2017年10月11日
「裁かなくて」良い!
判決!
この人は、『 』い人である!
良い人は、どうして良い人だと思われるのでしょう?
悪い人はどうして悪いと思われたのでしょう?
そして、それを判別しその人の基準を決めたのは誰なのか?
誰から見て、そう決まったのか
私が思うに、良い人も悪い人も
結局は同じで
その人の善悪の価値観を決める人が
自分にとって良くしてくれるか、それとも自分にとって困ることをされるかで
決まっているのだと思います。
例えば、Cさんが、AさんとBさんにそれぞれお話をしました。
Cさんは二人ともに平等に接したところ
AさんはCさんのことを、「親身に話を聞いてくれる優しい人だなぁ。」と思いました
しかし、それに対し
BさんはCさんのことを、「御節介だなぁ、もしかしたら何か企みが有って私の話を聞き出しているのだろうか。」
と思うわけです。
結局のところCさんは、良くも悪くも何方でもなく
AさんとBさんの、とらえ方次第なんですよね。
誰かに対して、判断を下すとき
その人が良く見えるか、あるいは悪く見えるかは
自分の心の基準がどちらかに傾いていて
それが鏡のように映し出されているのかもしれません。
ただ、
被害者的にとらえてしまうのも、実は警戒することで騙され率を軽減し
自分を守るための「防御・思考能力」であって必要な事ですし、
受け入れ型は、その人を良い人だと思うことでストレスを軽減し
人の知恵を吸収し、助け合って生きるという方法の一つでも有ります
ですので、
何方が正しいかは、その人の価値観によって分けられます
ただ、一つの意見として言えるのは、
人に対して良い悪いを決めると、自分が疲れるだけなので
自分勝手な価値観をという期待を相手に求めた結果、そうならなかった時の気持ちのせいで左右されるのならば、
初めから良くも悪くもこの人はこの人では自分は自分と悟って
他者がどう考えていても、自分は自分にとって気持ち良い方向に持っていけば良いのではないかと思います。
「誰も裁かなくて」良いのです。
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