2016年10月13日
母の最期
義理の妹宅へ身を寄せた母も、決して、体調が万全ではなく、入退院を繰り返していた。やはり、転居した事は、何の意味も無い。しかし、もう、自宅に戻った方が良いとか、一緒に暮らそうという気にならず、言ったところで、言う事を聞かない事は、判り切っていた。
寒い冬を、一度越えた春先には、再度、入院してしまった。今度は、義理の妹宅にも戻れない程、体調が優れなかった。
そんな矢先、入院中に、脳内出血で、いよいよ意識も無くなってしまった。私の、呼びかけには、反応し、少し話せるまでに、回復した。しかし、一か月後に、医師より電話があり、『今日か、明日がヤマ場です』と、伝えられた。急いで、病院へ駆けつけると、もう、私の呼びかけには、反応しなくなってしまった。
一旦、自宅へ戻り、待機していたが、翌日の、午前10時頃、医師から母が亡くなった事を、伝えられた。
覚悟はしていたものの、私は、冷静さを失い、悲しみと、苦しみと、切なさと、色々な感情が、一度に溢れてきたのが判った。
寒い冬を、一度越えた春先には、再度、入院してしまった。今度は、義理の妹宅にも戻れない程、体調が優れなかった。
そんな矢先、入院中に、脳内出血で、いよいよ意識も無くなってしまった。私の、呼びかけには、反応し、少し話せるまでに、回復した。しかし、一か月後に、医師より電話があり、『今日か、明日がヤマ場です』と、伝えられた。急いで、病院へ駆けつけると、もう、私の呼びかけには、反応しなくなってしまった。
一旦、自宅へ戻り、待機していたが、翌日の、午前10時頃、医師から母が亡くなった事を、伝えられた。
覚悟はしていたものの、私は、冷静さを失い、悲しみと、苦しみと、切なさと、色々な感情が、一度に溢れてきたのが判った。
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