2013年09月05日
たかがレゴ、されどレゴ。
これまでこのブログを書いていながら、今頃こんなこと言うのもなんですが‥、
「レゴって、子供が遊ぶおもちゃでしょ?
いい歳した大人が、何が楽しくてレゴなんかで遊んでいるの?」
‥なんて思っている人がいるかもしれませんよね。
でも、そういうふうにレゴを単なる子供が遊ぶおもちゃと決めつけてしまうことには、
やはり賛成できません。
これまでこのブログでもいろいろなことを書いてきましたが、
レゴが何かを表現する媒体である以上、主体はあくまで僕たち自身です。
だから子供なら子供なりの、大人なら大人なりの表現ができるはずであって、
その意味では絵画や彫刻などと何ら変わるものではありません。
絵画や彫刻にとどまらず、小説や建築や音楽や手品だって、みな同じです。
みな自分の中のイメージを、与えられた条件の中で、どう表現していくかという
ところに難しさがあります。
レゴだって同じこと。
パーツの形状という、変えられない一定の制約の下で如何に勝負するか、如何
に自分の思いを表現するかという意味においては何ら変わりありません。
もっと大事なことは、僕らがどのように対象を「観る」か、ということです。
何の問題意識もなく、ただ目の前にある対象を漫然と「見て」いるだけでは、
絵を描いても木を彫ってもレゴを組んでも、いい作品は生まれないでしょう。
そうではなくて、
「あっ、恐竜の皮膚って、ワニの皮膚に似ている。」とか、
「あっ、お姫様が美しいのは、みなニコニコ笑っているからだ。」とか、
たとえ稚拙であっても何かしらの発見を伴う「観る」作業があってこそ、素晴ら
しい作品が生まれてくるのだと思います。
後はそれを、絵画で表現するか、彫刻で表現するか、レゴで表現するかだけの
違いです。
「観る」能力が必要という意味においては、レゴも全く同じなのです。
素晴らしい作品というのは、それが絵画なのか,彫刻なのか,レゴなのかで
決まるものではありません。
制作者が如何に対象を「観て」、それを如何に作品の中に反映させているか、
で価値が決まるはずだ、と思います。
素晴らしいモノは素晴らしいのです。
「レゴって、子供が遊ぶおもちゃでしょ?
いい歳した大人が、何が楽しくてレゴなんかで遊んでいるの?」
‥なんて思っている人がいるかもしれませんよね。
でも、そういうふうにレゴを単なる子供が遊ぶおもちゃと決めつけてしまうことには、
やはり賛成できません。
これまでこのブログでもいろいろなことを書いてきましたが、
レゴが何かを表現する媒体である以上、主体はあくまで僕たち自身です。
だから子供なら子供なりの、大人なら大人なりの表現ができるはずであって、
その意味では絵画や彫刻などと何ら変わるものではありません。
絵画や彫刻にとどまらず、小説や建築や音楽や手品だって、みな同じです。
みな自分の中のイメージを、与えられた条件の中で、どう表現していくかという
ところに難しさがあります。
レゴだって同じこと。
パーツの形状という、変えられない一定の制約の下で如何に勝負するか、如何
に自分の思いを表現するかという意味においては何ら変わりありません。
もっと大事なことは、僕らがどのように対象を「観る」か、ということです。
何の問題意識もなく、ただ目の前にある対象を漫然と「見て」いるだけでは、
絵を描いても木を彫ってもレゴを組んでも、いい作品は生まれないでしょう。
そうではなくて、
「あっ、恐竜の皮膚って、ワニの皮膚に似ている。」とか、
「あっ、お姫様が美しいのは、みなニコニコ笑っているからだ。」とか、
たとえ稚拙であっても何かしらの発見を伴う「観る」作業があってこそ、素晴ら
しい作品が生まれてくるのだと思います。
後はそれを、絵画で表現するか、彫刻で表現するか、レゴで表現するかだけの
違いです。
「観る」能力が必要という意味においては、レゴも全く同じなのです。
素晴らしい作品というのは、それが絵画なのか,彫刻なのか,レゴなのかで
決まるものではありません。
制作者が如何に対象を「観て」、それを如何に作品の中に反映させているか、
で価値が決まるはずだ、と思います。
素晴らしいモノは素晴らしいのです。
新品価格 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image