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2014年02月07日

ロンドン塔

ロンドン塔(Tower of London)は、イギリスの首都のロンドンを流れるテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。

正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。その景観から「ホワイト・タワー」とも呼ばれる。世界最大級のカット・ダイヤモンド「カリナン」はここで保管されている。



目次 [非表示]
1 沿革
2 ロンドン塔のカラス
3 ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など
4 ロンドン塔で処刑された人々
5 世界遺産 5.1 登録基準

6 関連作品
7 関連項目
8 外部リンク


沿革[編集]

1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成させた。

長い歴史の間に国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、その間、14〜19世紀にかけては、造幣所、天文台でもあり、1640年までは銀行、13世紀から1834年までは、王立動物園でもあった。なお、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。

また、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されはじめたのは1282年のことで、やがて14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する処刑場となった。第二次世界大戦中の1941年から1944年にかけては、対英和平交渉を結ぶべくドイツから単独で飛来し捕虜となったルドルフ・ヘスが幽閉された。

現在もイギリス王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコの世界遺産に登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。

観光の場合は、3月〜10月の日曜を除く日なら9時から18時まで、11月から翌2月までは9時から17時までで、日曜日は10時から入場可能で、入場料は大人15.00ポンド、学生12.00ポンド等となっている(2006年9月現在・最新の入場料は公式サイトで)。

護衛兵の制服は、オーダーメイドで1着50万円、季節により衣替えするので1人3着を所有し、乗馬で破れやすいので2年に1度新調すると2013年7月18日放送のミヤネ屋で解説された。

ロンドン塔のカラス[編集]





ロンドン塔のワタリガラス
ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラス(Raven)が一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で雑食の鳥で、1666年に発生したロンドン大火で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたともいわれている(しかし、実際に記録されているロンドン大火で死者は5名だけである)。当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。

またイギリス人に人気のあるアーサー王伝説において、アーサー王が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、ワタリガラスを殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、古くから不吉な事が起こるとされている。

現在でも、ロンドン塔のカラスは「レイヴンマスター」と呼ばれる役職の王国衛士によって養われており、風きり羽を切られて逃げないようにされたものが、豚ガラを餌に半ば放し飼いで飼育されていたが、近年では鳥インフルエンザの罹患をおそれて、飼育舎を設置しての飼育に切り替えられた模様である。約25年の寿命を持つワタリガラスであるが、飼育数が一定数を割ると、野生のカラスを捕獲して補充していたが、最近では人工繁殖にも成功している模様である。なおワタリガラスは気性が荒いため、みだりに観光客がちょっかいを出すと襲われるケースもあるという警告がなされている。

ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など[編集]
ホワイト・タワー:ロンドン塔の天守閣にあたる建物。
ミドル・タワー
ベル・タワー
トレイターズ・ゲイト(叛逆者の門)
セント・トーマス・タワー
ソルト・タワー
ブラッディー・タワー
クイーンズ・ハウス
ビーチャム・タワー
セント・ピーター・アド・ヴインキュラ礼拝堂
ウォータールー兵舎

ロンドン塔で処刑された人々[編集]





ロンドン塔とタワーブリッジ
ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。
1471年 ヘンリー6世ランカスター朝最後の王。薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、暗殺される。1483年 エドワード5世とヨーク公リチャード共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。1535年 トマス・モアヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。1536年 アン・ブーリンヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。1540年 トマス・クロムウェルヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリーが気に入らず(半年で離縁)、クロムウェル自身も王の不興を買い失脚。反逆罪に問われ、タワー・ヒルで処刑された。1542年 キャサリン・ハワードヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされる女官のロッチフォード子爵未亡人ジェーン・ブーリンと共にタワー・グリーンで処刑された。1554年 ジェーン・グレイヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。1601年 エセックス伯ロバート・デヴルー
エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。

世界遺産[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準[1]からの翻訳、引用である)。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

関連作品[編集]
【このカテゴリーの最新記事】

ホット・リーディング

ホット・リーディング(hot reading)は、超能力や霊感によるリーディング(他人を読み取り、過去や現在を言い当てたり助言や将来の予言などをすること)に際して、事前に得た情報を利用すること。なぜ超能力者が、様々な事実を言い当てることができるかということを説明するために、こうした技法が紹介されることがある。



目次 [非表示]
1 概要
2 関連項目
3 外部リンク
4 参考文献


概要[編集]

リーディングを行う者は、その対象となる人(シッター、sitter)の情報を、事前調査やリーディング直前の話の立ち聞きに至るまで、あらゆる方法で行うことがある。こうした調査では自分だけでなく、弟子や協力者を動員することもある。自称・霊能力者や自称・超能力者同士で膨大な「顧客名簿」を作成し、依頼に来た者の悩みなど背後関係に関する情報を共有することさえある。

現代のテレビ番組に登場する超能力者や霊能力者には、この手をよく使うものがいる。例えば日本のテレビバラエティで有名な宜保愛子は、ロンドン塔を霊視する際に夏目漱石の『倫敦塔』をあらかじめ読んでいた。

また、超能力者や霊能力者たちは、リーディングの受付に予約制を導入し、リーディングの日を受付の数週間後に設定させ、その間に予約者の家にセールスマンなどを装った人物を派遣して、情報収集をさせることもある。こうした調査で、周囲の住民や家族からだけでなく、住む家だけからも予約者の人となりや生い立ちを広く得ることもできる。そうして、自称「霊能者」は十分な情報を受けた状態で相手を前にするのである。

超能力者が様々な事実を言い当てる際にホット・リーディングとコールド・リーディングの技法と組み合わせて使われることが少なくない。

コールド・リーディング

コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読みとる」という意味である。



目次 [非表示]
1 概要
2 技法
3 コールド・リーディングの利用
4 知らずに使うコールド・リーディング
5 参考文献
6 関連項目


概要[編集]

コールド・リーディングは、詐欺師・占い師・霊能者などが、相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術である。しかし、その技術自体はセールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡学や筆跡診断、恋愛などに幅広く応用できるものであり、必ずしも悪の技術とは言えない。

たとえ相手に対する事前情報が全くなくても、コールドリーダーは相手の外観に対する注意深い観察と、コールド・リーディング特有の話術によって、いくらでも相手の情報を掴むことができるのである。対象者への観察力や会話の説得力、相手に与える安心感・信頼感…などが必要であり、高い技術と経験が必要になる。

探偵を使ったり、占いの待合室で助手が世間話をしたりして事前に相手のことを調べておいた上で、あたかも本当に占いや霊感、超能力などで相手の心を読んだと見せかけるホット・リーディングはコールド・リーディングとは異なる。超能力者が様々な事実を言い当てる際にホット・リーディングとコールド・リーディングの技法と組み合わせて使われることが少なくない。

知り合いなどある程度は情報を持っている相手に対してコールド・リーディングを行うことは、ウォーム・リーディングと呼ばれる。

コールド・リーディングによく似たもので、ショットガンニング(Shotgunning)という技術も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながらその反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。エドガー・ケイシー(Edgar Cayce)、シルヴィア・ブラウン(Sylvia Brown)、ジョン・エドワード(John Edward)、ジェイムズ・ヴァン・プラーグ(James Van Praagh)らは全てショットガンニングの疑いがもたれている。

技法[編集]
1. 対象者の協力を引き出す実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。あなたが助けてくだされば、二人で協力してあなたの隠れた姿を明らかにできます。」これは相手から、より多くの言葉や情報を引き出そうという意図である。2. 対象者に質問する分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照)または、観察に基づき、より具体的にみえる内容(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」3. 対象者の反応をさぐる相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって「あなたは知らないかもしれないが、実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。4. さらに情報を引き出す一般的に、この間にしゃべり続けるのはリーディングを行う者だが、情報はその相手からリーディングを行う者へ、一方的に流れ続ける。年齢、服装、顔色、しぐさ、口調、雑談やリーディングに対する顔や言葉の反応など、すべてがリーディングを行う者にとって、相手を知ることのできる情報になる。5. 次のステップに移行するこうして、リーディングを行う者は相手に関する情報の精度を高め、相手は何もしゃべっていないのに、自分の奥深くまで全てが言い当てられてしまった気分に陥る。こうなれば、相手はリーディングを行う者による「将来に関する占い」、「心霊による伝言」、「未来に関する予言」、「霊力のある商品の購入の薦め」などの不確かな結論まで信じてしまう。
コールド・リーディングの利用[編集]

コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。

演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、心理学とコールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。たとえば、心理学者でコールド・リーディングの研究者であるイアン・ローランド(Ian Rowland)、あるいはマーク・エドワード(Mark Edward)、リン・ケリー(Lynne Kelly)、カリ・コールマン(Kari Coleman)、心理学を利用した手品で知られるデレン・ブラウン(Derren Brown)などである。

知らずに使うコールド・リーディング[編集]

自称・能力者によるコールド・リーディングは、詐欺や詐取を意図して行うものばかりではない。中には全く善意の者もいる。かつてニューエイジの実践家だったカーラ・マクリーンは、「私は、自分がずっとコールド・リーディングをしてきたとは、理解していなかったのです。私はコールド・リーディングについて習ったこともないし、誰かを騙す気もありませんでした。私はただ、知らず知らずの間に技術を身につけていたのです」と語っている。[1]

またフィクションの世界では、シャーロック・ホームズなどが外観や遺留品だけで、相手の特徴を言い当てていたが、これもコールド・リーディングの手法である。捜査機関が行うプロファイリングとも通じる技術でもある。

ほかにもテレビドラマ「トリック」、「クロサギ」などでも使われている。

参考文献[編集]
石井裕之 『一瞬で信じ込ませる話術コールドリーディング』 フォレスト出版、2005年、ISBN 4-894-51196-7
石井裕之 『なぜ、占い師は信用されるのか?』 フォレスト出版、2005年、ISBN 4-894-51208-4
石井裕之 『図解版 なぜ、占い師は信用されるのか?』 フォレスト出版、2006年、ISBN 4-894-51224-6
佐藤六龍 『「占い」は信じるな!』 講談社〈講談社プラスアルファ新書〉、2008年、ISBN 978-4062724951

タミル語

バーナム効果(バーナムこうか、英: Barnum effect)とは、誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象。

1956年にアメリカ合衆国の心理学者、ポール・ミール(P.E.Meehl)が、興行師 P・T・バーナムの "we've got something for everyone"(誰にでも当てはまる要点というものがある)という言葉に因んで名付けた。アメリカの心理学者バートラム・フォア(en:Bertram Forer)の名をとってフォアラー効果(Forer effect)ともいう。被験者に何らかの心理検査を実施し、その検査結果を無視して事前に被験者とは無関係に用意した「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものだと感じてしまうが、この現象を「バーナム効果」と呼んでいる。

フォアの実験[編集]

1948年、フォアは学生たちに性格について心理検査を実施し、その検査の結果に基づく分析と称して下記の文を与えた。

あなたは他人から好かれたい、賞賛してほしいと思っており、それにかかわらず自己を批判する傾向にあります。
また、あなたは弱みを持っているときでも、それを普段は克服することができます。
あなたは使われず生かしきれていない才能をかなり持っています。
外見的には規律正しく自制的ですが、内心ではくよくよしたり不安になる傾向があります。
正しい判断や正しい行動をしたのかどうか真剣な疑問を持つときがあります。
あなたはある程度の変化や多様性を好み、制約や限界に直面したときには不満を抱きます。
そのうえ、あなたは独自の考えを持っていることを誇りに思い、十分な根拠もない他人の意見を聞き入れることはありません。
しかし、あなたは他人に自分のことをさらけ出しすぎるのも賢明でないことにも気付いています。
あなたは外向的・社交的で愛想がよいときもありますが、その一方で内向的で用心深く遠慮がちなときもあります。
あなたの願望にはやや非現実的な傾向のものもあります。

フォアはこの文章を星座占いの文章を組み合わせて作文したのであった。フォアは学生たちに分析がどれだけ自分にあてはまっているかを0(まったく異なる)から5(非常に正確)の段階でそれぞれに評価させた。このときの平均点は4.26であった。その後、フォアはどの学生にも上記のようなまったく同じ分析を与えていたと種明かしをした。

効果の影響の変化[編集]

次のような条件を満たす時、被験者はテストの正確さにより高い評価を与える事が後の研究でわかっている。
被験者がその分析は自分にだけに適合すると信じている
被験者が評価者の権威を信じている
分析が前向きな内容ばかりである

詳しくは、下記文献リストにあるディクソンとケリーによる1985年の論文を参照[1]。

文献[編集]
Forer, B. R.(1949). The fallacy of personal validation: A classroom demonstration of gullibility. Journal of Abnormal and Social Psychology, 44, 118-123.
Ulrich, R.E., Stachnik, T.J., & Stainton, S.R.(1963). Student acceptance of generalized personality interpretations. Psychological Reports, 13, 831-834.
Dickson, D. H. and Kelly, I. W.(1985). The 'Barnum Effect' in Personality Assessment: A Review of the Literature. Psychological Reports, 57, 367-382.

脚注[編集]

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1.^ 松岡圭祐の公式サイトには、かつてバーナム効果を利用した血液型性格判断サイト「究極の血液型心理検査」のページがあった(2013年2月現在当該ページなし)。このページは松岡の読者よりも、検索サイト経由などで占い目的にやってくる一般の人々に多く利用されていて、最後に「当たっていると思う」「当たっていないと思う」の2択アンケートが行われ、常時8〜9割の人々が「当たっていると思う」と回答している。実はここで表示される性格判断結果は、血液型とは無関係なランダム表示であり(同じパソコンで2度以上試みると同じ結果しか表示されなくなる)、いかに多くの人々がバーナム効果にだまされやすいかを測定・実証している。この試みは小説「ブラッドタイプ」の中で描かれる実証方法をほぼそのまま再現したもの。なお、当該のページには小さく This system depends on Barnum effect(このシステムはバーナム効果に依存している)と記されている。

タミル語

タミル語(タミルご、தமிழ் Tamiḻ)は、ドラヴィダ語族に属する言語で、南インドのタミル人の言語である。同じドラヴィダ語族に属するマラヤーラム語ときわめて近い類縁関係の言語だが、後者がサンスクリットからの膨大な借用語を持つのに対し、タミル語にはそれが(比較的)少ないため、主に語彙の面で隔離されており意思疎通は容易でない。インドではタミル・ナードゥ州の公用語であり、また連邦レベルでも憲法の第8付則に定められた22の指定言語のひとつであるほか、スリランカとシンガポールでは国の公用語の一つにもなっている。世界で18番目に多い7400万人の話者人口を持つ。1998年に大ヒットした映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』で日本でも一躍注目された言語である。

「タミール語」と呼称・表記されることもあるが、タミル語は母音の長短を区別する言語であり、かつ Tamiḻ の i は明白な短母音である。そのため、原語の発音に忠実にという原則からすれば明らかに誤った表記といえる。タミル(Tamiḻ)という名称は、ドラミラ Dramiḻa(ドラヴィダ Dravida)の変化した形という説もある。Tamiḻ という単語自体は sweetness という意味を持つ。

なお、ドラヴィダとは中世にサンスクリットで南方の諸民族を総称した語で、彼らの自称ではなく、ドラヴィダ語族を確立したイギリス人僧侶 Caldwell による再命名である。



目次 [非表示]
1 地域
2 歴史
3 文字
4 発音
5 文法 5.1 品詞
5.2 数詞 5.2.1 基本数詞


6 他言語からの影響
7 日本語クレオールタミル語説
8 タミル映画と日本での認知
9 その他
10 脚注
11 関連書籍
12 関連項目


地域[編集]

南インドのタミル・ナードゥ州で主に話されるほか、ここから移住したスリランカ北部および東部、マレーシア、シンガポール、マダガスカル等にも少なくない話者人口が存在する。これらはいずれも、かつてインド半島南部に住んでいたタミル人が自ら海を渡ったり、あるいはインドを植民地化した英国人がプランテーションの働き手として、彼らを移住させた土地である。スリランカには人口の約10%を占めるイスラム教徒、スリランカムーア人が存在するが、彼らの母語もタミル語である。

歴史[編集]

タミル語はドラヴィダ語族の中で書かれた言語としては最も古く、現在残る文献の最も古いものの起源は紀元前後までさかのぼるといわれる。

文字[編集]

詳細は「タミル文字」を参照

現代タミル語は、主として独自の文字であるタミル文字で表記される。詳しくはタミル文字の項目を参照のこと。 なおイスラム教徒は、かつてタミル語をアラビア文字で書き記していた(arwiを参照)。現在はイスラム教徒もタミル文字を使用している。

発音[編集]

北インドの多くの言語が三母音(サンスクリット等で母音/半母音として扱われるrやlを除いて)を基礎としており、ヒンディー語等ではe、oが常に長母音として扱われる。それに対してタミル語の基本はa, i, u, e, oの五母音であり、それに長短の別と二重母音(aiとau)が加わることで計12の母音を区別することになる。

子音は有気音と無気音を区別しない他、有声音(日本語で言う濁音)と無声音(同じく清音または半濁音)の間の対立もない。ただ単語の先頭や同子音が重なった場合に無声音、単語の中途、同系の鼻音の後などに有声音で発音される傾向がある(これらの点は日本語の連濁と相似である)。

タミル語で特徴的なのは、日本語で「ラ行」にあたる音、英語を含む西洋語なら r や l の流音に相当する音に、五種の区別が存在することである。日本語で「ン」にあたる音、鼻音にも4種の区別がある。このうち、l は ṟ・ṉ と互換性があり、その ṉ も ṟ と互換性がある。朝鮮語・韓国語で音節末の l と語中の r が違う音素であるのに、同一の形態素として扱っているのと対照的である。更に、反り舌の ḷ と l、ṟ と r(/j/ と同じ調音位置)が入れ替わっても意味の変わらない単語がある。ṟ は語中の位置によって /r, t, d/ と三様に発音される。

また日本語を母語とする者にとって習得が難しいとされるものに、反舌音(舌の先を硬口蓋まで反らせて発音する一連の子音)があるが、こちらは他のインド系言語にも共通する特徴である。

文法[編集]

サンスクリットの影響を受けて古くから文法が記述されており、現在の正字法は詩論を含む文語文法書であり13世紀に書かれた『ナンヌール』などに基づいている。

語順は日本語と同様、基本的にはSOV型。OSV型となる場合もあるが、動詞に接辞をつけて文相当の意味を持たせる場合はSOVが基本。ただし、マラヤーラム語と同様に、主部だけが文末に来るOVS型も少なからず用いられる。倒置表現とされる場合もあるが、新聞等にも見られ、修辞技法として意図されていないことが明らかとなっている。

修飾語は被修飾語の前につく。

主(格)語はしばしば省略されるが、日本語のように文脈でわかるからというより、スペイン語などのように動詞に人称が示されるため、省略されるのである。コピュラ(英語のbe動詞、日本語の「だ」)は用いない。所有を表すには「私は…を持っている」でなく「私には…がある」と表現する。

複文を作るための関係詞はなく、日本語と同じく「水を-飲む-人」、「私が-見た-物」という順でつなげばよい。ただし、文芸作品ではサンスクリット語の影響を受けた関係節表現が見られる。たとえば、サンスクリット語の「यथा…तथा…」の構文に従い、「எப்படி…அப்படி…」と表現するような実例がある。

タミル語は他のドラヴィダ諸語と同じく膠着語であり、単語は語根にいくつかの接辞(ほとんどは接尾辞)を付加して作られている。接辞は単語の意味などに変化を加える派生接辞と、文法カテゴリ(人称、数、法、時制など)により変化する活用接辞とに分けられる。膠着の長さにはあまり制限はなく、例を挙げると、 pōkamuṭiyātavarkaḷukkāka (「行けない人々のために」という意味)は、
pōka(行くこと)- muṭi(できる)- y(調音)- āta(否定)- var(人々)- kaḷ(複数)- ukku(ために)- āka(「ために」の強調)
と分析できる。

詩歌(サンガム)には、五七五七五七……七、五七五七七、五七七の音節を持つものがある。係り結びもある(下記品詞、係助詞の項参照)。

品詞[編集]

名詞および代名詞は名詞クラス(印欧語の性のようなもの)により分類される。まず2つの超クラス(tiṇai)に分類され、さらに全部で5つのクラス(paal :「性」の意味)に分けられる。超クラスの1つは "rational" (uyartiṇai) で、人および神がここに含まれ、さらに男性単数・女性単数・複数(性によらない)に分けられる。複数形は単数に対する敬語としても用いられる。もう1つは "irrational" (aḵṟiṇai) で、その他の動物・物体・抽象名詞がここに含まれ、単数・複数(性によらない)に分けられる。このクラスにより代名詞が使い分けられるほか、主語のクラスによって動詞の接尾辞が変化する。

代名詞の前に動詞(「…する人」など)や形容詞(「よい人」など)を付加して複合名詞にする。この場合など、下の例(「…する人(物)」)のように、paal が接尾辞によって示される。

peyarccol (名詞)
uyartiṇai
(rational) aḵṟiṇai
(irrational)
āṇpāl
男性 peṇpāl
女性 palarpāl
複数の人 oṉṟaṉpāl
単数の物 palaviṉpāl
複数の物
例:タミル語「…した人(物)」
ceytavaṉ
した男 ceytavaḷ
した女 ceytavar
した人々 ceytatu
した物(単数) ceytavai
した物(複数)

また格を表すのにも日本語の助詞に相当する接尾辞が用いられる。伝統的にはサンスクリットに倣って8格に分類される(が実際には複合的なものもあり、必ずしも8格に収まらない)。

また日本語の「こ・そ・あ・ど」にちょうど相当する4種の接頭辞i、a、u、e がある。vaḻi 「道」に対して、ivvaḻi 「この道」、avvaḻi 「あの道」、uvvaḻi 「その道」、 evvaḻi 「どの道」。ただし、uは古語および擬古体で用いられ、普通の現代語では用いられず、「その」はaにより代表される。

動詞は、人称、数、法、時制および態を示す接尾辞によって活用する。たとえば aḷkkappaṭṭukkoṇṭiruntēṉ 「私は滅ぼされんとしていた」は次のように分析される:


aḷi

kka

paṭṭu

koṇṭiru

nt

ēn

動詞語根
滅ぼす 不定詞マーカー
受動態の態マーカーへの接続形 態マーカー
受動態 態マーカー
過去進行 時制マーカー
過去 人称マーカー
一人称
単数

人称と数は代名詞の斜格(語幹)に接尾辞をつけた形で示される(例では ēn)。このような人称マーカーはアイヌ語にもある(アイヌ語では an)。三人称はクラスにより変化する。さらに時制と態も接尾辞として示される。

態は補助動詞によって表現される。受動態のみならず、主動詞に対し進行などの動詞のアスペクトを表すことができる。

動詞には強変化と弱変化の対応する2種あるものがあり、おおよそ強変化は他動詞、弱変化は自動詞に対応する。たとえば、「aḷi」(強変化「滅ぼす」:aḷikka、弱変化「滅びる」:aḷiya)、「ceer」(強変化「集める」:ceerkka、弱変化「集まる」:ceera)など。 また、語幹が対応する一組の動詞で他動詞と自動詞に対応しているものもある。たとえば、「aaku」(成る)に対する「aakku」(作る←成す)、「aṭnku」(従う)に対する「aṭkku」(従える)など。

時制には過去・現在・未来があるが、古語では現在形が見られず、未来形により表現されていた。未来形という名称にもかかわらず、実際の文章では「〜したものだった」という過去の習慣や、「〜する」という現在の意味、「〜するだろう」という推量の意味にも用いられ、未来の意味以外にも用法は広い。法は命令法、願望法のほか、話者の態度(事象やその結果に対する軽蔑、反発、心配、安心など)を示すことができる。

このほか、準動詞(動名詞や種々の分詞など)も動詞語幹に接尾辞をつけて作られる。

形容詞と副詞の区別はなく(uriccol という)、名詞を基本として接尾辞をつけて形容詞または副詞とするのが普通(独立の形容詞・副詞も一部ある)。ほかに接続詞(iṭaiccol )がある。 係助詞(clitic)があり、名詞、動名詞・分詞名詞・(ē)、副詞・副詞+(ē) などで結ぶ。

数詞[編集]

通常の数詞に使われる文字の他、タミル語では10、100、1000には特別な文字を使う。参考のために上記に加えて、日、月、年、負債、残高、同上、貨幣単位(ルピー)、数詞を以下に示す。


0

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

100

1000

௦ ௧ ௨ ௩ ௪ ௫ ௬ ௭ ௮ ௯ ௰ ௱ ௲








負債

残高

同上

ルピー

数詞

௳ ௴ ௵ ௶ ௷ ௸ ௹ ௺

基本数詞[編集]

以下に0から9までの基本数詞の読みを示す。


現代タミル文字

アラビア数字

タミル語とその発音

0 0 சுழியம் (Suzhiyam)
௧ 1 ஒன்று (Ondru)
௨ 2 இரண்டு (Irendu)
௩ 3 மூன்று (moondru)
௪ 4 நான்கு (nangu)
௫ 5 ஐந்து (ainthu)
௬ 6 ஆறு (aaru))
௭ 7 ஏழு (ézhu)
௮ 8 எட்டு (ettu)
௯ 9 ஒன்பது (onepathu)

他言語からの影響[編集]

タミル語にはきわめて近縁のマラヤーラム語という言語があるが、両者は同一の言語の方言の関係にあるとは必ずしも言いがたい。それはマラヤーラム語は北インドのサンスクリット語、プラークリット、ヒンドゥスターニー語をはじめとするインド・アーリア語族の言語から語彙、文法面での多大な影響を受けており、その他アラビア語、ペルシア語、ポルトガル語、英語などの語彙を借用しているため、両者の意思疎通が容易でないからである。

但しタミル語はドラヴィダ語族の諸語の中では最も上記の言語からの影響が少ない部類に入るが、サンスクリットやヒンドゥースターニー語などからの借用語は少なからずある。

日本語クレオールタミル語説[編集]

国語学者大野晋は、日本語の原型がドラヴィダ語族の言語の影響を大きく受けて形成されたとする説を唱えている。ただし、この説には系統論の立場に立つ言語学者からの批判も多く、この説を支持するドラヴィダ語研究者は少ない。

詳細は「大野晋#クレオールタミル語説」を参照

タミル映画と日本での認知[編集]

日本でも、1990年代のアジア映画ブームの中で、インド映画が紹介された。その中でも特に『ムトゥ 踊るマハラジャ』などのタミル映画作品がピックアップされたことなどから、昨今ではタミル語を学ぶ日本人も増えてきている。

その他[編集]

タミル語は7000万人もの話者を持つ言語であり、インド国内のみならず世界的に見ても大言語である。南アジア、東南アジアのいくつかの国で公用語にも採用され、豊富な古典文語も持つ。これだけの影響力のある言語でありながら、日本では本格的なタミル語文法学習の書籍や辞書、音声教材などがほとんど出ていない(小さい書籍が数点出版されているにとどまる)。かなりマイナーな言語も扱う大手の語学専門出版社でも、タミル語の学習書はあまり出版されていない[1]。その一方で、タミル語と日本語の関連性を扱った書籍は多数出版されている。そのような現状から、タミル語学習の書籍を出版すると、批判の多い仮説を扱った書籍と混同されるのを恐れて、大手の出版社はタミル語の学習書を出版するのを躊躇っているのではないかといった都市伝説さえ生まれた。しかし実は、タミル語を学習する書籍は英語などの他言語で出版された物でも決して豊富とは言いがたい。

アガスティア

アガスティアは、紀元前3000年頃にインドに存在していたと言われている伝説上の人物。

インドではリシ(聖仙)とされており、鹿の皮に古代タミル語で書かれた予言を書き残したとされている。この予言は弟子によってパルミラ椰子(Palmyra)の葉に書き写されて残されており、この世に存在するすべての個人に関する予言が残されている(または、葉を見に来る人物を予見しその人物の葉を残した)とされている。現在南インド十数か所にアガスティアの葉を管理し、来訪者に見せるアガスティアの館が存在している。ただしこのアガスティアの葉に関しては真偽が疑わしいともされている。

アガスティアの葉

アガスティアの葉(-は)は、紀元前3000年頃に実在したとされるインドの聖者アガスティアの残した予言を伝えるとされる葉のこと。



目次 [非表示]
1 概要
2 葉の検索
3 葉の種類
4 予言の内容について
5 活用
6 疑問
7 関連項目


概要[編集]

聖者アガスティアが太古に残した個人の運命に対する予言が書かれているとされる葉。南インドのタミル語文化圏に保管されている。その葉は、古代タミル語で書かれており、ナディ・リーダーと呼ばれる人たちが現代タミル語に翻訳する。この葉を読むことができるのは、10歳前後から6年以上かけて特別な訓練を受け、代々ナディ・リーダーとして運命づけられた人だけという。その数は、総数800人といわれ、読むレベルに個人差があるため、信頼できるナディ・リーダーを選ばないとアガスティアの予言が曲解される可能性が否定できないとされる。日本においては、1993年青山圭秀の著作『理性のゆらぎ』で一躍ブームとなり、マスコミも大々的に取り上げたが、トリックであると指摘する懐疑説が広がったこともあり、現在そのブームは沈静化している。しかし、変化が速くて先行きの見えない不安な時代に、自分の未来が描かれているとされるアガスティアの葉に助けを求める人は後を絶たない。

葉の検索[編集]

アガスティアの葉の取り出しに際して男性の場合は右手の親指、そして女性の場合は左手の親指の指紋が必要となる。指紋の部分だけをナディ・アストロジャーに渡し、ナディ・アストロージャーは、それを持って葉の保管されている倉庫へと1人入っていく。その時点で相手にはプロフィールはおろか、依頼者の名前すら話さない。向こうもそういった情報は一切必要としない。葉は、指紋のパターンによって108種類に分かれていて、依頼者の指紋のパターンの葉が集められた束を持って、再度現れる。次に、その束に中に、依頼者の葉があるかどうかを検証するプロセスが始まる。

例えば「きょうだいは1人である」「それは、女性である」「父親は、生きている」こういった簡単なことに対して、依頼者が「イエス」「ノー」で答えていく。少しでも違えば、次の葉に進む。その束すべてが合わない場合には、別の葉の束を再度取り出しに行くことになる。見つかれば、最後には「彼の名前は〇〇」といった具体的に依頼者の名前、あるいは両親や祖父母、離婚した相手の名前など具体的な固有名詞を言い当てる。さらに条件を詰めていき、依頼者の生年月日を述べ、葉の検索の作業は終了となる。何分で葉が見つかるかは、開けてみないと分からないが、長い場合には、5時間かけても見つからなかった場合もあれば、3〜4の質問の後、すぐに本人の名前が出てきた例もある。

実際に現地に行くと、イエスノーだけではなく、「あなたの名前は4音からなる」「いいえ」「では3音」「イエス」「最初の名前の音は、アイウエオからなる」「いいえ」「じゃあ、カキクケコのどれかだ」「イエス」……というような調子で行われることもある(ヴァティスワランコイル・シバサミーの館)これらの質問から、結果として導かれる答えを「もともと書いてあった」と主張するアガスティアの館もあるようだ。

葉の種類[編集]

アガスティアの葉は、一人に対して普通14種類存在するが、それ以外にも特別な葉がある。第1の葉に人生全般が記載されていて、まずこの葉を開くことから運命を知る作業が始まる。その内容は、個人差があるが、指紋の名前や特徴、生まれた時の星の配置から今生の基本的性格が述べられ、これまでの人生を軽く概観した後、現状と未来についての解説が始まる。多くの場合、大きな流れだけが語られるのでピンと来ない人も多いという。その場合には、第2から第12の葉を読むことで明確にする必要があるらしい。あるいは、プラチナ(質問)の葉を開けることで、どんな質問にもアガスティアが答えてくれるという。第1章の中で、アガスティアにだいたい共通して勧められることは、第13章と第14章を開けることである。第13章は、前世のカルマ(悪行)について語られ、その悪影響の厄払いをするために、何が必要か書かれている。第14章は、今生における悪運から身を守るために「御守り」を作成し、身につけることが勧められる。それには、別途料金がかかり、その額はアガスティアの葉を開けるまで分からない。それが高額で、アガスティアの勧めを拒む人も少なからずいるという。
第1章:生まれてから死ぬまでのおおまかな人生
第2章:財産、家族、家庭生活、教育、視覚
第3章:兄弟や姉妹関係
第4章:母親との関係、土地、家、車、財産、人生の喜び
第5章:子供の誕生、子供に恵まれない理由など子供に関すること
第6章:病気、借金、訴訟、敵
第7章:結婚の時期や問題点、配偶者との関係
第8章:死期、事故、寿命
第9章:父親との関係、富、幸運、健康、信仰
第10章:職業、仕事、転居
第11章:利益、再婚について
第12章:出費、政治活動、外国との関係、来世、解脱
第13章:前世とそのカルマ(罪)とその解消方法
第14章:今生でのトラブルを回避するお守りの作成方法

予言の内容について[編集]

アガスティアの葉に書かれたとおりの人生を送る人もいれば、違った人生を送る人もいるという。そこからアガスティアの予言に対して不信感を抱く人たちが出てくるが、もともとアガスティアは、運命を決め付けるために予言をしているのではなく、道に迷わないようにナビゲーションを行っているだけだという。どんなバラ色の未来を描かれても、何の努力もせずにその未来がやってくるわけではないが、未来はすでに決まっているのだと誤解する人がいて、利用者は気をつける必要があるという。インドでは、このような誤解がほとんどなく、90%以上の確率で、葉に書かれたとおりに実現していくらしい。素晴らしいことが書かれていれば、それを神に感謝して、実現に向けて努力するのが当たり前であるインドに対して、日本での実現率は、かなり低いらしい(一説によれば30%程度)。素晴らしいことが書かれていても感謝することなく、疑いながら何の努力もしないので、実現しない確率が高いらしい。そして実現しなかったときに、葉に書かれていたことは嘘だったと思う人が、日本ではかなり多いらしい。運命は、決まっているのではなく、自分で作って行くものだということを理解しなければ、葉に書かれた預言を無駄にしていることになるから、気を付ける必要があるという。アガスティアは、人生の75%(50%の南インド占星術+25%の前世のカルマ)を知っているだけで、残り25%は人間に自由意思に任せている、ことを理解した上で活用しないと、時間もお金も無駄にすることになるので注意する必要があるらしい。

活用[編集]

アガスティアの葉は、現地では安価で読むことができ、南インドでは、結婚相手や進路などで迷いがあるときに気楽に活用しているという。特に政治家や大企業の経営者などは、選択に迷ったときこの葉を活用する人が多いという。日本人が葉に出会うことは、容易ではなく、交通の便の悪い現地に行き、タミル語から英語に通訳できる人を雇わなければならない。そのため多数の代行業者が、通訳を雇い、代行業務を行っている。近年になって、アガスティアの命により、ナディー・リーダーがアガスティアの葉を持って、日本を訪れ、日本でも目の前で自分の葉を見ることができるようになったという。

疑問[編集]
ナディ・リーダーは葉を探す際に依頼者に質問をする。その数は、5時間かかる場合、1000以上の質問に及ぶ(すぐに見つかる場合には、数問で終わる)。生年月日、職業、家族関係など個人情報を詳細に聞かれるために、ナディ・リーダーが語る個人の運命は、それによって導き出されたものではないか、という疑問が残る。批判本には、偽名を名乗ったり、質問にわざと違う答えを返すとそれに基づいた葉が出てきた、という話があるようだが、そもそも質疑が正しくないのでは批判になりようがない。本物の葉を見つけるには、本当の情報を提供する、というのが大前提となっている。
また、これらの館はナディ・リーダーの解説のために葉の検索料金と翻訳料を払う。外国人が行った場合は通訳料も加わる。こうした料金はえてして高額であるが、5時間かけても見つからない場合、無料となることを考えると妥当なのかもしれない。最初の葉に書かれている「運命」はきわめて凡庸であり誰にでも起こりうるようなこと(バーナム効果)が多いとされている。より詳しく知るためには、第2から第12の葉を開ける必要がある。
日本に紹介された当初、300万円もかかるツアーが決行されたこともあり、ビジネス目的で行う業者も出てきた。海外渡航の際に旅行代理業者が渡航者の個人情報を取得できることを考えれば、その場合の仕掛けは明らかである。今では、多数のアガスティアの葉検索代行サービス業者があり、安価で、現地に行かなくても「運命」がわかるというが、それが本物であるかどうかを疑う人や、自分の館が一番なのだと主張する業者も現れて、信頼を損ねる一因となっている。アガスティアの葉の信憑性を100%得たいという方は、現地まで赴くか、日本に在住されているナディー・リーダーに目の前で葉を開けていただき、自分で確かめる以外にないという。
ナディー・リーダーの中には、依頼者が中身を解読できないことをいいことに、葉に書かれてはいない料金を別に請求するということもあるらしい。信頼の置ける業者を選ぶことが大切である。
その他、懐疑論はアガスティアの葉に関する否定的な体験を綴った本「アガスティアの葉の秘密」パンタ笛吹・著(ISBN4-88481-389-8)を参照。

アカシックレコード

アカシックレコード、アカシャ年代記(英: Akashic Records、アーカーシックレコードとも)は人類の魂の活動の記録の概念であり、アーカーシャに映る業(カルマ)の投影像とされる[1]。一般に話題に上るものは、暗黙的に、様々な問いかけに回答するエドガー・ケイシーのものを指しており、用語の影響力の及ぶ範囲では神智学上に定義されたものである[2]。

記録のあるアカシャ(サンスクリット: आकाश、アーカーシャ、阿迦奢)の漢訳は「虚空」であり、「上空」、「空間」を意味し、地と対をなす[注 1]一切を存在させる六界の一つ[注 2]である。虚空は目視できないが、存在が音によって確認され[注 3]、創造と帰滅または輪廻転生を象徴する蛇として象徴されることもある[3]。



目次 [非表示]
1 歴史 1.1 原型 - 「因果律」と「生命の書」
1.2 発祥の過程・神智学にて
1.3 顕在化・「アカシャ年代記より」
1.4 神智学協会内の権力抗争の過程にて
1.5 ニューエイジ思想の柱として

2 アクセスと性質
3 脚注 3.1 注釈
3.2 出典

4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク


歴史[編集]





Le livre du Ciel et du Monde 1377 ニコル・オレーム著。画家は不明。グノーシスの天使の領域「アストラル層」を描いたもの。神智学ではアイテール、アーカーシャ




ストア派(Stoicism)小宇宙図。アストラル体について、魂の乗り物と拘束の二面性が表現されている




神智学協会 Adyar 1890




ブラヴァツキー夫人(中央:創設者)とミード(右:秘教部門事務局長)[注 4]1891 London、ブラヴァツキー夫人は同年逝去。ミードは1909年にレッドビーター復職に反対して退会
原型 - 「因果律」と「生命の書」[編集]

「アカシックレコード」の直接の原型はブラヴァツキー夫人著作「シークレット・ドクトリン」の中の「生命(いのち)の書」(the Book of Life)[注 5]であり、源流はプラトン(BC427 - BC347)の神性(divine thought)とされる。この「生命の書」は七大天使の子である言葉、声、霊から創造された「リピカ」(記録者)が綴るアストラル光 (Astrsral light)で構成される見えざるキャンバスであり、アトランティス時代では「第三根本人種」の者達(多神教の神)が読み取ることができたという[4]。「アーカーシャ」に、壮大な画廊が形成されて人間の行動(カルマ)を記録するとともに[5]、この記録に対する応報の法則として、縁起(ニダーナ)や幻影(マーヤー)[6]を通じて因果律として機能し、また、すべての人はこの記録をたどるとしているが[7]、このうち、「アカシックレコード」として閲覧されるものは、アーカーシャに映るアストラル光の幻影(マーヤー)である。

「生命の書」は諸宗教に同様の定義があり、イスラム教では天の書板(al Lawf)[8]、仏教では四天王の記録、カバラでは四天使の記録と表現され、エゼキエル書や世界 (タロット)に描かれる四生物は人間の行動の記録者のイメージである[9]。

リピカの記録の媒体であるアストラルはギリシア語の「星」であるが、プラトンやアリストテレス(BC384 - BC322)は、星は四大元素と異なる物質「エーテル」(アストラル光)とし、人間の体が四大元素に加えアストラル体を含む小宇宙とされたことから、当時は「生命の書」を占星術により読み解くことができると考えられていた。
参考占星術は、プトレマイオス(83-168)著作の天文学書「アルマゲスト」及び占星術書「テトラビブロス」を基本とするが、前提の天動説では太陽や月は惑星であり、地動説に照らすと矛盾が生じる。シークレット・ドクトリンでは、特に太陽の扱いに苦慮しており、本来は天王星に与えられる位置づけを太陽に適用したものと説明している[10]。 この転換の過程において占星術では、ケプラー(1571 - 1630)がアスペクトという新しい考え方を提唱し、広く受け入れられるようになった。想定より遠方にある恒星は影響力が疑問視され、黄道十二星座はハウスに意味を残すのみになった[注 6]。
四大元素について、シークレット・ドクトリンでは太陽系内の人間の表現の性質としており、現代的な意味での元素と異なる概念としている[11]。また、第五元素「エーテル」は四大元素の内部の裏打ちとしてアカシャに存在しているという[12]。
シークレット・ドクトリンは1905年にアインシュタインの特殊相対性理論が発表される以前の著作物であり、光はエーテルを媒体とした波動であるという考えが強く残っていた時代の叢書として、随所に媒体としての記述が残っている。
アカシャの属性である音は、科学的には真空中を伝わらないとされるが、シークレット・ドクトリンでは「言葉」"Logos"に相当する、第4根源人種の後期において物質的な大きな発展を遂げた際に失われた器官によって認識されたものとしている。
神智学ではダーウィンのような進化論(evolution)を魂に適用した点が特徴的だが、適者生存ではなく成長に近いイメージが置かれるなど、内容は全く性質の異なるものである。神智学では、人類は自然界の中で上位の階層の霊的存在(大師)の導きによって進化することから、高位指導霊の霊媒からの情報が根幹となった。

発祥の過程・神智学にて[編集]





旧インダス川流域

「現代文明による科学によって明らかにされていない自然の"occult side"[13][注 7]を明らかにする」 - Eelena Petrovna Blavatsky 

− The Secret Doctrine PREFACE

神智学(Theosophy)は現代版グノーシス主義であり、名称はウァレンティノス派グノーシス神話における、プレーローマ(天)の30番目のアイオーン"Sophia"(女性格[14]の叡智・哲)に由来する。「神智学」はヤコブ・ベーメ[15](1575-1624)のオマージュであり[16]、推進団体である神智学協会の創設者はブラヴァツキー夫人とオールコットである(米国で独立社団となった米神智学協会の後継者のウイリアム・ジャッジ(1851-96)も設立時の創設者の一人に数えられる)。

神智学協会はインダス川流域(旧シンドゥ川とサラスヴァティー川)の弥勒菩薩・ミトラ神[注 8]信仰を多くの宗教の源流とする、比較宗教学の考え方に基づく普遍宗教の構築を目指す社団であって、人間の本来の居住地である「天上の世界」から、自らの好奇心によって地上に捕らえられ、天からの救出活動によって帰還するという、世界の神話に共通する元型としての宗教観を基本とした啓蒙活動を展開していた。

顕在化・「アカシャ年代記より」[編集]





左から初代会長オールコット、第2代会長アニー・ベサント、レッドビーター Adyar 1905

未熟な者が扱うと権力につながる危険がある - ルドルフ・シュタイナー 

− 「アカシャ年代記より」講演における回答(『アカシャ年代記より』補遺)

アカシャと記録を結びつけた成果物を公表したのは、ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の「アカシャ年代記より」が最初であるが、同記中では、すでに神智学において定義されたものと解説されており、実際にヤコブ・ベーメや霊媒を用いた他の神智学者の年代記との類似性が見られ[17]、神智学協会における霊媒を用いた文献に近い内容になっている。ルドルフ・シュタイナーの主張から判断するところ、アカシャの記録は「形式」として権威付けを意図したものであり、ブラヴァツキー夫人のマハートマーレターも同様の「形式」として、文献の作成過程は個々の研究に依存していると暗示しても、意外感は持たれなかったようである。

神智学協会ドイツ支部事務総長ルドルフ・シュタイナーは、1904年から1908年の5年間にわたり「ルツィフェル・グノーシス」[18]において「アカシャ年代記より」を寄稿し、同時期の1910年にはレッドビーター(C.W.Leadbeater 1854-1934)が、アディヤールにおいて、アトランティス時代から28世紀の間の地球の歴史に関するアカシックレコードの霊視を行っている。
アカシャ年代記の世界観は、ニーチェの主張した、アポロン的な理性の暴走の時代へのアンチテーゼ[注 9]に沿っており、五感で認識できないディオニュソス的な精神世界の認識が説かれている。太陽紀が初期に置かれ、仮説としての水星の内惑星である高炉星の時代「ヴルカン紀」を後期に置いているが、ここにディオニュソス的な芸術や感性を重視したニーチェの思想の支持が表現されている。天上の精神世界観は、明示的にゲーテを参照したとしている。

神智学協会内の権力抗争の過程にて[編集]





シュタイナーとアニー・ベサント 1907。マイトレーヤ擁立を契機として離反
1907年に初代会長オールコットが死去すると、第二代会長となったアニー・ベサントが、神智学協会上層部(アディヤール派)に限定されたモリヤ大師による指示への絶対服従を各支部、全会員に求めはじめると、同社団はカルト集団的様相を帯び、学究的雰囲気が失われて形式的な組織になっていった。この動きに対する反発が、ブラヴァツキー夫人の跡目争いと暴露合戦の呈を示し始めると、退会者が相次ぎ、社会的な信用が目に見えて崩壊していった。

シュタイナーは、アニー・ベサントらが1911年に「星の教団」(Order of the Star in the East)[注 10]を設立した頃からアディヤール派と袂を分かち、1912年には人智学協会を設立する。世界各地において土着化したロッジ間、特に西洋と東洋の宗教の相違による各支部間の対立が顕在化し、アニー・ベサントによって高位霊媒への接触が禁止され、また、暴露合戦によってモリヤ大師等の書簡への信頼性が低下して[注 11]、退会者が相次いだ。

アニー・ベサントは1911年に社団の目的であった弥勒菩薩及び再臨キリストによる救済の実行者の擁立を目的として「星の教団」を組織し、世界教師の実体として養子ジッドゥ・クリシュナムルティ(1895-1986)を団長に擁立する。しかしクリシュナムルティは、絶対服従を拒む会員が退会して盲信的信者によって構成された「星の教団」に幻滅し、権威と組織の有害性を主張して1929年に教団を解散すると遊説生活を続けていく。

ニューエイジ思想の柱として[編集]

アカシックレコードという概念は、催眠状態における自我による説明に基づく医療行為によって、地元名士の娘を治療したことで、米国の新聞記事で取り上げられたエドガー・ケイシー(1877-1945)の名前とともに改めて知られるようになる。エドガー・ケイシーは神智学者アーサー・ラマース(Theosophist Arthur Lammers)[19]に導かれて、過去に疾病の治療に用いていたものを、神智学を応用するが如く人生の苦悩、輪廻転生やカルマの問題へ応用を広げている[20]。ニューエイジにおいて支持される同氏の神話的なエピソードは、アーサー・ラマースの時期に特に集中しており、必ずしもアカシックレコードのリーディング結果の神話的な的中率については、一部、記録によって確認できないものが含まれている。

同氏のリーディング結果に基づく啓蒙活動を行う米エドガー・ケイシーAssociation for Research and Enlightenment(A.R.E.)やルドルフ・シュタイナーの独・人智学協会は、ニューエイジ活動の積極的推進団体となっており、アカシックレコードが活動の構成要素として、あるいは神話化された思想や予言の源泉として、結果的に組み込まれていくことになる。A.R.E.の活動の背景には、以下のようなヤコブ・ベーメに由来するニューエイジ思想に特化した質問及びリーディング結果等がある。


ヤコブ・ベーメに多数の幻像が示された 〜 これはヨハネの黙示録の記述と等しい 〜 1998年、うお座とみずがめ座の狭間の変化 〜 うお座はキリストの入り口である 〜 この(みずがめ座の)時代には"Creative Force"の物質世界への応用に覚醒する...

− ECR 1602-3 3. 4. 8. 19. Ans.

ニューエイジは神智学を源泉として、ミトラ教とシークレット・ドクトリン[21]における、「水瓶座の時代の神話(春分点が黄道十二宮の宝瓶宮にある時代への、キリストに象徴されるうお座[22]からの推移の神話)」に由来する新しい占星術と精神世界の時代の幕開けを待望する思想である。これは、ネビル・ドゥルーリー(Nevill Drury b 1947)著作「ニューエイジ・四つの重要な予兆」においてスウェーデンボルグ(1688 - 1772)、フランツ・メスメル(Franz Anton Mesmer 1734-1815)、ブラヴァツキー夫人及びゲオルギイ・グルジエフ(George Gurdjieff 1872-1949)の4人の思想の重要性を説いたことが初端の一つにあり、同氏が同様に評価したヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda 1863-1902)を含め、カール・ユング[注 12]の主張例も交えて、エドガー・ケイシーやルドルフ・シュタイナーも参照される合成的な思想である。ルドルフ・シュタイナーは第六根源人種の出現をヨハネの黙示録の第六天使の象徴と重ねた友愛の時代[注 13]を宣言している。

米国で一般に「ニューエイジ」が知られるきっかけになったのは、女優シャーリー・マクレーンの"Out on a Limb"(1983)の影響が大きく、アカシックレコードは全ての人の潜在意識とつながる神と人間の共通の基盤として紹介されている。ニューエイジは現代社会の否定としての意味が強く、新たな精神世界の時代の到来を宣告する一方で、日本では輪廻転生、業や瞑想は"New"というほど目新しいものでもなく、批判対象のキリスト教が広く普及していないため、前衛的な印象が薄い[23]。現代科学、大量消費、環境破壊といった諸問題に対するカウンターカルチャーを形成し、活動家によっては、キリスト教会に対して、終焉を迎えるうお座の時代の象徴として遠慮無い批判を加えており、普遍宗教、Oneness、占星術、瞑想、音楽、疑似宗教、ホリスティック医療、環境保護、女性解放、超能力、疑似科学、古代文明、輪廻転生等を積極的に推進している(参照:List of New Age topics)。

「アカシックレコード」へのアクセス方法(チャネリング又はリーディング)が、ニューエイジ活動の中で醸成されていく。これらの方法は、ヨハネの黙示録においてヨハネが瞑想中に出会った高次の自我のエピソード[24]の理解を参考にして、瞑想によって、ハイアーセルフがアクセスした情報を顕在意識の自我が受け取るというものが基本となっており、場合によってはエドガー・ケイシーのように、催眠療法で情報を引き出すものもある。「アカシックレコード」は「人類の魂の記録」から、「神の無限の記録又は図書館」とも再定義され、汎用性のある情報源として謳われることがある[25]。歴史的に神智学協会の影響を強く受けて過去のエピソードと混じりながら確立された一面があり[注 14]、内容もカウンターカルチャーの影響を強く受けて、世界破滅や世界の転換といった内容のものが多い(例:2012年の世界の破滅等)。

アクセスと性質[編集]





エドガー・ケイシー 1910年
現時点において、再現性のある実用的なアカシックレコードへのアクセス方法の実績例はないが、リーディングを客観的に表現した例がエドガー・ケイシーの記録に示されている。到達不可能ではあるが、信仰によって達し得る境地の一つとして、物質世界の出来事は魂(創造主)の世界が投影されたものであって、目に見える世俗的な心が隔てているが、善と悪や精神と肉体といった二つの選択肢を含みつつ、キリストを通じた無限に対する調和によって合一することが可能であり、肉体の休息時に滞在する惑星の領域や魂の接点となる水元素を通じて、精神が肉体を離れているときに精神世界を視覚化することでアクセスされるとしている[26]。

エドガー・ケイシーのリーディングによると、個人の魂の記録は「生命の書」といい、ヨハネの黙示録における「天にある証しの幕屋の神殿」がアカシックレコード又は生命の書と同一のものと位置づけられている[27]。生命の書は人の獣性が強い時期において停止し[28]、常に、人による積極的な運命への反逆(黙示録又はアカシックレコードの加筆)がある[29]と述べられている。「獣の数字」に象徴される者は、超常能力を有して欲望のためにヨハネの黙示録やアカシックレコードの能力を用いるとされるように[30]、必ずしもリーディングを行う者に高い精神性が付随しているわけではない。

人類の魂は、無限の中で時間の制約を受けない性質を持っているため、人間の生活における時刻は意味が乏しく、時刻と完全に一致した運命の情報は存在しないことから[31](必ず生じる事象であっても、適切な時でなければ発動しない)、アクセスによって得られる時刻の情報は、相対的に得られる推定又は蓋然性に過ぎない。また、リーディングを行う者と受ける者の求める理解や経験が限界であることが暗示され[32]、得られる内容は、真に探し求めている知識に応じて、実体の経験と願望によって定まるものだという[33]。

エドガー・ケイシーによるリーディングの場合の、アクセス結果に影響を与えている過去世の経験として、エジプト転生時の高僧「ラータ」が方向性を与え[34]、ペルシャ転生時の医師の「ユールト」(Uhjltd)の負傷下での数日間の生死の狭間の苦痛の忍耐が能力に力を与え[35]、医療に関する情報への同調を可能にしていると言及されている。一時的にギャンブルに助力している例があるが、これは過去に「ジョン・ベインブリッジ」という、後にならず者の放浪者になった英国の兵士[注 15]に転生した際に獲得した能力とされ、新約聖書時代のルカによる福音書の実質的な記者「キレネ人のルキオ」[36]への転生が聖書の解釈に関する能力を与えたと指摘されている。

いずれにしても、アカシックレコードから得られる情報は個人の過去生や意識上の関心に根ざした指向性が見られ、時々民族差別的な内容が含まれたり、エドガー・ケイシーの前世では経験のない油田発掘や富豪に至る能力を発揮したリーディング例がないなどに現れており、病院建設資金の収集や日々の生活に苦慮しているところにも見られる。

因果性

因果性(いんがせい、英: causality)とは、何かある物事が他の物事を引き起こしたり生み出している、とされる/する、結びつきのことである。



目次 [非表示]
1 概要
2 アリストテレスの説
3 ヒュームの因果説
4 因果規則性説
5 単称因果言明、因果律
6 因果律という考え方の反事実条件法への置き換え
7 因果律 7.1 物理学における因果律
7.2 歴史
7.3 SFなどにおける因果律

8 脚注 8.1 出典

9 参考文献
10 関連項目


概要[編集]

因果性とは、2つの出来事が原因と結果という関係で結びついていることや、あるいは結びついているかどうかを問題にした概念である。英語ではcausalityと言う。日本語では類語で「因果関係」という表現も用いられる。

「Cが起きた原因はB1とB2である」「Aの結果、Zが起きた」「AのせいでBが起きた」などが因果性があると表現した文章である。





ひとつの出来事に骨状・ツリー状に原因の連鎖を挙げ、それらを分析することで改善を図る特性要因図の一例。(純粋科学的なレベルではなく、日常・実用・工学的なレベルで 原因を分析する)
ある出来事の原因、について考察する時、しばしばたったひとつのことを原因として挙げる人がいる。例えば、「今朝遅刻した原因は、昨日飲み過ぎたのが原因だ」といったような考え方をする人である。だが、「昨日飲み過ぎたことが、今朝の遅刻の原因」と言うことが適切なのかは実は怪しい。例えば、昨日飲み過ぎたとしても、昨晩目覚まし時計をかけるのを忘れなければ、起きられたかもしれない。夜中に近所で騒音がして睡眠が妨害されることが無かったら起きられたかも知れない。カーテンを閉めて朝日が入らなかったことも原因かも知れない。他にも書ききれない無数の条件が揃っていたからその出来事は起きたのである。「遅刻した」というひとつの出来事には、実際には無数の原因が存在しているのである。

人々が因果関係だと信じているものの中には、実は誤解・錯覚にすぎず、因果関係ではないものが多数含まれている。因果性に関する誤謬のひとつに、同時に発生している2つの出来事のあいだに因果性を認めてしまう誤謬もある。アイスクリームの消費が増える時期と水死者が増える時期はおおむね一致するが、だからといって「人々がアイスクリームを食べたから、水死者が増えた」とするのは短絡的で、実際には相関関係にすぎない。「暑い→アイスクリーム消費量が増える」「暑い→水遊びをする人が増え水死者が増える」という共通原因があるに過ぎない。

西洋哲学では古来、因果性についてさまざまな考察が行われてきた。アリストテレスは原因を4つに分類して考察してみせた。これは現在でも有用性が認められることがある。ヒュームは哲学的に、因果性の存在自体について疑問視した。

もともとギリシアでは自然はそれ自体に変化する能力がある、と理解されており、自然は動的なもの、それ自体で変化するもの、としてとらえられていた[1]。自然自体、そして個々の存在自体の中にも原因・動因がある、という理解である。それは一般的な理解であった(東洋人でも、一般的な自然理解としては、昔も今も、自然自体に変化する能力を認めている)。西欧でデカルトが世界論を最初に構想・執筆した時、(ギリシアの自然観同様)自然自体に発展する能力を認めた説を構築しその原稿を書いた[1][2]のだが、原稿を書き終えた後でガリレオ裁判の判決の結果を聞いたデカルトは、自身がブルジョア階級者で体制側の人間そのものでもあったこともあり、体制である教会を敵にまわすことを避けるため、その説の出版は止め[1]、説の内容を改変し[1]、キリスト教的な神が必要とされるように、”自然は死んでいて、常に神が働きかけることによって動いている”、とする世界観の説へと変えてしまい、それを出版した(『世界論』)[1]。もともと世の中では一般的に、力(要因・原因)には、内的な力と外的な力があるとされていたのが、デカルトの政治的な意図によって改変されたその論では内的な力がすっかりそぎ落とされてしまったわけである。こうして改変された説が、同時代・後世へと大きな影響(悪影響)を及ぼしてゆき、死んだものとしての自然観、個々の存在の内的な力(動因)の記述が欠落した説明方法が登場し、世に広まってゆくことになった。自然哲学アイザック・ニュートンも、自身の信仰によって神を考慮しつつ説を組み立てており万有引力と関係させ、空間は神の感覚中枢、と述べた[3]。デカルトの書物の影響も大いに受けつつ、またニュートンの説の中の含まれている粒子論などの影響も受けつつ(しかもデカルトの意図ともニュートンの意図とも異なった形で)、18世紀の西欧では機械論という、世界を独特の単純な図式、外的な動因だけで説明する方法が広まったが、そこでは原因と結果についてもきわめて単純な考え方をしていた。19世紀ごろに数が増えていった科学者たちは、(ニュートンの意図とは異なり)自分たちの単純な機械論的世界観に合う部分だけを恣意的に抽出して古典力学を構築して、ついにはラプラスのように神は不要と主張しつつ決定論的な世界観を強く主張するものが出た。ある状態が決まれば結果は一意に決まるはずだ、といった主張である。だが一時期強固にも見えたこうした世界観は20世紀になり崩れてゆくことになった。

20世紀に発展した量子力学では、subatomicレベル(原子より小さいレベル)での状態は、直前の状態によって決定されるのではなく、純粋に確率的に起きている、とされるようになった[4]。そこでは、機械論的な因果観はもはや通用しない。現代科学では、厳密に言って、もはや決定論は時代遅れとなった。状態が決まっても結果は一意には決まらない、とする論などを非決定論と言う。

ただし、日常的には、原因や結果という概念は(古典力学的にでもなく、量子力学的にでもなく)従来からの人々の習慣どおりに用いられている。

アリストテレスの説[編集]

アリストテレスは、ものごとが存在する原因を以下の四種類に分類した(これを「四原因説」と言う)。
素材因(質料因)
形相因
作用因(始動因)
目的因

この考え方が良く理解できるひとつの例を挙げると、例えば、目前にひとつの木彫りの彫刻が存在する場合、これが存在するのは、誰かが、木材という「素材」を用いて、何らかの表現をする「目的」で、彫るという「作用」を加え、なんらかの「形」を作り出したからである。このようにアリストテレスは、原因というものを四つに分類してみせた。

「四原因説」も参照

また、アリストテレスは、世界の様々なできごとの原因を、原因の原因、またさらにその原因…と遡ってゆくと、最終的に第一原因にたどりつく、とした。この第一原因を、別の文脈では「不動の動者」と呼んでおり、神とほぼ同じ意味で用いられた。

ヒュームの因果説[編集]

西洋近代ではデイヴィッド・ヒュームが、因果性とは、空間的に隣接し時間的に連続で、2種類の出来事が伴って起きるとき、この2種類の出来事の間に人間が想像する(人間の心、精神の側に生まれる)必然的な結合関係のことである、とした。つまり、物事はたまたま一緒に起きているだけでも、人間が精神活動によって勝手に結びつきの設定をしている、という指摘を含んでいる。

因果規則性説[編集]

隣接し、連続して起きる二つの出来事は、それを述べる普遍言明の文に組み込まれるとき、因果的に結びついている、とする。ヒュームの心理的要素を除き、そのかわりstatement記述の生成という点に着目している説。科学の場で記述を作りだしてゆく方法やその問題点についての示唆も与えてくれる説である。

単称因果言明、因果律[編集]

人間というものは、あるいは人間の頭脳というものは、規則性の記述が現前になくても、いくつかの出来事を知覚・認知しただけで、それらが因果的に結びついていると考える強い傾向を持っている。

例えば、「この医者がお産にたずさわったことが、この妊婦の産褥熱を引き起こした」というstatement言明がある。この言明は、たとえ「お産への従事が、全て産褥熱を引き起こす」という普遍言明(全称命題)が偽であるにしても、それとは独立に真でありうる(可能性がある)。個々の出来事は、この言明が記述する順序で起きているためである。

個々の出来事の間に因果性の関係を設定するのは、人間の精神というものが、「全ての出来事には原因がある」という考え方、いわゆる「因果律」の考え方、を前提にしているからである。

人間は日常生活を送る上では、そのような考え方、つまり「全ての出来事には原因がある」とする考え方をして、特に問題は生じはしない。だが、いざそれが本当にそうなのか、正しく論証しよう、科学的に究明しようとすると、実は非常に困難である。それが困難であることは、歴史的には、カントによる論証の試みにも現れている。

因果律という考え方の反事実条件法への置き換え[編集]

「全ての出来事には原因がある」と「因果律」という考え方を採用するということは、宇宙全体の性質に関して、検証も無しに、形而上学的に非常に強い主張をしてしまうことになる[5]。このような主張を含んでしまうと、結局、証明も反証もできない言明をしてしまっているのと同じことになるので、(広く認められている反証主義の方法論を採用すると)これはもはや科学的言明ではない、ということになってしまうのである。

一般に、科学の世界では、もし途方もなく強い主張をする時は、途方もない主張を支えるに足るだけの非常に確たる証拠を示さなければならない、とされている。したがって、(科学的な方法を守り、科学的な記述を構築してゆくためには)このような主張(因果律)を含めずに済むならば、そのほうが良いのである[6]。

また、「出来事xが、別の出来事yを引き起こした」という単称因果言明は、「この状況においては、出来事xがなければ、出来事yは起きなかったはずだ」という、条件法命題に置き換えると、「因果律」という、途方もない前提は含んでいない。

「この状況においては」という箇所の明示的な記述が必要となってくる。実は、これを厳密に行おうとすると、大きな困難が生じる。というのは、その状況というのは、つきつめると厳密には全宇宙の状態を記述しなければならないということになるからである。このように結局、因果性という概念は、本質的に形而上学的概念である[7]。

因果律[編集]

物理学における因果律[編集]

古典物理学での因果律とは、「現在の状態を完全に指定すればそれ以後の状態はすべて一義的に決まる」と主張するものであったり、「現在の状態が分かれば過去の状態も分かる」と主張するものである[8]。

また相対性理論の枠内においては、情報は光速を超えて伝播することは無く、光速×時間の分以上離れた距離にある二つの物理系には、時間をさかのぼって情報が飛ぶ事無しに、上記の時間内に情報のやり取りは起こらない。物理学の範疇ではこの「光速を超える情報の伝播は存在しない」という原理を同じく因果律という。[8]。

日常に比べて極めて小さいスケールでは物理を論じるに当たって量子力学が必要となるが、 量子論が必要な極小の世界では古典的な意味での因果律は完全には成り立っていない[9]。 量子論では不確定性原理の許す範囲でならば運動量やエネルギーが運動方程式に従わない値を取ることが可能である。運動方程式の解である状態関数は全ての実現可能な状態の中から運動方程式が示す状態が実現している確率振幅しか与えず、運動方程式によって全ての運動が一義的に決まることは無い[10]。

古典的定義から離れ因果律の定義を「時間軸上のある一点において状態関数が決まれば以降の状態関数は自然に決まる」と解釈すれば「量子論的領域でも因果律は保たれる」と言える。[11]「一見因果律が破れているように見える思考実験であるEPR相関においても、実際光速を超えているのは状態関数の波束の収束速度であり、状態関数そのものが演算子によって書き換えられる(つまり情報を受け取る)わけではなく、因果律は保たれている」と言える。[12]。

歴史[編集]

因果律の概念を正確に理解しようとすると、人間が素朴に抱いている「時間」という概念(あるいはそう捉える人間の認知システム)の本質についての考察と切り離して考える事はできないのだが、「そもそも時間とは何か」という点についてすらも確かなことは分からず、西洋科学の時間論も結局はキリスト教的時間観を先入観として構築したものにすぎず(時間の項も参照のこと)、人類が素朴に抱く因果律という観念の基盤は実は危うい。

人間の因果に関する認識について問題提起を行った哲学者にイギリスのディヴィッド・ヒュームがいる。彼は普段人間がある物事と物事を結びつけて考える際、先に起こった事が後の事の原因になっていると観察する暗黙の経験則に導かれているに過ぎないのではないかと疑った。つまり蓋然性は必ずしも必然性を意味しないという事であり、連続して起こった偶然を錯覚している可能性があるとする。

近世になると西欧で機械論的な世界観が強く主張され、単純な因果律が主張された。そして、20世紀初期にはアルベルト・アインシュタインによって相対性理論が発表されたが、そこには時空連続体という概念が含まれており、因果律についても新たな観点が与えられる事となった。

20世紀も半ばになると、確率論、統計学、量子力学も大きな発展をとげ、特に量子力学は、全ての事象は(先行する物理的状態と結びつけることは困難なしかたで)確率的に起きている、ということを実証し、因果律という考え方は後退することになった。ニールス・ボーア(1885- 1962)も、"因果律"というのは、あくまで人間的なスケールにおいて限定的に、あたかも成り立っているように見えているにすぎない、近似として成り立っているにすぎない、微視的なスケールでは成り立っていない、と釘をさした。[13]

SFなどにおける因果律[編集]

因果律は、サイエンス・フィクション(SF)の分野ではしばしば扱われるテーマである。例えばタイムマシンについて、その存在により因果律が破綻することによるパラドックス(タイムパラドックス)がエッセンスとして用いられたり、または、そのようなパラドックスの「発生を防ぐ」という事が物語の主要テーマとして用いられるような例がある。

また、タイムマシンの可能性を否定する根拠として"因果律"が用いられている場合がある。タイムパラドックスの存在がその根拠とされる。しかし、因果律自体が科学的客観的に証明された事実ではない以上、タイムマシンの存在を否定する根拠として用いるのは不適当である。「ただし、因果律について考察を行う場合には、仮にタイムマシンの存在を仮定してみることが必要不可欠である」という。

宿命論

宿命論(しゅくめいろん、fatalism)あるいは運命論とは、未来は神または超越的存在によってあらかじめ定められている、とする考え方。

概説[編集]

一種の決定論であるが宗教的色彩が強く、自分が自由意志と思い込んでいるものも実は全知である神が前からそうなるよう定めていた、という風に解釈する。例えばこの「宿命論」を読んでそれに反論しようとしても、その反対したこと自体がすでに定まっていた、という風になり基本的な反証できない性質の論理である。

以上のように科学的・論理学的には無価値のものと見なされるが、宗教・神学的にはキリスト教の一部における予定説、神仏による救済とそれに対する信頼など、救済宗教の重要な柱でもある(ただしキリスト教における予定説は一部教派にしか受け入れられていない)。古代人にとって神とは、ヤハウェのような「裁きを下す神」、スサノオのような「荒ぶる神」など、恩寵と同時にそれと反対のものももたらす両義的原理であった。

逆に言うとそれに合理的な説明を与えることが古代哲学の芽生えであり、自由意志を否定するような宗教的決定論に挑戦する試みは、現代的合理主義へたどる過程だったといえよう。

なおこれの一段階発展したものとして理神論があり、神の定めた自然法則が未来を含めた一切を定めているとする。宿命論と違うのは神は万物を法則と共に創り上げ、その時点まで神の意志は活かされていたが現在は世界の運命に介入していない、とする点である。この立場は定められた物理法則を解き明かそうという動機に繋がり、アイザック・ニュートンなど初期近代科学の推進に果たした役割は大きかった。
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