


 
どんな事も、何度も何度もやり続けると


いつの日かやみつきになり



それが癖になる。



極みぐせである。



繰り返し繰り返し行えば



極みぐせは作ることができる。







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MegArt
マレーシアに4年半住んでます。美容と健康に役立つ情報や旅行先のお勧めスポット等をかいてます。普段は絵描きやってます。宜しくお願いします。
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