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2018年08月09日

親父の戦争体験(終戦:倉庫で大宴会)

 病気で南方の戦線に行きそびれた父は約半年後に無事退院。
 しかし、その時にはもと居た部隊はすでに南方に転属。
「親父の戦争体験(開戦当時:病気で命拾いした兵隊さん)」をご覧ください。

 その後、戦局の悪化により南方に行く船がなくなり満州の地に居続けることになりました
 そして最終的に築城隊という部署に配置されたそうです。

 築城隊とは要塞などを建設する部署。
 おそらくソビエト連邦(現:ロシア)の参戦に備えて満州各地に要塞を構築する部隊なので相当な規模の部隊かと思われす。
 父はそこの倉庫で物資や食料の管理をしていたそうです。

 この当時なので倉庫といってもたいしたものは無いかと思われるかも知れませんが、満州自体はそれほど物資が不足してた訳ではなく食料や被服も豊富とは言わないまでも普通にあったようです。

 おそらく日本本土や南方の物資不足は制海権を奪われ、物流がストップしたのが大きかったのでしょう。

 最近の西日本豪雨でも被災地まで物資が届かなかった事を思うと、物流が非常に大切なことが伺えます。

 そこで父は終戦の知らせを受けました。
 よくテレビなどでは地にひれ伏して泣き崩れる国民の姿が写し出されますが、実際にはそんな事はなく、
 「アア、終わったんだ。」
 と、一気に気が抜けたそうです。
 そのあと、これからどうなるんだろう? どうやって生きていけばいいんだろう?
 という不安で一杯。
 いままで戦争で死ぬもんだとばかり思っていたので将来の生活設計なんかまったく考えていません。

 それにいつソ連が制圧に来るかもわかりません。

 いままで威張っていた上官も今日からはただの人。
 自分たちのことで精一杯。部下のことなんてかまってられません。
 頼りにならないし言うことを聞く必要もありません。

 そしてまわりは満州の大平原。
 無敵の関東軍もすでに敗戦軍。いつ盗賊が押し寄せて来てもおかしくありません。

 目の前にはたくさんの食料や物資。なんと将校の宴会用なのかビールや酒もふんだんにあります
 そのまま守っていてもソ連軍に接収されるか、盗賊に持っていかれるかしかありません。

 ならば飲んで食ってしまえ!
 ということになり、倉庫の中の酒や缶詰などを引っ張り出して大宴会。

 朝まで飲んで食って大騒ぎ。

 翌日数えてみたらビールだけで一人当たり1ケース飲んでいたというからすごい量です。
 
 そんな感じでソ連軍の武装解除が来るまで数日。
 幸い、盗賊などには襲われずに武装解除を迎えましたが、そのときには倉庫の酒や食料はほぼスッカラカンだったそうです。

 つかの間の自由も終わり、これからはソ連の捕虜としてシベリアに送られます。

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感想(3件)


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 2004年から糖尿病対策で自転車通勤を始め、その楽しさにはまりました。 雨の日の電車賃、メンテナンス費用を、会社からの通勤費でまかなっていますが、収支はプラスにできています。
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