2020年04月27日
仕事をしていてツライことC
昨日の「日曜美術館」で紹介していた
100歳の画家の女性にめっちゃ感動!した!
そのVTRは以前にも見たことがあって、そのときも
じぃーんと胸が熱くなったことを覚えている。
そして現在…、104歳で現役!
(よかった!)
次の作品にも意欲的に取り組んでいる。
その画家の女性は、大きなキャンパスに青い芥子の花を描きながら
とても幸福そう。
だんだん、絵がわかってくるんです…と言いながら
描いている。
100歳でも…
描いても描いても
描けば描くほど…
絵というものは完成がなく
描いていけるものなのだ。
目的が見つかれば、人生はあまりにも短い。
100年では足りない。
でも…
目的が見つからなければ
100年はあまりにも長い。
それは酷な話だけど真実だ。
目的や目標は、他人が与えてあげるものではない。
私も漫画を描いてきて長いけど
おもえば…
自由に「描いている!」と実感できている時は
まだ、あまり無い。
あることはある、けどとても少ない。
漫画家の仕事というものは
まだまだ画家や小説家ほど
「偉い」ものではない。
画家や小説家のように
自分の意見を描く、
自分の考えを描く、
世間に問いかける、
世間を変える、目覚めさせる
などという高貴なものでも
芸術的なものでもなくて
「仕事」となると常に上に編集者が
構えている。
編集者が、出版社が、
見出して、売ってやる、という形が
まだまだ主流なのだ。
私は幼い頃、手塚治虫や竹宮恵子、その他大勢の
素晴らしい漫画に出会って
「目覚めた」し、
生きていくことができた。
それなのに…
漫画はエンタメ的なだけではなく
充分、芸術的だし、世の中を問うものだとおもうし
目覚めさせるものだと思う。
そう思って私は漫画家になったはずなのに…
いつまでも
「売れてない」
「無名」
ということが私を消極的にさせているし、
編集者に対し委縮してしまうし
どうしても
「仕事をいただく」という姿勢でいてしまう。
私は何も、編集者にへいこらとしてほしいわけではない。
ただ、私は私の漫画を描いていきたいだけ。
漫画も
描いても、描いても
終わりが無い。
それは別に「10ねんも連載が続いた」とか
「100巻までいった」
ということではなくて。
私は基本、読み切りがいい。
短編小説がいい。
1本の映画くらいのストーリーがいい。
それを何本も何本も積み重ねて自分を表現していきたい。
なぜ、漫画だけがいつまでも地位が低いのだろう、と思う。
出版社から依頼を受けて仕事をしていると
「スゴイですねー」と言われるけど
何がスゴイのだろう。
当然のようにプロットを提出させられて
それをチェックさせられ
ダメ出しを受け、
結局、どこかで見たような話にまとまる。
私の意見、考えなど、まるで無いかのように扱われて
「このプロットじゃわからない」
「これではウチの読者向きじゃない」
と言われる。
プロットでわからないのは当たり前なんだ。
逆にいうと、プロットですべてわかってしまうような
漫画は、漫画として失敗なんだ。
でもプロットが通らないと、仕事につながらないのだ。
1本が32ページとして、
32ページを原稿にするには
1カ月かかる。
1ページにつき5時間ほどかかるからだ。
(ネーム抜きで)
1カ月すべてをついやして
やっと32ページ描ける。
1年は12カ月しかない。
1本につき12ぶんの一を費やす。
そして私は若くない。
命には限りがある。
できれば100歳になっても描きたいけど
今のような形で描くのであれば、
当然もたない。
「売れてないくせに」と
言われるかもしれないけど、
本当に自分の、描きたいことを描きたい。
趣味で描くにしても、
32ページでまるまる1カ月かかってしまうので
原稿料がでないと、生きていけない。
プロットからネームまで、
編集者と何回も話し合って
直しながらできたネームと
自分が「描きたい」とおもいながら描くネームで
絶対に「おもしろい」と思うのは
後者なのだ。
描いていても幸せだし、いつまでも描きたいし、
(きっと)読者の心に響くのは
後者…なのに。
実際、長いことやってて
たいして売れないしいつまでも無名だった。
編集者の意見を入れながら描いたって
自分も読者もたいしておもしろいとおもってもらえてないのだ。
ここ2年くらい、ずっとうだうだと悩んでる。
どうしても壁を越えられなくて。
どうしても…
自分の描きたいものを自由に描いて
生きていきたいのに。
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