2019年02月05日
生存率とそれに関する感想
1.生存率
血液がんとなるとがんの一つであって、がん=死のイメージがありました。私も悪性リンパ腫の宣告をされたときは死んでしまうと思っていました。それで、生存率なのですが『病気がみえる vol.5: 血液』によるとこの写真のように、5年生存率は4割ほどです。この本では非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)はアグレッシブリンフォーマ(aggressive lymphoma)というアグレッシブタイプに分類されています。
やはり、普通の人よりは生きられないのかなと思うこともあります。最後はどう迎えるのか、死んでしまうということについては不安があり抽象的観念的ではないのでリアリティが出てきます。救いとしては、このグラフを見る限り生存する方に入れれば何とかその後も長く生きられそうという希望があることです。生きて何がしたいのか、もういちどはっきりさせたいと思っています。
2.Facebookに投稿した生存率に関しての感想
以前、生存率についてFacebookに書いたことがあります。自分の投稿なので著作権の問題も生じないのでせっかくなのでブログにも載せておきます。↓
今の病気にかかってしまい、本を読んで調べていくと普通に5年生存率とかわかってしまったりします。それで普通の人よりも私は5年生きられないというのがわかります。5年後生きている可能性はそんなにないです。5年どころか来年生きている保障もないのですが、反対にあと20年生きられる可能性もないことはないので、要はあるわけです。
とはいえ、生存率を考えると、死を意識しますし死ぬことについてリアリティが出てきます。司法試験をしているときに死にたいくらいの時はありましたが、でもそれはホントに死んでもいいわけではなかったのだと思います。本音では生きたいわけです。
それで、死ぬことについては哲学で死を思って生きるということで「死の演習」とか、仏教で死を意識しての悟りとかそういったことも知っていたのですがどこか理性的な理解で実感なかったのかなと思います。また、刑事政策の勉強で刑の執行のところで死刑についてちょっと自分なりに詳細に研究したこともあって、その上、死刑囚の人たちが書いたものとか読んだこともあってわりと死についての理解はできていたと思っていたのですがそれでもそれらは他人の死であって自分の死ではないからどこかリアリティはなかったのかなと思います。
今回、5年生存率とか考えて死んでしまう可能性が出てきたことや実際に昨年の10月末の緊急手術があと30分遅かったら死んでいて今この文章を書いていなかったことなどを考えると、やや死についてリアリティが出てきました。
とはいえ、人はいずれ誰も死ぬのですから死んでしまうことを受け入れて死ぬときは自分の部屋から隣の部屋にさっと移動できるくらいに死に対するハードルをできるだけ下げておいて穏やかに死んでいけるといいのかもしれません(来世とか魂とかあればいいのですがそのあたりは私は不可知だと思っています。)。
ところで、死んでしまう可能性が出てくると人はどうするのでしょう?人によってはやりたいことを全部やってみるとか、天職でないなら仕事を辞めるとか、やっている意味が分からないなら勉強などはやめて遊んでしまうとか、会いたい人に会いに行くとか、言いたかったことを全部言ってみるとか、欲しかったものを全部手に入れてみるとか、人それぞれなのかもしれません。それで、私はあまり思いつかなくてしいて言うと、何か残したいですし、何かできればなあと思います。あとは自分に愛を与えて他者にも愛を与えられるようになりたいなあと思います。
と書いてしまいましたが、とりあえず、生存率を自分の力と医療の力で上げていくようにしたいです。やれるだけやってしまったあとは運とも言えます。統計は統計なので、私個人の生存率を上げていこうと思います。私個人の生存率を99%にすればいいわけですから☆
ここまで、です。
今回も読んでいただきありがとうございました。
血液がんとなるとがんの一つであって、がん=死のイメージがありました。私も悪性リンパ腫の宣告をされたときは死んでしまうと思っていました。それで、生存率なのですが『病気がみえる vol.5: 血液』によるとこの写真のように、5年生存率は4割ほどです。この本では非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)はアグレッシブリンフォーマ(aggressive lymphoma)というアグレッシブタイプに分類されています。
やはり、普通の人よりは生きられないのかなと思うこともあります。最後はどう迎えるのか、死んでしまうということについては不安があり抽象的観念的ではないのでリアリティが出てきます。救いとしては、このグラフを見る限り生存する方に入れれば何とかその後も長く生きられそうという希望があることです。生きて何がしたいのか、もういちどはっきりさせたいと思っています。
2.Facebookに投稿した生存率に関しての感想
以前、生存率についてFacebookに書いたことがあります。自分の投稿なので著作権の問題も生じないのでせっかくなのでブログにも載せておきます。↓
今の病気にかかってしまい、本を読んで調べていくと普通に5年生存率とかわかってしまったりします。それで普通の人よりも私は5年生きられないというのがわかります。5年後生きている可能性はそんなにないです。5年どころか来年生きている保障もないのですが、反対にあと20年生きられる可能性もないことはないので、要はあるわけです。
とはいえ、生存率を考えると、死を意識しますし死ぬことについてリアリティが出てきます。司法試験をしているときに死にたいくらいの時はありましたが、でもそれはホントに死んでもいいわけではなかったのだと思います。本音では生きたいわけです。
それで、死ぬことについては哲学で死を思って生きるということで「死の演習」とか、仏教で死を意識しての悟りとかそういったことも知っていたのですがどこか理性的な理解で実感なかったのかなと思います。また、刑事政策の勉強で刑の執行のところで死刑についてちょっと自分なりに詳細に研究したこともあって、その上、死刑囚の人たちが書いたものとか読んだこともあってわりと死についての理解はできていたと思っていたのですがそれでもそれらは他人の死であって自分の死ではないからどこかリアリティはなかったのかなと思います。
今回、5年生存率とか考えて死んでしまう可能性が出てきたことや実際に昨年の10月末の緊急手術があと30分遅かったら死んでいて今この文章を書いていなかったことなどを考えると、やや死についてリアリティが出てきました。
とはいえ、人はいずれ誰も死ぬのですから死んでしまうことを受け入れて死ぬときは自分の部屋から隣の部屋にさっと移動できるくらいに死に対するハードルをできるだけ下げておいて穏やかに死んでいけるといいのかもしれません(来世とか魂とかあればいいのですがそのあたりは私は不可知だと思っています。)。
ところで、死んでしまう可能性が出てくると人はどうするのでしょう?人によってはやりたいことを全部やってみるとか、天職でないなら仕事を辞めるとか、やっている意味が分からないなら勉強などはやめて遊んでしまうとか、会いたい人に会いに行くとか、言いたかったことを全部言ってみるとか、欲しかったものを全部手に入れてみるとか、人それぞれなのかもしれません。それで、私はあまり思いつかなくてしいて言うと、何か残したいですし、何かできればなあと思います。あとは自分に愛を与えて他者にも愛を与えられるようになりたいなあと思います。
と書いてしまいましたが、とりあえず、生存率を自分の力と医療の力で上げていくようにしたいです。やれるだけやってしまったあとは運とも言えます。統計は統計なので、私個人の生存率を上げていこうと思います。私個人の生存率を99%にすればいいわけですから☆
ここまで、です。
今回も読んでいただきありがとうございました。
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