2014年02月07日
ロンドン塔
ロンドン塔(Tower of London)は、イギリスの首都のロンドンを流れるテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。
正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。その景観から「ホワイト・タワー」とも呼ばれる。世界最大級のカット・ダイヤモンド「カリナン」はここで保管されている。
目次 [非表示]
1 沿革
2 ロンドン塔のカラス
3 ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など
4 ロンドン塔で処刑された人々
5 世界遺産 5.1 登録基準
6 関連作品
7 関連項目
8 外部リンク
沿革[編集]
1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成させた。
長い歴史の間に国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、その間、14〜19世紀にかけては、造幣所、天文台でもあり、1640年までは銀行、13世紀から1834年までは、王立動物園でもあった。なお、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。
また、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されはじめたのは1282年のことで、やがて14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する処刑場となった。第二次世界大戦中の1941年から1944年にかけては、対英和平交渉を結ぶべくドイツから単独で飛来し捕虜となったルドルフ・ヘスが幽閉された。
現在もイギリス王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコの世界遺産に登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。
観光の場合は、3月〜10月の日曜を除く日なら9時から18時まで、11月から翌2月までは9時から17時までで、日曜日は10時から入場可能で、入場料は大人15.00ポンド、学生12.00ポンド等となっている(2006年9月現在・最新の入場料は公式サイトで)。
護衛兵の制服は、オーダーメイドで1着50万円、季節により衣替えするので1人3着を所有し、乗馬で破れやすいので2年に1度新調すると2013年7月18日放送のミヤネ屋で解説された。
ロンドン塔のカラス[編集]
ロンドン塔のワタリガラス
ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラス(Raven)が一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で雑食の鳥で、1666年に発生したロンドン大火で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたともいわれている(しかし、実際に記録されているロンドン大火で死者は5名だけである)。当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。
またイギリス人に人気のあるアーサー王伝説において、アーサー王が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、ワタリガラスを殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、古くから不吉な事が起こるとされている。
現在でも、ロンドン塔のカラスは「レイヴンマスター」と呼ばれる役職の王国衛士によって養われており、風きり羽を切られて逃げないようにされたものが、豚ガラを餌に半ば放し飼いで飼育されていたが、近年では鳥インフルエンザの罹患をおそれて、飼育舎を設置しての飼育に切り替えられた模様である。約25年の寿命を持つワタリガラスであるが、飼育数が一定数を割ると、野生のカラスを捕獲して補充していたが、最近では人工繁殖にも成功している模様である。なおワタリガラスは気性が荒いため、みだりに観光客がちょっかいを出すと襲われるケースもあるという警告がなされている。
ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など[編集]
ホワイト・タワー:ロンドン塔の天守閣にあたる建物。
ミドル・タワー
ベル・タワー
トレイターズ・ゲイト(叛逆者の門)
セント・トーマス・タワー
ソルト・タワー
ブラッディー・タワー
クイーンズ・ハウス
ビーチャム・タワー
セント・ピーター・アド・ヴインキュラ礼拝堂
ウォータールー兵舎
ロンドン塔で処刑された人々[編集]
ロンドン塔とタワーブリッジ
ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。
1471年 ヘンリー6世ランカスター朝最後の王。薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、暗殺される。1483年 エドワード5世とヨーク公リチャード共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。1535年 トマス・モアヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。1536年 アン・ブーリンヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。1540年 トマス・クロムウェルヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリーが気に入らず(半年で離縁)、クロムウェル自身も王の不興を買い失脚。反逆罪に問われ、タワー・ヒルで処刑された。1542年 キャサリン・ハワードヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされる女官のロッチフォード子爵未亡人ジェーン・ブーリンと共にタワー・グリーンで処刑された。1554年 ジェーン・グレイヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。1601年 エセックス伯ロバート・デヴルー
エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。
世界遺産[編集]
登録基準[編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準[1]からの翻訳、引用である)。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
関連作品[編集]
正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)と呼ばれるように、現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。その景観から「ホワイト・タワー」とも呼ばれる。世界最大級のカット・ダイヤモンド「カリナン」はここで保管されている。
目次 [非表示]
1 沿革
2 ロンドン塔のカラス
3 ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など
4 ロンドン塔で処刑された人々
5 世界遺産 5.1 登録基準
6 関連作品
7 関連項目
8 外部リンク
沿革[編集]
1066年にイングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために堅固な要塞の建設を命じ、本体は約20年で完成した。その後、リチャード1世が城壁の周囲の濠の建設を始め、ヘンリー3世が完成させた。
長い歴史の間に国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、その間、14〜19世紀にかけては、造幣所、天文台でもあり、1640年までは銀行、13世紀から1834年までは、王立動物園でもあった。なお、ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世とされる。
また、身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されはじめたのは1282年のことで、やがて14世紀以降は、政敵や反逆者を処刑する処刑場となった。第二次世界大戦中の1941年から1944年にかけては、対英和平交渉を結ぶべくドイツから単独で飛来し捕虜となったルドルフ・ヘスが幽閉された。
現在もイギリス王室が使用している宮殿であるが、ロンドン観光の目玉になるほど観光客も多く、内部にある建物の幾つかは、世界最大のダイヤモンド「偉大なアフリカの星」など様々な歴史的展示物を陳列して、見学できるようになっている。1988年にはユネスコの世界遺産に登録されている。すぐ近くには、世界的にも有名な跳ね橋であるタワーブリッジがある。
観光の場合は、3月〜10月の日曜を除く日なら9時から18時まで、11月から翌2月までは9時から17時までで、日曜日は10時から入場可能で、入場料は大人15.00ポンド、学生12.00ポンド等となっている(2006年9月現在・最新の入場料は公式サイトで)。
護衛兵の制服は、オーダーメイドで1着50万円、季節により衣替えするので1人3着を所有し、乗馬で破れやすいので2年に1度新調すると2013年7月18日放送のミヤネ屋で解説された。
ロンドン塔のカラス[編集]
ロンドン塔のワタリガラス
ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラス(Raven)が一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で雑食の鳥で、1666年に発生したロンドン大火で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたともいわれている(しかし、実際に記録されているロンドン大火で死者は5名だけである)。当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。
またイギリス人に人気のあるアーサー王伝説において、アーサー王が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、ワタリガラスを殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、古くから不吉な事が起こるとされている。
現在でも、ロンドン塔のカラスは「レイヴンマスター」と呼ばれる役職の王国衛士によって養われており、風きり羽を切られて逃げないようにされたものが、豚ガラを餌に半ば放し飼いで飼育されていたが、近年では鳥インフルエンザの罹患をおそれて、飼育舎を設置しての飼育に切り替えられた模様である。約25年の寿命を持つワタリガラスであるが、飼育数が一定数を割ると、野生のカラスを捕獲して補充していたが、最近では人工繁殖にも成功している模様である。なおワタリガラスは気性が荒いため、みだりに観光客がちょっかいを出すと襲われるケースもあるという警告がなされている。
ロンドン塔を構成する主な塔櫓・建物など[編集]
ホワイト・タワー:ロンドン塔の天守閣にあたる建物。
ミドル・タワー
ベル・タワー
トレイターズ・ゲイト(叛逆者の門)
セント・トーマス・タワー
ソルト・タワー
ブラッディー・タワー
クイーンズ・ハウス
ビーチャム・タワー
セント・ピーター・アド・ヴインキュラ礼拝堂
ウォータールー兵舎
ロンドン塔で処刑された人々[編集]
ロンドン塔とタワーブリッジ
ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。
1471年 ヘンリー6世ランカスター朝最後の王。薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、暗殺される。1483年 エドワード5世とヨーク公リチャード共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。1535年 トマス・モアヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。1536年 アン・ブーリンヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。1540年 トマス・クロムウェルヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリーが気に入らず(半年で離縁)、クロムウェル自身も王の不興を買い失脚。反逆罪に問われ、タワー・ヒルで処刑された。1542年 キャサリン・ハワードヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされる女官のロッチフォード子爵未亡人ジェーン・ブーリンと共にタワー・グリーンで処刑された。1554年 ジェーン・グレイヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。1601年 エセックス伯ロバート・デヴルー
エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。
世界遺産[編集]
登録基準[編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準[1]からの翻訳、引用である)。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
関連作品[編集]
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