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2014年02月07日

業(ごう)とは、仏教の基本的概念である梵: कर्मन् (karman) を意訳したもの。サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。

業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。中国、日本の思想にも影響を与える。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。

現在日常的にこの語を使う場合は、行為で生じる罪悪を意味したり(例えば「業が深い」)、不合理だと思ってもやってしまう宿命的な行為という意味で使ったりすることが多い。



目次 [非表示]
1 釈迦以前の業
2 バラモン教の業
3 ジャイナ教における業
4 仏教における業 4.1 思業と思已業
4.2 三業
4.3 三時業

5 北伝部派仏教における業思想 5.1 五業
5.2 業道
5.3 物質としての業
5.4 引業・満業
5.5 共業

6 密教における業
7 注記


釈迦以前の業[編集]

釈迦が成道する以前から、従来のバラモン教に所属しない、様々な自由思想家たちがあらわれていた。かれらは高度な瞑想技術を持っており、瞑想によって得られた体験から、様々な思想哲学を生み出し、業、輪廻、宿命、解脱、認識論などの思想が体系化されていった。

この中に業の思想も含まれていたのである。

バラモン教の業[編集]

業はインドにおいて、古い時代から重要視された。ヴェーダ時代からウパニシャッド時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀位までの間にしだいに固定化してきた。



善をなすものは善生をうけ、悪をなすものは悪生をうくべし。浄行によって浄たるべく。汚れたる行によって、汚れをうくべし
善人は天国に至って妙楽をうくれども、悪人は奈落に到って諸の苦患をうく。死後、霊魂は秤にかけられ、善悪の業をはかられ、それに応じて賞罰せられる

− 『百道梵書』 (Zatapathaa-braahmana)

このような倫理的な力として理解されてきた業がやがて何か業というものとして実体視されるようになる。



あたかも金細工人が一つの黄金の小部分を資料とし、さらに新しくかつ美しい他の形像を造るように、この我も身体と無明とを脱して、新しく美しい他の形像を造る。それは、あるいは祖先であり、あるいは乾闥婆(けんだつば)であり、あるいは諸神であり、生生であり、梵天であり、もしくは他の有情である。……人は言動するによって、いろいろの地位をうる。そのように言動によって未来の生をうる。まことに善業の人は善となり、悪業の人は悪となり、福業によって福人となり、罪業によって罪人となる。故に、世の人はいう。人は欲よりなる。欲にしたがって意志を形成し、意志の向かうところにしたがって業を実現する。その業にしたがって、その相応する結果がある

− 『ブリハド・アーラヌヤカ・ウパニシャッド』

インドでは業は輪廻転生の思想とセットとして展開する。この輪廻と密着する業の思想は、因果論として決定論や宿命論のような立場で理解される。それによって人々は強く業説に反発し、決定的な厭世の圧力からのがれようとした。それが釈迦と同時代の哲学者として知られた六師外道と仏教側に呼ばれる人々であった。

ある人は、霊魂と肉体とを相即するものと考え、肉体の滅びる事実から、霊魂もまた滅びるとして無因無業の主張をなし、また他の人は霊魂と肉体とを別であるとし、しかも両者ともに永遠不滅の実在と考え、そのような立場から、造るものも、造られるものもないと、全く業を認めないと主張した。

なおバラモン教における輪廻思想の発生を、従来考えられているよりも後の時代であるとする見解もある。例えば上座仏教では、釈迦在世時に存在したバラモン経典を、三つのヴェーダまでしか認めておらず[1]、釈迦以前のバラモン教に輪廻思想は存在しなかったとする。もちろん、当時の自由思想家たちが輪廻思想を説いていたことは明白であるが、彼らはバラモン教徒ではなかったことに注意すべきである。

ジャイナ教における業[編集]

詳細は「ジャイナ教のカルマ」を参照

仏教における業[編集]

釈迦は自ら「比丘たちよ。あらゆる過去ないし未来ないし現在の応供等正覚者は、業論者、業果論者、精進論者であった」と言ったといわれるように、カルマ(業)論の主張者であった。しかし、業を物質的なものであると考えたニガンタ・ナータプッタとは異なり、心のエネルギーとして、物質的形態をとらないものとして考えた。



比丘たちよ、意思(cetanā)が業(kamma)である、と私は説く。

− 『中部経典』 (Majjhima-Nikāya)




思業と思已業[編集]

仏教では心を造作せしめる働きとして、思考する行為が先に来ると考え、これをまず思業と名づけ、後に起こる身口の所作を思已業と名づける。

三業[編集]
身業(しんごう、Kāya) - 身体の上に現る総ての動作・所作のこと。悪業では偸盗・邪淫・殺生(ちゅうとう・じゃいん・せっしょう)など。
口業(くごう、Vāca) - 語業ともいう。口の作業、すなわち言語をいう。悪業では妄語・両舌・悪口・綺語(もうご・りょうぜつ=二枚舌・あっく・きご=飾った言葉)など。
意業(いごう、Manas) - 意識・心のはたらきで起こすこと。悪業では貪欲・瞋恚・邪見(とんよく・しんい・じゃけん)など。

業は意志・形成作用(行、サンカーラ)とも同一視され、良き意志・良き行為を持つことが勧められる。そして、より究極的には、煩悩を滅し、善悪を乗り越えることで、一切の業を作らないことが理想とされる。

三時業[編集]

業によって果報(むくい)を受ける時期に異なりがある。
順現法受業(じゅんげんぽうじゅごう、dRSTa-dharma-vedaniiyaM karma) - 現世において受くべき業。
順次生受業(じゅんじしょうじゅごう、upapadya-vedaniiyaM karma) - 次の生で受くべき業。
順後次受業(じゅんごじじゅごう、aparaparyaaya-vedaniiyaM karma) - 三回目以降の生において受くべき業。

これらは報いを受ける時期が定まっているので定業という。また、報いを受ける時期が定まっていないものを順不定業(じゅんふじょうごう、aniyataavedaniiyaM karma)といい、この不定業を加えて四業という。

北伝部派仏教における業思想[編集]

五業[編集]

意業は心の働いてゆくすがたであるから、他にむかってこれを表示することはできないが、身業と語業は具体的な表現となって現われる。この具体的に表現されて働く身業を身表業(しんひょうごう、kaaya-vijJapti-karman)といい、語業を語表業(vaag-vijJapti-karman)という。

このように具体的に表面に現われた身語の二業は、刹那的なものでなく、余勢を残すから、身語二業の表業が残す余勢で、後に果をひく原因となるようなもの、それを身無表業(しんむひょうごう、kaaya-avijJapti-karman)・語無表業(vaag-avijJapti-karman)という。このようにして、初めの意業と身語二業の表無表の四業とで五業説を形成する。

いま、これらの業の分類を通して、仏教の業説の意図するところを考える時、そこには仏教の基本的な考えかたが示されている。すなわち人間の生活が厳然たる因果応報という姿に営まれること、したがって人間の行為は現在刹那に終結してしまうものでなく、常に因縁果と相続してゆくものであり、すべてが全く自己責任の中に果たされねばならないことである。釈迦が、



人間は生まれによって尊いのでも賤しいのでもない。その人の行為によって尊くも賤しくもなる

というのも、この業説のうえに立っていわれたのである。さらに、このような人間の行為についての因果論的立場は、単に現実の身体的行動や言語活動の上にいわれるものでなく、その根本を人間の精神に位置づけるのが仏教であり、道徳的には結果論でなく、動機論の立場をとるものであることを示している。

ところで、この厳格な因果関係について、仏教は三時業ということを説いて、因果の連鎖を三世、あるいはそれ以上の世代にまで及ぼし、業の永遠性を説いている点に注意しなければならない。このことは因が結果となることは必ず条件(縁)によるものであることを示すとともに、因であること自体、実は結果である現実に立ってこそ因といわれることを示している。より具体的には果となった時、因が因として働きを完了するのであるから、果とならなければ因とはいえないはずである。たとえば、たとえ種子を大地におろしたとしても、条件次第で種子は敗種となってしまう。この点、因果応報は明らかであっても、その応報は因の働きをなさしめる条件次第であるといわねばならない。仏教はこのように縁を強調することによって、人間の現実を生きる姿勢を正すべきことを教えるものである。良因・良縁のととのった時に良果がえられるので、良因のみで良縁がないならば、良因もその働きを完了することができなく、ついに敗種となる。といっても悪因はたとい条件がよくても、良果とはならないのはいうまでもないが、悪因も良因とともに条件次第で、それを敗種たらしめることが可能であることは注意すべきである。

業道[編集]

業とは心の造作であるから、その造作が具体的に働いてゆくところを業道という。すなわち、思という心の造作は貪欲とか瞋恚(しんい)とかいうものによって、具体的に働くから、このような思を具体的に働かしめるものを業の道、業道というのである。その業道について十不善業道、十善業道を説いている。この中、十不善業道(daZaakuZalakarma-pathaa)とは殺生・偸盗・邪淫の身体的なもの、妄語・綺語・悪口・両舌の言語的なもの、貪欲・瞋恚・邪見の心的なものの十種の不善をいうのである。思はこのような十種の不善を業道として働くわけである。十善業道については、十不善業道から反顕してしるべきである。

物質としての業[編集]

善悪等の人間の行為と苦や楽の果報とに関して、業が問題となる。業の善・悪・無記の三性のように道徳的な立場で問題とされ、善因楽果・悪因苦果と人間の生活の中での因果応報との結びつきが説かれる。業因業果と業の働きの相続を説く場合、その業力はどうして相続するか。この点が明らかにならねばならないので、業力を何らか把握しうるものとして考えようとするものがでた。

説一切有部では、その業の体性(ものがら)を、業が具体的には身体の動作や言語のための口や舌の働きによるものであるから、何か物質的なものと考えた。すなわち堅湿煙動などの性格を示す地水火風のような要素の結合による物質的な何ものか(色法)と考えた。その点で表業も無表業も実体と考えていた。経量部は、大乗仏教と同じように思の心所の働く姿について身業語業意業などの区別を立てたので、実体的なものがないとして、その思に審慮思(しんりょし)・決定思(けつじょうし)・動発勝思(どうはっしょうし)の三種を立てて説明している。
審慮思 - 身語の二業を起そうとするとき、審慮するもの
決定思 - 決定心をおこして、まさになさんとする
動発勝思 - 身語の二業において動作する

このような思の三種からして、意業は審慮と決定をその自体とし、身語の表業は動発する善不善の思を自体とし、無表業は思の種子のうえにある不善あるいは善を防ぐ功能(はたらき、可能性)を自体とすると説かれる。

引業・満業[編集]

このように業論は仏教において非常に重要な思想であり、人間生活におけるすべての現象の説明がこの業説に集約されて考えられる。

人間の現実生活において、人間としての果報を生ずる力を引業(いんごう、aakSepa karma)といい、その人間の果報上にある種々の要件すなわち支体・諸根・形量等の差異を結果せしめるものを満業(まんごう、paripuurak karma)という。

共業[編集]


曖昧さ回避 「共業」はこの項目へ転送されています。協力して働くことについては「協働」をご覧ください。

集団に共通するような、ある結果を「引き起こす条件」(有力増上縁)、「妨げない条件」(無力増上縁)を生み出す力を共業(ぐうごう)といい、自己のみ特別にして他に共通しない状態の果報をひきおこす力を不共業とよぶ。説一切有部において、共業による影響は、これを結果に対する増上縁(adhipati-pratyaya)と考え、直接的な結果、すなわち異熟(vipāka)とは考えない。

密教における業[編集]

また密教では、身密・口密・意密の三密により仏の微妙(みみょう)なる働きを思惟し修行する。
【このカテゴリーの最新記事】

因果

因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であった。

本記事では、主として仏教やインドの哲学における考え方について解説する。

西洋哲学や科学哲学等々も含めて、原因・結果という考え方についての人類が考えてきたことに関する総合的な記事としては因果性が立てられているのでそちらを参照のこと。

時代の関係を考慮し、ヴェーダ、仏教の順で解説する。



目次 [非表示]
1 ヴェーダやバラモン教における説明 1.1 因中有果(いんちゅううか)

2 仏教における説明 2.1 過去現在因果経
2.2 因果応報 2.2.1 因果応報説の受容


3 関連文献
4 脚注、出典


ヴェーダやバラモン教における説明[編集]

因中有果(いんちゅううか)[編集]

正統バラモン教の一派に、この世のすべての事象は、原因の中にすでに結果が包含されている、とするものがある。




仏教における説明[編集]

釈迦は、原因だけでは結果は生じないとし、直接的要因(因)と間接的要因(縁)の両方がそろった(因縁和合)ときに結果はもたらされるとする(因縁果)。そこで、縁起と呼ぶ法によってすべての事象が生じており、「結果」も「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立しているとする。

釈迦が悟った上記のような内容を縁起という。その教えを学問上「縁起説」と呼ぶこともある。

仏教において因果は次のように説かれる。
善因善果(ぜんいんぜんか)…善を行うことが新たな善を促す
悪因悪果(あくいんあっか)…悪を行うことが新たな悪を促す
善因楽果(ぜんいんらっか)…善を行うことが自分にとって望ましい結果を招く
悪因苦果(あくいんくか)…悪を行うことが自分にとって望ましくない結果を招く

例えば最初は嫌々ながら行なっていた人助けでも、何度か繰り返すうちにそれが習慣となったり、それが褒められることで自ら進んで行うようになる。 逆に最初は躊躇していた犯罪が一度成功すると、また罪を犯すことに抵抗を感じなくなったり、一度嘘をつくとその嘘を隠すために更なる嘘を重ねる様になる。 これが「善因善果」「悪因悪果」の具体例であり、両者は原因と結果の性質が同じであるため、同類因・等流果と呼ぶ。

一方、善いことを行えばそのことで満足感・達成感が得られるのに対して、悪いことを行うと良心の呵責や罪が露見することへの恐怖が起こる。 これが「善因楽果」「悪因苦果」の具体例である。 「善因善果」「悪因悪果」とは異なり、この場合の結果は一概に善か悪かを判断できない。 例えば、善い事を行った自分を誇って他人を軽蔑したり、一度の善行に満足して善行を止めることがあれば、それは善行が悪い結果を招いたことになる。 逆に悪を行った事による心の苦しみが、その人を反省・更生へと導くならば、それは悪行が良い結果を招いたことになる。 両者は原因と結果の性質が異なるため、異熟因・異熟果と呼ぶ。

「善因善果・悪因悪果」について“善いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる”と解説される場合があるが、これは「善因善果・悪因悪果」と「善因楽果・悪因苦果」の混同を招きかねない不正確な説明である。




過去現在因果経[編集]





挿絵のついた『過去現在因果経』(8世紀、日本)
『過去現在因果経』は、5世紀に求那跋陀羅(ぐなばつだら)によって漢訳された全4巻の仏伝経典で、釈迦の前世の善行(本生譚、ジャータカ)と現世での事跡(仏伝)を記し、過去世に植えた善因は決して滅することなく果となって現在に及ぶことを説いている。

因果応報[編集]

因果応報とは、「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」とする考え方、信仰である。

「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」といった考え方自体は、仏教に限ったものではなく、世界に広く見られる。ただし、仏教では、過去生や来世(未来生)で起きたこと、起きることも視野に入れつつこのような表現を用いているところに特徴がある。

もともとインドにおいては、バラモン教などさまざまな考え方において広く、業と輪廻という考え方をしていた。つまり、過去生での行為によって現世の境遇が決まり、現世での行為によって来世の境遇が決まり、それが永遠に繰り返されている、という世界観、生命観である。

仏教においても、この「業と輪廻」という考え方は継承されており、業によって衆生は、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」の六道(あるいはそこから修羅を除いた五道)をぐるぐると輪廻している、とするようになった。

仏教が目指す仏の境地、悟りの世界というのは、この因果応報、六道輪廻の領域を超えたところに開かれるものだと考えられた。

修行によって悟ることができない人の場合は、(次に仏界に行けないにしても)善行を積むことで天界に生まれる(=生天)のがよいとされた。

因果応報説の受容[編集]

インドではもともと業と輪廻の思想が広くゆきわたっていたので、仏教の因果応報の考え方は最初から何ら違和感なく受容されていたが、それが他の地域においてもすんなりと受容されたかと言うと、必ずしもそうではない。

中国ではもともと『易経』などで、家単位で、良い行いが家族に返ってくる、といった思想はあった。だが、これは現世の話であり、家族・親族の間でそのような影響がある、という考え方である。輪廻という考え方をしていたわけではないので、個人の善悪が現世を超えて来世にも影響するという考え方には違和感を覚える人たちが多数いた。中国の伝統的な思想と仏教思想との間でせめぎあいが生じ、六朝期には仏教の因果応報説と輪廻をめぐる論争(神滅・不滅論争)が起きたという。

とはいうものの、因果応報説はやがて、六朝の時代や唐代に小説のテーマとして扱われるようになり、さらには中国の土着の宗教の道教の中にもその考え方が導入されるようになり、人々に広まっていった。

日本では、平安時代に『日本霊異記』で因果応報の考え方が表現されるなどし、仏教と因果応報という考え方は強く結びついたかたちで民衆に広がっていった。現在、日本の日常的なことわざとしての用法では、後半が強調され「悪行は必ず裁かれる」という意味で使われることが多い。ただ、ここにおいての因果応報という考えも輪廻との関わりよりも、現実での利益を強調しているという事実も見逃すことはできない。

[1]




関連文献[編集]
神塚 淑子「霊宝経と初期江南仏教--因果応報思想を中心に」東方宗教 91,1998/05, pp.1-21 (日本道教学会)
西本陽「上座仏教における積徳と功徳の転送」金沢大学文学部論集. 行動科学・哲学篇[1]

脚注、出典[編集]
1.^ しかし実際の起源・意味としては間違っており、ただ単に「行動」と「結果」は結び付いているという意味でしかない。ここに一つ例を挙げる。[要出典] 人物Aが人物Bの落としたハンカチを、まったくの善意で拾って手渡してあげた。しかし人物Bは自身の持ち物を他人に触れられることに極度の嫌悪を感じる人間であり、逆上した人物Bは包丁で人物Aを刺殺した。 ここでは「善意が悪意で返ってきた」わけではあるが、因果応報という言葉の意味とは矛盾しない。なぜなら人物Aがハンカチを拾った「行動」によって、人物Bが人物Aを刺し殺すという「結果」が生まれてしまったわけであり、「行動と結果の因果関係に矛盾や無理が存在しないから」である。[要出典]

因縁

因縁(いんねん)
1.きっかけ・動機・契機などの意味。
2.由来や来歴の意味。縁起と同様に用いる。
3.関係、ゆかりのこと。


仏教の解釈[編集]

「縁起」、「因果」、および「業」も参照


仏教

Dharma wheel

基本教義

縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
中道 波羅蜜 等正覚

人物

釈迦 十大弟子 龍樹

信仰対象

仏の一覧

分類

原始仏教 部派仏教
大乗仏教 密教
神仏習合 修験道

宗派

仏教の宗派

地域別仏教

インド スリランカ
 中国 台湾 チベット
日本 朝鮮
東南アジア タイ


聖典

経蔵 律蔵 論蔵

聖地

八大聖地

歴史

原始 部派
上座部 大乗
ウィキポータル 仏教

表・話・編・歴


仏教における因縁の意味。因と縁のこと。因とは、結果を生ぜしめる内的な直接原因のこと。縁とは外から因を助ける間接原因(条件)のこと。一切のものは、因縁によって生滅するとされる。因縁(サンスクリット:hetu-pratyaya)『新・佛教辞典』中村元監修 誠信書房 参照

初期の仏教では因(hetu)も縁(pratyaya)も、ともに原因を意味する言葉であり、後に区分が生じて因を原因、縁を条件、とみなした。

仏教では、修行による成仏を前提としており、
宿作因説 - 因や果を固定したり、創造神の力を因としたり、外在的・宿命的な力を因とする説
無因有果説 - 因なく最初から果があったとする宿命論的な主張
無因縁説 - 原因は有り得ないという説

に対してきびしい批判を行った。 ことに龍樹は、『中論』観因縁品で、無自性空の立場からこれらの外部の説と、説一切有部の四縁六因説を批判し、四諦品で因縁によって生じる諸法は空であり、条件が変われば、変化すると説いている。

因縁とは存在の相依性をいう。すべての事象はそれ自体、孤立して存在するのではなく、相互に依存して存在しているということである。

釈迦の教説の根本であるところの「四諦の法門」を一言でいうと「因縁」となる。
これありてこれあり
これ生じるがゆえにこれ生じ
これなければこれなく
これ滅すればこれ滅す

という存在理論であり、「苦諦・集諦・滅諦・道諦」(略して苦集滅道の四諦)という。

またこれは、違う表現をすれば『法華経』方便品に説かれる諸法実相、つまり相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等という、十如是になるとも説かれる。 これは存在をあらわし、
1.どのようなものでも存在するかぎり、相(形)がある
2.相には、性(本質)がある
3.相・性には、体(体質)がある
4.相・性・体には、力(能力)がある
5.相・性・体・力には、作(作用)がある
6.相・性・体・力・作には、因(直接的な原因)がある
7.相・性・体・力・作には、縁(間接的な原因)もある
8.相・性・体・力・作・因には、果(因に対する結果)がある
9.相・性・体・力・作・縁には、報(縁に対する結果)がある
10.相・性・体・力・作・因・縁・果・報には、本末究竟等(本の相から末の報までが究極的に無差別で等しく関連している)がある

なお、十如是は鳩摩羅什訳出の漢文『法華経』のみで、サンスクリット語原典や竺法護訳『正法華経』、闍那崛多・達磨笈多共訳『添品妙法蓮華経』にはない。

新宗教・霊能者の解釈[編集]

一部の新宗教や霊能者による因縁は、本人や先祖・土地・所属する組織などの長年にわたって蓄積された「業」に由来する影の部分、つまり悪業や悪因縁といった悪い事象の一面だけを指したり、強調する場合がある。

この悪因縁が数々の事件・事故・病気などの原因とされ、そして悪因縁は切るべきもの、とされることもある。それを指摘した教団または霊能者などの指導を受けながら、浄霊・祈祷・修行を受け続けることや、徳を積むことによって切れる、とされる場合もある。これらから、因縁は心霊的・オカルト的に拡大解釈され、反社会的な教団や霊能者と自称する人物に、都合よく利用されることも往々にして多い。

これに対し、法華系などの一部の新宗教団体では霊魂を否定し、因縁とはもともと具わっているものであるから「因縁を切る」というのは誤った解釈だと批判する。しかし逆にそれらの教団でも、題目を唱えることで悪因縁を浄化する、あるいは宿命を転換させる、などということもある。

したがって、因縁や業の解釈は、既成宗派や宗教学者、あるいは新宗教や霊能者個人によっても様々で、教義解釈の違いや誤解による他教団の批判も含まれるため、それらの点に注意する必要がある。

慣用句[編集]
因縁をつける主に無法者が用いる「言いがかりをつける」こと。まったく無関係のものに関係性を理由づけて、みずからの主張を述べ立てること。因縁話(いんねんばなし)前世の因縁を説く物語。近い話であった場合には、いきさつが複雑に絡み合った場合に用いる。因縁尽(いんねんずく)逃れられない条件が重なっていること。

いろは歌

いろは歌





移動: 案内、 検索



曖昧さ回避 2009年〜2010年の楽曲「いろは唄」とは異なります。

いろは歌(いろはうた)とは、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文のこと。七五調の今様の形式となっている。のちに手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。また、その仮名の配列は「いろは順」として中世から近世の辞書類や番号付け等に広く利用された。ここから「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。



目次 [非表示]
1 概要
2 文脈の解釈
3 作者
4 歴史 4.1 金光明最勝王経音義のいろは歌
4.2 出土物
4.3 手習いの手本としてのいろは歌

5 その他 5.1 鳥啼歌(とりなくうた)
5.2 暗号説

6 地名でのイロハの例
7 脚注
8 参考文献
9 関連項目
10 外部リンク


概要[編集]

現代に伝わるいろは歌の内容は、以下の通りである。

いろはにほへと ちりぬるをわかよたれそ つねならむうゐのおくやま けふこえてあさきゆめみし ゑひもせす
色はにほへど 散りぬるを我が世たれぞ 常ならむ有為の奥山  今日越えて浅き夢見じ  酔ひもせず (中学教科書) 



古くから「いろは四十七字」として知られるが最後に「京」の字を加えて四十八字としたものも多く、現代では「ん」を加えることがある。四十七文字の最後に「京」の字を加えるのは、弘安10年(1287年)成立の了尊の著『悉曇輪略図抄』に「末後に京の字有り」とあって、当時既に行われていたようである。「京」の字が加えられた理由については、仮名文字の直音に対して「京」の字で拗音の発音を覚えさせるためだという説がある[1]。いろは順には「京」を伴うのが広く受け入れられ、いろはかるたの最後においても「京の夢大坂の夢」となっている[2]。

文脈の解釈[編集]

文中の「有為」は仏教用語で、因縁によって起きる一切の事物。転じて有為の奥山とは、無常の現世を、どこまでも続く深山に喩えたものである[3]。

中世から現代にいたるまで各種の解釈がなされてきたが、多くは「匂いたつような色の花も散ってしまう。この世で誰が不変でいられよう。いま現世を超越し、はかない夢をみたり、酔いにふけったりすまい」などと、仏教的な無常を歌った歌と解釈してきた。12世紀の僧侶で新義真言宗の祖である覚鑁は『密厳諸秘釈』(みつごんしょひしゃく)の中でいろは歌の注釈を記し、いろは歌は『涅槃経』の中の無常偈(むじょうげ)「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」(諸行は無常であってこれは生滅の法である。この生と滅とを超えたところに、真の大楽がある)の意訳であると説明した。

しかし語句の具体的な意味については諸説ある。前述の『悉曇輪略図抄』においては「いろは」は「色は」ではなく「色葉」であり、春の桜と秋の紅葉を指すとし、また「あさきゆめみし」の「し」は「じ」と濁音に読み、すなわち「夢見じ」という打消しの意であるとする。一方『密厳諸秘釈』はこの「し」を清音に読み、助動詞「き」の連体形「し」としている。17世紀の僧観応の『補忘記』(ぶもうき)では最後の「ず」以外すべて清音とするなど、この歌は古文献においても清濁の表記が確定していない。「夢」や「酔」が何を意味するかも多様な解釈があり、結局のところ文脈についての確定した説明は、現時点では存在しない。

作者[編集]

作者は諸説あるが、確定した説はなく、現時点では不明である。

院政期以来卜部兼方の『釈日本紀』などには、いろは歌は空海の作であるとしている。しかしそれが史実である可能性はほとんどない。空海の活躍していた時代に今様形式の歌謡が存在しなかったということもあるが、何より最大の理由は、空海の時代にはまだ存在したと考えられている上代特殊仮名遣における「こ」の甲乙の区別はもとより、「あ行のえ(e)」と「や行のえ(je)」の区別もなされていないことである[4]。ただし破格となっている「わかよたれそ」に注目し、「あ行のえ」があった可能性(わがよたれそえ つねならむ)を指摘する説も出されている[5]。

『いろはうた』の著者、小松英雄はなぜ空海が創作者とされたかについて、
1.書の三筆のひとりである。
2.用字上の制約のもとに、これほどすぐれた仏教的な内容をよみこめるのは空海のような天才にちがいない。
3.さらに、いろは歌はもともと真言宗系統の学僧のあいだで学問的用途に使われており、それが世間に流布したが、真言宗においてまず有名な僧侶といえば空海であることから。

といった理由をあげ、いろは歌の作者は真言宗系の学僧であると推定している。また後述の暗号説を根拠に、空海よりさらに古い時代の柿本人麻呂を作者とする説や[6] 、讒言で大宰府に左遷された源高明が作ったなどの説も一部に存在するが、いずれも付会の域を出ない。

歴史[編集]

文献上に最初に見出されるのは承暦3年(1079年)成立の『金光明最勝王経音義』(こんこうみょうさいしょうおうぎょうおんぎ)であり、大為爾の歌を収録する天禄元年(970年)成立の源為憲の著『口遊』には、同じく仮名を重複させない誦文であるあめつちの詞については言及していても、いろは歌のことはまったく触れられていないことから、10世紀末〜11世紀中葉に成ったものとみられる。

金光明最勝王経音義のいろは歌[編集]

文献上の初出である『金光明最勝王経音義』とは、『金光明最勝王経』についての音義である。音義とは経典に記される漢字の字義や発音を解説するもので、いろは歌は音訓の読みとして使われる仮名の一覧として使われている。ここでの仮名は借字であり、7字区切りで大きく書かれた各字の下に小さく書かれた同音の借字一つ乃至二つが添えられている(ただし「於」〈お〉の借字には小字は無い)。



以呂波耳本へ止
千利奴流乎和加
餘多連曽津祢那
良牟有為能於久
耶万計不己衣天
阿佐伎喩女美之
恵比毛勢須

− 『金光明最勝王經音義』

それぞれの文字には声点が朱で記されており、それぞれの字のアクセントが分かるようになっている。小松英雄は各文字のアクセントの高低の配置を分析し、このいろは歌が漢語の声調を訓練するための目的に使われたのではないかと考察している。

出土物[編集]

三重県明和町の斎宮跡で、平成22年(2010年)に平仮名でいろは歌が書かれた4片の土器が発見された。これは平安時代の11世紀末から12世紀前半の皿型の土師器であり、出土物でひらがなで記されたいろは歌としては国内最古となる。4個の破片をつなぎあわせると 縦6.7センチ、横4.3センチほどになり、内側に「ぬるをわか」、外側に「つねなら」と墨書で書かれている。繊細な筆跡と土器両面に書かれていることから斎宮歴史博物館では斎王の女官が文字の勉強のために記したと推定している[7][8]。

また木簡では、岩手県磐井郡平泉町の志羅山遺跡で出土した「らむうゐの」「おく」と書かれた12世紀後半のものなどが存在する[9][10]。

手習いの手本としてのいろは歌[編集]

仮名を網羅したいろは歌は、11世紀ごろから仮名を手習いをするための手本としても使われるようになり、江戸時代に入るとさらに仮名の手本として広く用いられた。大正時代に3,065の寺子を対象に行われた調査では、いろは歌を手習いに用いていたところは2,347箇所におよび、それに亜ぐ「村名」(近隣の地名を列挙するもの)より850箇所も多い[11]。

明治時代以前の平仮名は、ひとつの仮名に複数の異字体(変体仮名)を有するものであったが、いろは歌が手習いに用いられるときの字体は、そのばらつきがほとんどないことが知られている[12]。その字体はほとんどが現代の平仮名と一致するものであって、「え」「お」「そ」のみ異なる。このことから山田孝雄は、現代の平仮名の成立にこのいろは歌の字体が影響したことを指摘している[13]。

その他[編集]

鳥啼歌(とりなくうた)[編集]

明治36年(1903年)に万朝報という新聞に、新しいいろは歌(国音の歌)が募集された。通常のいろはに、「ん」を含んだ48文字という条件で作成されたものである。一等には、坂本百次郎の以下の歌が選ばれ、「とりな順」として、戦前には「いろは順」とともに使用されていた。

とりなくこゑす ゆめさませみよあけわたる ひんかしをそらいろはえて おきつへにほふねむれゐぬ もやのうち
鳥啼く声す 夢覚ませ見よ明け渡る 東を空色映えて 沖つ辺に帆船群れゐぬ 靄の中



暗号説[編集]

巷間の一部に、いろは歌の作者が折句で暗号を埋め込んでいるとする俗説が古くから流布している。暗号とからめて表面上の文意にも二重三重の異なった意味なども指摘される。『金光明最勝王経音義』など古文献の一部では、七五調の区切りではなく、下のように七文字ごとに区切って書かれていることがある。この書き方で区切りの最後の文字を縦読みすると「とか(が)なくてしす(咎無くて死す)」となる。これをもっていろは歌には作者の遺恨が込められており、源高明を作者とする説が出た。しかし大矢透はこれを「付会」としている[14]。また作者は高明ではなく柿本人麻呂であるとし、同じく五文字目を続けて読むと「ほをつのこめ(本を津の小女)」となる(本を津の己女、大津の小女といった読み方もある)。つまり、「私は無実の罪で殺される。この本を津の妻へ届けてくれ」といった解釈もある。

いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす
いろはにほへとちりぬるをわかよたれそつねならむうゐのおくやまけふこえてあさきゆめみしゑひもせす



義太夫浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」とは、赤穂浪士四十七士をいろは仮名四十七文字になぞらえたものだとされているが、じつはこの「とがなくてしす」の暗号が当時広く知られていることを前提として「仮名手本」と付けられたのだともいう。すなわち赤穂浪士たちが「咎無くして死んだ」ことを意味するというものである[15]。江戸時代はこの読みは偶然という見方が主流だったが、縁起が悪いので教育に用いるべきではないという意見もあった。

地名でのイロハの例[編集]
千葉県(地名にイロハ順を採用している地域が多く見られる。いろは順の記事を参照) 旭市(旭地区)
香取市(佐原地区)
匝瑳市(八日市場地区)
山武市(蓮沼地区)

諸行無常

諸行無常(しょぎょうむじょう、sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。

解説[編集]

涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。釈迦が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。

「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。

「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。
生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。
なお涅槃経では、この諸行無常の理念をベースとしつつ、この世にあって、仏こそが常住不変であり、涅槃の世界こそ「常楽我浄」であると説いている。

しばしば空海に帰せられてきた『いろは歌』は、この偈を詠んだものであると言われている。
いろはにほへどちりぬるを  諸行無常
わがよたれぞつねならむ   是生滅法
うゐのおくやまけふこえて  生滅滅已
あさきゆめみじゑひもせず  寂滅為楽


パーリ語ではこの偈は次のようである。
諸行無常  aniccaa vata saGkhaara
是生滅法  uppaadavayadhammo
生滅滅已  uppajjitvaa nirujjhanti
寂滅為楽  tesaM ruupasamo sukho


三法印・四法印は釈迦の悟りの内容であるとされているが、釈迦が「諸行無常」を感じて出家したという記述が、初期の『阿含経』に多く残されている。

なお平家物語の冒頭にも引用されている。

縁起

縁起(えんぎ)
1.仏教の縁起。下記で詳述。
2.一般には、良いこと、悪いことの起こるきざし・前兆の意味で用いられ、「縁起を担ぐ」、「縁起が良い」、「縁起が悪い」などと言う。このような意味から、「縁起直し」、「縁起物」などという風俗や習慣がうかがわれる。
3.寺社縁起。故事来歴の意味に用いて、神社仏閣の沿革(由緒)や、そこに現れる功徳利益などの伝説を指す。



仏教

Dharma wheel

基本教義

縁起 四諦 八正道
三法印 四法印
諸行無常 諸法無我
涅槃寂静 一切皆苦
中道 波羅蜜 等正覚

人物

釈迦 十大弟子 龍樹

信仰対象

仏の一覧

分類

原始仏教 部派仏教
大乗仏教 密教
神仏習合 修験道

宗派

仏教の宗派

地域別仏教

インド スリランカ
 中国 台湾 チベット
日本 朝鮮
東南アジア タイ


聖典

経蔵 律蔵 論蔵

聖地

八大聖地

歴史

原始 部派
上座部 大乗
ウィキポータル 仏教

表・話・編・歴


縁起(えんぎ、サンスクリット:pratiitya-samutpaada、パーリ語:paTicca-samuppaada)とは、仏教の根幹をなす発想の一つで、「原因に縁って結果が起きる」という因果論を指す。

開祖である釈迦は、「此(煩悩)があれば彼(苦)があり、此(煩悩)がなければ彼(苦)がない、此(煩悩)が生ずれば彼(苦)が生じ、此(煩悩)が滅すれば彼(苦)が滅す」という、「煩悩」と「苦」の認知的・心理的な因果関係としての「此縁性縁起」(しえんしょうえんぎ)を説いたが、部派仏教・大乗仏教へと変遷して行くに伴い、その解釈が拡大・多様化・複雑化して行き、様々な縁起説が唱えられるようになった。



目次 [非表示]
1 概要
2 歴史的変遷 2.1 初期仏教
2.2 部派仏教
2.3 大乗仏教

3 その他 3.1 機縁説起

4 脚注
5 関連項目


概要[編集]

仏教の縁起は、釈迦が説いたとされる


「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」

という命題に始まる。これは上記したように、「煩悩」と「苦」の因果関係としての「此縁性縁起」(しえんしょうえんぎ)であり、それをより明確に説明するために、十二因縁(十二支縁起)や四諦・八正道等も併せて述べられている。

部派仏教の時代になると、膨大なアビダルマ(論書)を伴う分析的教学の発達に伴い、「衆生」(有情、生物)の惑業苦・輪廻の連関を説く「業感縁起」(ごうかんえんぎ)や、現象・事物の生成変化である「有為法」(ういほう)としての縁起説が発達した。

大乗仏教においては、中観派の祖である龍樹によって、説一切有部等による「縁起の法」の形式化・固定化を牽制する格好で、徹底した「相互依存性」を説く「相依性縁起」(そうえしょうえんぎ)が生み出される一方、中期以降は、唯識派の教学が加わりつつ、再び「衆生」(有情、生物)の内部(すなわち、「仏性・如来蔵」「阿頼耶識・種子」の類)に原因を求める縁起説が発達していく。

歴史的変遷[編集]

初期仏教[編集]

経典によれば、釈迦は縁起について、



私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである。

− 『南伝大蔵経』12巻、234頁

と述べた。またこの縁起の法は、



わが作るところにも非ず、また余人の作るところにも非ず。如来(釈迦)の世に出ずるも出てざるも法界常住なり。如来(釈迦)は、この法を自ら覚し、等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生のために分別し演説し開発(かいほつ)顕示するのみなり

と述べ、縁起はこの世の自然の法則であり、自らはそれを識知しただけであるという。

縁起を表現する有名な詩句として、『自説経』では、



此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す。

− 小部経典『自説経』(1, 1-3菩提品)

と説かれる。

この「此縁性縁起」(しえんしょうえんぎ)の命題は、「彼」が「此」によって生じていることを示しており、この独特の言い回しは、修辞学的な装飾や、文学的な表現ではなく、前後の小命題が論理的に結び付けられていて、「此があれば彼があり」の証明・確認が、続く「此がなければ彼がない」によって、「此が生ずれば彼が生じ」の証明・確認が、「此が滅すれば彼が滅す」によって、それぞれ成される格好になっている。

既述の通り、この「此」と「彼」とは、「煩悩」と「苦」を指しており、その因果関係は、「十二因縁」等[1]や「四諦」としても表現されている。

また、この因果関係に則り、「煩悩」を発見し滅することで「苦」を滅する実践法(道諦)として、「八正道」や戒・定・慧の「三学」等が、説かれている。







此縁性





十二因縁

部派仏教[編集]

部派仏教の時代になり、部派ごとにそれぞれのアビダルマ(論書)が書かれるようになるに伴い、釈迦が説いたとされる「十二支縁起」に対して、様々な解釈が考えられ、付与されていくようになった。それらは概ね、衆生(有情、生物)の「業」(カルマ)を因とする「惑縁(煩悩)・業因→苦果」すなわち「惑業苦」(わくごうく)の因果関係と絡めて説かれるので、総じて「業感縁起」(ごうかんえんぎ)と呼ばれる。


有力部派であった説一切有部においては、「十二支縁起」に対して、『識身足論』で 「同時的な系列」と見なす解釈と共に「時間的継起関係」と見なす解釈も表れ始め、『発智論』では十二支を「過去・現在・未来」に分割して割り振ることで輪廻のありようを示そうとするといった(後述する「三世両重(の)因果」の原型となる)解釈も示されるようになるなど、徐々に様々な解釈が醸成されていった。そして、『婆沙論』(及び『倶舎論』『順正理論』等)では、
「刹那縁起」(せつなえんぎ)--- 刹那(瞬間)に十二支全てが備わる
「連縛縁起」(れんばくえんぎ)--- 十二支が順に連続して、無媒介に因果を成していく
「分位縁起」(ぶんいえんぎ)--- 五蘊のその時々の位相が十二支として表される
「遠続縁起」(えんばくえんぎ)--- 遠い時間を隔てての因果の成立

といった4種の解釈が示されるようになったが、結局3つ目の「分位縁起」(ぶんいえんぎ)が他の解釈を駆逐するに至った。説一切有部では、この「分位縁起」に立脚しつつ、十二支を「過去・現在・未来」の3つ(正確には、「過去因・現在果・現在因・未来果」の4つ)に割り振って対応させ、「過去→現在」(過去因→現在果)と「現在→未来」(現在因→未来果)という2つの因果が、「過去・現在・未来」の3世に渡って対応的に2重(両重)になって存在しているとする、輪廻のありようを説く胎生学的な「三世両重(の)因果」が唱えられた。

(なお、この説一切有部の「三世両重(の)因果」と類似した考え方は、現存する唯一の部派仏教である南伝の上座部仏教、すなわちスリランカ仏教大寺派においても、同様に共有・継承されていることが知られている[2]。)

三世両重(の)因果



過去因→現在果

現在因→未来果





無明 愛・取


行 有




識 生
名色・六処・触・受 老死


また、説一切有部では、こうした衆生(有情、生物)のありように限定された「業感縁起」だけではなく、『品類足論』に始まる、「一切有為」(現象(被造物)全般、万物、森羅万象)のありようを表すもの、すなわち「一切有為法」としての縁起の考え方も存在し、一定の力を持っていた(参考 : 五位七十五法)。

一般的に「因縁生起」(いんねんしょうき)の有為法として説明される縁起説[3]もその一形態である。これは、ある結果が生じる時には、直接の原因(近因)だけではなく、直接の原因を生じさせた原因やそれ以外の様々な間接的な原因(遠因)も含めて、あらゆる存在が互いに関係しあうことで、それら全ての関係性の結果として、ある結果が生じるという考え方である。

なお、その時の原因に関しては、数々の原因の中でも直接的に作用していると考えられる原因のみを「因」と考え、それ以外の原因は「縁」と考えるのが一般的である。






因縁生起
大乗仏教[編集]

大乗仏教においても、部派仏教で唱えられた様々な縁起説が批判的に継承されながら、様々な縁起説が成立した。

ナーガールジュナ(龍樹)は、『般若経』に影響を受けつつ、『中論』等で、説一切有部などの「法有」(五位七十五法)説に批判を加える形で、「有為」(現象、被造物)も「無為」(非被造物、常住実体)もひっくるめた、徹底した「相依性」(そうえしょう、相互依存性)としての縁起、いわゆる「相依性縁起」(そうえしょうえんぎ)を説き、中観派、及び大乗仏教全般に多大な影響を与えた。

(特に、『華厳経』で説かれ、中国の華厳宗で発達した、「一即一切、一切即一」の相即相入を唱える「法界縁起」(ほっかいえんぎ)との近似性・連関性は、度々指摘される[4]。)


大乗仏教では、概ねこうした、「有為」(現象、被造物)も「無為」(非被造物、常住実体)もひっくるめた、壮大かつ徹底的な縁起観を念頭に置いた縁起説が 、醸成されていくことになるが、こうした縁起観やそれによって得られる「無分別」の境地、そして、それと対照を成す「分別」等に関しては、いずれもそうした認識の出発点としての「心」「識」なるものが、隣り合わせの一体的な問題・関心事としてついてまわることになるので、(上記の部派仏教(説一切有部)的な「業感縁起」等とは、また違った形で)そうした「心」「識」的なものや、衆生(有情、生物)のありようとの関連で、縁起説が唱えられる面がある。(大乗仏教中期から特に顕著になってくる、仏性・如来蔵の思想や、唯識なども、こうした縁起観と関連している。)

主なものとしては、
「唯心縁起」(ゆいしんえんぎ)--- 『華厳経』十地品で説かれる、三界(欲界・色界・無色界)の縁起を一心(唯心)の顕現として唱える説(三界一心、三界唯心)。
「頼耶縁起」(らやえんぎ)--- 瑜伽行唯識派・法相宗で説かれる、阿頼耶識(あらやしき)からの縁起を唱える説。
「真如縁起」(しんにょえんぎ)・「如来蔵縁起」(にょらいぞうえんぎ)---「一切有為」(現象(被造物)全般、万物、森羅万象)は、真如(仏性・如来蔵)からの縁によって生起するという説。馬鳴の名に擬して書かれた著名な中国撰述論書である『大乗起信論』に説かれていることでも知られる。

などがある。

また、 真言宗・修験道などでは、インドの六大説に則り、万物の本体であり、大日如来の象徴でもある、地・水・火・風・空・識の「六大」によって縁起を説く「六大縁起」(ろくだいえんぎ)などもある。

その他[編集]

機縁説起[編集]

縁起は、「機縁説起」として、衆生の機縁に応じて説を起こす、と解釈されることもある。

たとえば華厳教学で「縁起因分」という。これは、さとりは、言語や思惟をこえて不可説のものであるが、衆生の機縁に応じるため、この説けないさとりを説き起すことをさす。

色 (仏教)

仏教における色(しき、サンスクリット:ruupa)とは、一般に言う存在のことである。「色法」と同じ意味。

仏教ではすべてが修行・禅定を前提に考えられるため、存在はすべて物質的現象と見なされる。色は認識の対象となる物質的現象の総称で、感覚器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって認識する対象(「境」)の一つ。特に眼識の対象。

物質的現象であるから、諸行無常・諸法無我であり、縁起であるからこのような現象が生じている。

『般若心経』の「色即是空 空即是色」における「色」は、「色・受・想・行・識」の五蘊の一つで、「(人間の肉体を含む)全ての物質」を意味する。

六欲天

六欲天(ろくよくてん)は、天部(神)のうち、いまだ欲望に捉われる6つの天界をいう。六天ともいう。またそのうちの最高位・他化自在天を特に指して言う場合もある。

他化自在天は、天魔波旬(てんま・はじゅん)の住処であることから、織田信長は「六欲天の魔王」と自称したといわれる。

概略[編集]

仏教では、六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)、また十界(六道の上に声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界を加えたもの)といった世界観がある。

このうち、六道の地獄から人間までは欲望に捉われた世界、つまり欲界という。しかし天上界では細部に分けられ、上に行くほど欲を離れ、物質的な色界・そして精神的な無色界(これを三界という)がある。

ただし、天上界の中でも人間界に近い下部の6つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため、これを六欲天という。

六欲天を上から記載すると次の通りとなる。
他化自在天(たけじざいてん)
欲界の最高位。また天界の第6天、天魔波旬の住所。化楽天(けらくてん、楽変化天=らくへんげてん、とも)
六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする。兜率天(とそつてん、覩史多天=としたてん、とも)
六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある。夜摩天(やまてん、焔摩天=えんまてん、とも)
六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界。忉利天(とうりてん、三十三天=さんじゅうさんてん、とも)
六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所。四大王衆天(しだいおうしゅてん、四天王の住む場所)
六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所。

衆生

衆生 (しゅじょう,(sanskrit)sattva सत्त्व,(pali)satta सत्त, (sanskrit)bahujana बहुजन)は、生命あるものすべて。

概要[編集]

玄奘訳では有情(うじょう)と表記する。「梵に薩埵(さった)という。ここに有情という。情識あがゆえに」(唯識述記 )といわれるように、感情や意識をもっているものの意味で、山河大地などの非情(ひじょう)に対して、一切の生きとし生けるもののすべてを含めていわれる。この点で、多くのものが共に生存しているという意味で「bahujana」といわれ、衆人と訳される。

衆生の中には、人間だけでなく、動物など他の生命も含まれている。その点、衆生や有情という言葉は、広い意味に用いられる。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏といわれる十界の中でも、一般的には前の六道にあるものをさす。

したがって、衆生は、そのまま人間のことではない。この意味で「わたくしは人間である」といういい方は、仏教では適当でなく、厳密には「わたくしは人間界の衆生である」というべきである。

仏教で人間は、サンスクリット語で「マヌシャ」(manuSya मनुष)といわれ、ヨーロッパでの「マン」(en:man)「メンシュ」(de:Mensch)と同じく「考えるもの」の意味である。

仏教では人間とは人間の境界のことで、単なる個人とは考えず、多くの人に接し、人びとと共にある世界のことで、主として思考を中心に生きているものの意味である。仏教の中に、われわれが自分の在り方を求める場合、衆生という表現の方が「人間」と呼ぶより本来的である。
サンスクリット語の「サットヴア」、パーリ語の「サッタ」は、「生きているもの、存在するもの」の意味である。ところが、これを「衆生」と訳した中国人の受け取り方に、人間の在り方への深い反省がみられると同時に、そこには仏教の思想がよく言いあらわされている。

衆生が、「バフジャナ」と言われるのは、多くのものと一緒に生存しているものを意味し、衆多之生(しゅうたのしょう)の意味である。輪廻転生といろいろな生をめぐる人間の姿の反省からいわれる場合で、「いろいろと多くの生死をもっているもの」の意味である。これを人間はお互いにみな各自別々の生活を営んでいるという点から「異生」(いしょう)と同じ意味とみることがある。

「異性」とはサンスクリット語のプリタグジャナ(pRthagjana पृΝग्जन)、チベット語のソソル・ケボ(so-sor-skyes-bo)で、しばしば凡夫(ぼんぶ)と同じ意味である。各自の担っている業(ごう、karman)、現に造りつつある業によって生きている。日々心で考え、話し、行動する。この人間の心と言葉と行為は、それぞれの人びとの生活の仕方を決定し、規定づける。これによって、幸福も不幸も、一切の生活は自己の責任において行なわれる。このように、自己の生活を自己の責任において考えてゆく生き方こそ、もっとも人間らしい生き方であるとするのが、衆生と呼んで自己を見つめた仏教徒の態度を示している。

漢訳仏典で、衆生を衆縁所生(しゅうえんしょしょう)と分析する。この場合は、一般にはいろいろの原因と条件が組み合わさって、いろいろな結果を生み出すのであるから、このわたくしの生存は、単一の原因だけでなく、多くの条件によるのだと、外からの条件を重くみる考え方と思われる。
この解釈の根源は、釈迦の正覚の内容といわれる縁起(えんぎ)そのものを意味し、縁生(えんしょう)ということである。すなわち、あらゆる存在は、自分自身に存在性をもつものではなく、他によって存在性をあたえられて存在するということである。すべての存在は、もともと空(くう)でありながら、そのままで縁起して有(う)である。

自らに即して言えば、わたくしは、独りぼっちでは生きられず、他と関係することにおいてのみ生きられるのである。歴史的には過去と未来を離れて現在のわたくしはありえないし、社会的には無限ともいうべき、多くの横とのつながりにおいて生きている。これが、衆縁所生と自己をうけとった衆生の意味である。

衆生を、衆多の妄想の生起せるものとうけとった人もある。それは、本来すべてのものは一体であるのに、それぞれ差別観をもって生きる人間の妄想顛倒を反省し、自分に対する痛烈な批判をあらわしたものである。因果の道理をしらず、責任を他に転嫁しようと腐心し、他によって生かされている自己を見失って、自己を絶対視する間違った人間の生き方への批判からあらわれた人間観を示している。

輪廻

輪廻(りんね、サンスクリット:संसार saṃsāra)は、ヴェーダ、仏典などに見られる用語で、人が何度も転生し、また動物なども含めた生類に生まれ変わること、また、そう考える思想のこと。漢字の輪廻は生命が無限に転生を繰り返すさまを、輪を描いて元に戻る車輪の軌跡に喩えたことから来ている。なお、「輪廻」をリンネと読むのは国語学上の 連声れんじょうという現象である(リン+エ=リンネ)。



目次 [非表示]
1 インドの諸宗教における輪廻 1.1 ヒンドゥー教における輪廻
1.2 仏教における輪廻 1.2.1 仏教における輪廻思想の発展
1.2.2 仏教内における輪廻思想の否定

1.3 ジャイナ教における輪廻

2 その他の地域における輪廻 2.1 古代エジプト
2.2 古代ギリシア・西洋

3 脚注
4 関連項目
5 参考文献
6 輪廻転生をモチーフにした芸術作品
7 外部リンク


インドの諸宗教における輪廻[編集]

輪廻はインドにおいてサンサーラ(saṃsāra)と呼ばれる。サンサーラとは、生き物が死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果、次の多様な生存となって生まれ変わることである。インドの思想では、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦と見、二度と再生を繰り返すことのない解脱を最高の理想とする。

ヒンドゥー教における輪廻[編集]

ヒンドゥー教の前身であるバラモン教において、はじめて断片的な輪廻思想があらわれたのは、バラモン教最終期のブラーフマナ文献[1]ないし最初期のウパニシャッド文献[2]においてである。ここでは、「輪廻」という語は用いられず、「五火」と「二道」の説として現れる。『チャーンドーギヤ』(5-3-10)と『ブリハッドアーラニヤカ』(6-2)の両ウパニシャッドに記される、プラヴァーハナ・ジャイヴァリ王の説く「五火二道説」が著名である。

五火説とは、五つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に吸収されて穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、そして再び誕生するという考え方である。二道説とは、再生のある道(祖霊たちの道)と再生のない道(神々の道)の2つを指し、再生のある道(輪廻)とはすなわち五火説の内容を示している[3]。

これが、バラモン教(後のヒンドゥー教)における輪廻思想の萌芽である。そして様々な思想家や、他宗教であるジャイナ教、仏教などの輪廻観の影響も受けつつ、後世になってヒンドゥー教の輪廻説が集大成された。すなわち、輪廻教義の根幹に、信心と業(カルマ、karman)を置き、これらによって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カースト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。

行為が行われた後、なんらかの結果(para)がもたらされる。この結果は、行為の終了時に直ちにもたらされる事柄のみでなく、次の行為とその結果としてもまた現れる。行為は、行われた後に、なんらかの余力を残し、それが次の生においてもその結果をもたらす。この結果がもたらされる人生は、前世の行為にあり、行為(カルマ)輪廻の原因とされた。

生き物は、行為の結果を残さない、行為を超越する段階に達しない限り、永遠に生まれ変わり、生まれ変わる次の生は、前の生の行為によって決定される。

これが、業(行為)に基づく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されてインド人の死生観・世界観を形成してきたのである。

仏教における輪廻[編集]

仏教においても、伝統的に輪廻が教義の前提となっており、輪廻を苦と捉え、輪廻から解脱することを目的とする。仏教では輪廻において主体となるべき我、永遠不変の魂は想定しない(無我)[4]。この点で、輪廻における主体として、永遠不滅の我(アートマン)を想定する他のインドの宗教と異なっている。

無我でなければそもそも輪廻転生は成り立たないというのが、仏教の立場である。輪廻に主体(我、アートマン)を想定した場合、それは結局、常住論(永久に輪廻を脱することができない)か断滅論(輪廻せずに死後、存在が停止する)に陥る。なぜなら主体(我)が存在するなら、それは恒常か無常のどちらかである。恒常であるなら「我」が消滅することはありえず、永久に輪廻を続けることになり、無常であるなら、「我」がいずれ滅びてなくなるので輪廻は成立しない。このため主体を否定する無我の立場によってしか、輪廻を合理的に説明することはできない[4]。

仏教における輪廻とは、単なる物質には存在しない、認識という働きの移転である。心とは認識のエネルギーの連続に、仮に名付けたものであり[5]、自我とはそこから生じる錯覚にすぎないため[5]、輪廻における、単立常住の主体(霊魂)は否定される。輪廻のプロセスは、生命の死後に認識のエネルギーが消滅したあと、別の場所において新たに類似のエネルギーが生まれる、というものである。[6]このことは科学のエネルギー保存の法則にたとえて説明される場合がある。[7]この消滅したエネルギーと、生まれたエネルギーは別物であるが、流れとしては一貫しているので[8][6]、意識が断絶することはない。[9][5]また、このような一つの心が消滅するとその直後に、前の心によく似た新たな心が生み出されるというプロセスは、生命の生存中にも起こっている。[6]それゆえ、仏教における輪廻とは、心がどのように機能するかを説明する概念であり、単なる死後を説く教えの一つではない。

仏教における輪廻思想の発展[編集]

成立がもっとも早い、最古層のグループとして分類される経典に、ダンマパダ、およびスッタニパータがあり、これらの経典にも輪廻思想が登場する。 ダンマパダにおいては単純に、善趣(良き境遇)と悪趣(悪しき境遇)として説かれている。スッタニパータでは悪趣として具体的に、地獄が説かれ、そこでは獄卒によって様々な責め苦に遭わされるという。

部派仏教の時代になると、世親(ヴァスバンドゥ)の『倶舎論』に、天・人・畜生・餓鬼・地獄の五趣(五道)輪廻の説が見られ、命あるものは、この五趣を輪廻するものとされた。

後にこの五趣に、闘争にあけくれる境遇として阿修羅が加わり、これら天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄を、併せて六道と称するようになった。

後代になり大乗仏教が成立すると、輪廻思想はより一層発展した。自らの意のままにならない六道輪廻の衆生と違い、自らの意思で転生先を支配できる縁覚・声聞・菩薩・如来としての境遇を想定し、六道と併せて十界を立てるようになった。

仏教内における輪廻思想の否定[編集]

一方、現代の仏教者、僧侶、仏教研究者の中には、「釈迦は輪廻説を前提としておらず、インドに古代から信じられて半ば常識化していた輪廻を直接的に否定することをせず、方便として是認したに過ぎない」と主張する者も少なくない。[10]

輪廻転生を理論的基盤として取り込んだインド社会のカースト差別に反発してインドにおける仏教復興を主導したビームラーオ・アンベードカルは、独自のパーリ仏典研究の結果、「ブッダは輪廻転生を否定した」という見解を得た。この解釈はアンベードカルの死後、インド新仏教の指導者となった佐々井秀嶺にも受け継がれている[11]。 このように輪廻否定を積極的に主張する仏教徒グループを、断見派と呼ぶ。

ジャイナ教における輪廻[編集]

詳細は「サンサーラ (ジャイナ教)」を参照

ジャイナ教において輪廻とは、様々な存在領域への再生・復活が繰り返されることを特徴とする、この世での生活のことを言う。輪廻は苦痛・不幸に満ちたこの世の存在であり、そのため望ましくない、放棄するべきものだとされる。輪廻には始まりがなく、魂は悠久の過去からカルマに縛られていたことに気付くのである。モクシャ(解脱)は輪廻から解放される唯一の手段である。

その他の地域における輪廻[編集]

古代エジプト[編集]

[icon] この節の加筆が望まれています。

古代ギリシア・西洋[編集]

古代ギリシアなどにはオルペウス教やピタゴラス教団、プラトンなど一部で輪廻の発想はあったが、その後に来るキリスト教文化圏の、人間を他の動物から峻別する伝統にとっては異端である。ただ、欧米のキリスト教文化圏でも、Reincarnation(リンカネーション、もしくはリインカネーション)という霊魂の生まれ変わりないしは転生の概念は存在する。例えば神秘学の範疇においては、輪廻はその教義展開の題材となっていることが多く、信奉者も多い。また、怪奇小説や映画の題材になることもある。なお、神秘学の歴史は比較的新しいもので、これといった起源は特定しにくい。つまり、西洋においては、時間は直線のように進むが、輪廻の字義通り輪のように循環するという発想は伝統的教義には見られないのである。なお、10世紀半ばにフランス南部とイタリア北部で行われた反聖職者運動であるカタリ派はグノーシス主義の二元論などの影響を受けており、この世は悪であり、悪人が現世に転生する、という教義を持っていた。

脚注[編集]

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1.^ ブラーフマナは、ヴェーダのシュルティ(天啓文書)のひとつで、ヴェーダの祭式を解説するいくつかの注釈書。紀元前900年頃から紀元前500年頃にかけて成立したされ、この時代をブラーフマナ時代という。
2.^ 紀元前800年頃以降にサンスクリットで書かれた哲学書で「奥義書」と称される。
3.^ 『南アジアを知る事典』(1992)
4.^ a b 石飛道子『仏教と輪廻(下)ブッダは輪廻を説かなかったか』 http://homepage1.nifty.com/manikana/essay/reincarnation2.html
5.^ a b c V.F Gunaratna 『仏教から見る死(中)』 http://www.j-theravada.net/dhamma/reflection-2.html
6.^ a b c V.F Gunaratna 『仏教から見る死(下)』 http://www.j-theravada.net/dhamma/reflection-3.html
7.^ A.スマナサーラ, 藤本晃(共著)『アビダンマ講義シリーズ〈第5巻〉業(カルマ)と輪廻の分析』サンガ、p.83
8.^ アビダルマ教学では、二つのエネルギーの因果関係が距離の影響を受けるとは考えない。(V.F Gunaratna 『仏教から見る死(中)』)
9.^ 仏教は完全な意識(路心 citta-vīthi)と無意識(有分心 bhavanga-citta)を区別し、どちらも意識(viññāna)と見做す。(V.F Gunaratna 『仏教から見る死(中)』)
10.^ 和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』岩波書店、望月海慧『ブッダは輪廻思想を認めたのか』日本佛教学會年報第六十六号、並川孝儀『ゴータマ・ブッダ考』大蔵出版など
11.^ アンベードカル『ブッダとそのダンマ』光文社、田中公明『性と死の密教』春秋社、山際素男『破天 インド仏教徒の頂点に立つ日本人』光文社
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