1969年はロックミュージック史上に燦然と輝く名盤が数多く生まれた年です。
レッドツェッペリン、キングクリムゾンがデビューし、ローリングストーンズ、ザ・フーがその長いキャリアでも最高傑作を発表し、アメリカでもシカゴ、CSN&Y、グランドファンクレイルロード、オールマンブラザースバンドがデビュー。正に百花繚乱な年。またビートルズが実質解散したのもこの年でした。
SUPER FLYに1969って曲がありますが、世代の全く違う彼等(彼女)がなんでこう言う曲作ったかの興味は今回はさて置くとして、自分にとっては中学に上がる年で、ラジオの深夜放送から流れてくる洋楽=ロック、ポップスに触れ始めたのがこの1969年でした。
ラジオからは聞こえてきても何がいいのか分からなかった曲もあったし、これカッコいい!って感じた曲、バンドもありました。でも大半は背伸びして分かったふりして聞いていたのかな。
でもそこから今日に至るまでず〜っと欧米のロック、ポップスを聴き続けています。
そんな中で自分にとって最もエポックメイキングな年は1972年であります。
ちょうどその年にラジオ関東(いまのラジオ日本)で毎週土曜日22時から「全米TOP40」という米国ビルボードチャートトップ40曲を全曲紹介する番組が始まり、毎週2時間聴き入っておりました。本国のDJがケーシー・ケイスンという人で日本版の解説が湯川れい子さん。
当時日本で有名なミュージシャン、例えばカーペンターズ、スリードッグナイト、ブレッドなどの新曲が日本発売前に聴ける事に加え、その名前さえ知らないシンガー、グループのヒット曲から大いに刺激を受けたものです。また、え?!こんな人まだ新曲リリースしてるんだみたいなシンガーもチャートインしていたり、アメリカでも全くの新人の曲がチャート1位になったり・・・。
今回このブログを書くに当たって、当時ラジオ関東から送ってもらった1972年の年間チャート表を見返してみると(しかし、46年前のこんなものよく取ってあったと自分でも感心しております)如何にこの年の洋楽ヒット曲に今の自分が影響されてきたかが、よ〜く分かりますね。
そこで、このチャートに従って、1位から順に自分のその曲に対する想い出、思い入れを書いてみたいと思います。さすがに80曲全部は無理なので、特に自分が好きな曲、有名曲に限定します。
第1位 ロバータ・フラック 愛は面影の中に
この曲が年間1位だったなんて想像出来なかった、と言うより当時この曲知りませんでした。日本人の誰しもが(この表現へのツッコミはご容赦)ロバータ・フラックと言えば「やさしく歌って」KILLING ME SOFTLY IN HIS SONGなのですが、その前に年間1位の大ヒット曲があったのですね。こんな地味な曲が年間1位になるなんてアメリカの音楽ファンは大人だな なんて思ったものです。でも考えてみれば当時の洋楽リスナーは日本では若い世代が殆どですが、アメリカ人にとってみればこれが「歌謡曲」なんですものね。
でも大人になった自分が今聴くと、とてもいい曲です。
第2位 ギルバート・オサリバン アローン・アゲイン・ナチュラリー
ボクはこの曲か、次に上げる第3位の曲が年間1位だと思ってました。本国イギリスでは違うと思うけど、
これが実質アメリカでのデビュー曲の筈。違ってたらごめんなさい。こういうのが所謂名曲とよばれるのでしょうね。今でも日本のラジオ局で良くかかる大ヒット曲です。
第3位 ドン・マックリーン アメリカンパイ
8分以上あるとても長い曲でシングル盤のA,B面に別れていたと記憶しますが、ひと言で言えば「アメリカのロックンロールの歴史とその喪失感を歌った曲」で当たらずとも遠からずかな。
これも彼のデビュー曲の筈。日本でもかなりヒットしました。
第4位 ニルソン ウィズアウト ユー
ボクが最も敬愛するシンガーソングライター ハリー・ニルソンの最大ヒット曲。でも彼の作曲ではないんです。彼の歌唱力が最大限に発揮された曲で、日本でも大ヒットしました。名作アルバム NILSSON SCHMILSSONのB面1曲目に収められていた曲。ちなみにボクのハンドルネ−ムは・・・。
第5位 サミー デイビス ジュニア キャンディ マン
先に述べた「こんな人まだ・・・」の典型例。大御所だけどラスベガスでショーやってる位かな?なんて思ってたら全米No.1出していました。日本ではサントリーのCM流行りましたよね。でも50歳以下の人には分かんねーか(笑)
以下、自分の思い入れが強かった曲をつらつらと上げてみます。
第10位 アメリカ 名前の無い馬
アコギのコード2つだけで延々と奏でられるロック/ポップ史上に残る一大名曲だと思います。アメリカというバンド名だけど、イギリス出身のグループ。これがデビュー曲。
第13位 ステイプルシンガーズ アイル テイク ユー ゼア
黒人の父と娘三人のR&Bグループ。延々と続くベースの同じフレーズにのってソウルフル歌われる名曲ですが、これも72年の曲だったって、今回認識しました。このグルーヴはブラックじゃないと出せないかな。
「渋い」って言葉はやりましたけど、これぞ「渋い」曲の典型例。
第14位 チャック ベリー マイ ディンガリング
これも「こんな人まだ・・・」の典型例でした。全米TOP40を初めて聴いた回でこの曲が1位で驚いた記憶があります。
第17位 チャイライツ オー ガール
それまでソウルミュージックってあまり好じゃなかったのですが、これは良かったな、って思いました。
第20位 ニール ヤング 孤独の叫び
この曲も72年だったんですね。日本でも大ヒット。今この曲を聴くとセイヤングやパックインミュージック、オールナイトニッポンを聴いていた頃を思い出します。
第21位 スタイリスティックス ベッチャ バイ ゴーリー ワウ
当時は気にならなかったけど、今聴くといい曲ですよねぇ。パット メセニーがアコギでやってるの聴いてから余計にそう思う様になりました。
第26位 ムーディ ブルース サテンの夜
ブリティッシュプログレの一大名曲もアメリカでは後出しで、72年にヒットしたんですね。元は67年くらいの曲の筈。
第28位 ホリーズ 喪服の女
60年代イギリスの大人気バンドも、グラハム ナッシュが抜けた後もヒットを飛ばしていて、この曲は正にクールなロックンロール。ボーカルのエコーがカッコ良く、個人的にはこの72年のリストの中でも1〜2を争う好きな曲です。
第35位 ラズべーリーズ ゴー オール ザ ウエィ
エリック カルメン率いるラズベリーズの最初のヒット曲。威勢のよいイントロから歌が始まるとガクっときます、今聴いても。
第40位 エルビス プレスリー バーニング ラブ
これも「こんな人まだ・・・」でしたが、この2年前の映画エルビス オン ステージを5回観た10回観た、なんて自慢話が蔓延していた時代だったから、これはアリなのかなと思いました。ホコホコ バーニンラ〜
第42位 バッド フィンガー デイ アフター ディ
自分の人生で最も感動した洋楽曲の中の一曲「嵐の恋」に続くバッド フィンガーのセカンドヒット。ニルソンのウィズアウトユーは元々バッドフィンガーのオリジナルでした。
第43位 エルトン ジョン ロケットマン
今やっているあの映画のタイトル曲も72年のヒット曲でした。同時期のエルトンのヒット曲にクロコダイルロックや土曜の夜はボクの生きがい、ベニーアンドジェッツなどがありました。
第45位 ジム クロウチ ジムに手を出すな
すごく優しい曲をすごく優しい声で歌うジム クローチが翌年飛行機事故で亡くなったのを聞いたのもこの番組でした。とても悲しかった記憶があります。
第47位 ダニエル ブーン ビューティフル サンデー
あのビューティフルサンデー であります。アメリカでもヒットしてたんですね。(^_^;
第48位 キャット スティーブンス 雨に濡れた朝
印象的なピアノのイントロはイエスのリック ウエイクマンが弾いていた筈。名曲です。
第51位 マイケル ジャクソン ロッキン ロビン
なんて達者なガキだと思いました。でもこの年マイケル既に14歳だったんですね。
第52位 ブレッド エブリシング アイ オウン
ソフトロックの代名詞的存在のブレッドがデイビッド ゲイツ作詞作曲ボーカルの数多くのヒット曲を連発していたのは70〜73年のこと。これもその中の一曲。
第56位 Tレックス バング ア ゴング
あの マーク ボランのTレックス、ゲット イット オンはこのタイトルでアメリカでもヒットしました。武道館にライブ観に行ったけど、へたくそだったよな。
第58位 ポール サイモン 母と子の絆
ポール サイモンがその当時目新しかった「レゲエ」のリズムを取り入れたことで話題になった曲。
第63位 デレク アンド ドミノス レイラ
この曲72年にチャートインしてたんですね。ここで書いていて初めて気が付きました。
第66位 スリー ドッグ ナイト ブラックアンド ホワイト
70年代に大ヒット曲連発していたスリー ドッグ ナイトの72年最大のヒットはこの曲。ネバー ビーン トゥ スペインも72年の77位にランクイン。
第69位 カーペンターズ ハーティング イーチアザー
ヒット曲満載のアルバム「ア ソング フォー ユー」からの最初のシングルヒット。この曲のオリジナルがあのアメリカンウーマンでお馴染みのカナディアンバンド「ゲスフー」だと知ったのはつい数年前のこと。
第70位 ニルソン ココナッツ
ニルソンシュミルソンからの3枚目のシングルはアメリカでは結構ヒットしました。昨年のサンデーソングブック ワンコードソング特集でこの曲かかりましたが、リクエスト出来なかったワタクシとしては一生の不覚でした。(大げさか)
第78位 アリス クーパー スクールズ アウト
いい意味で見世物的なステージングで話題だった同バンドの最大のヒット曲。LPのジャケットがアメリカのハイスクールのデスクになっていて蓋を開けるとレコード盤が紙パンツに入っていたのが話題になりました。
第79位 シカゴ サタデー イン ザ パーク
ブラスロックの盟主、シカゴ中期の代表曲。日本でも大ヒットしたこの曲はシカゴのリグレーフィールドとヤンキー・スタジアムで土曜日にヤンキースの試合がある時に流されるそうです。
と言うわけで、えらく長くなっちゃいました。(7000文字オーバーって凝れば凝るほどの最高記録になっちゃった)
でもこの年1972年はそれほどの名曲が生まれ流行った年だったのです。
でも曲知らない方、お若い方には何の事やらさっぱり分からんとお思いになられるでしょう。
一曲ずつYou Tubeのリンク貼り付ければ聴けるけど、そこまでしてもいったい何人の人が聴くのか分からないので、興味がある方はご自分で捜してください。
で、先に上げたトップ80一覧表は、当然1973年の1月に送られてきたわけですが、その裏側に73年1月一週目のTOP40ランキングが載っているのですが、これがまた凄い。
だって1位がカーリーサイモンの「うつろな恋」でスティービーワンダーの「迷信」が4位で、6位が「カリフォルニアの青いバカ」じゃなくて「青い空」で・・・
こりゃたまらんってことで、9月のブログは73年初頭ヒット曲特集にしちゃうおうかっなぁ?
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