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2017年05月16日
2017年05月06日
2017年05月04日
2017年05月02日
2017年04月21日
2017年04月03日
さくら
上野の桜は満開で昨日、今日ともに多くの人出である、とニュースで報道されていました。
家の近所の桜は、まだ3分咲き程度でしょうか。
ほとんどの木はまだつぼみだけですが、花が咲いていた木もあったので写真をアップします。
桜の季節になると、2つだけ思い出す歌があります。
「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
と、
「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心のはのどけからまし」
です。
最初の歌は、西行で、次の歌は在原業平朝臣です。
卒業した高校には樹齢100年位の桜の大木が校舎に沿って植えられていました。
桜の花が風に流されて教室によく舞い降りてきました。
高校の授業中この歌を習い(もしかしたら中学で習ったかも)、桜の風景と一緒に
覚えたのです。
古文は不得意でしたが、いろいろ暗記させられ今でも時々思い出します。
年を経ると「古文」もいいなあと感じることが多いですね。
家の近所の桜は、まだ3分咲き程度でしょうか。
ほとんどの木はまだつぼみだけですが、花が咲いていた木もあったので写真をアップします。
桜の季節になると、2つだけ思い出す歌があります。
「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
と、
「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心のはのどけからまし」
です。
最初の歌は、西行で、次の歌は在原業平朝臣です。
卒業した高校には樹齢100年位の桜の大木が校舎に沿って植えられていました。
桜の花が風に流されて教室によく舞い降りてきました。
高校の授業中この歌を習い(もしかしたら中学で習ったかも)、桜の風景と一緒に
覚えたのです。
古文は不得意でしたが、いろいろ暗記させられ今でも時々思い出します。
年を経ると「古文」もいいなあと感じることが多いですね。
2017年03月28日
春の七草 ナズナ
庭にナズナが咲きました。
というと、丹精込めて咲かせたように聞こえますが、別名ペンペン草です。
ペンペン草も生えないというところまでは、まだ庭は荒廃していないことが分ります。
庭の手入れをしていないので、生えてきてしまうので少しきれいにしないと
ダメかなとも思います。
ナズナは、春の七草の中の一つです。
春の七草は、
「せりなずな御形はこべら仏の座 すずなすずしろこれぞ七草」
と南北朝時代に詠まれています。
@セリAナズナBゴギョウ(ハハコグサ)CハコベラDホトケノザ(コオニタビラコ)Eスズナ(カブ)Fスズシロ(大根)の7種になります。
Bゴギョウはハハコグサで黄色い花が咲きます。Cハコベラはハコベです。
Dのホトケノザは3月21日に書いたのは雑草でシソ科です。春の七草のホトケノザはキク科のコオニタビラコで植物が異なります。
春の七草は粥に入れるなどして食べることができます。
私には、セリとカブと大根以外の4種は雑草という感覚があり、食べようという気が起こりません。
1月7日にはスーパーマーケットで七草がゆセットになって売られていますが、よく見ていないので@〜Fのセットかどうかはわかりません。
庭に咲いたナズナもネットで検索するとレシピがたくさん出てきます。
料理に使うのは、まだ花の茎が伸びる前のようです。
食べないのは、別名がペンペン草なので食わず嫌いといえますが。
というと、丹精込めて咲かせたように聞こえますが、別名ペンペン草です。
ペンペン草も生えないというところまでは、まだ庭は荒廃していないことが分ります。
庭の手入れをしていないので、生えてきてしまうので少しきれいにしないと
ダメかなとも思います。
ナズナは、春の七草の中の一つです。
春の七草は、
「せりなずな御形はこべら仏の座 すずなすずしろこれぞ七草」
と南北朝時代に詠まれています。
@セリAナズナBゴギョウ(ハハコグサ)CハコベラDホトケノザ(コオニタビラコ)Eスズナ(カブ)Fスズシロ(大根)の7種になります。
Bゴギョウはハハコグサで黄色い花が咲きます。Cハコベラはハコベです。
Dのホトケノザは3月21日に書いたのは雑草でシソ科です。春の七草のホトケノザはキク科のコオニタビラコで植物が異なります。
春の七草は粥に入れるなどして食べることができます。
私には、セリとカブと大根以外の4種は雑草という感覚があり、食べようという気が起こりません。
1月7日にはスーパーマーケットで七草がゆセットになって売られていますが、よく見ていないので@〜Fのセットかどうかはわかりません。
庭に咲いたナズナもネットで検索するとレシピがたくさん出てきます。
料理に使うのは、まだ花の茎が伸びる前のようです。
食べないのは、別名がペンペン草なので食わず嫌いといえますが。
2017年03月22日
巷で雨が降るごとく
今日は私の住んでいるところは晴れてさわやかな一日でした。
空に白い雲が所々浮いていましたが、風もなく散歩には気持のよい気候でした。
昨日はどんよりとした雲と小雨と少しの寒さを感じさせる日でした。
どんよりとした雲、小雨、寒さが重なると、30年以上前にNHKで放送していた向田邦子脚本の「あうん」を思い出します。
テレビでは主人公(さと子)が、結露したガラスに指で文字を書きながら
「巷で雨が降るがごとく わが心にも 雨ぞ降る」
とつぶやくシーンです。
その当時は単純にストーリーに合致したセリフだと思っていたのですが、「あうん」が本として出版され読みすすむとヴォルレーヌの詩であることを知りました。
また、詩の翻訳者は堀口大學であることも知りました。
(他の翻訳者は別の日本語に翻訳しており印象がずいぶん違います)
直訳すれば、「わたしの心の中で涙を流す。町に雨が降るように」になります。
詩人でもある翻訳者のすごさがわかります。
原文は心地よい響きで続きますが、自分で訳すと風情がまったく出ませんし、音の調子もよくありません。
試しに、いくつかの翻訳ソフトで翻訳させてもやはり詩には程遠い出来になりました。
詩人でもあった堀口大學の翻訳は、新しく素晴らしい詩を作り出しています
逆に、川端康成の「雪国」を翻訳したサイデンステッカーも翻訳者というより作家であったのかもしれません。
日本文学も海外に紹介されるときにどのような翻訳がされるかで、評価がたいへん変わってしまうと思います。
空に白い雲が所々浮いていましたが、風もなく散歩には気持のよい気候でした。
昨日はどんよりとした雲と小雨と少しの寒さを感じさせる日でした。
どんよりとした雲、小雨、寒さが重なると、30年以上前にNHKで放送していた向田邦子脚本の「あうん」を思い出します。
テレビでは主人公(さと子)が、結露したガラスに指で文字を書きながら
「巷で雨が降るがごとく わが心にも 雨ぞ降る」
とつぶやくシーンです。
その当時は単純にストーリーに合致したセリフだと思っていたのですが、「あうん」が本として出版され読みすすむとヴォルレーヌの詩であることを知りました。
また、詩の翻訳者は堀口大學であることも知りました。
(他の翻訳者は別の日本語に翻訳しており印象がずいぶん違います)
直訳すれば、「わたしの心の中で涙を流す。町に雨が降るように」になります。
詩人でもある翻訳者のすごさがわかります。
原文は心地よい響きで続きますが、自分で訳すと風情がまったく出ませんし、音の調子もよくありません。
試しに、いくつかの翻訳ソフトで翻訳させてもやはり詩には程遠い出来になりました。
詩人でもあった堀口大學の翻訳は、新しく素晴らしい詩を作り出しています
逆に、川端康成の「雪国」を翻訳したサイデンステッカーも翻訳者というより作家であったのかもしれません。
日本文学も海外に紹介されるときにどのような翻訳がされるかで、評価がたいへん変わってしまうと思います。
2017年03月21日
春のおとずれ 雑草は生命力たくましい
先週、庭に咲いた水仙とホトケノザを紹介しました。
先日、近所を散歩中に、土のないところに生えている雑草を見つけましたので紹介します。
写真は道路のアスファルト側からブロック塀を撮っています。
左と右のブロックの境から一株(葉が鮮やか)と、右のブロック塀の目地から一株です。
葉が2枚ずつ互い違いに(茎の断面が四角形)出ていること、花を見るとホトケノザ(仏の座)の形であることから、この雑草はホトケノザだと思います。
庭に生えたホトケノザと比べると葉の色つや、花の鮮やかさがまったくありませんが、よくぞこんなところに生えたと思います。
左の茎は右と左のブロックの隙間が少しあるので、そこに溜まった土埃が地面の代わりをしていると思います。
右の茎に至ってはブロック塀の目地なのでどうやって種が入って、いったい何を栄養に育ったのかは想像もつきません。
まさかすぐ上から流れ落ちる排水で育ったのか(例えばポトスのように水だけで育ったのか)?
種子から芽と根が出て、根は茎を支えているはずので、どちらの茎も相当長い根がブロックの奥先まであるのではと想像します。
野菜もこのくらい生命力があると飢餓問題も解決できるのかなあ、と思いました。
もしかしたら味や、見た目を気にしないのなら野菜も同じくらいの生命力があるのかもしれません。
野菜と雑草を区別しているのは人間で、ほかの生物にとっては同じ植物なので。
先日、近所を散歩中に、土のないところに生えている雑草を見つけましたので紹介します。
写真は道路のアスファルト側からブロック塀を撮っています。
左と右のブロックの境から一株(葉が鮮やか)と、右のブロック塀の目地から一株です。
葉が2枚ずつ互い違いに(茎の断面が四角形)出ていること、花を見るとホトケノザ(仏の座)の形であることから、この雑草はホトケノザだと思います。
庭に生えたホトケノザと比べると葉の色つや、花の鮮やかさがまったくありませんが、よくぞこんなところに生えたと思います。
左の茎は右と左のブロックの隙間が少しあるので、そこに溜まった土埃が地面の代わりをしていると思います。
右の茎に至ってはブロック塀の目地なのでどうやって種が入って、いったい何を栄養に育ったのかは想像もつきません。
まさかすぐ上から流れ落ちる排水で育ったのか(例えばポトスのように水だけで育ったのか)?
種子から芽と根が出て、根は茎を支えているはずので、どちらの茎も相当長い根がブロックの奥先まであるのではと想像します。
野菜もこのくらい生命力があると飢餓問題も解決できるのかなあ、と思いました。
もしかしたら味や、見た目を気にしないのなら野菜も同じくらいの生命力があるのかもしれません。
野菜と雑草を区別しているのは人間で、ほかの生物にとっては同じ植物なので。