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2019年09月23日
中野サンプラザの悲劇から大阪フェスティバルホール行ったお話 その1
2008年のツアー再開以来、毎年参戦している山下達郎ライブ。
今年のPerformance 2019 は全50公演中ファンクラブ枠で7月12日の中野サンプラザをまずはキープ。
さあいよいよ明日に迫った11日の夕方、一通のメールが・・・・
そこには、
オイ、ちょっと待ってくれ!何じゃこれは!?
山下達郎ファンはみんな大人ですから、ネットでも達郎さんのカラダの気遣いばかりですが、私としては
「突然私の目の前は真っ暗」(竹内まりや 涙のワンサイデッドラブ)「ボクはどうすればいい」(山下達郎 THE WAR SONG)「雨は手のひらにいっぱいさ、そうさ僕の心の中も」(シュガーベイブ 雨は手のひらにいっぱい)状態。
その後は仕事も手につかず、ってのは決して大げさな表現ではなく。
青春時代好きな女の子にふられた気分が蘇り・・・。
ところで、私のオフィスは九段下駅至近なのですが、九段下駅は武道館最寄り駅ゆえライブの当日には夕方5時頃になるとその日の出演アーティストのファンが集まります。
若い女の子ばかりの日は最近で言えばあいみょんやMIWAだったり、妙齢の女性が多い日は平井堅だったりします。矢沢永吉の日はもう大変です。こんな方々で九段下が埋め尽くされます。
達郎中止の当日夕方にも、九段下周辺には楽しそうなお顔をなさった女性が沢山いらっしゃいました。
でも、今夜はやけに平均年齢が高いぞ?と思ったら・・・
その方達の手には氷川きよしの応援グッズが。
ああ、その笑顔を拝見するにつけ、なんてボクは不幸なんだろうって。
その後鬱屈とした毎日を過ごしていた私のもとに一通のメールが!
大阪フェスティバルホール 9月16日当選!
もうこうなったら地方だろうが平日だろうが絶対行くもんね!と思って出しまくった抽選チケット、聖地大阪フェスティバルホールが当選!
ところでご存じない方のために説明致しますと、山下達郎のライブチケットが何故ゆえこれほど貴重というか、取り難いかというと、ドームやアリーナでは絶対にライブやらないからなのです。武道館でもやりません。
何故なら、達郎さん曰く「あんな所で観るライブは、音楽鑑賞じゃなくてパーティだ」からなのです。
自分の音楽はお客さんひとりひとりと相対して聴いて貰いたいからで、それには2000人程度が限界なのだそうです。東京ドーム50,000人で一回やればサンプラザ20回分になる。その方が主催側もずっとコストパフォーマンスいいことは分かっていても山下達郎は決してドーム、アリーナでは自身のライブを行いません。
例えば大宮では決して埼玉スーパーアリーナ(定員37,000人)ではなく大宮ソニックシティ(同2,505人)なのです。
「死んでもやらねえ」はステージMCではかなり毒舌になる達郎さんの実際の発言。
copyright 松野由紀子 マオニャン先生事後承諾でスンマヘン。よろしくお願い致します。
話しは戻って、幸運にも26日祝日大阪公演に当選〜折角だから早く大阪っていうか京都観光してから大阪に移動する事に。京都好きなんです。
のぞみに乗って京都に向かいます。
まず向かったのは洛南の東福寺
緑あふれる素敵なお寺さんでした。
記憶では子供の頃はともかく、物心ついてからここを訪れるのは初めてだと思います。
この苔がいいのよ〜、なんて大瀧詠一さんみたいな事を言っております(笑)
次はお馴染み伏見稲荷。中国人いっぱい。
四条でフルーツサンド食べてから阪急で大阪に向かいます。
でついにやってきました中之島の大阪フェスティバルホール!
このフェスティバルホールは2013年に再建されたもの。
1958年に建設された旧フェスティバルホールが建物自体の老朽化により立て替えが発表された折には、達郎さんは自身のラジオ番組サンデーソングブックで「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です」と語り、事実立て替えの実情を調べるために自身で大阪まで出向いた程の日本を代表をする音響の良さを誇っていた名ホールでした。あのカラヤンが自国オーストリアにホールごと持って帰りたいと言った逸話があるほどなのです。自分にとってみると1972年8月の歴史的ライブ DEEP PURPLE LIVE IN JAPANの7曲中5曲はここで録音されたもの。あのハイウエイスターやスモーク オン ザ ウォーターはここの音なんですね。カーペンターズ LIVE IN JAPANもフェスティバルホールの録音だし、恐らく来年か再来年に発売されるだろう 山下達郎 LIVE CD ”JOY 2“も旧フェスティバルホールの録音がかなり含まれると思われます。
なんて書いているうちにまた4000字超えてしまいました。
このレッドカーペットの階段上がって席に着いてから、ライブの本編は次回の投稿に致します。
まあ、次回と行っても今回は来週には上げられる(かな?)(笑)
どうも話しが横道にそれるというか、あれもこれも書きたがる悪い癖はいっこうに直りませんな。(汗)
今年のPerformance 2019 は全50公演中ファンクラブ枠で7月12日の中野サンプラザをまずはキープ。
さあいよいよ明日に迫った11日の夕方、一通のメールが・・・・
そこには、
オイ、ちょっと待ってくれ!何じゃこれは!?
山下達郎ファンはみんな大人ですから、ネットでも達郎さんのカラダの気遣いばかりですが、私としては
「突然私の目の前は真っ暗」(竹内まりや 涙のワンサイデッドラブ)「ボクはどうすればいい」(山下達郎 THE WAR SONG)「雨は手のひらにいっぱいさ、そうさ僕の心の中も」(シュガーベイブ 雨は手のひらにいっぱい)状態。
その後は仕事も手につかず、ってのは決して大げさな表現ではなく。
青春時代好きな女の子にふられた気分が蘇り・・・。
ところで、私のオフィスは九段下駅至近なのですが、九段下駅は武道館最寄り駅ゆえライブの当日には夕方5時頃になるとその日の出演アーティストのファンが集まります。
若い女の子ばかりの日は最近で言えばあいみょんやMIWAだったり、妙齢の女性が多い日は平井堅だったりします。矢沢永吉の日はもう大変です。こんな方々で九段下が埋め尽くされます。
達郎中止の当日夕方にも、九段下周辺には楽しそうなお顔をなさった女性が沢山いらっしゃいました。
でも、今夜はやけに平均年齢が高いぞ?と思ったら・・・
その方達の手には氷川きよしの応援グッズが。
ああ、その笑顔を拝見するにつけ、なんてボクは不幸なんだろうって。
その後鬱屈とした毎日を過ごしていた私のもとに一通のメールが!
大阪フェスティバルホール 9月16日当選!
もうこうなったら地方だろうが平日だろうが絶対行くもんね!と思って出しまくった抽選チケット、聖地大阪フェスティバルホールが当選!
ところでご存じない方のために説明致しますと、山下達郎のライブチケットが何故ゆえこれほど貴重というか、取り難いかというと、ドームやアリーナでは絶対にライブやらないからなのです。武道館でもやりません。
何故なら、達郎さん曰く「あんな所で観るライブは、音楽鑑賞じゃなくてパーティだ」からなのです。
自分の音楽はお客さんひとりひとりと相対して聴いて貰いたいからで、それには2000人程度が限界なのだそうです。東京ドーム50,000人で一回やればサンプラザ20回分になる。その方が主催側もずっとコストパフォーマンスいいことは分かっていても山下達郎は決してドーム、アリーナでは自身のライブを行いません。
例えば大宮では決して埼玉スーパーアリーナ(定員37,000人)ではなく大宮ソニックシティ(同2,505人)なのです。
「死んでもやらねえ」はステージMCではかなり毒舌になる達郎さんの実際の発言。
copyright 松野由紀子 マオニャン先生事後承諾でスンマヘン。よろしくお願い致します。
話しは戻って、幸運にも26日祝日大阪公演に当選〜折角だから早く大阪っていうか京都観光してから大阪に移動する事に。京都好きなんです。
のぞみに乗って京都に向かいます。
まず向かったのは洛南の東福寺
緑あふれる素敵なお寺さんでした。
記憶では子供の頃はともかく、物心ついてからここを訪れるのは初めてだと思います。
この苔がいいのよ〜、なんて大瀧詠一さんみたいな事を言っております(笑)
次はお馴染み伏見稲荷。中国人いっぱい。
四条でフルーツサンド食べてから阪急で大阪に向かいます。
でついにやってきました中之島の大阪フェスティバルホール!
このフェスティバルホールは2013年に再建されたもの。
1958年に建設された旧フェスティバルホールが建物自体の老朽化により立て替えが発表された折には、達郎さんは自身のラジオ番組サンデーソングブックで「ここを壊すのはカーネギーホールやオペラ座を壊すのと同じこと。愚行です」と語り、事実立て替えの実情を調べるために自身で大阪まで出向いた程の日本を代表をする音響の良さを誇っていた名ホールでした。あのカラヤンが自国オーストリアにホールごと持って帰りたいと言った逸話があるほどなのです。自分にとってみると1972年8月の歴史的ライブ DEEP PURPLE LIVE IN JAPANの7曲中5曲はここで録音されたもの。あのハイウエイスターやスモーク オン ザ ウォーターはここの音なんですね。カーペンターズ LIVE IN JAPANもフェスティバルホールの録音だし、恐らく来年か再来年に発売されるだろう 山下達郎 LIVE CD ”JOY 2“も旧フェスティバルホールの録音がかなり含まれると思われます。
なんて書いているうちにまた4000字超えてしまいました。
このレッドカーペットの階段上がって席に着いてから、ライブの本編は次回の投稿に致します。
まあ、次回と行っても今回は来週には上げられる(かな?)(笑)
どうも話しが横道にそれるというか、あれもこれも書きたがる悪い癖はいっこうに直りませんな。(汗)
2019年09月07日
1973年1月第1週全米TOP40
前回の投稿「1972」は、1972のビルボード年間チャートについて取り留めもなく書いていったら、当ブログ史上最多の7000字を超えてしまい、最後まで読まれた方殆どいないんじゃないかなって程の冗長な投稿になってしまいました。
でもそれほど自分にとって1972年の洋楽はシンパシーを抱かせるというか、その後の音楽人生に影響を与えたヒット曲が多かったわけであります。
で、その時の資料=ラジオ関東から送ってもらったチャート表の裏に、翌1973年の第1週目のランキングが載っておりました。それを改めて見てみると、ある意味72年のチャートに匹敵するというか、1週でこれほど自分の好みの楽曲が集中していたんだ、しかも現在もしょっちゅう聴いている曲が沢山がチャートインしているという驚きの事実がありました。
そこで、今回はそのビルボードチャート73年第一週のチャートとそれぞれの曲にまつわる自分の感想、想い出をこれまた冗長に書いてみたいと思います。(^_^;)
では早速第1位から
YOU'RE SO VAIN うつろな愛 カーリー サイモン
自分の意識の中ではカーリー サイモン最初のヒット曲。ベースから始まりピアノに続くイントロから、彼女の太めのアルト声。バックコーラスがミックジャガーとニルソンだったことも話題になりました。
続いて第2位 CLAIR クレア ギルバート オサリバン
前年 年間2位の超大ヒット曲 アローン アゲイン に続くこれも大ヒット曲。最後に出てくる女の子の笑い声が当時のラジオDJのみんな可愛いねって言ってましたね。
第3位 ME AND MRS.JONES ビリー ポール
これ不倫の歌だったのかな?凄くヘビーなソウルバラード。この辺りからソウルミュージックに少し興味が沸く様になりました。
第4位 SUPERSTITION 迷信 スティービー ワンダー
自分にとってはスティービー ワンダーの存在を初めて知った曲。クラビネットのリフは今のお若い方でも必ず聴いたことがあると思います。CAR POOL KARAOKEに スティービー ワンダーが出た際にも最初に歌われましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=qqrvm2XDvpQ
第5位 FUNNY FACE / DONNA FAGO
これは絶対日本ではヒットする訳のないカントリーソング
第6位 IT NEVER RAINS IN SOUTHERN CALIFORNIA カリフォルニアの青い空 アルバート ハモンド
これは誰でも知ってますよね。あまりにも有名な曲。サンソン次回のベタリクにリクエストしてみよう!
第7位 ROCKIN' PNEUMONIA & BOOGIE WOOGI FLU ロッキンブギウギ ジョニー リバース
「ロック肺炎とブギウギインフルエンザ」 と言うタイトルのご機嫌なロックンロール。ベテラン ロックシンガーの久々のヒット曲
第8位 YOUR MAMA DON'T DANCE ママはダンスを踊らない ロギンス&メッシーナ
これは日本でもかなりヒットしました。後にフットルースの大ヒットを飛ばすケニーロギンスとロックグループ POCOのジム メッシーナのデビューヒット。その後も多くのヒット曲を飛ばしました。音楽とは関係無いけどメッシーナはサッカーのメッシとよく似てるんですよね(笑)
第9位 SUPERFLY スーパーフライ カーティス メイフィールド
同名映画のタイトル曲で、ソウルミュージックもカッコいいな、って思わせてくれた何曲かの中の一曲。
あのSUPERFLYはここの曲から名付けたんですって。
第10位 YOU OUGHT TO BE WITH ME アル グリーン 彼の良さが分かったのはつい最近のこと
ここまで書いても、現在まで燦然と輝く歴史的ヒット曲が凝縮された週だったんですね。
この後も凄いですよ!(笑) 歴史の試練に打ち勝ち現在でも十分に鑑賞に堪えうる名作が目白押し
第13位 CROCODILE ROCK クロコダイルロック エルトン ジョン
今上映中の ロケットマンからつづくエルトンジョンの一連のヒット曲の中の一曲
第15位 DON'T LET ME BE LONLEY TONIGHT ジェームス テイラー
竹内まりやがアメリカ留学中に一番良くラジオで聴いた曲、って夫婦放談で言ってました。
そうだ、まりやさん1年間のアメリカ留学は1973年だったんですね!
第20位 SWEET SURRENDER スイートサレンダー ブレッド
出すシングルがすべて大ヒットしていた頃の一曲。
第21位 PIECES OF APRIL ピース オブ エイプリル スリードッグナイト
こちらも出す曲が次々とヒットになっていたTHREE DOG NIGHTの有名曲。これを作ったのはあのマスターズトーナメントのテーマソング:オーガスタを作り歌ったデイブ ロギンス。先程のケニーロギンスの従兄弟。
改めて聴くと、とてもいい曲です。
第22位 HI HI HI ハイハイハイ ポール マッカートニーとウイングス
ポールのロックンロール曲で日本でも当然大ヒットしましたが、不思議なことにここ数十年ラジオから聞こえてきた試しないですね。みんなMY LOVEかけるからかな?
第23位 I WANNA BE WITH YOU 明日を生きよう ラズベリーズ
エリック カルメン率いる ラズベリーズの前年のGO ALL THE WAY に続くヒット曲
第25位 OH BABE,WHAT WOURD YOU SAY ハリーケーン スミス
日本じゃ殆ど流行らなかったけど、これは名曲だと思います。いい曲です!
第27位 PAPA WAS A ROLLIN' STONE テンプテーションズ
自分がR&Bも好きになった決定的な一曲。ソウルってこんな都会的な曲もあるんだって驚いた記憶があります。のちにプログレッシブソウルなんて呼ばれましたが、まあそんな感じでしょうか。
第31位 DO IT AGAIN スティーリーダン
これぞ STREEY DANのデビュー曲。最初聴いた時、時代の流れから黒人グループだと思ったのですが、その声の主こそドナルド フェイゲンで、それから46年間ず〜と自分の最も好みのなロックグループであり続けています。
途中で流れるエレキシタールのソロは、ソロ楽器として使われた初めてのケースだと、サンソンエレキシタール特集で達郎さんが解説しておりました。
第34位 DANCING IN THE MOONLIGHT キングハーベスト
ワンヒットワンダー(1発屋)ですが、後年サンデーソングブックでもかかって、「時代の試練に打ち勝つ」エバーグリーンな曲ってのはこんな曲のことを言うんでしょう。イントロのエレピの音が可愛く、サビのメロディと歌詞が印象的。曲のタイトルからして達郎さんのライブの定番曲に続くメドレーでも出てきたことがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=hMc8naeeSS8
第35位 ROCKY MOUNTAIN HIGH ジョン デンバー
あのカントリーロードに続くジョンデンバーのヒット曲。コロラドのロッキー山脈の大自然(行ったことありませんが(^_^;)を想像させる透き通った声が印象的なナンバー。
第37位 JUNBALAYA ジャンバラヤ ブルーリッジレンジャーズ
ブルーリッジレンジャーズってグループじゃなくて、CCRのジョン フォガティのワンマンバンドですが、カントリーのベタなスタンダードを歌っても、やはりCCRのあの声があればヒットするんだよね。
第38位 YOU TURN ME ON,I'M A RADIO 恋するラジオ ジョニ ミッチェル
私が最も敬愛する洋楽女性シンガーソングライター ジョニ ミッチェルが、フォークシンガーからフュージョン/ジャズオリエンテッドへの変化していく直前の作品。
第40位 REELIN' AND ROCKN' チャックベリー
前回にメンションした通り、こんな人まだ新譜出しているんだ!パターンのチャックベリーですが、この曲かつての自身のヒット曲というか代表曲のライブバージョンだったのを知ったのは、2年ほど前に彼が亡くなった時にサンソンでやったNON-STOP CHUCK BERRYによってでした。
と言う訳で、今回も60年代以降生まれの方には、ここに上げた殆どの曲についてさっぱり分からないかも知れませんが、今聴いても古さを感じさせない「普遍的」な楽曲が目白押しであります。少しでもご興味あったら聞いてみてください。ほぼ全曲がアップルミュージックやスポティファイで聴けるはずです。
今回も5800文字になってしまった。(^_^;
次回は、大阪まであの人の「追っかけ」に行った話し の予定です。
でもそれほど自分にとって1972年の洋楽はシンパシーを抱かせるというか、その後の音楽人生に影響を与えたヒット曲が多かったわけであります。
で、その時の資料=ラジオ関東から送ってもらったチャート表の裏に、翌1973年の第1週目のランキングが載っておりました。それを改めて見てみると、ある意味72年のチャートに匹敵するというか、1週でこれほど自分の好みの楽曲が集中していたんだ、しかも現在もしょっちゅう聴いている曲が沢山がチャートインしているという驚きの事実がありました。
そこで、今回はそのビルボードチャート73年第一週のチャートとそれぞれの曲にまつわる自分の感想、想い出をこれまた冗長に書いてみたいと思います。(^_^;)
では早速第1位から
YOU'RE SO VAIN うつろな愛 カーリー サイモン
自分の意識の中ではカーリー サイモン最初のヒット曲。ベースから始まりピアノに続くイントロから、彼女の太めのアルト声。バックコーラスがミックジャガーとニルソンだったことも話題になりました。
続いて第2位 CLAIR クレア ギルバート オサリバン
前年 年間2位の超大ヒット曲 アローン アゲイン に続くこれも大ヒット曲。最後に出てくる女の子の笑い声が当時のラジオDJのみんな可愛いねって言ってましたね。
第3位 ME AND MRS.JONES ビリー ポール
これ不倫の歌だったのかな?凄くヘビーなソウルバラード。この辺りからソウルミュージックに少し興味が沸く様になりました。
第4位 SUPERSTITION 迷信 スティービー ワンダー
自分にとってはスティービー ワンダーの存在を初めて知った曲。クラビネットのリフは今のお若い方でも必ず聴いたことがあると思います。CAR POOL KARAOKEに スティービー ワンダーが出た際にも最初に歌われましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=qqrvm2XDvpQ
第5位 FUNNY FACE / DONNA FAGO
これは絶対日本ではヒットする訳のないカントリーソング
第6位 IT NEVER RAINS IN SOUTHERN CALIFORNIA カリフォルニアの青い空 アルバート ハモンド
これは誰でも知ってますよね。あまりにも有名な曲。サンソン次回のベタリクにリクエストしてみよう!
第7位 ROCKIN' PNEUMONIA & BOOGIE WOOGI FLU ロッキンブギウギ ジョニー リバース
「ロック肺炎とブギウギインフルエンザ」 と言うタイトルのご機嫌なロックンロール。ベテラン ロックシンガーの久々のヒット曲
第8位 YOUR MAMA DON'T DANCE ママはダンスを踊らない ロギンス&メッシーナ
これは日本でもかなりヒットしました。後にフットルースの大ヒットを飛ばすケニーロギンスとロックグループ POCOのジム メッシーナのデビューヒット。その後も多くのヒット曲を飛ばしました。音楽とは関係無いけどメッシーナはサッカーのメッシとよく似てるんですよね(笑)
第9位 SUPERFLY スーパーフライ カーティス メイフィールド
同名映画のタイトル曲で、ソウルミュージックもカッコいいな、って思わせてくれた何曲かの中の一曲。
あのSUPERFLYはここの曲から名付けたんですって。
第10位 YOU OUGHT TO BE WITH ME アル グリーン 彼の良さが分かったのはつい最近のこと
ここまで書いても、現在まで燦然と輝く歴史的ヒット曲が凝縮された週だったんですね。
この後も凄いですよ!(笑) 歴史の試練に打ち勝ち現在でも十分に鑑賞に堪えうる名作が目白押し
第13位 CROCODILE ROCK クロコダイルロック エルトン ジョン
今上映中の ロケットマンからつづくエルトンジョンの一連のヒット曲の中の一曲
第15位 DON'T LET ME BE LONLEY TONIGHT ジェームス テイラー
竹内まりやがアメリカ留学中に一番良くラジオで聴いた曲、って夫婦放談で言ってました。
そうだ、まりやさん1年間のアメリカ留学は1973年だったんですね!
第20位 SWEET SURRENDER スイートサレンダー ブレッド
出すシングルがすべて大ヒットしていた頃の一曲。
第21位 PIECES OF APRIL ピース オブ エイプリル スリードッグナイト
こちらも出す曲が次々とヒットになっていたTHREE DOG NIGHTの有名曲。これを作ったのはあのマスターズトーナメントのテーマソング:オーガスタを作り歌ったデイブ ロギンス。先程のケニーロギンスの従兄弟。
改めて聴くと、とてもいい曲です。
第22位 HI HI HI ハイハイハイ ポール マッカートニーとウイングス
ポールのロックンロール曲で日本でも当然大ヒットしましたが、不思議なことにここ数十年ラジオから聞こえてきた試しないですね。みんなMY LOVEかけるからかな?
第23位 I WANNA BE WITH YOU 明日を生きよう ラズベリーズ
エリック カルメン率いる ラズベリーズの前年のGO ALL THE WAY に続くヒット曲
第25位 OH BABE,WHAT WOURD YOU SAY ハリーケーン スミス
日本じゃ殆ど流行らなかったけど、これは名曲だと思います。いい曲です!
第27位 PAPA WAS A ROLLIN' STONE テンプテーションズ
自分がR&Bも好きになった決定的な一曲。ソウルってこんな都会的な曲もあるんだって驚いた記憶があります。のちにプログレッシブソウルなんて呼ばれましたが、まあそんな感じでしょうか。
第31位 DO IT AGAIN スティーリーダン
これぞ STREEY DANのデビュー曲。最初聴いた時、時代の流れから黒人グループだと思ったのですが、その声の主こそドナルド フェイゲンで、それから46年間ず〜と自分の最も好みのなロックグループであり続けています。
途中で流れるエレキシタールのソロは、ソロ楽器として使われた初めてのケースだと、サンソンエレキシタール特集で達郎さんが解説しておりました。
第34位 DANCING IN THE MOONLIGHT キングハーベスト
ワンヒットワンダー(1発屋)ですが、後年サンデーソングブックでもかかって、「時代の試練に打ち勝つ」エバーグリーンな曲ってのはこんな曲のことを言うんでしょう。イントロのエレピの音が可愛く、サビのメロディと歌詞が印象的。曲のタイトルからして達郎さんのライブの定番曲に続くメドレーでも出てきたことがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=hMc8naeeSS8
第35位 ROCKY MOUNTAIN HIGH ジョン デンバー
あのカントリーロードに続くジョンデンバーのヒット曲。コロラドのロッキー山脈の大自然(行ったことありませんが(^_^;)を想像させる透き通った声が印象的なナンバー。
第37位 JUNBALAYA ジャンバラヤ ブルーリッジレンジャーズ
ブルーリッジレンジャーズってグループじゃなくて、CCRのジョン フォガティのワンマンバンドですが、カントリーのベタなスタンダードを歌っても、やはりCCRのあの声があればヒットするんだよね。
第38位 YOU TURN ME ON,I'M A RADIO 恋するラジオ ジョニ ミッチェル
私が最も敬愛する洋楽女性シンガーソングライター ジョニ ミッチェルが、フォークシンガーからフュージョン/ジャズオリエンテッドへの変化していく直前の作品。
第40位 REELIN' AND ROCKN' チャックベリー
前回にメンションした通り、こんな人まだ新譜出しているんだ!パターンのチャックベリーですが、この曲かつての自身のヒット曲というか代表曲のライブバージョンだったのを知ったのは、2年ほど前に彼が亡くなった時にサンソンでやったNON-STOP CHUCK BERRYによってでした。
と言う訳で、今回も60年代以降生まれの方には、ここに上げた殆どの曲についてさっぱり分からないかも知れませんが、今聴いても古さを感じさせない「普遍的」な楽曲が目白押しであります。少しでもご興味あったら聞いてみてください。ほぼ全曲がアップルミュージックやスポティファイで聴けるはずです。
今回も5800文字になってしまった。(^_^;
次回は、大阪まであの人の「追っかけ」に行った話し の予定です。