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2018年07月24日

大人なんて信じられない

学校のいじめが社会問題になって騒がれた。
政府は、この問題を深刻視すると言ったが、
なかなか本腰を上げて解決には乗り出さなかった。

当たり前である。
どんなに子供たちが困っていても、彼らには選挙の投票権がないのだ。
選挙の時に一票を投じてくれない国民の問題など、
政治家たちにとっては、後回しなのである。

学校のいじめが社会問題になって騒がれた。
しかし、ほとんどの大人はあまり解決に乗る気ではなかった。
解決に取り組んだところで、自分の利益にはつながらなかったからである。
しょせん、大人なんて、そう言う生き物なのだ。

沢山の子供たちがいじめに悩んでいるはずなのに、
なぜ、いじめ被害者向けの対策本やグッズとかが販売されても、
大して売れないのだろうか?
理由は簡単である。
いじめ被害者たちは、
自分が被害者だとは大っぴらには思われたくないのだ。
そんな人たちが、堂々といじめ対策グッズを買い求める訳がないのである。

「いじめっ子の笑い話」

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タグ:いじめ

2018年07月23日

穴だらけのいじめ防止法

いじめ禁止法が制定された。
「被害者が心身の苦痛を感じているもの」がいじめである、と定めた。
いじめっ子は、力づくで脅迫して、
被害者に「苦痛を感じている」とは言わせなかった。
だから、どのいじめもいじめ禁止法では取り締まれず、
相変わらず、いじめは無くならなかった。

いじめ禁止法が制定された。
「被害者が心身の苦痛を感じているもの」がいじめである、と定めた。
しかし、苦痛かどうかは本人(被害者)にしか分からないものだ。
いじめの問題で煩わされたくない教師や大人たちは、
はっきりといじめを見かけても、わざと気が付かなかったふりをした。
相変わらず、いじめは無くならなかった。


「いじめっ子の笑い話」

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2018年07月22日

幽霊が加害者を祟る訳

学校のいじめで、被害者が自殺した。

その被害者は、幽霊になって、いじめっ子たちのたむろしている場所に現れた。

「僕をいじめた張本人は誰だー?」
と、幽霊は恨めしげに、いじめっ子たちに尋ねた。

「俺じゃない。俺は、命令されて、仕方なく、いじめただけだ。
命令に逆らうと、俺もいじめられるんだ」

と、一人目のいじめっ子が言い訳した。

「俺も違う。他の奴がいじめていたから、混ざっただけだ。
皆と一緒に行動しないと、俺もいじめられるんだ」

と、二人目のいじめっ子が言い訳した。

「俺のせいでもない。なんとなく、誰かをいじめないと、いけなさそうな雰囲気だったんだ。
それで、俺はいじめを指揮しただけだ。
指揮しなきゃ、俺がいじめられていたかもしれないんだ」

と、最後にいじめっ子のボスが言い訳した。

ほざくなー!何でもかんでも、人のせいにするな!
いじめの先頭に立った貴様が悪くなければ、誰が悪いって言うんだ?
貴様が指揮をとらなければ、誰も僕をいじめなかったんだぞ!
他の皆だって、いじめをしなかったし、いじめの陰に怯えずに済んだんだ!」

幽霊は、いじめっ子のボスに飛びかかった。

そのまま、いじめっ子のボスの首根っこを掴んで、地獄に突き落とすと、
いじめっ子のボスを踏み台に使って、その幽霊自身は天国に昇っていった。

(解説)弱いものをいじめて、殺したり、自殺させた者は、現世をぬくぬくと生き抜けたとしても、死んだ後に、被害者の天国行きの踏み台に使われて、必ず地獄に堕ちるよ。

「いじめっ子の笑い話」

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2018年07月12日

いじめっ子の逆襲?

 最近、「いじめっ子が罪悪感を抱いている」と言う話を、よく聞きます。

 その事に対して、「罪悪感を抱けるだけ偉い」と讃える声も、「罪悪感を抱いてるフリをして、よく見られたいだけだ」と否定的な意見も、両方、あるようです。
 まあ、どちらの意見も一理あるんですよね。

 罪悪感を抱いたいじめっ子にも、容赦なく、厳しい態度をとれば、いじめをした連中は、罪悪感を抱いても無駄だと考えるようになり、開き直って、ますます、罪悪感すら抱かない、悪質ないじめっ子になるでしょう。

 しかし、だからと言って、被害者を自殺させたり、殺しかけたようないじめっ子でさえも、罪悪感を抱けば、許されるのかと言うと、それはそれで、あとから罪悪感さえ抱いた事にすれば、いじめる側はやりたい放題という事になってしまうでしょう。

 大事なのは、いじめっ子を、一緒くたにして考える事ではないのです。いじめっ子を区別する事が必要なのであり、だからこそ、私はいじめっ子カーストを強く提案しているのです。

 すなわち、罪悪感を抱くかどうかが重要なのではなく、罪悪感を抱かなくても、許されるいじめっ子もいるし、罪悪感を抱こうと、クソみたいな悪質ないじめっ子は、それだけでは絶対に許されないという事です。

 罪悪感を抱けるかどうかではなく、クソみたいな悪質ないじめっ子にならないように、自主的に努めてゆく事こそが、本当に許されるいじめっ子だと言う事です。

「いじめっ子の笑い話」


2018年04月23日

いじめっ子カースト いじめが無くならない訳

 いじめの問題に目を向けたがらないのは、いじめっ子だけではありません。実際は、皆が目を向けたくないのです。

 被害者は、確かに、いじめられて辛いかもしれませんが、だからと言って、いじめられている事を訴えても「まずは、自分で努力しろ」と言われてしまったら、それでオシマイです。実際、周囲に助けを求めても、そんな態度を取られて、むげに突き放されてしまうケースが多いのです。助けてもらえない上に、自分の努力不足のせいにされるなんて、ただいじめられているだけよりも、キツイ状況だと言えるでしょう。

 だから、多数の被害者は、すでに自力ではどうしようもなくても、他人には打ち明けられず、我慢してしまうのです。これは、いじめに限らず、DV、セクハラ、家庭内虐待など、全ての被害者に共通して言える話ですね。

 被害者が黙り込むのをいい事に、「被害者が訴えでなければ、助けようがない」としゃあしゃあと言ってのける第三者たちがいます。彼らもまた、いじめに目を向けたくないから、そんな態度をとるのです。ヘタにいじめの問題に積極的に口を挟めば、「だったら、お前が何とかしろ」と言われかねないからです。

 基本的に、いじめの問題を絶対的に解決できる自信のある人たちはいません。それどころか、よけいな他人のいじめ問題に首を突っ込めば、ムダな被害が自分にも及びかねないでしょう。だから、他人のいじめの話に進んで関わりたがる人はおらず、つまり、皆、目を向けたがらないのです。

 被害者が我慢してくれるのであれば、それに乗っかってしまって、第三者たちとしても、いじめには目を向けないで済むのが一番ホッとするのであります。

 こうやって、皆がいじめの問題を直視できない結果、放ったらかしとなり、いじめを無くそうという方向には状況は進まないのです。そして、いじめる側の加害者ばかりが得をして、増長する事となるのです。

 こうした悪循環を打開するべく、私が発案したアイディアこそが、いじめっ子カーストだったのであります。

「いじめっ子の笑い話」


2018年04月13日

いじめっ子カースト なぜ、いじめは減らないか?

 子どものいじめに限った話ではありませんが、パワハラとか幼児虐待とかDVだとか、世間では、これだけ悪い事だと非難されているのに、どうして、なかなか減っていく兆しが見えないのでしょうか。なぜ、これらの加害者たちは、世間の反応を気にして、自ら謹んでいこうという気持ちにもならないのでしょうか。

 理由は簡単です。

 世の中の非難の声なんて、加害者たちには聞こえてないのです。聞こえたとしても、それが自分に対する非難だとは気が付いていないのです。もっとキツく言わせてもらうなら、加害者たちは、自分に都合の悪い非難の声には、耳を傾けまいとしているのです。

 昔から「良薬口に苦し」と言うものです。人間には、基本的に、自分にとって嫌な事には目を向けたがらない習性があるのです。

 だから、正攻法の「いじめをやめようキャンペーン」なんて、実際には、いじめ対策には全く効果がないのであります。だって、肝心のいじめっ子たちが、そんなキャンペーンには心を寄せないし、見ようともしないのですから。

 いじめをすれば、いじめをするほど、加害者本人もダメージを受けるような環境を作り上げて、いじめっ子自身もいじめの問題から目をそらせなくなる状況にしなくちゃ、いじめは絶対に減らないでしょう。そういう意味で、いじめっ子カーストの手法は、いじめを無くせる方法としては決して間違ってはいないのです。

「いじめっ子の笑い話」


2018年03月21日

いじめっ子カースト 90パーセント以上は良い子

 いじめっ子を差別化した方がいい理由は、他にもあります。

 一見、クラス全体でいじめをしているように見られている学校でも、実際には、その生徒たちの90パーセント以上は、すぐにいじめを止められる子供たちばかりなのです。もっと正確に言えば、いじめなんて無くてもいいと思っている子供たちなのです。

 それなのに、なぜ彼らは、いじめの片棒をかつぐ側に身を寄せ、いじめを止める側に回ろうとしないかと言えば、そのような行動をとると、自分もいじめられてしまうからなのであります。

 ほんの一握りだけ、他人をいじめないと満足できない子供たちがいます。そんな連中がクラスや学校の主導権を握り、他の子供たちのホンネをも圧迫してしまうから、そんな学校がいじめだらけになってしまうのです。

 全ての元凶は、この一握りのいじめっ子のボスたちです。ほんとは、こんな奴らと同族ではないのにも関わらず、クラスでいじめが起きたばかりに、一緒くたにされてしまう他の子供たちがあまりにも気の毒ではありませんか。

 だからこそ、いじめっ子カーストを導入した方が、本来は悪くもない沢山の子供たちが救われる事となるのです。

「いじめっ子の笑い話」


2018年03月18日

いじめっ子カースト 良いいじめっ子と悪いいじめっ子

 いじめっ子カーストの本当の極意は、いじめっ子を「良いいじめっ子」「悪いいじめっ子」に分けて考える点にあります。だから、いじめっ子カースト(身分制度)なのです。

 「良いいじめっ子」という言い方が引っかかるようでしたら、「許されるタイプのいじめっ子」と言い換えても構いません。

 「いじめっ子は皆同じ」みたいに考えている人もいるかもしれませんが、明らかに、いじめっ子には個人差があるのです。

 いじめを積極的に主導した子も、いじめに無理やり付き合わされただけの子も、傍観者の子も、場合によっては、いじめを阻止できなかった先生や学校まで、平等な悪者扱いにされたら、そりゃあ、たまったものではありません。そうやって、何でもかんでも悪者扱いにして責め立てるから、皆でいじめを隠したり、被害者だけを犠牲にするような行動に走ってしまうのです。

 良いいじめっ子に関しては、過度に非難するのはやめましょう。許しましょう。

 そして、悪いいじめっ子に関しては、甘やかしたりせず、徹底的に責めて、いじめていいのです。

 誰だって、いじめられたくはないでしょう。こうして、いじめっ子を差別する事で、皆が「悪いいじめっ子」にならないように頑張るようになれば、悪いいじめっ子が居なくなり、いじめも悪化しなくなるのです。

「いじめっ子の笑い話」
   

いじめっ子カーストとは?

 もう何ヶ月も前から名前だけチラつかせている「いじめっ子カースト」の事を、ボツボツと説明していきたいと思います。

 いじめっ子カーストとは、要するに
「いじめっ子の事だけは、いじめてもいいんじゃないか?」
と言う発想です。

 「確かにその通りだ」とうなずく人もいれば、「とんでもない考え方だ」と反対する人もいるかもしれません。

 しかし、「いじめっ子の事をいじめてはいけない」と言う認識の方が、実際には、たいへん矛盾したものなのであります。

 なぜならば、いじめという行為が悪い事だと言うのでしたら、その視点に立つ人たちは、まず、いじめっ子のいじめ行為を否定すべきだからです。いじめっ子は抑え込もうとせずに、いじめっ子カーストの方だけを抑え込もうとするなんて、とんだ片手落ちであり、偽善もいいところなのです。

 そのような理屈すら思い浮かばずに、ただ「いじめっ子をいじめてはいけない」などと言い張っているとすれば、そのような人は、きっと、その人自身がいじめっ子いじめっ子的思考の持ち主で、自分の立場や利益を守りたいだけ「いじめっ子をいじめてはいけない」と言っているのでしょう。

 つまり、いじめっ子カーストに反対する人と言うのは、エコヒイキな偽善者か、いじめっ子のどちらかなのです。偽善者の言葉なんて聞く必要もないし、いじめっ子の事は逆にいじめてやればいい訳です。

 もっとも、いじめっ子カーストの思想は、ただ、いじめ合いを助長するだけの単純なものではありません。いじめっ子いじめではなく、あくまで「いじめっ子カースト」だと言う事です。

 これより、このブログにて、少しずつ説明していきたいと思います。最初こそ、いじめっ子カーストに否定的だった善人たちも、いじめっ子カーストの正しい仕組みが分かれば、じょじょに納得していってくださる事でしょう。

「いじめっ子の笑い話」