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2016年10月14日

母の死は、脳に異常をもたらす

やはり、母の死後、年金が受け取れない事で、もう、用事が済んだとでもいうのか、母の葬儀に関して、全てを私に、任せるという電話が、義理の妹よりあった。義理の妹の近くの、病院へ、自宅から、葬儀社のワゴン車に同乗して、病院へ行った。病院での手続きを終え、遺体を、我が家の和室へ運んだ。
細かな、葬儀の打ち合わせを済ませて、ごく少ない、母の親類へ連絡をした。
この母の、死を境に、私の体というのか、神経の一部に、異常を来した。
不眠症になってしまったのだ。眠くなるという意識が無くなり、二日間、一睡も出来なかった。
一体、私の、脳に何が起きてしまったのだろうかと、先々、不安となってしまった。













2016年10月13日

母の最期

義理の妹宅へ身を寄せた母も、決して、体調が万全ではなく、入退院を繰り返していた。やはり、転居した事は、何の意味も無い。しかし、もう、自宅に戻った方が良いとか、一緒に暮らそうという気にならず、言ったところで、言う事を聞かない事は、判り切っていた。
寒い冬を、一度越えた春先には、再度、入院してしまった。今度は、義理の妹宅にも戻れない程、体調が優れなかった。
そんな矢先、入院中に、脳内出血で、いよいよ意識も無くなってしまった。私の、呼びかけには、反応し、少し話せるまでに、回復した。しかし、一か月後に、医師より電話があり、『今日か、明日がヤマ場です』と、伝えられた。急いで、病院へ駆けつけると、もう、私の呼びかけには、反応しなくなってしまった。
一旦、自宅へ戻り、待機していたが、翌日の、午前10時頃、医師から母が亡くなった事を、伝えられた。
覚悟はしていたものの、私は、冷静さを失い、悲しみと、苦しみと、切なさと、色々な感情が、一度に溢れてきたのが判った。










2016年10月12日

人の気も知らないで

義理の妹宅に、身を寄せた母であったが、およそ六畳一間の部屋に居た。幹線道路から、少し入り込んだ、閑静な住宅街である。果たして、これが、ここが、母の幸せに繋がるのだろうかと、疑問も抱いた。
私に、気を遣わせまいとしての、行動であるのだろうが、私と、妻子との生活よりも、こちらを選択した訳である。
少し、寂しい気になったが、残りの人生を、自由気ままに過ごせるのならば、良いのかもしれない。
唯一、私の自宅から、車でおよそ三時間かかり、何かあったり、顔を見に行くともなれば、遠くなってしまった。
今まで通り、私の自宅の近くに住んでいれば、安心だったのに、人の気持ちも知らないで、と、少し、怒りが込み上げてきた。















2016年10月11日

善と悪は、隣り合わせ

伴侶を失った母は、悲しみを紛らわせるためなのか、頻繁に、私に、電話をかけ、呼びつけた。やれ、菓子を買って来てとか、飲み物を買って来てとか、日に日に、エスカレートして来た。見かねた妻は、『貴方の母親なんだから、自分で何とかしてもらった方が良いわよ』と、言う。
その行動と共に、母親の体調も優れず、救急車で緊急搬送される事も、珍しくなくなって来た。
体調が回復して、退院すると直ぐに、身の回り品だけ持参をして、突然、三番目の夫の妹宅へ行ってしまった。義理の妹は、『空いている部屋もあるし、一人増えても、二人増えても大して、変わらないから、気にしなくていいのよ』と、言ってくれた。その実、三番目の夫の妹は、母の、年金が目当てだったのである。
その証拠に、通帳と印鑑ごと管理され、その殆どを、引き出され、使われていた。
何が、『善』で、何が『悪』か、判らなくなり、私は、困惑してしまった。










2016年10月09日

心の支えを失うと

それからの母は、日に日に、元気が無くなり、虚無感を感じられる様になってきた。人は、大きな目的を達成、もしくは、達成出来なく、目標を見失うと、心身ともに老いてしまうのかもしれない。
さすがに、母からは、目が離せない状況となり、私は、極力実家に行っては、母の様子を、うかがった。
話をしても、心ここに非ずで、夜は、決まって焼酎を飲んでいた。
ある日の夜、実家に行くと、電気も点いていなく、インターフォンを押しても、返答は無く、わずかな窓の隙間から、母がソファーの前の、下のカーペットの上に、横たわっているのが見えた。
大きな声を出して、呼びかけ、窓をドンドンと叩いても、反応は無く、僅かに開いている小さな台所の窓から、家の中に入り込み、すぐ、救急車を呼んだ。
軽い、脳こうそくで、幸いにも、命に別状も無く、後遺症も残らず、一週間で退院出来た。
これから、自分の母親に、色々なことで、振り回されていくとは、この時には、考えもしなかった。

















2016年10月08日

生老病死は、誰人にも避けられない

相変わらず、植物人間のままである、3人目の夫は、呼びかけても、全く、反応しなくなってしまった。それは、余命がいくばくも無い事の証拠でもあった。
ある日、母から電話があり、『お医者様が、今夜が山だからと、仰っていたわよ』と、悲しげに、話してくれた。
早速、私は、仕事の帰りに、病院へ直行したが、その日の未明に、息を引き取った。母は、滂沱の涙を流し、呆然と立ちつくし、廃人の様であった。
私は、限られた親族への連絡と、葬儀の全てを執り行い、納骨まで済ませた。
しかし、思った以上に、母親の落ち込みは、激しく、何もかも手につかない様子であった。
『生老病死』は、誰人にも避けられないのである。














2016年10月07日

それでも、母ありて私が居る

3度目の結婚というか、戸籍はそのままであったが、最愛のパートナーが病に倒れ、入院した時に、母は、半狂乱になった。もともと、情の深い人であったが、毎日、毎日、病院へ通い、誠心誠意の看病をした。とうとう、植物人間になってしまってからも、毎日、病院へ行き、最愛のパートナーに語りかけるのであった。
これ以上の、回復の見込みも無かったが、それでも諦めない姿に、私も、その母親から愛情を注いでもらって、育てられたのだと、改めて、感謝した。
また、自分の事以外で、他者にも尽くしていける人生は、素晴らしく、美しいものであると思った。
それとは反して、最愛のパートナーの病状は回復せず、皮肉にも、相変わらずの植物人間状態であった。










2016年10月06日

家庭不和が悪影響

後任の派遣社員は、なんだかんだ理由をつけて、よく休んだ。小学生の娘さんと、ご主人との3人暮らしとの事であるが、特に、子供が熱を出したとか、病院に連れて行くとかの理由が多く、そのうち、あてに出来なくなった。
私は、『それは、どうぞお大事にして下さい』としか、応えられなく、更には、ご主人が、定職に就かずに、仕事をしたり、しなかったりと、経済的にも大変であった様である。
家庭内のゴタゴタを、会社に持ち込むのは、社会人としての、ルール、マナーに反していると思っていたが、彼女なりに必死で生きているのだから、仕方のない事であるとも、思った。
そろそろ、派遣社員から、正社員を採用してもらわなければ、同じ事の繰り返しであると、痛感した。









2016年10月03日

嵐が去って

人騒がせな事が、ひと段落し、まるで何も無かったかの様な、日が来た。後任に、すぐ別の派遣社員が来る事になり、私は、面接をした。仕事の内容等を説明して、3日後から勤務してもらう事になった。しかし、またもや、人間関係に悩まされている事の相談を、数か月後に受け、またもや、悩みの種となる。
全て、思い通りに行かない事を、判らない人もいるのだ。また、相手に求めても、人の性格は、そう簡単には、直らない事も、判って欲しいとも思った。しかし、色々と相談を受けていると、彼女も既婚者であったが、その、家庭にも問題を抱え、そのまま、彼女の仕事の姿勢に投影されていたのである。
仕事をする前に、家庭不和を軌道修正してから、来てもらいたいものだと、痛感した。














2016年10月02日

人騒がせの人

会社内で、変なウワサが独り歩きして、私が、彼女と不倫しているとまで、悪質な憶測を含めた、デマが流れた。私の上司は、応接室に呼び、事の真実を、問われた。ありのまま、事実を話したところ、自分も立場上確認をしなくては、ならないので了承してもらいたい。どうやら、私を妬み、陥れたい人が流しているようだ。
自分の、役職とか、立場を考えて、慎重に行動しなさいと言われた。この上司は、人格者で、事あるごとに色々とアドバイスをもらった。残念ながら、在職中に早世してしまったが、今もって、この上司を忘れたことはない。
結局、彼女は、離婚が成立し、派遣期間も終了し、私の前から消え去った。ある意味、人騒がせな人だと痛感した。






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