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2016年11月22日
自分と同じ宿命かもしれない
私は、生れたと同時に障害があり、家庭も複雑で、色々な事がありすぎて、絶望の日々を送って来た日もある。そんな時、決まって、『自分なんか、生まれて来なければ良かった』と、生れてきた事を、誰かのせいにしたかった。長男も、恐らく、事あるごとに、過去の私の様に、同じ気持ちを抱いているのかもしれない。
自己否定から、自己肯定、更には、他者をも肯定出来る様な、大きな器の人間に育ってもらいたい。
それには、自分に自信を持たせる事が肝要である。人には無い、自分にしかない、何かを見つけ出し、それを活かして、自己変革していくならば、必ず幸せになれる。そう、伝えたい。
見るもよし。見ざるもよし。されど、我は咲くなり。と、文豪の至言を、思い出した。
自己否定から、自己肯定、更には、他者をも肯定出来る様な、大きな器の人間に育ってもらいたい。
それには、自分に自信を持たせる事が肝要である。人には無い、自分にしかない、何かを見つけ出し、それを活かして、自己変革していくならば、必ず幸せになれる。そう、伝えたい。
見るもよし。見ざるもよし。されど、我は咲くなり。と、文豪の至言を、思い出した。
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2016年11月19日
子供に感謝するしかない
いつまでも、長男の行動に進展は見られず、相変わらずの引きこもりに、私の、気持ちが落ち込んでいる時、自分は外に出て働いて、稼ぎ、現実と闘い、嫌な思いもしているのに、それを何とも思っていないのか、親だから当然だと思っているのではないかと、思う時があった。
しかと、自分は何と、器の小さな人間なんだろうと思った。子供に成り代わり、自分が子供と入れ替わったつもりでなければ、所詮、心のヒダまで、入っていけないのである。
子供が、そういう状況になって、親に色々な事を、教えてくれているのだと、確信した時、何とありがたい事か。何と、偉大な使命を持っているのかと、感謝し尊敬しなければならない。
例え、子供がどんな姿、形であれ、この世で親子として繋がっている事は、数奇で、不思議でたまらない。
しかと、自分は何と、器の小さな人間なんだろうと思った。子供に成り代わり、自分が子供と入れ替わったつもりでなければ、所詮、心のヒダまで、入っていけないのである。
子供が、そういう状況になって、親に色々な事を、教えてくれているのだと、確信した時、何とありがたい事か。何と、偉大な使命を持っているのかと、感謝し尊敬しなければならない。
例え、子供がどんな姿、形であれ、この世で親子として繋がっている事は、数奇で、不思議でたまらない。
2016年11月18日
気を長く持って
2016年11月16日
作戦は成功したのか
2016年11月08日
可能性は無限大
2016年11月06日
やはり母の慈愛は深い
私も、長男の不登校にしびれを切らし、少ない長男との対話の中で、嫌味を言った事もある。例えば、『毎日、する事が無くて、退屈じゃないの』とか、『たまには、外に出ないと、病気になってしまうよ』とかである。
長男からすれば、一番、気にしている事、一番、言われたくない事だと思った。
妻は、私に、『そんな事を言わないで。生きているだけで、十分だから』と、囁いた。
自分が、産んだ子供である。例え、自分が病気になったとしても、長男の事を、忘れた日々は、ないのだと思う。
どうしても、私だけが、外に出て働き、時には嫌な思いもし、辛くなったりして、その気持ちの一部が露呈して、発した言葉であると、自分の器量の小ささを、嘆いた。
どんな人でも、受け入れて、どんな人でも励ませて、苦楽を共に出来る、そういう人に、ならなくてはと、今更ながら思っている。
長男からすれば、一番、気にしている事、一番、言われたくない事だと思った。
妻は、私に、『そんな事を言わないで。生きているだけで、十分だから』と、囁いた。
自分が、産んだ子供である。例え、自分が病気になったとしても、長男の事を、忘れた日々は、ないのだと思う。
どうしても、私だけが、外に出て働き、時には嫌な思いもし、辛くなったりして、その気持ちの一部が露呈して、発した言葉であると、自分の器量の小ささを、嘆いた。
どんな人でも、受け入れて、どんな人でも励ませて、苦楽を共に出来る、そういう人に、ならなくてはと、今更ながら思っている。
2016年11月05日
引きこもりの原点
通学に際しての、長男の腹痛は、やがてトラウマとなり、不登校から引きこもりへと、発展していった。決して、他人事ではないが、ある調査によると、不登校や出社拒否からの回復まで、平均8年間を要するとの事。
そうなのかと、諦めも出てきたが、何としてでも、わが子を、平均的な回復年数並みにはするまいと、強く思った。
私が、休日の時には、やはり、トイレとシャワーとトイレ以外は、2階の自室にこもったままである。
何を、考えているのだろうか。この世に、生まれて来た事を、後悔しているのではないだろうか。自己否定を、しているのではないだろうかと、一層、私の思いも強まる。
何を言って、何をしてあげれば、元気になるのだろうかと、ますます、困惑してしまう。
そうなのかと、諦めも出てきたが、何としてでも、わが子を、平均的な回復年数並みにはするまいと、強く思った。
私が、休日の時には、やはり、トイレとシャワーとトイレ以外は、2階の自室にこもったままである。
何を、考えているのだろうか。この世に、生まれて来た事を、後悔しているのではないだろうか。自己否定を、しているのではないだろうかと、一層、私の思いも強まる。
何を言って、何をしてあげれば、元気になるのだろうかと、ますます、困惑してしまう。
2016年11月04日
親の見栄など何もならない
2016年11月01日
無難な選択肢
2016年10月31日
不安だらけの選択肢
通信制の高校へ、入学したが、通学しないため、『引きこもり』が、解消された訳ではない。自宅で、レポート問題をし、高校へ郵送するという仕組みである。どういう事か、どの様に心が動いたのは、不明であるが、6カ月で、通信から通学組へと、変わった。高校までは、バスと地下鉄を乗り継いで行くため、妻は、毎日、地下鉄駅まで、送迎した。私も、自分が、休みの日は、送迎をした。
やがて、卒業出来る単位の取得も見えて来たが、同時に、高校卒業後の進路を、考えなくてはならない、時期が来た。自分もそうであったが、将来、この様な職業に就きたい。何かに、なりたいという指標がなかった。
私は、現在の会社勤めに、不満もないため、押し付けもない。子供の将来を考えると、何が一番、この子にとって幸せなのかと、漠然としか考えつかなかった。
やがて、卒業出来る単位の取得も見えて来たが、同時に、高校卒業後の進路を、考えなくてはならない、時期が来た。自分もそうであったが、将来、この様な職業に就きたい。何かに、なりたいという指標がなかった。
私は、現在の会社勤めに、不満もないため、押し付けもない。子供の将来を考えると、何が一番、この子にとって幸せなのかと、漠然としか考えつかなかった。