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2016年10月29日

不登校が発展すると

長男の不登校の始まりは、『引きこもり』の始まりであった。寝ているのか、起きているのか、呼びかけにも応じなくなった。二階の自室から、一階のリビングに降りて来るのは、食事と、トイレとシャワーを
浴びる時だけとなった。
会話も無いため、引きこもりの理由も判らない。思い詰めて、自殺するのではないかと、妻も、私も、不安な毎日であった。妻が、毎日付き添って、中学校へ行き、中学校3年生になると、やはり、休みがちとなり、このままでは、中学生なのに、留年しかねない、欠席日数となってしまったが、最悪の事態は避けられた。
高校進学という事になるのだが、不登校から逃れられるために、『通信制』の高校を、受験する事にした。










2016年10月27日

不登校なのは私が悪いのか

私の提案が認められたという事は、上司の手柄ににもなる。その影響もあってか、私は、新しい会計年度に、元の部署へ異動となった。給与も、ラインの管理職へと戻れたので、少し増えた。
長女も短大を卒業する年となるため、幾ばくかの追い風となった。
しかし、全てが順調ではなかった。中学校2年生になる、長男の不登校の兆しが、現れ始めたのである。私が、出社してからであるが、段々と、妻が長男を起こしても、起きなくなった。何度も、何度も、起こしても、起きない。しまいには、少し遅れて行く。午前中だけ休む。一日、休むという有様になってしまった。
何か、学校へ行きたくない理由でもあるのだろうか、学校で何かあったのだろうか、いじめにでもあっているのだろうかと、不安が、先行する。
自分の事で、精一杯であり、子供の心の変化に気付いてあげられない自分を、責めた。
妻に、学校へ行って、担任教師と相談する様に、すすめた。











2016年10月26日

前科の穴埋め

前科者と思われ様と、思われまいと、穴埋めは、仕事でリカバリーするしか術は無い。定形の事務仕事もあったが、もう一方では、新たな指標を現す、管理資料を創出するしかない。
民間企業なので、適切な利益を上げなければならない。
何日も思索を重ねたが、法例改正に伴い、今まで、無料で行っていた業務を、些少であるが、有料とした。その為には、顧客を納得させる為の、配布資料を作成したり、実際に顧客から、料金を収受しなければならない、社員の説明会も開催した。
7年を経過した現在では、すっかり定着し、会社の持ち出しも無く、発案者が、私であるという事を、知る人は居ない。











2016年10月22日

病気は前科になるのか

『アルコール依存症』の前科を、背負って、一週間後、会社へ出社した。自律神経の病気という診断書を出しても、特に、上司は気にする事も無く、加えて、気遣いも無かった。
眠剤しか処方されていないために、社内で服用する事も無く、違う同僚の社員に、『薬は、飲まないの』と、質問する人が居り、私は、返答に窮してしまったが、『今のところは、週一回だけの通院だけですから』と、答えた。
自分は、半病人なのだという事を、周囲の人に対しても、アピールしなければならないのだが、酒の代わりに、薬の力を借りて、寝ているだけなのだ、と、自分に言い聞かせる以外に無い。










2016年10月21日

『アルコール依存症』という病気なんか認めたくない

『アルコール依存症』と診断された事は、自分にとっては、ガンの宣告をされたのと、同じくらい深刻で、ショッキングであった。それは、『アルコール依存症』に対しての、偏見や、病気に対しての、無理解もあった。
どうしても、朝から、晩まで、四六時中、酒を飲んでいるというダークなイメージしか無い。
酒を飲めない妻は、私以上に、ショックであったと思う。
しかし、病院では、眠剤以外の処方は無く、断酒するしか回復の術は無い様である。
果たして、自分に、そんな事が出来るのか、自信も無く、先々、不安になった。















2016年10月20日

病は現実逃避から

2〜3日、会社に出社しては、2〜3日、会社を休むという繰り返しの日が、一か月続いた。また、より確実に、睡眠を確保するために、酒を飲んでは、睡眠薬を服用していた。
会社に行くと、不機嫌な、威圧的な上司が居て、針のむしろ状態である。それを、紛らわせるために、酒を飲む。
それを見かねた妻は、近くの精神科に行く様にと、同伴してくれた。
妻は、私への、不満や、生活をありのまま、医師に伝えられた。
私は、居た堪れなくなった。診断された病名が、『アルコール依存症』であった。会社には、自立神経の障害である旨の診断書を、作成するので一週間の療養を要すると書かれた。
病は、気からではなく、現実から逃れたいという、現実逃避からだと、痛感した。










2016年10月19日

ここは自分の来る場所ではない

眠剤と、アルコールの併用により、当座の睡眠は凌げたが、アルコールを飲む量が、元に戻って来てしまっている。私の、職場の異動も重なり、異動先の上司が、権威的で、上から物を言うタイプで、好きになれなかった。
仕事も、人員の補充程度であったため、自分の畑違いの分野の仕事で、仕事を創出しなければならなかった。
その、ストレスも重なり、胃腸も悪くなって来た。
やがては、仕事も休みがちとなり、『うつ病』ではないかと、思った。そこで、妻の友人の紹介で、妻と同伴で、自宅から少し離れた場所の、精神病院へ行ってみた。
とてもではないが、私が、来る病院ではないと、すぐさま感じ取れる、雰囲気の病院であった。
私は、半ば諦めて、次の日から会社へ、出社した。














2016年10月18日

ある条件と引き換えに選んだ方法

市販の薬も、病院で処方される薬も同じだが、たとえ、市販の風邪薬と言えども、薬を服用する際には、アルコールを飲んではいけない。しかし、長年アルコールを飲んで、寝付くという習慣は、直せない。
薬が減った分を、アルコールを飲んで、とは言っても、発泡酒1本であるが、寝る前に、発泡酒を飲んで、睡眠薬を服用するのが、常態化していった。
アルコールによって、薬が効かなくなったり、反対に、効き過ぎてしまうために、禁じられているのだが、やはり、安定した睡眠を確約させるためには、私にとっては、必要な選択肢であった。










2016年10月17日

眠気との闘い

わたしに処方された薬は、安定剤、いわゆる睡眠剤、睡眠を伸ばす薬である。仕事の関係で、毎日、同じ時刻に帰宅して、同じ時刻に寝られる事は無い。もう一方では、薬が効く時間は同じである。無理やり、朝起きて会社に行かなければならない事もある。また、安定剤を、夕食後に飲むという、試験的な事も提案され、それに従ったが、これは、食後すぐに眠くなり、風呂もテレビも観られなくなった。
一週間単位での、試行錯誤の繰り返しでもある。突然、会社でも睡魔に襲われる事も、しばしばある。
特に、会議中で、発言の機会が少ない時は、睡魔が襲い、私は、シャープペンの芯を、左手親指の付け根を、チクチク刺しては、眠気を遮る努力をしていた。









2016年10月15日

不眠症との闘い

余りにも、寝つきが悪くなり、母の葬儀も落ち着いた頃、近所の内科で、睡眠導入剤を処方してもらった。テレビでは、飲むと直ぐに効いて、眠りに落ちてしまうというイメージだが、実際には、眠りにつくまでに、一時間程度を要した。
やがて、薬も効かなくなり、不眠が再開した。今度は、総合病院の専門医に診断してもらった。いわゆる、精神科であ。
自分が、精神を病んで、この診療科に来院して、ここに来ている事が、悔しかった。
誰かに会うのではないか、誰かに見られているのではないかと、ハラハラする。
自分に適合した薬を、処方されるまでは、試行錯誤の連続である。担当医師も、同様である。
不眠症と言っても、寝つきが悪いだけなのか、中途覚醒するのか、症状も千差万別である。
この、睡眠の問題が、自分にとって、大きな支障となるという事は、この時点では、考えも及ばなかった。















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