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2016年09月18日
もうこんな生活は無理だ
名前だけの、新婚生活は、私においては、針の筵であった。私は、自宅に帰るのが苦痛で、妻と一緒の時間を過ごす事が、苦痛となってしまった。もう、破たんするしかないとも考え出した。唯一、仕事が多忙で、休日出勤も多く、『現実逃避』になってきた。
しかし、どうしても妻の実家に帰省しなければならなかったり、私の、母が来た時は、『普段通り』を、偽装するのである。
私は、自分が変わらなければ、何も改善されないと、思う様になり、妻にプレゼントをしたり、夏休みに二人で旅行へ行くプランを、提案し、実行したのである。
しかし、どうしても妻の実家に帰省しなければならなかったり、私の、母が来た時は、『普段通り』を、偽装するのである。
私は、自分が変わらなければ、何も改善されないと、思う様になり、妻にプレゼントをしたり、夏休みに二人で旅行へ行くプランを、提案し、実行したのである。
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順風満帆な新婚生活ではなかった
それから暫く、妻は、家に戻らなかった。とんでもない事をしてしまった。自分が悪いのだと、落ち込みも一層ひどくなった。また、自分は、最低の人間であると、自己嫌悪もあった。
それぞれが、より一層自分達の生活、仕事をより良くするために、最高のパートナーを選んだはずが、自らが破壊してしまったのだ。
5日目に、家に帰ると、妻が居た。開口一番、『今回の件は、許していないけれど、先輩に相談したら、『貴女も悪いわよ』と、言われたから、戻って来たのよ。暫く、話もしたくないから』と、言われた。
私は、『うん。判った』とだけ、言った。
本来であれば、会話も弾む楽しい新婚生活のはずであるが、スタートしてすぐに、躓いてしまった。
暫くの間は、単なる『ルームメイト』に、なってしまった。
それぞれが、より一層自分達の生活、仕事をより良くするために、最高のパートナーを選んだはずが、自らが破壊してしまったのだ。
5日目に、家に帰ると、妻が居た。開口一番、『今回の件は、許していないけれど、先輩に相談したら、『貴女も悪いわよ』と、言われたから、戻って来たのよ。暫く、話もしたくないから』と、言われた。
私は、『うん。判った』とだけ、言った。
本来であれば、会話も弾む楽しい新婚生活のはずであるが、スタートしてすぐに、躓いてしまった。
暫くの間は、単なる『ルームメイト』に、なってしまった。
2016年09月17日
順風満帆な新婚生活ではなかった
それから暫く、妻は、家に戻らなかった。とんでもない事をしてしまった。自分が悪いのだと、落ち込みも一層ひどくなった。また、自分は、最低の人間であると、自己嫌悪もあった。
それぞれが、より一層自分達の生活、仕事をより良くするために、最高のパートナーを選んだはずが、自らが破壊してしまったのだ。
5日目に、家に帰ると、妻が居た。開口一番、『今回の件は、許していないけれど、先輩に相談したら、『貴女も悪いわよ』と、言われたから、戻って来たのよ。暫く、話もしたくないから』と、言われた。
私は、『うん。判った』とだけ、言った。
本来であれば、会話も弾む楽しい新婚生活のはずであるが、スタートしてすぐに、躓いてしまった。
暫くの間は、単なる『ルームメイト』に、なってしまった。
それぞれが、より一層自分達の生活、仕事をより良くするために、最高のパートナーを選んだはずが、自らが破壊してしまったのだ。
5日目に、家に帰ると、妻が居た。開口一番、『今回の件は、許していないけれど、先輩に相談したら、『貴女も悪いわよ』と、言われたから、戻って来たのよ。暫く、話もしたくないから』と、言われた。
私は、『うん。判った』とだけ、言った。
本来であれば、会話も弾む楽しい新婚生活のはずであるが、スタートしてすぐに、躓いてしまった。
暫くの間は、単なる『ルームメイト』に、なってしまった。
2016年09月16日
すれ違いの日々
結構当初は、夫婦共働きであった。お金を貯めて、マイホームを購入するという具体的な目標のためではなく、妻も、そのまま、家庭に入るよりも、自分の給料で、好きな物を購入して、好きな事をするという独身時代の生活スタイルを、守ってあげたいという私の、気持ちでもあった。
私は、仕事も多忙で、毎日会社からの帰宅も遅く、すれ違いの毎日であった。妻は、いつも通りに、会社の同僚と、食事等に出掛け、夜遅くに帰宅する妻を、酒を飲み、テレビを見ながら過ごして、帰りを待っていた。
酒の勢いもあり、徐々に、帰宅が遅い事が腹立たしくなり、思い余って、ドアロックのチェーンまで、かけてしまうという、行動に出てしまった。
深夜に、帰宅した妻は、異変に気づき、インターホンを押した。と、同時に、ドアをドンドンとノックをした。私は、寝たふりをして、応じなかった。30分程、その行動を続けたが、妻は、諦めて、マンションの玄関前から、消え去ってしまった。
翌日、妻より電話があり、『昨日の事は、どういう事なの』と、聞いた。私は、『どうも、こうも無い。それが、私の答えだ』と、冷たく言い放った。
もう、どうにでもなってしまえ、と、私は、自暴自棄になっていた。
私は、仕事も多忙で、毎日会社からの帰宅も遅く、すれ違いの毎日であった。妻は、いつも通りに、会社の同僚と、食事等に出掛け、夜遅くに帰宅する妻を、酒を飲み、テレビを見ながら過ごして、帰りを待っていた。
酒の勢いもあり、徐々に、帰宅が遅い事が腹立たしくなり、思い余って、ドアロックのチェーンまで、かけてしまうという、行動に出てしまった。
深夜に、帰宅した妻は、異変に気づき、インターホンを押した。と、同時に、ドアをドンドンとノックをした。私は、寝たふりをして、応じなかった。30分程、その行動を続けたが、妻は、諦めて、マンションの玄関前から、消え去ってしまった。
翌日、妻より電話があり、『昨日の事は、どういう事なの』と、聞いた。私は、『どうも、こうも無い。それが、私の答えだ』と、冷たく言い放った。
もう、どうにでもなってしまえ、と、私は、自暴自棄になっていた。
2016年09月15日
恋に落ちる
2016年09月14日
陽はまた昇る
しばらくの間、やるせなさと、切なさと、複雑な気持ちで毎日を過ごしていた。友人とも、久々に会ったが、私が彼女と別れた事に関して、誰一人として、彼女と別れた理由を聞く人は、居なかった。人を思いやり、労わる優しい友人達であった。
多少は、忘れかけていた、とある日、会社の先輩が、彼女の後輩を紹介してくれるとの事。余り、気乗りしなかったが、約束の場所のボート乗り場まで行った。紹介された女性は、スポーツウーマンで、顔の作りもやや、大柄な女性であった。先輩達も、私達に気を遣い、手漕ぎのボートを、二人で乗る準備を整えてくれた。
後日、お互いの連絡先を、教えあい、程なく、二人で会う様になる。
これまでに無い、至福の時を過ごせ、陽はまた昇ったのである。
多少は、忘れかけていた、とある日、会社の先輩が、彼女の後輩を紹介してくれるとの事。余り、気乗りしなかったが、約束の場所のボート乗り場まで行った。紹介された女性は、スポーツウーマンで、顔の作りもやや、大柄な女性であった。先輩達も、私達に気を遣い、手漕ぎのボートを、二人で乗る準備を整えてくれた。
後日、お互いの連絡先を、教えあい、程なく、二人で会う様になる。
これまでに無い、至福の時を過ごせ、陽はまた昇ったのである。
2016年09月13日
ほろ苦い日々も自分らしさ
自動車の免許証を取得し、中古車を購入した。やっと人並みの生活となる。苦学をした、苦労をした、今までの時間を取り戻そうと思い、休日には、友人宅へ車で出掛け、他愛のない会話をして、そこそこ、充実した日々を送った。自分を含め、友人達に『彼女』は、居なかった。だから、私と会っている訳も頷ける。私も、何度か友人の彼女から、その友人を紹介してもらうが、なかなか、話の合う女性は現れない。諦めも出て来た。
そういう中で、チャンスが来た。会社の先輩と、酒を飲みに行き、2件目のスナックで、先方も、女性同士の友人と来ていた。
その中の、一人が気になっていた。思い切って、連絡先のメモを渡すと、先方からも、メモが渡された。
翌日の日曜日、早速電話をして、会った。地方から、進学のため、親元を離れ、そのまま就職をして、一人暮らしとの事。
夏休みには、彼女の実家へ行き、豪華な食事をして、泊まって来た。それから数か月後、お互い結婚も意識しだしたのであるが、彼女は、『貴方とは、結婚は無理』と、言われ、それきりとなった。
またもや、ほろ苦い20代半ばの、秋となってしまった。
そういう中で、チャンスが来た。会社の先輩と、酒を飲みに行き、2件目のスナックで、先方も、女性同士の友人と来ていた。
その中の、一人が気になっていた。思い切って、連絡先のメモを渡すと、先方からも、メモが渡された。
翌日の日曜日、早速電話をして、会った。地方から、進学のため、親元を離れ、そのまま就職をして、一人暮らしとの事。
夏休みには、彼女の実家へ行き、豪華な食事をして、泊まって来た。それから数か月後、お互い結婚も意識しだしたのであるが、彼女は、『貴方とは、結婚は無理』と、言われ、それきりとなった。
またもや、ほろ苦い20代半ばの、秋となってしまった。
2016年09月12日
まるで何事もなかった様に
2016年09月11日
突然の来訪
母と、私だけの二人の生活にも慣れ、社会人2年目の生活にも慣れて来た。仕事から、自宅に戻ると、蒸発していた父が、居間にいた。母からは、何の連絡も無く私は驚いた。どこで、何をしていたのかを尋ねたかったが、聞ける訳もない。父は、『この金で、免許を取りなさい』と、封筒に入っていた現金を、渡してくれ、私は、そのまま受け取った。『あっ、ありがとう』と、答えるのが精一杯であった。すぐ、2階の自室に行き、居間に降りる事は、無かった。翌日も、その翌日も、父は居た。ずっと、居てくれるのだろうかと、思ったが、父は、『明日、お前が会社へ行っている時間に、帰るから』と、酒を飲みながら、呟いた。『そうなの』とだけ、私は言った。帰るとは、違う女性が居て、家庭を持ったのかな。待っている人が、居るのかな、と、詮索してしまった。ここに居ても、借金取りに追われるだけだから、居る事が知れるとまずい事にもなる訳である、と、自分を納得させた。
翌日、会社から自宅に戻ると、やはり、父の姿は無かった。
翌日、会社から自宅に戻ると、やはり、父の姿は無かった。
2016年09月10日
3度目に手に入れた幸せ
母は、私が小さい頃に離婚し、あまり閧空けずに、相手は初婚であるが2人の子連れで再婚するも、再婚相手は、驚愕の酒乱。蒸発と、暴力を繰り返し、6年くらいの蒸発から戻ってきた父は、病となり、4年の闘病生活。奇跡的に、退院し、社会復帰するも、借金を作って、再び、蒸発。その間、昼も、夜も、働きづくめで、50歳にして、ようやく、落ち着き、人並みまでは行かないにしても、多少の幸福を味わえる様にまで、なって来たのであ。蒸発をして、生きているのか、死んでいるのかも定かではない父の帰りを、待ち続けているよりも、母に感謝して、大切にしてくれる人が現れたのだから、母の好きな様にさせてあげたい。それが、偽らざる、私の心境であった。