2013年09月13日
中国の若者はお金持ち?
僕が中国に移住したのは1999年の9月でした。
そして翌月からは深センを拠点に近隣の東莞市,広州市,中山市,珠海市,恵州市などの
日系工場を毎日のように訪問していました。
そのころ、工場で働いている人たちというと、みな農村から出稼ぎにきた若者たちで、
給与水準の高いこの地域で稼いだお金を、内陸にいる両親に仕送りする、
というパターンが大半でした。
でも10年の歳月が流れた今日、状況は少し変化してきているようです。
今、工場で働くワーカーさんの多くは「90後(中国語で『ジウリンホウ』)」と呼ばれる、
90年代生まれの人たちがほとんどです。
この間、中国の経済発展は内陸部にまで及び、かつて貧しかった人々も、
徐々にいい暮らしができるようになってきました。
その結果、華南地域で働くワーカーさんたちでも、あくせく働いて仕送りをする必要が
なくなってきました。
最近工場の中を歩いていても、
SAMSUNGやアップルの最新型の携帯電話を手にしている人たちが多くなっています。
僕は二ヶ月ほど前、家族と共にタイ旅行に行ってきましたが、
タイから帰って出勤してみると、実は同じ時期に何人もの若い中国人スタッフの女性たちが、
やはりタイ旅行へ行っていたことがわかり、びっくりしました。
10年前であれば、よほどのお金持ちでなければ、
中国の若者が自分たちで海外旅行へ行くなんて考えられなかったことです。
それにここ数年、華南地域の工場では、どこも人手不足に悩んでいます。
10年前であれば、工場の門に「ワーカー募集」の張り紙をしておけば、
翌朝には何十人もの若者が集まっていたものです。
これも、内陸部の所得水準が上がったため、
わざわざ故郷から離れた華南地域まで出稼ぎに来る人がいなくなったことと関係しています。
深センに住んでいると、こういった中国社会の変化が肌で感じられてとても興味深いです。
そして翌月からは深センを拠点に近隣の東莞市,広州市,中山市,珠海市,恵州市などの
日系工場を毎日のように訪問していました。
そのころ、工場で働いている人たちというと、みな農村から出稼ぎにきた若者たちで、
給与水準の高いこの地域で稼いだお金を、内陸にいる両親に仕送りする、
というパターンが大半でした。
でも10年の歳月が流れた今日、状況は少し変化してきているようです。
今、工場で働くワーカーさんの多くは「90後(中国語で『ジウリンホウ』)」と呼ばれる、
90年代生まれの人たちがほとんどです。
この間、中国の経済発展は内陸部にまで及び、かつて貧しかった人々も、
徐々にいい暮らしができるようになってきました。
その結果、華南地域で働くワーカーさんたちでも、あくせく働いて仕送りをする必要が
なくなってきました。
最近工場の中を歩いていても、
SAMSUNGやアップルの最新型の携帯電話を手にしている人たちが多くなっています。
僕は二ヶ月ほど前、家族と共にタイ旅行に行ってきましたが、
タイから帰って出勤してみると、実は同じ時期に何人もの若い中国人スタッフの女性たちが、
やはりタイ旅行へ行っていたことがわかり、びっくりしました。
10年前であれば、よほどのお金持ちでなければ、
中国の若者が自分たちで海外旅行へ行くなんて考えられなかったことです。
それにここ数年、華南地域の工場では、どこも人手不足に悩んでいます。
10年前であれば、工場の門に「ワーカー募集」の張り紙をしておけば、
翌朝には何十人もの若者が集まっていたものです。
これも、内陸部の所得水準が上がったため、
わざわざ故郷から離れた華南地域まで出稼ぎに来る人がいなくなったことと関係しています。
深センに住んでいると、こういった中国社会の変化が肌で感じられてとても興味深いです。
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