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2019年02月09日

今の副作用

1.一般的な副作用
副作用について少し書いてみます。一般的な副作用は薬の説明書にたくさん書かれていますが、それが全部出るわけではありません。その人の健康状態など総合的ないろんなことである人にはこの副作用は出るし、ある人には出ないというのが普通のようです。それでもRCHOPの場合は脱毛はほぼ必ず出るそうです。

以下は、私に起こっている副作用を書いてみます。

2.手先のしびれ
第1クールの時から少しだけ手先がしびれました。最初は少しですがだんだんと強くなってはいきますがそれでもたいしたことはなくて、文字が書けないとかボタンが留められないとかそういうこともないですし、第一関節までしびれが及んでいるということもありません。しびれを軽減する薬、メチコバールという薬があるようですが、私の通っている病院では処方されません。「しびれがひどくなってきたらオンコビンを減らしますので言ってください。」と主治医の人は言っていますのでオンコビンを減らす方針なのだと思います。

3.脱毛
第1クールの終わりあたりからほんの少し髪の毛が抜けて、だんだん抜け始めました。第2クールに入ってから割とごそっと抜けました。今第4クールなのですがほとんど頭髪はありません。でも、丸坊主ではなくて少し髪の毛が残っています。洗髪すると全部抜けそうなのでやってません。足のすねの毛もいつの間にか薄くなっています。ひげも薄くなりほとんど生えてきません。とはいえ少し生えてくるので髭剃りを数日に1度することがあります。髭剃りは不要になった感じはあります。今のところ、眉毛とまつ毛は抜けていないようです。まつ毛が抜けると目にゴミが入るし、コンタクトレンズをつけたときに悪影響がでないか不安です。

脱毛はRCHOPが終了して数か月くらいしたらまた生えてくるそうです。もともとRCHOPの薬で細胞の動きが活発なところが死滅するのでそれが髪の毛に出ているわけで、その薬が体内からなくなれば生えてくるという理です。ただ、新しく生えてきた髪の毛はくせ毛になることが多いそうです。これは治療の前に言って欲しかったです。もっとも言われてもどうしようもないのですが知っておきたかったです。人によってはくせ毛にはなることはなく元通りになる人もいれば、前よりも髪の毛が多くなる人もいるようです。

脱毛が必発なのはわかりきっていますので、治療前に丸坊主にしておくとよいです。丸坊主に抵抗ある人はかつら(ウィッグ)を用意しておくのもいいかもしれません。女性の人は髪の毛がなくなるのにショックを受けるかもしれません。このあたりはなんとかメンタル面を乗り切ってほしいです。

4.骨髄抑制
骨髄抑制はRCHOPをしていると必ず起こるはずです。これまでに何度も書いていますが、骨髄抑制とは白血球・赤血球・血小板の数が投薬後2週間後をピークにぐんと下がることを言います。ただ、主に下がるの白血球の数が下がります。どのくらい下がるかは投薬する薬の量によるし、また同量でも個人差があるようです。毎回血液検査の後に「検査結果 時系列画面プリント」というのをもらえますのでそれを見ると何がどのくらい減っているかわかります。見るべき点は白血球の数ですが、白血球にも種類があるので好中球、リンパ球、単球、好酸球、好塩基球、など細かく見ていくとよいですね。本などを読んだりネットで検索すればその他の成分の意味もわかるので今の自分の体内の健康状態が数値化してわかります。

それで、入院の時には白血球の数を増やす皮下注射をRCHOP投薬後数日してから毎日打ってもらっていました。G−CSF(グラン、ノイトロジン、ノイアップ)というもののようです。退院しての通院での皮下注射は白血球の数が減るのを予防するジーラスタを打ちに一度だけ通院します。こちらは長期的に効果がある高価な薬です。

5.便秘
RCHOP療法は抹消神経に影響を与えるので手先だけでなくて、腸の神経も影響を与えてその結果、人によっては便秘になることがあるそうです。便秘にならなくても便が出にくくて肛門のところが割れる感じで傷がつくこともあるそうです。私は便を柔らかくする薬であるオンコビンを処方してもらっています。オンコビンをRCHOPをしている最中の5日間は朝と夜に1錠ずつ飲んで、RCHOPが終了したら朝だけ1錠飲むようにしています。オンコビンは量を個人で調節してよい薬なのでこれでうまくいっています。便秘になったことはまだないです。便秘はそれが悪化すると腸閉塞(イレウス)になることがあるのでなんとしても防ぎたいですね。

6下痢
下痢も副作用で起こる人があるそうです。私は第4クール直前の日に突然謎の高熱が出て、そのときに下痢になりました。高熱は市販の解熱剤イブAを飲んで、次の日に処方してもらった解熱剤ですぐ下がりましたが、下痢の方は3日間くらい続きました。ただ、これはおそらく副作用ではないと思います。第3クールが終わって第4クールが始まる前なのでこのタイミングで副作用というのは変な感じはしています。前に書いたB症状なのか、単に体を冷やしたかなにかで単純に免疫が下がりいわゆる単なる風邪になってしまったのかなにかなのだと思います。なお、町医者で調べてもらったらインフルエンザではありませんでした。

7.体のだるさ
体のだるさはRCHOPをしている6日間はある感じです。ひどいときはわりとしんどいのですが、予想していたよりは元気です。あまりしんどいと感じません。今この記事を書いている今もしんどさはほとんどないです。ステロイドを飲んでいるときがしんどい感じはあります。人によってはステロイドを飲み終わってからの数日がしんどいとかいう話も聞きます。体のだるさ、いゆわる全身倦怠感はまあまあ起こる副作用のようです。

8.吐き気
吐き気は抗がん剤では有名な副作用なのですが、私はほとんどないです。CHOP療法の前に吐き気止めのグラニセトロンを点滴してもらっているのと、イメンドという吐き気止めの薬を3日間服用しているからなのだと思います。なお、CHOPが終わった日にはしゃっくりが出ます。たいしたことはないのですが、これはおそらく吐き気を薬が止めているからしゃっくりとなって表れているのだと思っています。体が吐こうとする、それを薬が止めている、この相反する作用がしゃっくりとなって出ているのだと理解しています。

今回も読んでいただきありがとうございました。
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2019年02月07日

RCHOP第4クールの2日目

RCHOP第4クールの2日目終わりました。2日目はCHOP療法です。始まる前に、吐き気止めのイメンドとステロイド10錠を飲みます。その後しばらくしてから点滴の開始です。

はじめに吐き気止めのグラニセトロンを50ml、次にオンコビン2mg、ドキソルビシン80mg、エンドキサン1200mg、最後に生理食塩水50mlという流れです。3時間ちょっとくらいでおわります。

オンコビンは、手先のしびれなどを引き起こしますし、脱毛も起こします。ドキソルビシンは赤色の液体で投薬してしばらくは尿が赤くなります。エンドキサンは膀胱炎を起こす可能性があるので投薬して1日2日は水やお茶などの多く飲むとよいです。私はいつもエンドキサン投与すると最中は目を中心に頭部がかっかして体調がやや悪くなります。

DVD持ち込んで見てよいので『インターステラー』という映画を見ていました。クリストファー・ノーラン監督作品で地球の飢餓をすくために惑星間をワープしたりして移動して最後は5次元空間から時空を超えて自分自身と娘にメッセージを送るという不思議な話で名作と言えます。

インターステラー(字幕版)




読んでいただきありがとうございました。

2019年02月06日

RCHOP第4クール1日目

RCHOPの第4クール1日目が終わりました。

悪性リンパ腫の治療としてRCHOPという抗がん剤が標準治療です。1日目はRCHOPのRであるリツキサン(リツキシマブ)の静脈点滴投与です。このリツキサンは白血球のうちのB細胞のCD20にのみくっついて破壊する分子標的薬剤で、CHOP療法だけのときよりも治療成績が向上した新薬です。びまん性大細胞型B細胞リンパ腫はリツキサンが使えるので不幸中でも幸運と言えます。

リツキサンについて補足しておくと、マウスとのキメラ抗体で本来自然界にない遺伝子組み換えの薬剤になります。自然界にないものを人工的に作り出してそれを人体に血管から投与するので怖さはあります。また、実際に最初の1回目に体が拒否反応を示すインフュージョンリアクションが起こるのが普通だそうです。私の場合もインフュージョンリアクションとして全身に湿疹ができました。その時は一旦投薬を中断して、生理食塩水とステロイドを点滴して改善されました。2回目以降はこういったインフュージョンリアクションは出ていません。人間の慣れ・免疫というのはすごいものがありますね。

RCHOPは明日も続いて明日は、CHOP療法になります。オンコビン、アドリアシン、エンドキサンを点滴で静脈投与します。それと並行して明日からプレドニン(いわゆるステロイド)を1日20錠服用するのを5日間継続します。プレドニンだけが経口薬、口から飲む飲み薬というわけです。

それで、このRCHOPは3週間で1クールになって、これを8クールすることになっています。RCHOP14とRCHOP21があって14の方は14日を1クールとするようでこちらの方が治療成績は良いと本で読んだことはありますが、私の通院している病院では21日、3週間を1クールとしてそれを繰り返す方の治療を採用しているようです。ステロイドを1日20錠5日間飲んでいる期間が終わると残りの21-5の16日間は休みということになります。この16日間で副作用が出たり、感染症にかかったりしないように注意する必要があります。

あとは副作用として、抗がん剤は悪い細胞もよい細胞も殺してしまうので、抗がん剤投与から2週間後あたりをピークに白血球・赤血球・血小板の数が下がります。これを骨髄抑制と言います。この骨髄抑制を押さえるべく、また予防するべく、白血球を増やす皮下注射を打ちます。外来の場合は1回だけ打って骨髄抑制を予防する皮下注射ジーラスタをRCHOPの終わった後数日後に打つことで骨髄抑制を抑えます。

その他、感染症予防としてうがい薬もあって、ハリゾンとネオヨジンガーグルの2つを使用します。ハリゾンの方は精製水と合わせてうがい薬を作って、口をゆすいでから飲み込みます。そうすることによって食道の滅菌になるそうです。今のところ目立った感染症にはなっていないので助かっています。

今日はRCHOPのRのリツキサン投与が終わって明日に備えます。

そういえば、点滴中はDVDを持ち込んで見てもOKで、『シークレット』を見ていました。いわゆる引き寄せの法則を映像にしたものです。欲しいものを明確にして求めて信じて受け取る、という法則のことです。同じ内容で本とCDもあります。

THE SECRET [DVD]





読んでいただきありがとうございました。

2019年02月05日

生存率とそれに関する感想

1.生存率
血液がんとなるとがんの一つであって、がん=死のイメージがありました。私も悪性リンパ腫の宣告をされたときは死んでしまうと思っていました。それで、生存率なのですが『病気がみえる vol.5: 血液』によるとこの写真のように、5年生存率は4割ほどです。この本では非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)はアグレッシブリンフォーマ(aggressive lymphoma)というアグレッシブタイプに分類されています。

病気がみえる vol.5: 血液




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やはり、普通の人よりは生きられないのかなと思うこともあります。最後はどう迎えるのか、死んでしまうということについては不安があり抽象的観念的ではないのでリアリティが出てきます。救いとしては、このグラフを見る限り生存する方に入れれば何とかその後も長く生きられそうという希望があることです。生きて何がしたいのか、もういちどはっきりさせたいと思っています。

2.Facebookに投稿した生存率に関しての感想

以前、生存率についてFacebookに書いたことがあります。自分の投稿なので著作権の問題も生じないのでせっかくなのでブログにも載せておきます。↓

今の病気にかかってしまい、本を読んで調べていくと普通に5年生存率とかわかってしまったりします。それで普通の人よりも私は5年生きられないというのがわかります。5年後生きている可能性はそんなにないです。5年どころか来年生きている保障もないのですが、反対にあと20年生きられる可能性もないことはないので、要はあるわけです。

とはいえ、生存率を考えると、死を意識しますし死ぬことについてリアリティが出てきます。司法試験をしているときに死にたいくらいの時はありましたが、でもそれはホントに死んでもいいわけではなかったのだと思います。本音では生きたいわけです。

それで、死ぬことについては哲学で死を思って生きるということで「死の演習」とか、仏教で死を意識しての悟りとかそういったことも知っていたのですがどこか理性的な理解で実感なかったのかなと思います。また、刑事政策の勉強で刑の執行のところで死刑についてちょっと自分なりに詳細に研究したこともあって、その上、死刑囚の人たちが書いたものとか読んだこともあってわりと死についての理解はできていたと思っていたのですがそれでもそれらは他人の死であって自分の死ではないからどこかリアリティはなかったのかなと思います。

今回、5年生存率とか考えて死んでしまう可能性が出てきたことや実際に昨年の10月末の緊急手術があと30分遅かったら死んでいて今この文章を書いていなかったことなどを考えると、やや死についてリアリティが出てきました。

とはいえ、人はいずれ誰も死ぬのですから死んでしまうことを受け入れて死ぬときは自分の部屋から隣の部屋にさっと移動できるくらいに死に対するハードルをできるだけ下げておいて穏やかに死んでいけるといいのかもしれません(来世とか魂とかあればいいのですがそのあたりは私は不可知だと思っています。)。

ところで、死んでしまう可能性が出てくると人はどうするのでしょう?人によってはやりたいことを全部やってみるとか、天職でないなら仕事を辞めるとか、やっている意味が分からないなら勉強などはやめて遊んでしまうとか、会いたい人に会いに行くとか、言いたかったことを全部言ってみるとか、欲しかったものを全部手に入れてみるとか、人それぞれなのかもしれません。それで、私はあまり思いつかなくてしいて言うと、何か残したいですし、何かできればなあと思います。あとは自分に愛を与えて他者にも愛を与えられるようになりたいなあと思います。

と書いてしまいましたが、とりあえず、生存率を自分の力と医療の力で上げていくようにしたいです。やれるだけやってしまったあとは運とも言えます。統計は統計なので、私個人の生存率を上げていこうと思います。私個人の生存率を99%にすればいいわけですから☆

ここまで、です。
今回も読んでいただきありがとうございました。


2019年02月04日

『或る闘病記』がきっかけになって

少し前になりますが、『或る闘病記』という京大生の人で白血病になった人がブログを書いているらしくてそれを読んでいました。京大病院での白血病の治療について書かれていて、明るく面白く書いてあって、所々専門的なことが書いてあってその専門的な部分はかなり難解でした。それでも、普通は知れないことが書いてあって勉強になったと思います。なにより、根底に「がんになってよかった。」と思えているというのがすごいなあと思っています。また、人生は寄り道にこそ意味があるという価値観もなるほどなあと思います。

実はこの『或る闘病記』を読んで、私も白血病と同じ血液がんである悪性リンパ腫との闘病をTwitterに載せていこうと思ったのでした。なにごともきっかけというのはあるものですね。もちろん、このブログを読まなくてもいつかTwitterにのせていたかもしれませんが、この『或る闘病記』がきっかけになったことは確かです。そのTwitterでの投稿の延長でこのブログも生まれました。Twitterは気楽に投稿できていいのですが、文字制限があるのでこのブログを立ち上げました。文字制限ないので思う存分書くことができます。

読んでいただきありがとうございました。

2019年02月03日

視神経炎と悪性リンパ腫

悪性リンパ腫であると判明して緊急手術をすることとなった約1年ほど前に視神経炎という視神経の炎症の病気にかかったことがありました。悪性リンパ腫が引き起こしたわけではない、ということになっているようですが、時期的に近くて重なっているといえそうですし、関連性あると思っています。ということで、視神経炎になったことと、それを悪性リンパ腫との関連について書いてみようと思います。これまた自分の中で知識の整理と見ている人、医療関係者、研究者の方に役に立つといいなという思いからです。

1.視神経炎の発症、診察、予後
2017年の6月末日に突然左目で真ん中の真ん中だけが真っ白に小さくくり抜かれたように見えなくなったことがありました。突然だったのでものすごい驚きでした。新聞を見ると読みたい文字だけが見えないのです。見ようとする文字の外側は見えているのに見ようとするところだけがピンポイントで見えませんでした。

それで、いつもコンタクトレンズの検査でお世話になっている眼科へ行って調べてもらいましたが、網膜剥離でもなく、これはわからない、ということでした。長年眼科をやっている眼科医でもわからないということで、これはやっかいなことになりました。とりあえず、救急で滋賀医大病院に行くかという話もあったのですがこれは断って様子を見ました。

様子を見ても治す気配はなくて、時間が経過するにしたがってむしろ一気に見えなくなって、見えない点も真ん中の真ん中だけでなくて複数に増えていきました。そのうち真ん中を中心に霧のようにサーっとぼやけて真っ黒くなって視力が一気に落ちました。

このときに自分で症状をネットで検索して同じような症状である視神経炎までたどり着きました。視神経炎もさらに細分化されますが私の症状は突発性視神経炎ではないかというところまで突き止めました。急に見ようとしている所を中心に視力が落ちる視神経の病気です。眼球ではなくて視神経の方に問題・異常がみられるわけです。眼球そのもではないですし、何よりレアな病気なので眼科医が普通に診察してわからないというのも十分あり得ることと思います。

これはさすがにまずいということで、いつもの眼科へ行って、視神経の疑いを伝えて、近くの滋賀県立総合病院(このときは名称は成人病センターでした)に紹介状を書いてもらい、すぐに滋賀県立総合病院の眼科へ行きました。

滋賀県立総合病院ではひととおり視力を測ってもらったり、視神経の検査(中心フリッカー試験)をしてもらったりしました。おそらく視神経炎で間違いないということでした。

それで、治療として、視神経の周辺にステロイドを注射して治療する対症療法であるテノン嚢下というステロイド局所注射をしてもらいました。文字で書くとなんでもないようですが、眼球に麻酔をかけて白目のところから注射するので怖さがありました。なお、これは手術ではなくて注射という扱いになります。

それでも治ればよかったのですが、残念ながら治ることはなくて、視力は若干上がったものの低いままです。これ以外には特に治療法もなかったので、これ以上何かの治療に進むということはなく後に月1回くらいの外来での視力検査と視神経の検査を兼ねた問診のみになって、最終的には町医者に戻されて、治療から外れました。視力が元に戻ったわけでもないですし、治ったわけでもないのですが、治療としては打ち切りということです。

もともと、突発性の視神経炎は自然回復が期待できる病気なので自然回復を期待していたのですが、それほど改善しなくて、今でも一番良くて左目は視力0.3くらいが限度です。車の免許更新が不安ですし、何より車とバイクの運転が心配です。右目も小さな黒い点が見えるときがあるのでこれが将来視神経炎として発病しないかものすごい心配しています。

なお、この滋賀県立総合病院での診察の時に、一応脳の方の異常が原因ではないかという可能性をどちらかというと否定するためにMRIで脳の画像を撮ってもらって診てもらったことがあります。その時の眼科の医師が言うには「脳にあるはずのない白斑がある。」ということで怖くなりました。多発性硬化症である可能性も考えられたので、それが何なのかMRIの画像と共に神経内科にまわされて専門医に見てもらいましたが、とりあえず、多発性硬化症ではないということで、1回の問診で神経内科の方はこれで終わりました。多発性硬化症ではなくて、多発性硬化症による視神経でもなくて、単独の視神経炎ということとなりました。特に問題はなかったのでよかったという見方もできますが、今でも眼科の医師が言った「脳にあるはずのない白斑がある。」という点は気になっています。今は問題なくても将来問題を引き起こす種だとするとおそろしいですから。

2.悪性リンパ腫との関係
たしかに、悪性リンパ腫の本を何冊か読んで悪性リンパ腫が視神経炎を引き超すということは書かれていません。先生も悪性リンパ腫とは別で関係ないという話をされます。

それで、こう考えることはできないでしょうか。悪性リンパ腫の原因が前に書いたエプスタイン・バールウイルス(EBウイルス)にあって、そのエプスタイン・バールウイルスが、慢性活動性EBウイルス感染症に発展して、それが視神経の方で視神経炎となって表れたということです。口の小さな水泡が種痘用水泡症で、体全体としては悪性リンパ腫という合併症を引き起こしてしまった、ということです。

エプスタイン・バールウイルスは普通の悪性リンパ腫や血液がんの本では書いてないか、書いてあっても原因のところにちょっとだけなので、このあたりの知識はネットで検索して調べてみました。途中で怖くなったので徹底して調べたわけではないのですが、エプスタイン・バールウイルス⇒慢性活動性EBウイルス感染症⇒悪性リンパ腫は原因と結果の関係があるようです。この経路で視神経炎が起きたということは考えられそうですし、私はこれが原因で視神経炎になったのではないかと思っています。一般的に視神経炎は原因不明と分類されていますが、私の場合はおそらくこういうことではないかと推測しています。

それで、原因がわかっても難治性なのでこうやればすぐに治るというのがないはずなので、厄介ですし、ここが問題です。どうすれば、治るようになるのか、視神経炎は元に戻って視力が元に戻るのか、悪性リンパ腫の方は寛解して治すことができるのか、ということです。原因が仮に真実に合致してもここからどうやって治療し治って健康体になれるのか、というところが最も考えないといけません。医療関係派の方、専門家の方や研究者の方で治し方・対処法をご存知でしたら教えてください。

読んでいただきありがとうございました。

2019年02月02日

傷病手当金の支給

傷病手当金の支給されたというはがきが協会けんぽから来ました。傷病手当金は働けないときに申請すると給与の3分の2を最大1年半にわたって受け取ることができます。同じ状況にある人は必ず申請しておきましょう。協会けんぽに問い合わせて用紙をもらえばOKです。お勤めの人は事務の人に言えば書類を用意してもらえます。自分で書く書類も被保険者証の記号・番号、氏名、住所、生年月日や振込先の銀行口座などです。すぐに書けます。事業主の証明の用紙は会社が書いてくれます。療養担当者の意見書という用紙は病院に提出すれば主治医の人が書いてくれます。保険が効きますし医師の診断書よりも安いです。2週間ほどで書いてもらえます。なお、被保険者記入用の用紙の傷病名や初診日は先生の意見書が返ってきてからそれを書けばよいです。仕事の内容を空欄のまま提出すると協会けんぽ側は判断できないため書類が返ってくるので具体的に仕事の内容を書きましょう。

私の場合は、会社の給与の締め日に合わせて毎月傷病手当金の申請をしています。今回で2回目の支給です。今回は平成30年11月26日から12月25日までの分です。前回は初めての申請で平成30年の11月分でした。緊急入院して、外科の病棟で入院していた時の分です。働くのは不可能だった時期です。それだけに、傷病手当金の支給はホントにありがたいです。今回の支給もRCHOPでの入院をしていた時の分なので働くのはムリだったといえます。今回の分も傷病手当金の支給はありがたいです。

2019年02月01日

このブログを書くに至るまでの経緯

このブログを書き始めたのはRCHOPという化学療法の第4クールが始める前、第3クールの途中からです。それで、このブログに至るまでの経緯をここで1つ記事にして書いていこうと思います。自分に起こったことの整理を忘れないようにするというためと、このブログを見た人が全体を見られるようにするというためです。

2018年の9月10日に家から車で近江八幡にある長命ずいかくの湯という日帰りの銭湯で近江牛ローストビーフ重を食べた翌日の朝に胃が痛くなったのをFacebookに載せていましたのでここで初めて胃が痛くなった日と言えます。最初はこの近江牛の食あたりとか食中毒とかそういう可能性を考えました。それで、近所の町医者の内科へ行って問診してもらいました。でも、CTで調べるわけでもなく問診のみなので胃腸薬、整腸剤が処方されるだけで薬を飲んで何も改善されませんでした。あとでわかったこととして、近江牛は何も関係なかったです。食中毒ではなかったわけです。

ここから1か月の間、食事をしたらその数時間後にものすごく胃が痛くなって、下痢になるか、吐くかをしてまともに便が出なかったです。1か月間この症状が続いてこれがどういう意味か分からないままでした。内科へ行ってもやはり整腸剤や胃腸薬、胃潰瘍の薬など処方されたのみで、これらを飲んでも何も効果なかったです。当時は食べたものが胃より下に行っていない感覚はありました。腸閉塞とか腹膜炎とかそういう知識もなかったので痛みをこらえればなんとか下痢になるから大丈夫と思ってこの1か月間は食事を少なくしたり、おかゆのような食べやすいものだけにしていました。1日おかゆ1杯だけとかそういう日もありました。

そうしているうちに、10月15日の朝にトイレに行くと尿が真っ赤になっていわゆる血尿が出ました。さすがにこれは人生で初めてのことですぐに内科へ行きました。それで、そこでエコーを撮ってもらったらどうやら胃ではなくて腸でもなくて、膀胱のあたりに何かできているということが判明しました。すぐに泌尿器科に行くように言われて泌尿器科へ行って、同じくエコーと内視鏡検査をしてもらいました。このとき内視鏡検査は膀胱内の血が多くてこのできものが何なのか不明のままでした。とりあえず、膀胱の出血を止める薬を処方してもらって、近くの大きな総合病院を紹介してもらいそこで診察してもらうこととなりました。

翌日に、近所の大きな総合病院である滋賀県立総合病院の泌尿器科の診察を受けました。たしかエコーを撮ってもらってたしかに何かが膀胱にあるということでした。どうも膀胱がんではないということでした。そして、こういうできものは珍しいという話もありました。それで今度内視鏡検査を次回に外来でするということでこの日は診察は終わったと記憶しています。その夜に、これは膀胱ではなくて腸にできものができていて腸閉塞なのではないか、もしも腸閉塞ならすぐにでも診察をした方がよいということでその翌日に消化器内科の診察へと回されました。

消化器内科の先生にはこの1か月間の胃が痛くなっていたことや膀胱に何かあるようなことなどを伝えました。どうやら組織を採取しないとはっきりしたことはわからないということで、3日間だけ入院してバルーン内視鏡検査というものをすることとなりました。10月22日から24日までの3日間の検査入院です。入院自体初めての経験でした。入院するのに保証人がいることとか初めて知りました。

10月22日は検査前日でこの日は入院とはいえ何もすることがなくて本を読んだり病院内のカフェに行ったりして過ごしました。夜は下剤を飲んで明日の検査のために胃腸をきれいにしておくこととなりました。このときの下剤は少量なので問題なかったです。ただ、夜中に体がとても寒くなって看護師の方を呼んで毛布をもらったのを覚えています。たぶん、この下剤の副作用ではないかと思います。翌日、驚いたのは大量の水で薄めた下剤を飲んで胃腸にごみなどを無くして検査しやすくする必要があったことです。この下剤を飲んだことは今でも覚えています。ものすごくまずいわけではないのですが、味のしないものを大量に飲み続けるのは苦痛でした。便に異物が混じらない綺麗な状態になるまで飲み続ける必要がありました。私は人よりも飲むのに時間がかかってしまい、検査が遅れました。

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バルーン内視鏡検査は肛門からバルーンのようなものを入れて腫瘍がある位置まで内部から進んで腫瘍の組織を採取する手法だそうです。検査中は全身麻酔で眠っているので意識はなくて目が覚めると検査は終わっていました。後でわかったこととして腫瘍までたどり着けなかったそうです。。。ただ、腫瘍から遠い場所ですがそこにある組織は採取できたそうでそれを審査することとなり、その結果がわかるのに時間がかかるので次の外来まで待つこととなりました。このとき次回の外来まで「エンシュアH」という栄養ドリンクをもらいました。ものすごく甘い飲み物です。一応これを飲んでいれば栄養は足りて生きられるというものでした。あとは食事は食物繊維があると腸に絡むということで食物繊維のないものを食べるように言われました。ここでおかしいと感じられることとしては、なぜ今回のバルーン内視鏡検査では腫瘍が取れていないのに食物繊維がない食べ物、すなわち肉や魚など植物を食べていいのか、ということが挙げられます。腸で食べ物が詰まっていたのだとすると腫瘍が取れていないこの段階で物を食べたらまた痛くなるのではないかという疑問が残ります。

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翌日退院して以後、食物繊維を避けて、主に肉や魚、卵を食べていました。それで、しばらくはたしか何もなかったのですが、10月30日の朝、配達の仕事をしていたのですが、その時に突然ものすごく腸と膀胱と性器のあたりが痛くなりまた。このときの痛さはこれまでの痛さとは質が違いました。でも当時の私は時間がたてば治る、この場合は痛みがなくなると思ってコンビニのトイレで休ませてもらっていました。でも、いくら時間がたっても痛みが消えません。それで母に電話して来てもらって、その母が近所の人に電話して緊急で病院へ連れて行ってもらいました。検査入院した滋賀県立総合病院です。CT画像の結果、腸が破れているということでした。それで緊急手術となりました。手術に当たっていくつかの質問に答えて同意できるものは同意して全身麻酔を打たれて意識を失いました。

目が覚めると集中治療室で横になっていました。ものすごくのどが渇いたのを覚えています。高熱が出ていてしんどかったのを覚えています。喉が渇いて何回も看護師の方を読んだので迷惑をかけてしまいました。看護師の方のありがたさと医師の方のすごさを実感しました。たしか、おなかに管が5本刺さっていて、尿を強制的に排出する管も刺さっていたのを記憶しています。

次の日に普通の病棟のベッドへ移されて一日眠ることしかできませんでした。高熱としんどさで何もできなかったです。その次の日あたりから意識もはっきりしてましになってきました。緊急で入院したので母が手続きでいろいろ動いてくれていました。限度額認定証の申請とか入院の手続きなどそういったことです。体が動けるようになると、できるだけ体を動かす方が腸が癒着しないからいいのだと教えてもらって病棟を歩いていました。最初は病室のドアまで行くのが精いっぱいでしたが、数日経つと病棟をぐるっと回れるくらいにまで回復しました。歩けるようになってなんとか普通になれるまで1週間くらいでしょうか、かかりました。そうしているうちに体の管を抜いてもらって、尿道の管も抜けてやっとすっきりしました。管が抜けて、これまで点滴で栄養を取っていたのがやめになって、食事をとることができるようになりました。はじめは全粥からはじまり7分粥、五分粥と普通食に近づいていって最終的には普通食になって標準的な食事を食べられるまでになりました。結局11月15日までの約2週間くらいの入院でした。この入院の前半はかなりしんどくて、後半になるにつれてだんだん楽になりました。最後の方はテレビを見たりして元気でした。緊急で入院したために何も持ってこなくて暇なくらいでした。この入院では医師の人、看護師の人に大変助けられました。感謝しかありません。

この入院の時に何人か患者の人と知り合いになりました。腸閉塞で入院している人、体のどこかの部位は忘れましたががんで手術直前だった人、すい臓がんで余命半年と言われている人などです。余命半年と言われて生きるのはどんな気分なのだろうと思ったことがあります。

それで、退院の日に手術で膀胱から採取した腫瘍が悪性リンパ腫ではないかと疑われて血液内科の外来で診察を受けました。そこで、血液がんの悪性リンパ腫、非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫であると告げられました。しかも膀胱に腫瘍ができているということで全身に広がっているということでいきなりステージ4と告げられました。この時のショックは今でも覚えています。がんイコール死という図式があったので恐怖としか言いようがありませでした。いきなり、何もかもが変わってしまい、ここからいわゆるがん治療に入ることとなりました。

そして、ここからその11日後の11月26日から入院して抗がん剤のRCHOPという化学療法に進む手続きが進行していきました。それまでに外来で、PET検査と骨髄採取(マルク)をしてもらって現時点でどのくらいの病状なのか他に腫瘍はないのかなど検査してもらいました。検査結果としてはいまのところ膀胱の腫瘍がとれて他に大きな腫瘍はなくて左鎖骨のあたりに手ではわからないくらいの腫瘍ができかけているのと血液に少しがんが混じっているようなことを言われました。この状態なので大きな腫瘍はないので放射線治療や手術はなく、抗がん剤RCHOPをすることとなりました。4種類の薬を点滴で投薬して1種類のいわゆるステロイドを服用する治療です。RCHOPについてはまた別の記事で詳しく書けたらと思います。このRCHOP1回が3週間かかり、これを8クールすることとなりました。初めの日にRCHOPのRのリツキサンの投与、次の日にCHOPの投与とこの日から5日間ステロイドを服用します。あとは3週間経過するまで休みです。ただし、2週間くらいあたりをピークに白血球・赤血球・血小板の数が下がり免疫力が落ちて感染症にかかりやすくなります。また、抗がん剤の副作用も考えられるので危険な状態と言えます。こうして、最初の第1クールはRCHOPを入院してしてもらいました。

第1クールは入院してはじまりました。入院日は先生からの現状の説明と今後の治療方針などの話でした。翌日RCHOPのRにあたるリツキサン(リツキシマブ)の点滴をしてもらいました。ちなみに、このリツキサンは白血球のB細胞のCD20にのみくっついて破壊する分子標的薬といわれておりこのRのおかげでCHOPだけの頃よりも治療成績が向上したそうです。それで、1回目が最もリスキーなので看護ステーションの隣の特別な部屋に移動して点滴が始まりました。なお、昼食は普通に食べてよくて、ベッドの上で起きている状態です。することないので本を読んでいました。15分おきくらいに看護師の方が来てくれます。最初の投与の時に全身に湿疹のようなものができていったんリツキサン投与を中断して、生理食塩水とステロイドを投薬して、再度リツキサンの点滴をすると湿疹は消え去りました。リツキサンが人工的に作り出した薬なのでそれを血管内に入れるのだから最初の1回目に今回のような体の拒絶反応としての湿疹が出るのは普通だそうです。湿疹ができたこともその湿疹がステロイドを入れたら出なくなったこともどちらも驚きました。この当時はこんな自然界にない物質を体に入れて大丈夫なのだろうかという不安がありました。リツキサンの投与ははじめは少しの分量で、慣れて来たらだんだん量が増えました。たしか合計600ミリグラムの投与だったはずですが、最終的には1時間200ミリグラムの投与になったはずです。とはいえ、初回のリツキサンの投与は湿疹が出て中断されたこともあって6から7時間くらいかかったと覚えています。リツキサンは副作用はあまりなくて2日目へ比較的スムーズに進みました。

2日目はCHOP療法です。吐き気止めにグラニセトロンを投薬して、オンコビン、ドキソルビシン、エンドキサンを投与します。これらは副作用も生じるので危険性もありますし怖いです。脱毛は必ず起こりますし、手先のしびれも必ず起こるはずです。あとは人によっては吐き気、膀胱炎、血管痛、静脈炎、排尿障害、便秘、臓器の異常など起こることも考えられます。この点滴に加えて、この日から5日間のプレドニゾロン(ステロイド)を1日20錠(朝10錠、昼10錠)を服用します。こちらは点滴ではなくて経口、つまり飲み薬です。

前述の骨髄抑制(白血球・赤血球・血小板の数が減ること)のために、感染症にかかりやすくなるので、その予防のためにうがい薬をもらいそれを1日4回ほどすることとなります。うがい薬もまた別の記事で詳しく書けたらと思います。ハリゾンとネオヨジンガーグルの2つです。ネオヨジンガーグルの方はイソジンのようなうがい薬です。ハリゾンは口の中をすすいでなんと飲み込むのがよいそうです。食道にいる菌を滅菌できるからだそうです。私は、毎食後と寝る前にうがいをしていました。うがいのおかげか感染症にはかかりませんでした。骨髄抑制の方の対策・予防として、RCHOPのあとしばらくして皮下注射を打ってもらいます。病室の看護師の方が来て1日1回打ってもらっていました。白血球の数が減ってきたあたりで増やすようにするようです。なお、退院後に外来で一度だけ打つ皮下注射ジーラスタとは違う種類のようです。

入院中は、定期的に看護師の方が血圧体重などの測定をしてくれて、定期的に血液採取して血液検査もあります。この血液検査のデータも見せてもらえるので今どのくらい白血球・赤血球・血小板の数が減っているのかなども数値化してわかります。医師の方もベッドまで来てくれてどういう状況なのかなどの診察もありました。1クール目は良好だったので特に問題もなく過ごせました。もしも、白血球の数が著しく減って、なおかつ38度以上の熱が出たら無菌室に行くこととなっているようです。今のところ無菌室は行ったことありません。

ステロイドを飲んでいる5日間は薬が苦くて味覚も変わった感じがしましたが、食事は何とかというか割と普通に食べられて後半は元気でした。そういえば、大学時の先生と友人が見舞いに来てくれました。ちょっとしたことですが有り難いです。ただし、血液内科の病棟に生の花は持ってきてはいけません。菌が他の患者に悪影響を与えるそうです。

そうこうして、3週間が終わろうとしているあたりで残りは退院して通院でRCHOPを7クールしていくことを医師から告げられました。最初はずっと入院すると思っていたので驚きと喜ぶべきなのか、通院だと危険なのではないかという不安と様々なことを思い感情も揺れました。今思うとRCHOPは通院でも問題ないし、むしろ入院していると体力は落ちるし、ネットが自由に使えないし、どこかへ出かけたりも自由にできないしで、通院の方がメリットが多いとわかりました。

こうして第1クールの入院は12月16日で終わって第2クールへ進みました。家から病院へやってきて、採尿採血と体温と血圧を測って、先生の問診でRCHOPができるかを判断してもらって、1日目がリツキサンの投与、2日目がCHOP療法です。2日目からステロイドを5日間服用です。入院の時と同じです。外来の時は外来の治療室がありイスの上で寝ころんだ感じでDVDやテレビを見ることができます。私は1日目はテレビを見たり何もしなかったりしていました。2日目はDVDを持ってきて見ていました。昼食は点滴の最中でも普通に食べて薬も普通に飲みます。1日目に3週間分の薬と次の日のステロイドとうがい薬を薬局で買うことになりますので持ち物は増えます。RCHOPが終わってその2日後に外来で皮下注射ジーラスタを打ってもらいます。こちらは1回で長期間効く薬で10万円を超える高価な薬です。白血球の数を増やすというよりは減っていくのを防ぐ予防的な注射になります。

こうして、年が明けて2019年が始まり、1月8日から第3クールが始まりました。前回の第2クールと同じで1日目リツキサンの投与、2日目CHOP療法です。そしてステロイドの5日間の服用です。そして、数日後に皮下注射ジーラスタです。同じことを8クールまで継続することとなります。なお、私はこの間ほぼ外出はしていません。仕事も休ませてもらっていましたし、外食もしていません。感染症にかかる危険があるからです。RCHOPをした1週間目はしんどくて、2週間目あたりから回復してきますが客観的には白血球減少が起こり、3週間目は元気になります。この元気になったあたりで次のクールへ突入です。

こうして1月29日に第4クールが始まるはずでしたが、前の記事で書いた謎の高熱が出たので今回のRCHOPは延期されてこの記事を書いている2月1日時点ではまだしていません。ようやくこのブログを書き始めたあたりまでつながったわけです。

なお、入院費用のこととか、保険のこと、限度額認定証や傷病手当金などの社会保障のことなどは別の記事で書けたらと思います。大雑把に書いておくと、最初の検査入院の時の外科の緊急手術と緊急入院の頃はがんであるとは思っていなかったので、がん以外の事情での手術と入院で保険の話をすすめていました。それが、血液がんと分かってがんで保険の話を進めていきました。最初からがんで入院したわけではないのでややこしかったです。泌尿器科⇒消化器内科⇒外科⇒血液内科と科も違い主治医も違うのでややこしくて面倒でした。入っていた生命保険の方は結局、消化器内科、外科、血液内科の3種類の診断書を先生に書いてもらって、がんの入院と手術という扱いになりました。結果的にがんと認定されてがんの一時金300万円が下りました。それとは別に入院と手術のお金もありました。第1クールで退院するまでを一区切りで保険金の請求をしました。退院後の通院も120日間で40日分まで出るのですがこちらはこれから請求していくこととなります。あと県民共済からも保険金が下りてよかったです。こちらはがんの特約などはなかったのでがんとか関係なく入院と手術のお金がおりました。単なる通院は下りない契約だったようです。これは最初の契約内容によるようです。保険にて入っている保険の契約内容によりますね。そして、傷病手当金は会社に伝えて書類をもらって、先生に書類を書いてもらって協会けんぽに郵送して、しばらくして支給してもらえました。1か月単位が会社の締め日なのでそれに合わせて毎月請求するようにしていくつもりです。

がん治療は超高額になりますが、限度額認定証を協会けんぽに申請すれば、所得によって毎月の診察代金を一定額で済むようにすることができます。これは非常に助かりますので絶対に忘れないで使ってください。なお、入院と通院は別で扱われます。同じ月に入院と通院があれば別々で計算されて、それぞれの上限まで支払うこととなります。


読んでいただきありがとうございます。



















2019年01月31日

『無菌病棟より愛をこめて』から得られるもの

『無菌病棟より愛をこめて』という本を少し前から読んでいます。まだ半分も読めていませんが、ある日突然、白血病になってしまった人の闘病日記です。

無菌病棟より愛をこめて (文春文庫)




それで、この本の著者の加納さんという人はどうやら小説家のようで、この本で初めて知ったのですが、この本もまるで小説のような印象を受けています。でも、小説ではなくてノンフィクション、それも自分の体験記を書いているわけです。白血病と悪性リンパ腫は同じような病と言えますのでこの本を今の私が読んで得られるものは多いです。おそらく、悪性リンパ腫にかからなければこの本に出会うことはなかったと思います。医学の本のように書かれてあるわけではなくて、一人の患者が日常の出来事や思いを書いていて、私もこのブログをこういう感じで書いていけばいいのだなという参考になっています。


2019年01月30日

RCHOP延期・B症状か?

29日にRCHOPの第4クールが始まる予定だったのですが、その前日の昼から突然謎の高熱が出てしまって、結局延期となりました。町医者でインフルエンザかどうかの判定をしてもらったのですが、インフルエンザではありませんでした。では一体何なのか?謎が残ります。今後も不規則に高熱が出るのか、なおるのかなど疑問が出てきます。29日に採決採尿と診察のみはしたのですが、その時の診察で血液検査で炎症反応がよくなかったということで今回の謎の高熱について先生はウイルス性のものではないかという話をされました。しかし、今は休職していてほとんど家にいるのにウイルス感染は考えにくいことを考えると妙と言うほかないです。解熱剤と風邪薬は処方してもらえました。とりあえず、今この記事を書いている1月30日の現時点では熱は下がって下痢くらいが続いています。

その後、『「血液のがん」と言われたら…』を読んで、ここに悪性リンパ腫の症状が書かれていてその中に「B症状」というものがあるようです。

「血液のがん」と言われたら… (お医者さんの話がよくわかるから安心できる)




B症状の中の1つに、原因不明の38度以上の熱が続く、というのがあるそうです。私の今回の謎の高熱はこれかもしれません。もちろん、違うかもしれません。化学療法中にB症状が出るのか、わかりませんね。でも悪性リンパ腫が治っていないとするとB症状が出てもおかしくはないですね。原因不明のというのは気になりますが、これも前の記事で書いたエピスタイン・バールウイルスが慢性的な炎症を引き起こしていてそのためだったとしたらと思うと少し怖くなります。

B症状はこの他には、きちんと食事をしているのに半年間で10%以上体重が減る、一晩にパジャマを着替えるくらい大量の寝汗をかく(盗汗)などがあげられています。

読んでいただきありがとうございました。
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思いもかけず悪性リンパ腫と告げられてそのままRCHOP8クール終えました。そして、2019年6月に寛解。 https://twitter.com/kshio7
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