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2016年09月09日

同居した母の楽しみは、以外であった

18歳で、進学のため親元を離れた私は、母との同居も7年振りであったため、また、父が蒸発していたため、一人暮らしも長かった事になる。ある日の夜、私は、自室でテレビを視聴していると、母の寝室より、地響きの様な音が聞こえた。具合でも悪いのかと思い、急いで階段を駆け下り、母の様子を確認したが、その付近には、グラスと焼酎の壜があった。いわゆる、大きな鼾をかいていて、寝ていたのである。なんだ、酒を飲んで、寝ているだけなんだ、と、安堵した。以前は、酒なんか飲まなかったのに、とも思った。翌晩も、同じ繰り返しであったが、どれくらいの量を飲んでいるのか、分からなかったが、飲んで、ぐっすりと眠れ、疲れも取れるのであれば、良いのではないかと思った。父の、酒乱を見てきていただけに、人に迷惑をかけていないのと、自分が楽しめているのだから、それに越したことはない。
それから、何か月か過ぎた頃、家に帰っても母の姿は無かった。外出した様子も無さそうであるし、書置きも無かった。翌日には、私が自宅へ戻ると、母の姿は、あった。その行動は、1日か2日おきに、続いた。さすがに、気になったが、遠まわしに、『今晩、ご飯はどうしたら良いの』と、尋ねると、『適当に、自分で買って食べて。ちょっと私、お世話をしたい人が居るから、その人の所に居るから、心配しないでね』と、言った。お世話したい人かと、思ったが、余計な詮索をしないのが、私の、性分でもあったので、それ以上は、問わなかった。




2016年09月08日

地獄の果てまで追いかけて来る

今度の借家は、一階が二間、二階も二間で、風呂付である。私の部屋は、荷物が増えた訳ではないので、相変わらずの6畳一間である。食事と、洗濯の心配が不要となり、通勤こそ時間が以前よりかかる様になったが、精神的に落ち着けた。母も、働きに出ていたため、生活も多少余裕が生まれて来た。ところがである。日曜日の昼下がり、外出から戻る
と自宅前に、二人の見知らぬ男が、待ち受けていた。一人の男が、『お父さんが借りたお金を、返してもらいに来ました』と言う。私は、よくぞ、こんな転居先まで調べて、取り立てに来たものだと、いささか憤慨したが、『両親は、離婚しています。離婚している父の借金を払う義務は、ありません。これ以上、つきまとうのであれば、警察を呼びますよ』と、言い放った。その男は、舌打ちをして、『分かりました』と言い、帰って行った。それ以降は、借金の取り立ては、来なくなった。
それにしても、蒸発した父は、どこで、何をして暮らしているのだろうかと、心配になった。








長いトンネルから少し光が見えてきた

再び再開してしまった、間借り生活にも少し慣れて来たが、友人や、会社の同僚を招くにも、恥ずかしい生活環境であったため、躊躇していた。そんな時の、日曜日の昼下がりに、突然ドアをノックされた。ドア1枚で、すぐも共同廊下であるし、ドア1枚で自分の狭い、住居である。誰なのだろうと、一瞬、迷惑さえ感じてしまった。ドアを開けると、会社の同年入社の男性社員であった。『入っても良い?』と、聞く。断る理由も無いため、『何も無いけど、どうぞ』と、答えた。すると、同僚は、私の狭い部屋を見渡し、『学生の様な、生活だね』と、嘲笑されてしまった。一番、言われたくない現実である。『そうなんだよね。ただ、寝泊りするだけだから』と、言い返した。何も無い事に、気づき、同僚はすぐ退散してしまった。
友人も呼べない程の、間借り生活も、一年数か月で、終止符を打ち、再度、母と、借家を借りて、同居する事にした。しつこい、債務弁済の取り立ても減り、私の、将来の事も案じてくれる程、母も精神的に落ち着いて来た証左かもしれない。










2016年09月07日

鬱屈とした毎日

社会人として、スタートしたものの、晴れ晴れしさも無く、楽しみの給料は、食費と家賃、水道光熱費、新聞代等に消えた。車も保有しておらず、日曜日は、狭い部屋の掃除と、近くのコインランドリーへ洗濯に出かけた。帰りに、ビールを買って、飲むというパターンである。恋愛と言っても、相手も、車も、金の余裕も無く、根無し草の様である。
ようやく、冬のボーナス一括払いで、テレビを購入し、テレビ視聴が増えただけである。
そろそろ、生活設計をして、5年後、10年後の未来像を描かなければ、このまま終わりであると、考え初めて来た。








2016年09月06日

安寧の日々は長くない

その後、アルバイと学業を両立して、比較的平穏無事な期間を過ごせた。就活も、訪問した企業の人事担当課長にすっかり、気に入られて、その後の筆記試験、役員面接もなんなく通り抜け、念願通りの企業に就職出来たのである。大学を卒業して、実家に戻って来て待ち受けていたものは、蒸発した父の借金であった。借金の取り立てのために、自宅や、会社にも押し寄せ、しつこい程に電話がかかってくる。おまけに、食費以外は母親に渡していた。先々の不安もあり、先輩に相談した結果、直近で離婚している父親の、債務弁済の義務も無いし、私の為にも、家を出た方が得策であると、アドバイスされた。
ほどなく、実家も家賃を滞納しており、母とは、離れて暮らすしか選択肢は、無くなっていた。母と私は、借家を出るも、また、6畳一間、共同玄関、風呂無し。家財も、机と、本棚、ステレオだけの、学生時代と同じ間借り生活が開始された。将来に対しても、大きな希望も無く、厳しき現実が勝っていたのである。






2016年09月05日

土砂降りの毎日

交通刑務所からの、父との面会の帰り道は、母も、私も、終始無言であった。私は、受けなくてはならない刑なので、仕方がない事である。事故に遭われた方も、幸い、軽症で済んだのが、何よりであると思った。暫くの間、気丈な自分を繕っていたが、心の中は、土砂降りの雨であった。
ある日曜日の昼下がり、高校の親友の姉より電話があった。親友宅へ遊びに行った際に、話をして面識もある。
『実は、弟が、今朝亡くなりました。』との事。またもや、かける言葉も失い、死因を聞く余裕も無く、葬儀の日時のみ、メモに書き留めた。翌々日、告別式に行ったが、棺に入っている親友の顔を見ると、とめどもなく涙が溢れ、泣き崩れてしまった。早過ぎる親友の『死』と、その親友の優しい人柄に、皆、同様に涙し、茫然としていた。次、生まれた時も、また、親友でいようと、彼の遺影に語りかけ、会場を後にした。
悲しい、苦しい、20歳であった。







2016年09月03日

悪戦苦闘の毎日

大学入学と同時に、実家を出て、新しい土地での間借り生活がスタートした。生活費も、学費も捻出するために、まず、アルバイト探しから開始しなければならない。郵便配達と、新聞配達しかアルバイトの経験が無いため、違う業務にチャレンジするには、かなりの不安を抱え、自信も持てなかった。
当座は、引っ越しの助手とか、イベント開催時の搬入等の、短時間で、比較的高いアルバイト料をもらい、何とか食いつないで生活していた。
アルバイトが途切れた時は、一日、パン1枚という生活も、珍しくはない。長期間で、アルバイトが出来た時は、実家の母親に、金を無心された。自分の生活費も、学費も自分で捻出しているのに、なんという母親なのだろうかと、嘆いたが、それ程、相変わらず実家の家計は、逼迫していたのである。





2016年09月02日

千載一隅のチャンスを逃すな

悶々としていた日々であったが、夏休みとなってしまった。家では、落ち着かなかったので、図書館へ行って、勉強をすることにした。冷房も効いていて、落ち着き、右も左も、勉強している人ばかりで、図書館なのに、本を読んでいる人は、稀であった。進学先を決める事に関しては、実際に、先輩の話を聞くことが重要である。
ある日、高校のクラスメイトで、2年先輩で、素晴らしい先輩が居るから会ってみないかと、誘われた。後日、会ってみたが、本当に優しく、親切な方で、心の大きな先輩であった。進学先の悩みは消え失せ、その先輩が通う大学へ行こうと、心が動き、後々、その先輩の生き様を見るたびに、学ぶ度に、自分の人生の転機となるとは、夢にも思っていなかった。今日の自分があるのは、その先輩のお蔭であると言っても過言ではない。





大学行きたいのに金が無い現実

夢の様な彼女との恋愛も、『大学受験』という大きなハードルが、障害となってしまった。彼女と一時的に別れて、志望大学に進学後に、また、付き合おうと、自分勝手な思いを抱いてしまう。その、別れ話を、いつ言おうか迷っていた。もう一方では、志望大学への入学金・授業料等が捻出出来ない。母親に相談したところで、埒があかない。金が無いことは、十分に分かりきっている。彼女とは、三か月、会っていない。夏休みに入る前に、彼女と会い『大学受験に専念したいので、受験が済むまで会えない』と、私は、言ってしまった。彼女は、困惑した顔で、驚き、泣いていた様である。
これで、受験勉強に専念という前に、学費の件で頭が一杯となり、空回りをしていた。住み込みで、新聞配達の奨学生となって、行く方法も考えたが、万一、病気にでもなり、途中で断念した時を考えると、非常に不安である。相変わらず、紋々とした日々の連続であった。




2016年09月01日

名実ともに春が来た

高校2年生の冬休み、近くの郵便局で、配達のアルバイトをした。一般の郵便物に加えて、年末・年始は郵便物も増え、一年で一番多忙な時期となる。主に、女性は投函された、封書、はがき等の仕分け作業をするのだが、とびきり美人の高校生がいた。年下だろうかとか、どこの高校に行っているのだろうかとか、彼氏はいるのだろうかとか、気になっていた。直接、聞く勇気が無かったので、彼女と同じグループの配達をしていた、友人に頼んだ。
後日、自宅の電話番号と、名前が書かれたメモを、私に、友人が手渡してくれた。早速、その日の夜に、恐る恐る電話をしてみた。男女共学の高校1年生であるが、現在、彼氏はいないとの事。改めて、付き合いたいと、伝えると、『良いですよ』と、言ってくれた。願いが叶い、名実ともに春が来たのである。
毎日、電話をかけ、日曜日は、会って楽しい時間を過ごした。夢の様な、毎日であった。
やがて、私も、高校3年生となり、大学の進学先を決めなければならない、時期となってしまった。





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