2018年05月03日
会社帰りに寄り道(両国橋から両国国技館を経て蔵前橋へ)
会社帰りにちょっと寄り道。
いつもは隅田川の西側を帰りますが、今日は両国橋を渡り隅田川の東側、両国を通って帰ります。
自転車通勤は気軽に寄り道ができて楽しいですね。
両国橋を渡ると先ず目に入るのが山クジラの「ももんじや」。
山クジラとはイノシシのこと。
江戸時代は獣の肉を食べる習慣が一般にはなかったのでクジラと称していたそうです。
イノシシ鍋のほかに、シカやクマの肉も頂けるそうです。
※月島のもんじゃ焼きとは全く別ものなのでお間違いのないように。
両国橋を渡って左に行くとすぐにJRの両国駅、そしてその隣が両国国技館。
両国駅には「江戸NOREN」という商業施設があり、天ぷら、すし、おそばなどの専門店が並びます。
そして中央にはなんと本物の土俵が!
さすが両国です。
たくさんの専門店が入っているのでここだけでも十分楽しめます。
駅を出るとすぐ隣が大相撲の殿堂「両国国技館」です。
この日は本場所中ではなかったので静かでしたが、本場所中はたくさんののぼりが立ち並び大変な賑わいになります。
そしてそのすぐ裏側が「江戸東京博物館」。
広いフロアの中には江戸時代から昭和までの街並みが再現されています。
特に昭和のエリアには私のような50代には懐かしいものがたくさん。
以前まだ子供が小さいころ家族全員でここを訪れた際、現在89歳になる母が終戦直後のパーマ機を見て、
「これが熱くってねぇ、パーマをかけているときにうちわで扇ぐのよ・・」
と言ったものだから近くにいた若いカップルが
「ここに使った人がいる!」
とびっくり。 母が得意になって解説していたのを思い出します。
終戦直後といえば母は16歳くらい。
あの時代にそんな若い娘がパーマをかけていたとは・・さすがイケイケばばあです。
江戸東京博物館と両国国技館のあいだの遊歩道を真っすぐ行くと正面にお寺のような建物が見えます。
ここは横綱町公園、そして「旧陸軍被服廠跡」。
大正11年にここにあった陸軍被服廠(軍服などの調達や貯蔵をする機関)が移転し、大正12年、空き地を公園などに整備していたときに関東大震災が発生。
周辺の住民がこの造成中の公園に逃げ込んだ時、周辺の火災が避難者の荷物に燃え移り、火災旋風が発生。
約38000人の命を一瞬で奪ったそうです。
先ほどのお寺のような建物はその際の遺骨を納めた「東京都慰霊堂」。
ここには他に東京大空襲で亡くなった身元不明の遺骨も収められているそうです。
中に入ると立派な祭壇がありました。
同じ時代にパーマをかけていたイケイケばばあの息子は、母のお気楽さをお詫びしながらお参りをさせていただきました。
そして公園の入り口付近には「東京都復興記念館」があり、震災や空襲の資料が展示されています。
次の機会にぜひ拝見したいと思います。
公園を出ると目の前に蔵前橋通り。 これから厩橋、吾妻橋と続きます。
いつもは隅田川の西側を帰りますが、今日は両国橋を渡り隅田川の東側、両国を通って帰ります。
自転車通勤は気軽に寄り道ができて楽しいですね。
両国橋を渡ると先ず目に入るのが山クジラの「ももんじや」。
山クジラとはイノシシのこと。
江戸時代は獣の肉を食べる習慣が一般にはなかったのでクジラと称していたそうです。
イノシシ鍋のほかに、シカやクマの肉も頂けるそうです。
※月島のもんじゃ焼きとは全く別ものなのでお間違いのないように。
両国橋を渡って左に行くとすぐにJRの両国駅、そしてその隣が両国国技館。
両国駅には「江戸NOREN」という商業施設があり、天ぷら、すし、おそばなどの専門店が並びます。
そして中央にはなんと本物の土俵が!
さすが両国です。
たくさんの専門店が入っているのでここだけでも十分楽しめます。
駅を出るとすぐ隣が大相撲の殿堂「両国国技館」です。
この日は本場所中ではなかったので静かでしたが、本場所中はたくさんののぼりが立ち並び大変な賑わいになります。
そしてそのすぐ裏側が「江戸東京博物館」。
広いフロアの中には江戸時代から昭和までの街並みが再現されています。
特に昭和のエリアには私のような50代には懐かしいものがたくさん。
以前まだ子供が小さいころ家族全員でここを訪れた際、現在89歳になる母が終戦直後のパーマ機を見て、
「これが熱くってねぇ、パーマをかけているときにうちわで扇ぐのよ・・」
と言ったものだから近くにいた若いカップルが
「ここに使った人がいる!」
とびっくり。 母が得意になって解説していたのを思い出します。
終戦直後といえば母は16歳くらい。
あの時代にそんな若い娘がパーマをかけていたとは・・さすがイケイケばばあです。
江戸東京博物館と両国国技館のあいだの遊歩道を真っすぐ行くと正面にお寺のような建物が見えます。
ここは横綱町公園、そして「旧陸軍被服廠跡」。
大正11年にここにあった陸軍被服廠(軍服などの調達や貯蔵をする機関)が移転し、大正12年、空き地を公園などに整備していたときに関東大震災が発生。
周辺の住民がこの造成中の公園に逃げ込んだ時、周辺の火災が避難者の荷物に燃え移り、火災旋風が発生。
約38000人の命を一瞬で奪ったそうです。
先ほどのお寺のような建物はその際の遺骨を納めた「東京都慰霊堂」。
ここには他に東京大空襲で亡くなった身元不明の遺骨も収められているそうです。
中に入ると立派な祭壇がありました。
同じ時代にパーマをかけていたイケイケばばあの息子は、母のお気楽さをお詫びしながらお参りをさせていただきました。
そして公園の入り口付近には「東京都復興記念館」があり、震災や空襲の資料が展示されています。
次の機会にぜひ拝見したいと思います。
公園を出ると目の前に蔵前橋通り。 これから厩橋、吾妻橋と続きます。
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