2016年01月24日
エッチな原初記憶その2(エログロナンセンス)
私が子どもだった頃の少年マンガは「エログロナンセンス」と言って、昨今ではアンダーグラウンド系で扱われそうな性的表現や残酷描写が、まるで規制もなく、広く世間に出回っていました。
女のおっぱいや男のオチンチンが描かれたりするのは、ごく当たり前の話で、当時は、そういったものがギャグ(笑い)の一部として認知されてましたので、今日のような過度に自粛させられる事もなかったのです。実際、私も、女の裸が出てくるマンガを児童期に相当数、読んでいたにも関わらず、それらの裸そのものは、ほとんど印象に残っていません。女の裸もおっぱいも、そういうギャグのネタなのだと正しく認識して、そのマンガを読んでいたからです。
むしろ、エロよりもグロの方が、心に衝撃を受ける事が多かったようで、ギャグ描写だと分かっていても、あまりにも残酷なシーンがマンガ内にあったりすると、そっちの方が長く精神的にトラウマになって、忘れられなかったのでした。(このへんが、のちの私のスプラッター映画好きにつながっていったのかもしれません)
それほど、子どもの心には透き通って写っていた、マンガ内の女性ヌードですが、その中でも、なぜかインパクトを感じたものもいくつかあります。その理由を探ってみますと、そうした印象的なヌードと言うのは、どうも、エロだけではなくグロさも混ざっていたのが、子ども心にひどく焼き付いた原因だったようです。
つまり、本当に注目していたのはグロ描写の方であり、そこにたまたまエロ要素もくっついていたものだから、そのエロ(裸)も頭にこびりついちゃったみたいなのであります。
私にとって、その代表的なケースが、まず、石ノ森章太郎の「スカルマン」なのでありました。
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女のおっぱいや男のオチンチンが描かれたりするのは、ごく当たり前の話で、当時は、そういったものがギャグ(笑い)の一部として認知されてましたので、今日のような過度に自粛させられる事もなかったのです。実際、私も、女の裸が出てくるマンガを児童期に相当数、読んでいたにも関わらず、それらの裸そのものは、ほとんど印象に残っていません。女の裸もおっぱいも、そういうギャグのネタなのだと正しく認識して、そのマンガを読んでいたからです。
むしろ、エロよりもグロの方が、心に衝撃を受ける事が多かったようで、ギャグ描写だと分かっていても、あまりにも残酷なシーンがマンガ内にあったりすると、そっちの方が長く精神的にトラウマになって、忘れられなかったのでした。(このへんが、のちの私のスプラッター映画好きにつながっていったのかもしれません)
それほど、子どもの心には透き通って写っていた、マンガ内の女性ヌードですが、その中でも、なぜかインパクトを感じたものもいくつかあります。その理由を探ってみますと、そうした印象的なヌードと言うのは、どうも、エロだけではなくグロさも混ざっていたのが、子ども心にひどく焼き付いた原因だったようです。
つまり、本当に注目していたのはグロ描写の方であり、そこにたまたまエロ要素もくっついていたものだから、そのエロ(裸)も頭にこびりついちゃったみたいなのであります。
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