2010年10月17日
伊勢白山道コメント欄に・・・
リーマンさんブログのコメント欄によほど書き込んじゃおうかと思ったが、やっぱり勇気がないので止めました。
でもモヤモヤするのでここに書いておこうと思います(笑)
短歌と称して57577に並べた文章を何度もしつこく書き込む方。
その方にイライラしてひっかかっている方たち。
はい。わたしもちょっと引っかかってしまってます。
おそらく、引っかかっているひとは短歌の心得や歌心がある人なのでしょう。
短歌というのは、ただ単に自分が思っていることや言いたいことをそのまま57577につっ込んだだけのものではないと思っているのですが、繰り返している方の自称短歌というのはまさにただ単に字数を当てはめただけのお粗末なモノが多くて。
それをさもすごいでしょ?といわんばかりに連投されるもんだから、うーん・・・ってなる。
もっと勉強して感性を磨いてきたらどう?!って言いたくなってしまうのです。
たぶんその方の短歌が技術的にもよく出来たものだったら、誰も「多すぎ!」だの文句は言わないと思います。
が、その自称短歌の方はやはり、というか・・・空気読めない系。
そいういう方に限って、他人のやんわりとした意見を受取らず、逆に嫌がらせのように連投したりして、さらに周りをイライラさせる。
もうはっきりと「あなたはどうやら短歌の才能はなさそうですよ」って言いたいほどです(笑)
これって、同じ、ですね。
わたしの上司問題と!!!(笑)
専門知識があきらかに足りておらず、分析力もないのに、上司面だけは立派で、やんわりと意見をすると内容も一切受取らず逆切れして被害者面・・・みたいな。
まぁ、その方たちになにをいっても無駄なので言いませんが、
勉強させていただいたこととしては、
どんなに自分の中で自信があることについても、人様から指摘や注意や意見を頂いたときはまずはいったん受け止められる、柔軟な、やわらかい人間にならなきゃいけないなぁ・・・ということでした。
自分が正しい!と思うこと、自分は間違っていない!と思うこと。
そう思い込んでいても、それは自分目線だけで、実はもっと引いてみると自分は間違っていることだってあるかもしれない。
いかに受け止め、いかに流すことが出来るか。
内在神を傷つけることなく、自我をうまく消すことができるのか。
そんなことを試されているのかなぁなどと、最近引っかかる事件を通して感じました。
でもモヤモヤするのでここに書いておこうと思います(笑)
短歌と称して57577に並べた文章を何度もしつこく書き込む方。
その方にイライラしてひっかかっている方たち。
はい。わたしもちょっと引っかかってしまってます。
おそらく、引っかかっているひとは短歌の心得や歌心がある人なのでしょう。
短歌というのは、ただ単に自分が思っていることや言いたいことをそのまま57577につっ込んだだけのものではないと思っているのですが、繰り返している方の自称短歌というのはまさにただ単に字数を当てはめただけのお粗末なモノが多くて。
それをさもすごいでしょ?といわんばかりに連投されるもんだから、うーん・・・ってなる。
もっと勉強して感性を磨いてきたらどう?!って言いたくなってしまうのです。
たぶんその方の短歌が技術的にもよく出来たものだったら、誰も「多すぎ!」だの文句は言わないと思います。
が、その自称短歌の方はやはり、というか・・・空気読めない系。
そいういう方に限って、他人のやんわりとした意見を受取らず、逆に嫌がらせのように連投したりして、さらに周りをイライラさせる。
もうはっきりと「あなたはどうやら短歌の才能はなさそうですよ」って言いたいほどです(笑)
これって、同じ、ですね。
わたしの上司問題と!!!(笑)
専門知識があきらかに足りておらず、分析力もないのに、上司面だけは立派で、やんわりと意見をすると内容も一切受取らず逆切れして被害者面・・・みたいな。
まぁ、その方たちになにをいっても無駄なので言いませんが、
勉強させていただいたこととしては、
どんなに自分の中で自信があることについても、人様から指摘や注意や意見を頂いたときはまずはいったん受け止められる、柔軟な、やわらかい人間にならなきゃいけないなぁ・・・ということでした。
自分が正しい!と思うこと、自分は間違っていない!と思うこと。
そう思い込んでいても、それは自分目線だけで、実はもっと引いてみると自分は間違っていることだってあるかもしれない。
いかに受け止め、いかに流すことが出来るか。
内在神を傷つけることなく、自我をうまく消すことができるのか。
そんなことを試されているのかなぁなどと、最近引っかかる事件を通して感じました。
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