2018年08月11日
母の戦中、戦後体験
私の母は昭和4年(1929年)生まれ、太平洋戦争開戦時の昭和16年(1941年)が12歳、終戦の昭和20年(1945年)が16歳。子供から大人になる一歩手前。
足立区で育った母は14歳で高等小学校を卒業した後、手の足りない区役所に代用職員として就職。
区役所の色々な雑用を手伝っていました。
その仕事の中に配給もあります。
配給とは米などの生活必需品が国民全体に行き渡るようにということで、国でひとり分の量を決めて配ること。
当時は戦時下でものが無い時代。
米に始まって、味噌、しょうゆ、芋などの口に入るものの他、マッチや炭なども配給となっていました。
そしてその中にはわずかですが、キャラメルなどのお菓子もあります。
なんと母はお菓子の配給を担当した際に、少しずつ誤魔化して懐に入れていたそうです。
誤魔化すのは自分が欲しいお菓子だけ、米や味噌などは面倒なので誤魔化さなかったというからまったく親不孝ものです。
そして誤魔化したお菓子は空襲の際に防空壕の中でひとりひっそり楽しむのだとか。
まったく、とんでもない娘です。
幸い母の住んでいた周囲はひどい空襲もなかったのでそんなのんきなことができていたんでしょうね。
そして終戦。
当時、アメリカの進駐軍が来たら若い女性はみんな進駐軍の餌食になってしまうという噂が飛び交い、髪の毛を短く切って男装する人までいる状態です。
そんな時代に不真面目娘の母は、いままで戦争で押さえつけられていた鬱憤を晴らすように遊び歩きます。
夕食後、そっと家を抜け出しては深夜まで帰ってこず、祖父が相当心配して小言を言ってもまったく耳を貸しません。
進駐軍を恐れて目立たないようにするなんて気はまったく無く、パーマをかけて真っ赤な口紅を塗って遊び歩いていたようです。
⇒「会社帰りに寄り道(両国橋から両国国技館を経て蔵前橋へ)」をご覧ください。
困り果てた祖父は、その当時付き合っていた男性と別れてすこしへこんでいる母をみて、この隙にと父と見合いをさせ、結婚させたそうです。
まあ、父も復員後すぐ未亡人と駆け落ち騒ぎをして家族に手を焼かせていて別れた隙に見合いをさせられたということなので、どっちもどっちと言うことでしょうか。
戦中、戦後と暗い時代ですが、そんな中でも人々は楽しみをみつけて面白おかしく生きていたようです。
もしかしたら物がなく命の危険があった時代の人たちのほうが、現在のように物があふれて安全な時代の我々よりも思い切って濃厚な人生を真剣に楽しんで居たのではないでしょうか。
たくさんの不幸を生む戦争は絶対にやってはいけませんが、その時代の人たちの生き様はもう一度見直しても良いかも知れません。
↓↓終戦直後の生活がうかがえます↓↓
足立区で育った母は14歳で高等小学校を卒業した後、手の足りない区役所に代用職員として就職。
区役所の色々な雑用を手伝っていました。
その仕事の中に配給もあります。
配給とは米などの生活必需品が国民全体に行き渡るようにということで、国でひとり分の量を決めて配ること。
当時は戦時下でものが無い時代。
米に始まって、味噌、しょうゆ、芋などの口に入るものの他、マッチや炭なども配給となっていました。
そしてその中にはわずかですが、キャラメルなどのお菓子もあります。
なんと母はお菓子の配給を担当した際に、少しずつ誤魔化して懐に入れていたそうです。
誤魔化すのは自分が欲しいお菓子だけ、米や味噌などは面倒なので誤魔化さなかったというからまったく親不孝ものです。
そして誤魔化したお菓子は空襲の際に防空壕の中でひとりひっそり楽しむのだとか。
まったく、とんでもない娘です。
幸い母の住んでいた周囲はひどい空襲もなかったのでそんなのんきなことができていたんでしょうね。
そして終戦。
当時、アメリカの進駐軍が来たら若い女性はみんな進駐軍の餌食になってしまうという噂が飛び交い、髪の毛を短く切って男装する人までいる状態です。
そんな時代に不真面目娘の母は、いままで戦争で押さえつけられていた鬱憤を晴らすように遊び歩きます。
夕食後、そっと家を抜け出しては深夜まで帰ってこず、祖父が相当心配して小言を言ってもまったく耳を貸しません。
進駐軍を恐れて目立たないようにするなんて気はまったく無く、パーマをかけて真っ赤な口紅を塗って遊び歩いていたようです。
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困り果てた祖父は、その当時付き合っていた男性と別れてすこしへこんでいる母をみて、この隙にと父と見合いをさせ、結婚させたそうです。
まあ、父も復員後すぐ未亡人と駆け落ち騒ぎをして家族に手を焼かせていて別れた隙に見合いをさせられたということなので、どっちもどっちと言うことでしょうか。
戦中、戦後と暗い時代ですが、そんな中でも人々は楽しみをみつけて面白おかしく生きていたようです。
もしかしたら物がなく命の危険があった時代の人たちのほうが、現在のように物があふれて安全な時代の我々よりも思い切って濃厚な人生を真剣に楽しんで居たのではないでしょうか。
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