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2018年08月10日

親父の戦争体験(シベリアで捕虜)

 親父は終戦の際、満州に居てソ連(現:ロシア)軍の武装解除を受けました。
⇒「親父の戦争体験(終戦:倉庫で大宴会)」をご覧ください。

 当然、その先はソ連の捕虜となります。
 有名なシベリア抑留です。

 シベリア抑留と言えば、極寒の地で毎日伐採をやらされ、寒さと過労で大勢の日本人捕虜が命を落とした過酷なところ。

 父も最初はそんな労働につかされていたそうですが、一ヶ月もしないある日から一転。
 ミシン修理につかされました。

 私の祖父は洋服の仕立て屋。
 その関係で父は尋常小学校を卒業してすぐに知り合いのミシン屋に修行に出されてました。
 その当時は尋常小学校の12歳までが義務教育。
 12歳から19歳までの7年間、ミシン屋の修行をしていたのでそれなりにベテラン。ちょっとした部品などは手作りできる腕です。

 なぜその技術がソ連軍の知ることになったのかはわかりませんが、恐らく何かの機会にミシンを直せる人の募集があり、それに手を上げたのかと思います。

 その当時、ミシンを持っているのはソ連でも将校クラスの裕福な家庭。
 父の仕事はそのお宅の奥様が使っているミシンの出張修理です。

 ソ連の下士官クラスの人と将校などの偉い人の家に伺い、ミシンの修理をしてきます。
 国民性なのか、けっこうおおらかな方が多くて、直している間、奥様は出かけてしまうこともしばしば・・
 そうなると修理が終わっても帰ることもできないので何もせずに待っています。

 そんな感じなので1日1件からせいぜい2件が精一杯。
 捕虜の身としては暖かい部屋で修理して、そのあと待っているだけなので非常に楽な仕事です。

 そして大抵のお宅では、修理が終わるとお茶やお菓子を出してくれ、時には夕食を頂くことも。
 捕虜にも分け隔てなく振舞ってくれたそうです。

 極寒のなかで伐採をやっているほかの仲間たちには本当に申し訳ありません。

 修理のない日は、部品を作ったり他の雑用をやったりということで重労働の伐採には出かけません。

 ちなみに同時期、私の伯父(母の兄)もシベリアで捕虜になっており、日々伐採で死ぬ思いをしてきたそうです。
 伯父はその当時珍しいエリートの中央大学卒。 父は尋常小学校卒。
 ソ連軍からすると、高学歴よりも目の前の機械を直せる人間のほうが重宝だったんですね。

 人生とはわからないものです。
 
 その後2年ほどで父は日本に帰還しました。
 その後の父の人生は鳴かず飛ばずなのでこのときに運を使い果たしたのでしょうか・・

 戦争というと悲惨なことばかりが伝えられていますが、こんな運のいい人間もいたということでした。

 だからと言って戦争は絶対にやってはいけませんが。

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 2004年から糖尿病対策で自転車通勤を始め、その楽しさにはまりました。 雨の日の電車賃、メンテナンス費用を、会社からの通勤費でまかなっていますが、収支はプラスにできています。
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