2019年02月01日
このブログを書くに至るまでの経緯
このブログを書き始めたのはRCHOPという化学療法の第4クールが始める前、第3クールの途中からです。それで、このブログに至るまでの経緯をここで1つ記事にして書いていこうと思います。自分に起こったことの整理を忘れないようにするというためと、このブログを見た人が全体を見られるようにするというためです。
2018年の9月10日に家から車で近江八幡にある長命ずいかくの湯という日帰りの銭湯で近江牛ローストビーフ重を食べた翌日の朝に胃が痛くなったのをFacebookに載せていましたのでここで初めて胃が痛くなった日と言えます。最初はこの近江牛の食あたりとか食中毒とかそういう可能性を考えました。それで、近所の町医者の内科へ行って問診してもらいました。でも、CTで調べるわけでもなく問診のみなので胃腸薬、整腸剤が処方されるだけで薬を飲んで何も改善されませんでした。あとでわかったこととして、近江牛は何も関係なかったです。食中毒ではなかったわけです。
ここから1か月の間、食事をしたらその数時間後にものすごく胃が痛くなって、下痢になるか、吐くかをしてまともに便が出なかったです。1か月間この症状が続いてこれがどういう意味か分からないままでした。内科へ行ってもやはり整腸剤や胃腸薬、胃潰瘍の薬など処方されたのみで、これらを飲んでも何も効果なかったです。当時は食べたものが胃より下に行っていない感覚はありました。腸閉塞とか腹膜炎とかそういう知識もなかったので痛みをこらえればなんとか下痢になるから大丈夫と思ってこの1か月間は食事を少なくしたり、おかゆのような食べやすいものだけにしていました。1日おかゆ1杯だけとかそういう日もありました。
そうしているうちに、10月15日の朝にトイレに行くと尿が真っ赤になっていわゆる血尿が出ました。さすがにこれは人生で初めてのことですぐに内科へ行きました。それで、そこでエコーを撮ってもらったらどうやら胃ではなくて腸でもなくて、膀胱のあたりに何かできているということが判明しました。すぐに泌尿器科に行くように言われて泌尿器科へ行って、同じくエコーと内視鏡検査をしてもらいました。このとき内視鏡検査は膀胱内の血が多くてこのできものが何なのか不明のままでした。とりあえず、膀胱の出血を止める薬を処方してもらって、近くの大きな総合病院を紹介してもらいそこで診察してもらうこととなりました。
翌日に、近所の大きな総合病院である滋賀県立総合病院の泌尿器科の診察を受けました。たしかエコーを撮ってもらってたしかに何かが膀胱にあるということでした。どうも膀胱がんではないということでした。そして、こういうできものは珍しいという話もありました。それで今度内視鏡検査を次回に外来でするということでこの日は診察は終わったと記憶しています。その夜に、これは膀胱ではなくて腸にできものができていて腸閉塞なのではないか、もしも腸閉塞ならすぐにでも診察をした方がよいということでその翌日に消化器内科の診察へと回されました。
消化器内科の先生にはこの1か月間の胃が痛くなっていたことや膀胱に何かあるようなことなどを伝えました。どうやら組織を採取しないとはっきりしたことはわからないということで、3日間だけ入院してバルーン内視鏡検査というものをすることとなりました。10月22日から24日までの3日間の検査入院です。入院自体初めての経験でした。入院するのに保証人がいることとか初めて知りました。
10月22日は検査前日でこの日は入院とはいえ何もすることがなくて本を読んだり病院内のカフェに行ったりして過ごしました。夜は下剤を飲んで明日の検査のために胃腸をきれいにしておくこととなりました。このときの下剤は少量なので問題なかったです。ただ、夜中に体がとても寒くなって看護師の方を呼んで毛布をもらったのを覚えています。たぶん、この下剤の副作用ではないかと思います。翌日、驚いたのは大量の水で薄めた下剤を飲んで胃腸にごみなどを無くして検査しやすくする必要があったことです。この下剤を飲んだことは今でも覚えています。ものすごくまずいわけではないのですが、味のしないものを大量に飲み続けるのは苦痛でした。便に異物が混じらない綺麗な状態になるまで飲み続ける必要がありました。私は人よりも飲むのに時間がかかってしまい、検査が遅れました。
バルーン内視鏡検査は肛門からバルーンのようなものを入れて腫瘍がある位置まで内部から進んで腫瘍の組織を採取する手法だそうです。検査中は全身麻酔で眠っているので意識はなくて目が覚めると検査は終わっていました。後でわかったこととして腫瘍までたどり着けなかったそうです。。。ただ、腫瘍から遠い場所ですがそこにある組織は採取できたそうでそれを審査することとなり、その結果がわかるのに時間がかかるので次の外来まで待つこととなりました。このとき次回の外来まで「エンシュアH」という栄養ドリンクをもらいました。ものすごく甘い飲み物です。一応これを飲んでいれば栄養は足りて生きられるというものでした。あとは食事は食物繊維があると腸に絡むということで食物繊維のないものを食べるように言われました。ここでおかしいと感じられることとしては、なぜ今回のバルーン内視鏡検査では腫瘍が取れていないのに食物繊維がない食べ物、すなわち肉や魚など植物を食べていいのか、ということが挙げられます。腸で食べ物が詰まっていたのだとすると腫瘍が取れていないこの段階で物を食べたらまた痛くなるのではないかという疑問が残ります。
翌日退院して以後、食物繊維を避けて、主に肉や魚、卵を食べていました。それで、しばらくはたしか何もなかったのですが、10月30日の朝、配達の仕事をしていたのですが、その時に突然ものすごく腸と膀胱と性器のあたりが痛くなりまた。このときの痛さはこれまでの痛さとは質が違いました。でも当時の私は時間がたてば治る、この場合は痛みがなくなると思ってコンビニのトイレで休ませてもらっていました。でも、いくら時間がたっても痛みが消えません。それで母に電話して来てもらって、その母が近所の人に電話して緊急で病院へ連れて行ってもらいました。検査入院した滋賀県立総合病院です。CT画像の結果、腸が破れているということでした。それで緊急手術となりました。手術に当たっていくつかの質問に答えて同意できるものは同意して全身麻酔を打たれて意識を失いました。
目が覚めると集中治療室で横になっていました。ものすごくのどが渇いたのを覚えています。高熱が出ていてしんどかったのを覚えています。喉が渇いて何回も看護師の方を読んだので迷惑をかけてしまいました。看護師の方のありがたさと医師の方のすごさを実感しました。たしか、おなかに管が5本刺さっていて、尿を強制的に排出する管も刺さっていたのを記憶しています。
次の日に普通の病棟のベッドへ移されて一日眠ることしかできませんでした。高熱としんどさで何もできなかったです。その次の日あたりから意識もはっきりしてましになってきました。緊急で入院したので母が手続きでいろいろ動いてくれていました。限度額認定証の申請とか入院の手続きなどそういったことです。体が動けるようになると、できるだけ体を動かす方が腸が癒着しないからいいのだと教えてもらって病棟を歩いていました。最初は病室のドアまで行くのが精いっぱいでしたが、数日経つと病棟をぐるっと回れるくらいにまで回復しました。歩けるようになってなんとか普通になれるまで1週間くらいでしょうか、かかりました。そうしているうちに体の管を抜いてもらって、尿道の管も抜けてやっとすっきりしました。管が抜けて、これまで点滴で栄養を取っていたのがやめになって、食事をとることができるようになりました。はじめは全粥からはじまり7分粥、五分粥と普通食に近づいていって最終的には普通食になって標準的な食事を食べられるまでになりました。結局11月15日までの約2週間くらいの入院でした。この入院の前半はかなりしんどくて、後半になるにつれてだんだん楽になりました。最後の方はテレビを見たりして元気でした。緊急で入院したために何も持ってこなくて暇なくらいでした。この入院では医師の人、看護師の人に大変助けられました。感謝しかありません。
この入院の時に何人か患者の人と知り合いになりました。腸閉塞で入院している人、体のどこかの部位は忘れましたががんで手術直前だった人、すい臓がんで余命半年と言われている人などです。余命半年と言われて生きるのはどんな気分なのだろうと思ったことがあります。
それで、退院の日に手術で膀胱から採取した腫瘍が悪性リンパ腫ではないかと疑われて血液内科の外来で診察を受けました。そこで、血液がんの悪性リンパ腫、非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫であると告げられました。しかも膀胱に腫瘍ができているということで全身に広がっているということでいきなりステージ4と告げられました。この時のショックは今でも覚えています。がんイコール死という図式があったので恐怖としか言いようがありませでした。いきなり、何もかもが変わってしまい、ここからいわゆるがん治療に入ることとなりました。
そして、ここからその11日後の11月26日から入院して抗がん剤のRCHOPという化学療法に進む手続きが進行していきました。それまでに外来で、PET検査と骨髄採取(マルク)をしてもらって現時点でどのくらいの病状なのか他に腫瘍はないのかなど検査してもらいました。検査結果としてはいまのところ膀胱の腫瘍がとれて他に大きな腫瘍はなくて左鎖骨のあたりに手ではわからないくらいの腫瘍ができかけているのと血液に少しがんが混じっているようなことを言われました。この状態なので大きな腫瘍はないので放射線治療や手術はなく、抗がん剤RCHOPをすることとなりました。4種類の薬を点滴で投薬して1種類のいわゆるステロイドを服用する治療です。RCHOPについてはまた別の記事で詳しく書けたらと思います。このRCHOP1回が3週間かかり、これを8クールすることとなりました。初めの日にRCHOPのRのリツキサンの投与、次の日にCHOPの投与とこの日から5日間ステロイドを服用します。あとは3週間経過するまで休みです。ただし、2週間くらいあたりをピークに白血球・赤血球・血小板の数が下がり免疫力が落ちて感染症にかかりやすくなります。また、抗がん剤の副作用も考えられるので危険な状態と言えます。こうして、最初の第1クールはRCHOPを入院してしてもらいました。
第1クールは入院してはじまりました。入院日は先生からの現状の説明と今後の治療方針などの話でした。翌日RCHOPのRにあたるリツキサン(リツキシマブ)の点滴をしてもらいました。ちなみに、このリツキサンは白血球のB細胞のCD20にのみくっついて破壊する分子標的薬といわれておりこのRのおかげでCHOPだけの頃よりも治療成績が向上したそうです。それで、1回目が最もリスキーなので看護ステーションの隣の特別な部屋に移動して点滴が始まりました。なお、昼食は普通に食べてよくて、ベッドの上で起きている状態です。することないので本を読んでいました。15分おきくらいに看護師の方が来てくれます。最初の投与の時に全身に湿疹のようなものができていったんリツキサン投与を中断して、生理食塩水とステロイドを投薬して、再度リツキサンの点滴をすると湿疹は消え去りました。リツキサンが人工的に作り出した薬なのでそれを血管内に入れるのだから最初の1回目に今回のような体の拒絶反応としての湿疹が出るのは普通だそうです。湿疹ができたこともその湿疹がステロイドを入れたら出なくなったこともどちらも驚きました。この当時はこんな自然界にない物質を体に入れて大丈夫なのだろうかという不安がありました。リツキサンの投与ははじめは少しの分量で、慣れて来たらだんだん量が増えました。たしか合計600ミリグラムの投与だったはずですが、最終的には1時間200ミリグラムの投与になったはずです。とはいえ、初回のリツキサンの投与は湿疹が出て中断されたこともあって6から7時間くらいかかったと覚えています。リツキサンは副作用はあまりなくて2日目へ比較的スムーズに進みました。
2日目はCHOP療法です。吐き気止めにグラニセトロンを投薬して、オンコビン、ドキソルビシン、エンドキサンを投与します。これらは副作用も生じるので危険性もありますし怖いです。脱毛は必ず起こりますし、手先のしびれも必ず起こるはずです。あとは人によっては吐き気、膀胱炎、血管痛、静脈炎、排尿障害、便秘、臓器の異常など起こることも考えられます。この点滴に加えて、この日から5日間のプレドニゾロン(ステロイド)を1日20錠(朝10錠、昼10錠)を服用します。こちらは点滴ではなくて経口、つまり飲み薬です。
前述の骨髄抑制(白血球・赤血球・血小板の数が減ること)のために、感染症にかかりやすくなるので、その予防のためにうがい薬をもらいそれを1日4回ほどすることとなります。うがい薬もまた別の記事で詳しく書けたらと思います。ハリゾンとネオヨジンガーグルの2つです。ネオヨジンガーグルの方はイソジンのようなうがい薬です。ハリゾンは口の中をすすいでなんと飲み込むのがよいそうです。食道にいる菌を滅菌できるからだそうです。私は、毎食後と寝る前にうがいをしていました。うがいのおかげか感染症にはかかりませんでした。骨髄抑制の方の対策・予防として、RCHOPのあとしばらくして皮下注射を打ってもらいます。病室の看護師の方が来て1日1回打ってもらっていました。白血球の数が減ってきたあたりで増やすようにするようです。なお、退院後に外来で一度だけ打つ皮下注射ジーラスタとは違う種類のようです。
入院中は、定期的に看護師の方が血圧体重などの測定をしてくれて、定期的に血液採取して血液検査もあります。この血液検査のデータも見せてもらえるので今どのくらい白血球・赤血球・血小板の数が減っているのかなども数値化してわかります。医師の方もベッドまで来てくれてどういう状況なのかなどの診察もありました。1クール目は良好だったので特に問題もなく過ごせました。もしも、白血球の数が著しく減って、なおかつ38度以上の熱が出たら無菌室に行くこととなっているようです。今のところ無菌室は行ったことありません。
ステロイドを飲んでいる5日間は薬が苦くて味覚も変わった感じがしましたが、食事は何とかというか割と普通に食べられて後半は元気でした。そういえば、大学時の先生と友人が見舞いに来てくれました。ちょっとしたことですが有り難いです。ただし、血液内科の病棟に生の花は持ってきてはいけません。菌が他の患者に悪影響を与えるそうです。
そうこうして、3週間が終わろうとしているあたりで残りは退院して通院でRCHOPを7クールしていくことを医師から告げられました。最初はずっと入院すると思っていたので驚きと喜ぶべきなのか、通院だと危険なのではないかという不安と様々なことを思い感情も揺れました。今思うとRCHOPは通院でも問題ないし、むしろ入院していると体力は落ちるし、ネットが自由に使えないし、どこかへ出かけたりも自由にできないしで、通院の方がメリットが多いとわかりました。
こうして第1クールの入院は12月16日で終わって第2クールへ進みました。家から病院へやってきて、採尿採血と体温と血圧を測って、先生の問診でRCHOPができるかを判断してもらって、1日目がリツキサンの投与、2日目がCHOP療法です。2日目からステロイドを5日間服用です。入院の時と同じです。外来の時は外来の治療室がありイスの上で寝ころんだ感じでDVDやテレビを見ることができます。私は1日目はテレビを見たり何もしなかったりしていました。2日目はDVDを持ってきて見ていました。昼食は点滴の最中でも普通に食べて薬も普通に飲みます。1日目に3週間分の薬と次の日のステロイドとうがい薬を薬局で買うことになりますので持ち物は増えます。RCHOPが終わってその2日後に外来で皮下注射ジーラスタを打ってもらいます。こちらは1回で長期間効く薬で10万円を超える高価な薬です。白血球の数を増やすというよりは減っていくのを防ぐ予防的な注射になります。
こうして、年が明けて2019年が始まり、1月8日から第3クールが始まりました。前回の第2クールと同じで1日目リツキサンの投与、2日目CHOP療法です。そしてステロイドの5日間の服用です。そして、数日後に皮下注射ジーラスタです。同じことを8クールまで継続することとなります。なお、私はこの間ほぼ外出はしていません。仕事も休ませてもらっていましたし、外食もしていません。感染症にかかる危険があるからです。RCHOPをした1週間目はしんどくて、2週間目あたりから回復してきますが客観的には白血球減少が起こり、3週間目は元気になります。この元気になったあたりで次のクールへ突入です。
こうして1月29日に第4クールが始まるはずでしたが、前の記事で書いた謎の高熱が出たので今回のRCHOPは延期されてこの記事を書いている2月1日時点ではまだしていません。ようやくこのブログを書き始めたあたりまでつながったわけです。
なお、入院費用のこととか、保険のこと、限度額認定証や傷病手当金などの社会保障のことなどは別の記事で書けたらと思います。大雑把に書いておくと、最初の検査入院の時の外科の緊急手術と緊急入院の頃はがんであるとは思っていなかったので、がん以外の事情での手術と入院で保険の話をすすめていました。それが、血液がんと分かってがんで保険の話を進めていきました。最初からがんで入院したわけではないのでややこしかったです。泌尿器科⇒消化器内科⇒外科⇒血液内科と科も違い主治医も違うのでややこしくて面倒でした。入っていた生命保険の方は結局、消化器内科、外科、血液内科の3種類の診断書を先生に書いてもらって、がんの入院と手術という扱いになりました。結果的にがんと認定されてがんの一時金300万円が下りました。それとは別に入院と手術のお金もありました。第1クールで退院するまでを一区切りで保険金の請求をしました。退院後の通院も120日間で40日分まで出るのですがこちらはこれから請求していくこととなります。あと県民共済からも保険金が下りてよかったです。こちらはがんの特約などはなかったのでがんとか関係なく入院と手術のお金がおりました。単なる通院は下りない契約だったようです。これは最初の契約内容によるようです。保険にて入っている保険の契約内容によりますね。そして、傷病手当金は会社に伝えて書類をもらって、先生に書類を書いてもらって協会けんぽに郵送して、しばらくして支給してもらえました。1か月単位が会社の締め日なのでそれに合わせて毎月請求するようにしていくつもりです。
がん治療は超高額になりますが、限度額認定証を協会けんぽに申請すれば、所得によって毎月の診察代金を一定額で済むようにすることができます。これは非常に助かりますので絶対に忘れないで使ってください。なお、入院と通院は別で扱われます。同じ月に入院と通院があれば別々で計算されて、それぞれの上限まで支払うこととなります。
読んでいただきありがとうございます。
2018年の9月10日に家から車で近江八幡にある長命ずいかくの湯という日帰りの銭湯で近江牛ローストビーフ重を食べた翌日の朝に胃が痛くなったのをFacebookに載せていましたのでここで初めて胃が痛くなった日と言えます。最初はこの近江牛の食あたりとか食中毒とかそういう可能性を考えました。それで、近所の町医者の内科へ行って問診してもらいました。でも、CTで調べるわけでもなく問診のみなので胃腸薬、整腸剤が処方されるだけで薬を飲んで何も改善されませんでした。あとでわかったこととして、近江牛は何も関係なかったです。食中毒ではなかったわけです。
ここから1か月の間、食事をしたらその数時間後にものすごく胃が痛くなって、下痢になるか、吐くかをしてまともに便が出なかったです。1か月間この症状が続いてこれがどういう意味か分からないままでした。内科へ行ってもやはり整腸剤や胃腸薬、胃潰瘍の薬など処方されたのみで、これらを飲んでも何も効果なかったです。当時は食べたものが胃より下に行っていない感覚はありました。腸閉塞とか腹膜炎とかそういう知識もなかったので痛みをこらえればなんとか下痢になるから大丈夫と思ってこの1か月間は食事を少なくしたり、おかゆのような食べやすいものだけにしていました。1日おかゆ1杯だけとかそういう日もありました。
そうしているうちに、10月15日の朝にトイレに行くと尿が真っ赤になっていわゆる血尿が出ました。さすがにこれは人生で初めてのことですぐに内科へ行きました。それで、そこでエコーを撮ってもらったらどうやら胃ではなくて腸でもなくて、膀胱のあたりに何かできているということが判明しました。すぐに泌尿器科に行くように言われて泌尿器科へ行って、同じくエコーと内視鏡検査をしてもらいました。このとき内視鏡検査は膀胱内の血が多くてこのできものが何なのか不明のままでした。とりあえず、膀胱の出血を止める薬を処方してもらって、近くの大きな総合病院を紹介してもらいそこで診察してもらうこととなりました。
翌日に、近所の大きな総合病院である滋賀県立総合病院の泌尿器科の診察を受けました。たしかエコーを撮ってもらってたしかに何かが膀胱にあるということでした。どうも膀胱がんではないということでした。そして、こういうできものは珍しいという話もありました。それで今度内視鏡検査を次回に外来でするということでこの日は診察は終わったと記憶しています。その夜に、これは膀胱ではなくて腸にできものができていて腸閉塞なのではないか、もしも腸閉塞ならすぐにでも診察をした方がよいということでその翌日に消化器内科の診察へと回されました。
消化器内科の先生にはこの1か月間の胃が痛くなっていたことや膀胱に何かあるようなことなどを伝えました。どうやら組織を採取しないとはっきりしたことはわからないということで、3日間だけ入院してバルーン内視鏡検査というものをすることとなりました。10月22日から24日までの3日間の検査入院です。入院自体初めての経験でした。入院するのに保証人がいることとか初めて知りました。
10月22日は検査前日でこの日は入院とはいえ何もすることがなくて本を読んだり病院内のカフェに行ったりして過ごしました。夜は下剤を飲んで明日の検査のために胃腸をきれいにしておくこととなりました。このときの下剤は少量なので問題なかったです。ただ、夜中に体がとても寒くなって看護師の方を呼んで毛布をもらったのを覚えています。たぶん、この下剤の副作用ではないかと思います。翌日、驚いたのは大量の水で薄めた下剤を飲んで胃腸にごみなどを無くして検査しやすくする必要があったことです。この下剤を飲んだことは今でも覚えています。ものすごくまずいわけではないのですが、味のしないものを大量に飲み続けるのは苦痛でした。便に異物が混じらない綺麗な状態になるまで飲み続ける必要がありました。私は人よりも飲むのに時間がかかってしまい、検査が遅れました。
バルーン内視鏡検査は肛門からバルーンのようなものを入れて腫瘍がある位置まで内部から進んで腫瘍の組織を採取する手法だそうです。検査中は全身麻酔で眠っているので意識はなくて目が覚めると検査は終わっていました。後でわかったこととして腫瘍までたどり着けなかったそうです。。。ただ、腫瘍から遠い場所ですがそこにある組織は採取できたそうでそれを審査することとなり、その結果がわかるのに時間がかかるので次の外来まで待つこととなりました。このとき次回の外来まで「エンシュアH」という栄養ドリンクをもらいました。ものすごく甘い飲み物です。一応これを飲んでいれば栄養は足りて生きられるというものでした。あとは食事は食物繊維があると腸に絡むということで食物繊維のないものを食べるように言われました。ここでおかしいと感じられることとしては、なぜ今回のバルーン内視鏡検査では腫瘍が取れていないのに食物繊維がない食べ物、すなわち肉や魚など植物を食べていいのか、ということが挙げられます。腸で食べ物が詰まっていたのだとすると腫瘍が取れていないこの段階で物を食べたらまた痛くなるのではないかという疑問が残ります。
翌日退院して以後、食物繊維を避けて、主に肉や魚、卵を食べていました。それで、しばらくはたしか何もなかったのですが、10月30日の朝、配達の仕事をしていたのですが、その時に突然ものすごく腸と膀胱と性器のあたりが痛くなりまた。このときの痛さはこれまでの痛さとは質が違いました。でも当時の私は時間がたてば治る、この場合は痛みがなくなると思ってコンビニのトイレで休ませてもらっていました。でも、いくら時間がたっても痛みが消えません。それで母に電話して来てもらって、その母が近所の人に電話して緊急で病院へ連れて行ってもらいました。検査入院した滋賀県立総合病院です。CT画像の結果、腸が破れているということでした。それで緊急手術となりました。手術に当たっていくつかの質問に答えて同意できるものは同意して全身麻酔を打たれて意識を失いました。
目が覚めると集中治療室で横になっていました。ものすごくのどが渇いたのを覚えています。高熱が出ていてしんどかったのを覚えています。喉が渇いて何回も看護師の方を読んだので迷惑をかけてしまいました。看護師の方のありがたさと医師の方のすごさを実感しました。たしか、おなかに管が5本刺さっていて、尿を強制的に排出する管も刺さっていたのを記憶しています。
次の日に普通の病棟のベッドへ移されて一日眠ることしかできませんでした。高熱としんどさで何もできなかったです。その次の日あたりから意識もはっきりしてましになってきました。緊急で入院したので母が手続きでいろいろ動いてくれていました。限度額認定証の申請とか入院の手続きなどそういったことです。体が動けるようになると、できるだけ体を動かす方が腸が癒着しないからいいのだと教えてもらって病棟を歩いていました。最初は病室のドアまで行くのが精いっぱいでしたが、数日経つと病棟をぐるっと回れるくらいにまで回復しました。歩けるようになってなんとか普通になれるまで1週間くらいでしょうか、かかりました。そうしているうちに体の管を抜いてもらって、尿道の管も抜けてやっとすっきりしました。管が抜けて、これまで点滴で栄養を取っていたのがやめになって、食事をとることができるようになりました。はじめは全粥からはじまり7分粥、五分粥と普通食に近づいていって最終的には普通食になって標準的な食事を食べられるまでになりました。結局11月15日までの約2週間くらいの入院でした。この入院の前半はかなりしんどくて、後半になるにつれてだんだん楽になりました。最後の方はテレビを見たりして元気でした。緊急で入院したために何も持ってこなくて暇なくらいでした。この入院では医師の人、看護師の人に大変助けられました。感謝しかありません。
この入院の時に何人か患者の人と知り合いになりました。腸閉塞で入院している人、体のどこかの部位は忘れましたががんで手術直前だった人、すい臓がんで余命半年と言われている人などです。余命半年と言われて生きるのはどんな気分なのだろうと思ったことがあります。
それで、退院の日に手術で膀胱から採取した腫瘍が悪性リンパ腫ではないかと疑われて血液内科の外来で診察を受けました。そこで、血液がんの悪性リンパ腫、非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫であると告げられました。しかも膀胱に腫瘍ができているということで全身に広がっているということでいきなりステージ4と告げられました。この時のショックは今でも覚えています。がんイコール死という図式があったので恐怖としか言いようがありませでした。いきなり、何もかもが変わってしまい、ここからいわゆるがん治療に入ることとなりました。
そして、ここからその11日後の11月26日から入院して抗がん剤のRCHOPという化学療法に進む手続きが進行していきました。それまでに外来で、PET検査と骨髄採取(マルク)をしてもらって現時点でどのくらいの病状なのか他に腫瘍はないのかなど検査してもらいました。検査結果としてはいまのところ膀胱の腫瘍がとれて他に大きな腫瘍はなくて左鎖骨のあたりに手ではわからないくらいの腫瘍ができかけているのと血液に少しがんが混じっているようなことを言われました。この状態なので大きな腫瘍はないので放射線治療や手術はなく、抗がん剤RCHOPをすることとなりました。4種類の薬を点滴で投薬して1種類のいわゆるステロイドを服用する治療です。RCHOPについてはまた別の記事で詳しく書けたらと思います。このRCHOP1回が3週間かかり、これを8クールすることとなりました。初めの日にRCHOPのRのリツキサンの投与、次の日にCHOPの投与とこの日から5日間ステロイドを服用します。あとは3週間経過するまで休みです。ただし、2週間くらいあたりをピークに白血球・赤血球・血小板の数が下がり免疫力が落ちて感染症にかかりやすくなります。また、抗がん剤の副作用も考えられるので危険な状態と言えます。こうして、最初の第1クールはRCHOPを入院してしてもらいました。
第1クールは入院してはじまりました。入院日は先生からの現状の説明と今後の治療方針などの話でした。翌日RCHOPのRにあたるリツキサン(リツキシマブ)の点滴をしてもらいました。ちなみに、このリツキサンは白血球のB細胞のCD20にのみくっついて破壊する分子標的薬といわれておりこのRのおかげでCHOPだけの頃よりも治療成績が向上したそうです。それで、1回目が最もリスキーなので看護ステーションの隣の特別な部屋に移動して点滴が始まりました。なお、昼食は普通に食べてよくて、ベッドの上で起きている状態です。することないので本を読んでいました。15分おきくらいに看護師の方が来てくれます。最初の投与の時に全身に湿疹のようなものができていったんリツキサン投与を中断して、生理食塩水とステロイドを投薬して、再度リツキサンの点滴をすると湿疹は消え去りました。リツキサンが人工的に作り出した薬なのでそれを血管内に入れるのだから最初の1回目に今回のような体の拒絶反応としての湿疹が出るのは普通だそうです。湿疹ができたこともその湿疹がステロイドを入れたら出なくなったこともどちらも驚きました。この当時はこんな自然界にない物質を体に入れて大丈夫なのだろうかという不安がありました。リツキサンの投与ははじめは少しの分量で、慣れて来たらだんだん量が増えました。たしか合計600ミリグラムの投与だったはずですが、最終的には1時間200ミリグラムの投与になったはずです。とはいえ、初回のリツキサンの投与は湿疹が出て中断されたこともあって6から7時間くらいかかったと覚えています。リツキサンは副作用はあまりなくて2日目へ比較的スムーズに進みました。
2日目はCHOP療法です。吐き気止めにグラニセトロンを投薬して、オンコビン、ドキソルビシン、エンドキサンを投与します。これらは副作用も生じるので危険性もありますし怖いです。脱毛は必ず起こりますし、手先のしびれも必ず起こるはずです。あとは人によっては吐き気、膀胱炎、血管痛、静脈炎、排尿障害、便秘、臓器の異常など起こることも考えられます。この点滴に加えて、この日から5日間のプレドニゾロン(ステロイド)を1日20錠(朝10錠、昼10錠)を服用します。こちらは点滴ではなくて経口、つまり飲み薬です。
前述の骨髄抑制(白血球・赤血球・血小板の数が減ること)のために、感染症にかかりやすくなるので、その予防のためにうがい薬をもらいそれを1日4回ほどすることとなります。うがい薬もまた別の記事で詳しく書けたらと思います。ハリゾンとネオヨジンガーグルの2つです。ネオヨジンガーグルの方はイソジンのようなうがい薬です。ハリゾンは口の中をすすいでなんと飲み込むのがよいそうです。食道にいる菌を滅菌できるからだそうです。私は、毎食後と寝る前にうがいをしていました。うがいのおかげか感染症にはかかりませんでした。骨髄抑制の方の対策・予防として、RCHOPのあとしばらくして皮下注射を打ってもらいます。病室の看護師の方が来て1日1回打ってもらっていました。白血球の数が減ってきたあたりで増やすようにするようです。なお、退院後に外来で一度だけ打つ皮下注射ジーラスタとは違う種類のようです。
入院中は、定期的に看護師の方が血圧体重などの測定をしてくれて、定期的に血液採取して血液検査もあります。この血液検査のデータも見せてもらえるので今どのくらい白血球・赤血球・血小板の数が減っているのかなども数値化してわかります。医師の方もベッドまで来てくれてどういう状況なのかなどの診察もありました。1クール目は良好だったので特に問題もなく過ごせました。もしも、白血球の数が著しく減って、なおかつ38度以上の熱が出たら無菌室に行くこととなっているようです。今のところ無菌室は行ったことありません。
ステロイドを飲んでいる5日間は薬が苦くて味覚も変わった感じがしましたが、食事は何とかというか割と普通に食べられて後半は元気でした。そういえば、大学時の先生と友人が見舞いに来てくれました。ちょっとしたことですが有り難いです。ただし、血液内科の病棟に生の花は持ってきてはいけません。菌が他の患者に悪影響を与えるそうです。
そうこうして、3週間が終わろうとしているあたりで残りは退院して通院でRCHOPを7クールしていくことを医師から告げられました。最初はずっと入院すると思っていたので驚きと喜ぶべきなのか、通院だと危険なのではないかという不安と様々なことを思い感情も揺れました。今思うとRCHOPは通院でも問題ないし、むしろ入院していると体力は落ちるし、ネットが自由に使えないし、どこかへ出かけたりも自由にできないしで、通院の方がメリットが多いとわかりました。
こうして第1クールの入院は12月16日で終わって第2クールへ進みました。家から病院へやってきて、採尿採血と体温と血圧を測って、先生の問診でRCHOPができるかを判断してもらって、1日目がリツキサンの投与、2日目がCHOP療法です。2日目からステロイドを5日間服用です。入院の時と同じです。外来の時は外来の治療室がありイスの上で寝ころんだ感じでDVDやテレビを見ることができます。私は1日目はテレビを見たり何もしなかったりしていました。2日目はDVDを持ってきて見ていました。昼食は点滴の最中でも普通に食べて薬も普通に飲みます。1日目に3週間分の薬と次の日のステロイドとうがい薬を薬局で買うことになりますので持ち物は増えます。RCHOPが終わってその2日後に外来で皮下注射ジーラスタを打ってもらいます。こちらは1回で長期間効く薬で10万円を超える高価な薬です。白血球の数を増やすというよりは減っていくのを防ぐ予防的な注射になります。
こうして、年が明けて2019年が始まり、1月8日から第3クールが始まりました。前回の第2クールと同じで1日目リツキサンの投与、2日目CHOP療法です。そしてステロイドの5日間の服用です。そして、数日後に皮下注射ジーラスタです。同じことを8クールまで継続することとなります。なお、私はこの間ほぼ外出はしていません。仕事も休ませてもらっていましたし、外食もしていません。感染症にかかる危険があるからです。RCHOPをした1週間目はしんどくて、2週間目あたりから回復してきますが客観的には白血球減少が起こり、3週間目は元気になります。この元気になったあたりで次のクールへ突入です。
こうして1月29日に第4クールが始まるはずでしたが、前の記事で書いた謎の高熱が出たので今回のRCHOPは延期されてこの記事を書いている2月1日時点ではまだしていません。ようやくこのブログを書き始めたあたりまでつながったわけです。
なお、入院費用のこととか、保険のこと、限度額認定証や傷病手当金などの社会保障のことなどは別の記事で書けたらと思います。大雑把に書いておくと、最初の検査入院の時の外科の緊急手術と緊急入院の頃はがんであるとは思っていなかったので、がん以外の事情での手術と入院で保険の話をすすめていました。それが、血液がんと分かってがんで保険の話を進めていきました。最初からがんで入院したわけではないのでややこしかったです。泌尿器科⇒消化器内科⇒外科⇒血液内科と科も違い主治医も違うのでややこしくて面倒でした。入っていた生命保険の方は結局、消化器内科、外科、血液内科の3種類の診断書を先生に書いてもらって、がんの入院と手術という扱いになりました。結果的にがんと認定されてがんの一時金300万円が下りました。それとは別に入院と手術のお金もありました。第1クールで退院するまでを一区切りで保険金の請求をしました。退院後の通院も120日間で40日分まで出るのですがこちらはこれから請求していくこととなります。あと県民共済からも保険金が下りてよかったです。こちらはがんの特約などはなかったのでがんとか関係なく入院と手術のお金がおりました。単なる通院は下りない契約だったようです。これは最初の契約内容によるようです。保険にて入っている保険の契約内容によりますね。そして、傷病手当金は会社に伝えて書類をもらって、先生に書類を書いてもらって協会けんぽに郵送して、しばらくして支給してもらえました。1か月単位が会社の締め日なのでそれに合わせて毎月請求するようにしていくつもりです。
がん治療は超高額になりますが、限度額認定証を協会けんぽに申請すれば、所得によって毎月の診察代金を一定額で済むようにすることができます。これは非常に助かりますので絶対に忘れないで使ってください。なお、入院と通院は別で扱われます。同じ月に入院と通院があれば別々で計算されて、それぞれの上限まで支払うこととなります。
読んでいただきありがとうございます。
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