2013年10月18日
食事を残すワーカーたち
‥レゴの話に戻すといっておきながらすいません。
こちらで生活していて、気になっていることを書き綴ります。
僕は08年より、今いる日系工場で勤務しています。
この5年間毎日のように感じていることがあります。
中国のワーカーさんたちは、どうしてこんなに食事を残すのだろう。
と、いうことです。
我々の工場では、敷地内に寮,食堂,売店,ATM,娯楽施設などが併設されていて、
寮生も通いの勤務者も、昼食は皆この食堂で摂っています。
食後には皆が食器を所定の場所に収めますが、そのそばにある残飯桶には、
毎日山のような残飯がつみあがります。
確かに数年前まで、おいしくない、という理由で残すワーカーも多かったのですが、
その後、食事改善委員会なるものができて、
社員の意見を反映させた食事内容に改善されてきており、
今では社員満足度もかなり向上しています。
僕も、毎日おいしいと思って食べています。
それでも毎日、従業員が食べ物を捨てている光景を目の当たりにしています。
そのくせ、ご飯などをよそるときは、みな山のようにお皿に盛りつけます。
はじめから食べきれないのを分かっているのに、てんこ盛りによそって、
結局食べきれないで捨てている。
こんな浪費は他にありませんね。
食事に限った話ではありませんが、中国の人たちは、みな自分が損をすることを嫌がります。
もらえるモノは、権利として与えられているモノは、とにかく人よりも多くもらいたい、
という考えの人が多い。
我々より上の年代の方たちで、貧しさや飢餓の恐ろしさを経験している方たちが、
こういうふうな行動をとるならまだわかります。
でも、工場で働いているワーカーさんたちは、みな20代の若い人ばかりです。
しかしその一方で、そうやって得たものを、どうやって消費するかについては、
あまり意識を巡らすことがないようです。
そもそも、それが自分にとって本当に必要と考えているのかさえ、怪しい。
結果として、食べきれなくて捨てている。
若い世代の人たちまでもが、こんなことを日常的にしている。
これを国が違うから、で済ませたくありません。
どこの国の誰であろうと、関係ありません。
人間として、無駄なことは是非やめてもらいたい、というのが僕の素直な感覚です。
こちらで生活していて、気になっていることを書き綴ります。
僕は08年より、今いる日系工場で勤務しています。
この5年間毎日のように感じていることがあります。
中国のワーカーさんたちは、どうしてこんなに食事を残すのだろう。
と、いうことです。
我々の工場では、敷地内に寮,食堂,売店,ATM,娯楽施設などが併設されていて、
寮生も通いの勤務者も、昼食は皆この食堂で摂っています。
食後には皆が食器を所定の場所に収めますが、そのそばにある残飯桶には、
毎日山のような残飯がつみあがります。
確かに数年前まで、おいしくない、という理由で残すワーカーも多かったのですが、
その後、食事改善委員会なるものができて、
社員の意見を反映させた食事内容に改善されてきており、
今では社員満足度もかなり向上しています。
僕も、毎日おいしいと思って食べています。
それでも毎日、従業員が食べ物を捨てている光景を目の当たりにしています。
そのくせ、ご飯などをよそるときは、みな山のようにお皿に盛りつけます。
はじめから食べきれないのを分かっているのに、てんこ盛りによそって、
結局食べきれないで捨てている。
こんな浪費は他にありませんね。
食事に限った話ではありませんが、中国の人たちは、みな自分が損をすることを嫌がります。
もらえるモノは、権利として与えられているモノは、とにかく人よりも多くもらいたい、
という考えの人が多い。
我々より上の年代の方たちで、貧しさや飢餓の恐ろしさを経験している方たちが、
こういうふうな行動をとるならまだわかります。
でも、工場で働いているワーカーさんたちは、みな20代の若い人ばかりです。
しかしその一方で、そうやって得たものを、どうやって消費するかについては、
あまり意識を巡らすことがないようです。
そもそも、それが自分にとって本当に必要と考えているのかさえ、怪しい。
結果として、食べきれなくて捨てている。
若い世代の人たちまでもが、こんなことを日常的にしている。
これを国が違うから、で済ませたくありません。
どこの国の誰であろうと、関係ありません。
人間として、無駄なことは是非やめてもらいたい、というのが僕の素直な感覚です。
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