2015年06月08日
人間が認識するまでは現象は存在しない?!宇宙は人間の誕生を待っていた
宇宙はエゴイスト
ホイーラーの遅延選択の原理
実験者の意識が過去の素粒子の存在に影響を与える。
理論物理学者ホイーラーによると、それが実験で証明されることによって、量子の全体的な性質は空間だけでなく、時間的な性質とも連なっている事が予想された。
つまりヒトの意識が過去の世界に影響を与える事が可能だという事だ。
実際に近年になってメリーランド大学のキャロル・アレイらの行った実験結果は、ホイーラーの仮説を成立させた。
個々の素粒子が持つ量子性は、空間的には宇宙全体へ、時間的には何十億年もの過去や未来へと拡がる「非局在性=限定されない場」とを併せ持ち、時間と空間は渾然一体となった場であるというのが、現代の量子力学での統一意見である。
科学者達の最も悩みの種で、腑に落ちない点は、観測者の意識が「この世」の物質の存在をあらしめている点だった。
人間が見るという行為によって物質が変容する(創造と消滅)というのは、すなわち人間の意識が「この世」を創造しているのだと----。
「この世」は単なる仮想現実の世界という単純なものではなく、その中に住む(少なくとも)人間の意識が画面を選択して未来を決定するバーチャルコンピュータと、ホログラムを合体させたような世界だと言える。
キャロル・アレイ、ホイラーらが行った「遅延選択の実験」では、何十億年も離れた天体の過去を地球の観測者達の意志で左右できるという事は、逆に他の惑星の知的生物によって地球の過去が左右されている可能性もあることを示した。もしそうだとしたら、自分以外の全ての意思統一ができていなければ、これほど整然とした世界は不可能で支離滅裂な世界というか存在できない。しかし実験ではそうなる。これは一体どういう事なのだろう?
可能性として考えられるのは「個人個人」の意識が各々全く別の世界を創造しその中に個別に浸っている というものだ。
つまり、エネルギーを三次元的物質として翻訳し、五感でそれを感じ取るという訓練を、この世に生まれ落ちて以来両親から教えられる世界が「この世」なのだ。
素粒子学者ホイラーらは、「過去が全て詳細に至るまで既に存在していると考えるのは誤りである。」と結論している。
過去の出来事未来の出来事も全て浮遊状態で確定していないという事である。
また過去については、「いかなる測定を行うかに関する我々の選択に依存する」と言っている。
※宇宙開闢まで遡る過去の不確定性の歪エネルギーが堆積し続けている事は確かで、それらは我々が憑依、地縛霊などと呼んでいるものらしい。
量子力学の批判者としてのアインシュタインは、ハイゼンベルグの主張、特に不確定性原理の適用を未来にのみ制限して、過去の不確定性という「非常識な」観念に量子力学がコミットしているわけではないという議論を認めなかった。
『量子力学における過去と未来の知識』という論文のなかで、アインシュタインは二つの粒子の一方について過去の確定性を仮定すると、他方について未来の不確定性が主張できなくなることを示す思考実験を考案し、『量子力学の原理は、未来の事件を予言する際の不確定性と同じような不確定性を、過去の事件を記述する場合にも実際に含んでいる』と結論した。
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量子論の唱道者たちが長い間無視したアインシュタインの論点は、約半世紀をへた後で、アメリカの物理学会の会長を務めブラック・ホールの命名者としても著名なホィーラーのいわゆる<遅延選択>の実験に関する解釈の中で復活することになった。
後に現実に遂行されたこの実験では、アインシュタインの思考実験のような二粒子系のかわりに、一粒子が半透明の鏡を通過または反射することによって、その可能な経路が分岐した後で、その粒子の位置を測定する実験が考察された。ホィーラーの議論は、量子力学の不完全性の証明という文脈の中ではなくて、反対に量子力学の立場からの考察であって、半透明の鏡とどのように相互作用したかという意味での粒子の過去の履歴は動かしがたく実在するのではなくて、観察者(observer)であるとともに参加者(participant)でもある実験家の行為によってある意味で一挙に制作されることが寧ろ積極的に主張されることとなった。
この実験では、上図でSの位置から一個の光子が半透明の鏡Aに斜めに入射する。半透明の鏡Aは実験によって50%の確率で光子を通過させ、50%の確率で光子を反射することが分かっているものとする。従って、光子はAで反射して、更に鏡B、Cでも反射して、経路 SABCFを通るか、またはAを透過して経路SAEを通るかいずれかであろう。そこでEの位置とFの位置に光子の検出器をおけば、それぞれの検出器が光子を捕捉する確率は五分五分となるであろう。古典物理学においては、我々がEまたはFで光子を捕捉するしないにかかわりなく、光子の過去の経路は確定していると考える。従って、もし我々がEで光子を捕捉したならば、その光子はAを透過したと推論できる。同様に、もしFで光子を捕捉したならば、その光子は鏡A,B,Cで反射したと推論できる。古典物理学では、一つの光子の履歴はただ一つでありそれが複数の履歴をもつなどということは考えられないからである。しかしながら、このように光子の過去の経路が確定していると仮定すると、説明のつかない現象が生じる。
例えば、光子の通りうる二つの可能な経路が交差する場所Dに、Aと同様の半透明の鏡を設置して、それぞれの光子検出器で光子の捕捉される確率を調べる。この場合、もし光子の過去の経路が確定していたのならば、EもFも依然として五分五分の確率で光子を検出するであろう。しかしながら、今度は二つの可能な経路の長さの差を適当に調整することによって、例えばEに100%の確率で光子が検出され、Fには決して光子が検出されないようにすることができる。すなわち、この場合、光子は二つの可能な経路を同時に通過する波動の示す干渉パターンと同じものを統計分布によって示すのである。したがって、半透明の鏡Dを挿入せずにEとFの位置におかれた光子検出器が光子を捕捉する実験の配置を粒子モードと呼び、半透明の鏡Dを挿入してEとFの位置におかれた光子検出器が光子を捕捉する実験の配置を波動モードと呼ぶことができよう。
ここで『遅延選択実験』とは、二つの異なる実験配置の切り替えを遅らせると、果たして最終的な光子の捕捉確率に影響が現れるかいなかを調べる実験である。
この遅延選択実験には高度の技術が要求されるために、実験の精度に全く問題がない訳ではないが、二つの実験モードの切り替えの時刻が光子が反透明の鏡Aや反射鏡B,Cと相互作用したはずの時刻よりも前であるか後であるかに関係なく、同一の実験結果が得られた。
この実験結果について、ホィーラーは『(遠い)過去の時空と事件について正当に語り得ることは、近い過去か現在において如何なる測定を行うかに関する我々の選択に依存する』とも述べている。光子が光子検出器によって位置測定を行われた瞬間に、その光子のそれ以前の過去の可能な履歴もまた同時に制作されたかのような結果が得られたからである。ホィーラーは、この実験を宇宙的規模にまで拡大し、宇宙の始まりのころまでに溯る過去の不確定性を示す思考実験を考察した後で『過去がそのすべての詳細にいたるまで《既に存在している》と考えることは誤りである』と結論している。
このように、不確定性原理の適用範囲を未来にのみ制限するのではなく過去にも拡張することは、この原理の解釈に重大な変更をもたらすことになるであろう。ハイゼンベルグによって提示されたもとの形では、不確定性原理が共役な物理量の同時測定の精度の限界を与える不等式として提出されたことから明らかなように、不確定性は単に現在における物理量の同時的な測定の可能性の概念とのみ結び付いていた。しかし、記録として残っていない過去の不確定性は、測定可能性とではなくて、過去の記録ならびに現在の選択と両立可能な物理系の履歴の定義の可能性とかかわりをもつ。そして、このような過去の履歴がただ一つには定まらず、現在における実験家の選択的行為に依存するということが、過去の不確定性という概念の意味内容である。 物理学の世界での定理群は、現代の常識を遙かに越えている。
※ 過去も未来も不確定で、今ある人間の意志でどうにでも変わる、どうにでもなる。という大変な結論です。
ホイーラーの遅延選択の原理
実験者の意識が過去の素粒子の存在に影響を与える。
理論物理学者ホイーラーによると、それが実験で証明されることによって、量子の全体的な性質は空間だけでなく、時間的な性質とも連なっている事が予想された。
つまりヒトの意識が過去の世界に影響を与える事が可能だという事だ。
実際に近年になってメリーランド大学のキャロル・アレイらの行った実験結果は、ホイーラーの仮説を成立させた。
個々の素粒子が持つ量子性は、空間的には宇宙全体へ、時間的には何十億年もの過去や未来へと拡がる「非局在性=限定されない場」とを併せ持ち、時間と空間は渾然一体となった場であるというのが、現代の量子力学での統一意見である。
科学者達の最も悩みの種で、腑に落ちない点は、観測者の意識が「この世」の物質の存在をあらしめている点だった。
人間が見るという行為によって物質が変容する(創造と消滅)というのは、すなわち人間の意識が「この世」を創造しているのだと----。
「この世」は単なる仮想現実の世界という単純なものではなく、その中に住む(少なくとも)人間の意識が画面を選択して未来を決定するバーチャルコンピュータと、ホログラムを合体させたような世界だと言える。
キャロル・アレイ、ホイラーらが行った「遅延選択の実験」では、何十億年も離れた天体の過去を地球の観測者達の意志で左右できるという事は、逆に他の惑星の知的生物によって地球の過去が左右されている可能性もあることを示した。もしそうだとしたら、自分以外の全ての意思統一ができていなければ、これほど整然とした世界は不可能で支離滅裂な世界というか存在できない。しかし実験ではそうなる。これは一体どういう事なのだろう?
可能性として考えられるのは「個人個人」の意識が各々全く別の世界を創造しその中に個別に浸っている というものだ。
つまり、エネルギーを三次元的物質として翻訳し、五感でそれを感じ取るという訓練を、この世に生まれ落ちて以来両親から教えられる世界が「この世」なのだ。
素粒子学者ホイラーらは、「過去が全て詳細に至るまで既に存在していると考えるのは誤りである。」と結論している。
過去の出来事未来の出来事も全て浮遊状態で確定していないという事である。
また過去については、「いかなる測定を行うかに関する我々の選択に依存する」と言っている。
※宇宙開闢まで遡る過去の不確定性の歪エネルギーが堆積し続けている事は確かで、それらは我々が憑依、地縛霊などと呼んでいるものらしい。
量子力学の批判者としてのアインシュタインは、ハイゼンベルグの主張、特に不確定性原理の適用を未来にのみ制限して、過去の不確定性という「非常識な」観念に量子力学がコミットしているわけではないという議論を認めなかった。
『量子力学における過去と未来の知識』という論文のなかで、アインシュタインは二つの粒子の一方について過去の確定性を仮定すると、他方について未来の不確定性が主張できなくなることを示す思考実験を考案し、『量子力学の原理は、未来の事件を予言する際の不確定性と同じような不確定性を、過去の事件を記述する場合にも実際に含んでいる』と結論した。
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量子論の唱道者たちが長い間無視したアインシュタインの論点は、約半世紀をへた後で、アメリカの物理学会の会長を務めブラック・ホールの命名者としても著名なホィーラーのいわゆる<遅延選択>の実験に関する解釈の中で復活することになった。
後に現実に遂行されたこの実験では、アインシュタインの思考実験のような二粒子系のかわりに、一粒子が半透明の鏡を通過または反射することによって、その可能な経路が分岐した後で、その粒子の位置を測定する実験が考察された。ホィーラーの議論は、量子力学の不完全性の証明という文脈の中ではなくて、反対に量子力学の立場からの考察であって、半透明の鏡とどのように相互作用したかという意味での粒子の過去の履歴は動かしがたく実在するのではなくて、観察者(observer)であるとともに参加者(participant)でもある実験家の行為によってある意味で一挙に制作されることが寧ろ積極的に主張されることとなった。
この実験では、上図でSの位置から一個の光子が半透明の鏡Aに斜めに入射する。半透明の鏡Aは実験によって50%の確率で光子を通過させ、50%の確率で光子を反射することが分かっているものとする。従って、光子はAで反射して、更に鏡B、Cでも反射して、経路 SABCFを通るか、またはAを透過して経路SAEを通るかいずれかであろう。そこでEの位置とFの位置に光子の検出器をおけば、それぞれの検出器が光子を捕捉する確率は五分五分となるであろう。古典物理学においては、我々がEまたはFで光子を捕捉するしないにかかわりなく、光子の過去の経路は確定していると考える。従って、もし我々がEで光子を捕捉したならば、その光子はAを透過したと推論できる。同様に、もしFで光子を捕捉したならば、その光子は鏡A,B,Cで反射したと推論できる。古典物理学では、一つの光子の履歴はただ一つでありそれが複数の履歴をもつなどということは考えられないからである。しかしながら、このように光子の過去の経路が確定していると仮定すると、説明のつかない現象が生じる。
例えば、光子の通りうる二つの可能な経路が交差する場所Dに、Aと同様の半透明の鏡を設置して、それぞれの光子検出器で光子の捕捉される確率を調べる。この場合、もし光子の過去の経路が確定していたのならば、EもFも依然として五分五分の確率で光子を検出するであろう。しかしながら、今度は二つの可能な経路の長さの差を適当に調整することによって、例えばEに100%の確率で光子が検出され、Fには決して光子が検出されないようにすることができる。すなわち、この場合、光子は二つの可能な経路を同時に通過する波動の示す干渉パターンと同じものを統計分布によって示すのである。したがって、半透明の鏡Dを挿入せずにEとFの位置におかれた光子検出器が光子を捕捉する実験の配置を粒子モードと呼び、半透明の鏡Dを挿入してEとFの位置におかれた光子検出器が光子を捕捉する実験の配置を波動モードと呼ぶことができよう。
ここで『遅延選択実験』とは、二つの異なる実験配置の切り替えを遅らせると、果たして最終的な光子の捕捉確率に影響が現れるかいなかを調べる実験である。
この遅延選択実験には高度の技術が要求されるために、実験の精度に全く問題がない訳ではないが、二つの実験モードの切り替えの時刻が光子が反透明の鏡Aや反射鏡B,Cと相互作用したはずの時刻よりも前であるか後であるかに関係なく、同一の実験結果が得られた。
この実験結果について、ホィーラーは『(遠い)過去の時空と事件について正当に語り得ることは、近い過去か現在において如何なる測定を行うかに関する我々の選択に依存する』とも述べている。光子が光子検出器によって位置測定を行われた瞬間に、その光子のそれ以前の過去の可能な履歴もまた同時に制作されたかのような結果が得られたからである。ホィーラーは、この実験を宇宙的規模にまで拡大し、宇宙の始まりのころまでに溯る過去の不確定性を示す思考実験を考察した後で『過去がそのすべての詳細にいたるまで《既に存在している》と考えることは誤りである』と結論している。
このように、不確定性原理の適用範囲を未来にのみ制限するのではなく過去にも拡張することは、この原理の解釈に重大な変更をもたらすことになるであろう。ハイゼンベルグによって提示されたもとの形では、不確定性原理が共役な物理量の同時測定の精度の限界を与える不等式として提出されたことから明らかなように、不確定性は単に現在における物理量の同時的な測定の可能性の概念とのみ結び付いていた。しかし、記録として残っていない過去の不確定性は、測定可能性とではなくて、過去の記録ならびに現在の選択と両立可能な物理系の履歴の定義の可能性とかかわりをもつ。そして、このような過去の履歴がただ一つには定まらず、現在における実験家の選択的行為に依存するということが、過去の不確定性という概念の意味内容である。 物理学の世界での定理群は、現代の常識を遙かに越えている。
※ 過去も未来も不確定で、今ある人間の意志でどうにでも変わる、どうにでもなる。という大変な結論です。
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